冬空の木漏れ日

わしお

文字の大きさ
10 / 29

10

しおりを挟む
収録は実に順調に終わった。
リハーサルの演奏すら凄くて感動しそうになったのに、本番は更に熱量が増し、スタジオが震えるほどに感じた。

しかし何度聞いても、やはりKyoyaさんの歌声が一番耳に残る。ボーカルに一番注目すること自体は珍しくもないことだと思うが、そういうことではなくて、他のたくさんのアーティストの声を聞いた後でも、Kyoyaさんの歌が一番心に残っているのだ。

やっぱり好きだなぁと思いながら、帰り道、疲れてみんなが寝てしまっている車の中で、翔は小さく歌を口ずさんでいた。

歌ってみて初めて知ったが、異常なほど音域が広い。翔では高音も低音も出せず、どうしたらあんなに伸びやかに歌えるのかと感心した。

するといつの間にか、そこに綺麗なコーラスが重なってくる。
ミラーを確認すれば、Koheiさんが合わせてコーラスを歌っていた。

「こ!……Koheiさん……。起きてたんですか?」

咄嗟に叫びそうになって、しかし皆さんを起こすまいと声を潜める。
Koheiさんは何も言わずに微笑んだ。

「すみません、もしかして起こしました?」
「いえ。腹減って起きちゃっただけです」

確かに、あれだけすごい熱量で演奏したのだ。お腹も空くだろう。
Koheiさんはキーボードだけでなく、コーラスも歌っているから尚更だ。

「Kyoyaの歌のこと、泣いてるみたいって言ってましたよね」

唐突に、Koheiさんはそう聞いてきた。

「う……。すみません。否定するつもりではなかったんです」
「素直にそう思ったんでしょう?言いたいことはわかります」

てっきり怒られるかからかわれるかすると思ったのだが、Koheiさんは意外にも、翔の意見に賛同してくれた。

「わかりますか……?誰に聞いても気のせいだって言われるんですけど」
「俺もそう感じることはありますから。本当に微かに、ですけど」

Koheiさんも感じていて、Kyoyaさんも自覚があると言っていた。やはり、翔の気のせいではない。
あの寂しさの理由を、Koheiさんは知っているのだろうか。

「どうしてそう聞こえるんでしょう……。わざとではないんですよね?」
「ええ。むしろKyoyaはそれを嫌っています。無くしたいと思っているし、多分Kyoyaは、その原因に心当たりがあるんだと思います」
「え……。そうなんですか?」

Kyoyaさんほど器用に歌える人なら、原因がわかっていれば解決できそうな気がするのだが、できないのだろうか。
一体、何が原因なのだろう。わかっていても、どうにもできないことなのだろうか。

Koheiさんは静かに言葉を続ける。

「昔はそんなことはなかったんです。でもその頃のKyoyaの歌は、心に響かせるにはどこか少し足りなくて、今ほどの奥行きは出せませんでした。去年の冬ごろからそれを克服し始めて、今年の春にテレビ番組に出た時には、今の歌い方になっていました。
その時歌ったのは失恋の曲だったので、当然そこには寂しさが乗ります。だからその時はそんなに気にしていなかったし、弱点を克服できたんだと思っていました」

今年の春といえば、丁度翔がMusic Sparkで聞いた頃だ。
あれはとても心に響く歌だったし、寂しさが上手く噛み合っていた気がする。

「しかし、事務所に入った頃からでしょうか。その寂しさが顕著に出始めたんです。余程聞き慣れていないと違いはわからないかもしれませんが、前以上に届けたい意志を強く感じられます。
そもそも、俺たちは事務所への所属には消極的でした。事務所に入って行動が制限されるよりは、フリーで自由にやっていたいと、メンバーみんなで話し合って決めて、どんな大手に誘われても、Kyoyaは俺たちにいちいち相談せず断ってきました。ですが、ファミーユミュージックに誘われた時だけ、"Kyoyaは考えさせてください"って言ったんです。
条件が悪くなかったのはあるでしょう。方向性は自由なまま、事務所に所属していないと入ってこない仕事が増えて、スケジュール管理も向こうがやってくれるようになる。おいしい話だったと思います。だけどそれ以上に、Kyoyaがこの事務所に拘る理由があるように感じました」

「拘る、理由……?」

翔が見る限りは、ファミーユミュージックはそこまで特別他の事務所より条件がいいわけではないと思う。
こう言っては悪いが、規模もそんなに大きくはない。設立して二十五年くらいだが、ざっと調べた限り、二回ほど不況にも陥っている。
社長の人柄はいいが、決して安定している会社とは言えない。

一体Kyoyaさんは、この事務所の何に拘ったのだろうか。

「Kyoyaが入りたい理由は察しがついたので、社長に詳しく話を聞いた上で、所属することに決めました。実際、今のところいいことしかありません。でも条件がいいから入りたかったわけではなくて、Kyoyaも相当迷っていたというか、怖がっているようにも感じました」

事務所に入れば、良くも悪くも環境が変わる。怖いと感じること自体は不思議ではない。

しかし、怖いと感じるくらいならば入らなければいいのではと思ってしまうが、それでも入りたい何かがあったのだろうか。

「どういうことでしょう……」
「真実は俺にもわかりませんが、俺はKyoyaが生きてきた環境をある程度知っていますから、大体の想像はできます。でもそれが原因で歌に寂しさが乗ってしまうのなら、克服できるかはKyoya次第です。俺にはどうすることもできません」
「そう、ですか……」

一体、Kyoyaさんは何を抱えているのだろう。一体何が、あの人を寂しがらせているのだろう。
その寂しさを埋める手伝い程度でも、翔にできることはないのだろうか。

赤信号で止まった時、ちらりと助手席のKyoyaさんの横顔を見る。眠っているその顔はいつも通り美しくて、眺めているだけでは寂しさの理由など感じられるはずもない。

その寂しい歌声に惹かれた翔としては、克服してその全てが失われてしまうのは悲しいことだ。
だが、その寂しさを埋めたいと思ったのも事実だ。

それを自在に表現に組み込み、本当の意味での魅力にできたら、どんなに素晴らしいだろう。

いつかそんな日が来たならば。自分の歌を嫌いだと言ったKyoyaさんが、心から笑って歌える日が来たならば。

それがただの願いで終わらないことを、翔は澄んだ快晴の空に祈った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】この契約に愛なんてないはずだった

なの
BL
劣勢オメガの翔太は、入院中の母を支えるため、昼夜問わず働き詰めの生活を送っていた。 そんなある日、母親の入院費用が払えず、困っていた翔太を救ったのは、冷静沈着で感情を見せない、大企業副社長・鷹城怜司……優勢アルファだった。 数日後、怜司は翔太に「1年間、仮の番になってほしい」と持ちかける。 身体の関係はなし、報酬あり。感情も、未来もいらない。ただの契約。 生活のために翔太はその条件を受け入れるが、理性的で無表情なはずの怜司が、ふとした瞬間に見せる優しさに、次第に心が揺らいでいく。 これはただの契約のはずだった。 愛なんて、最初からあるわけがなかった。 けれど……二人の距離が近づくたびに、仮であるはずの関係は、静かに熱を帯びていく。 ツンデレなオメガと、理性を装うアルファ。 これは、仮のはずだった番契約から始まる、運命以上の恋の物語。

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

【完結済】「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか

BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。 ……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、 気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。 「僕は、あなたを守ると決めたのです」 いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。 けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――? 身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。 “王子”である俺は、彼に恋をした。 だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。 これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、 彼だけを見つめ続けた騎士の、 世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。

【BL】捨てられたSubが甘やかされる話

橘スミレ
BL
 渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。  もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。  オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。  ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。  特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。  でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。  理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。  そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!  アルファポリス限定で連載中  二日に一度を目安に更新しております

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

処理中です...