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「かけるっちの歓迎会を兼ねて、新年会をしよう!」
りつさんからのそんな提案で、一月も半ばになってしまったが、急遽新年会をすることになった。
場所はいつも通りと言うから、定番のお店でもあるのだろうかと思ったら、Kyoyaさんの家に各々食べ物や飲み物を持ち寄るという、ホームパーティー的なものだった。
翔もみんなで食べられるお菓子やピザを購入し、2リットルのペットボトルのお茶やお酒が入った重いカバンを持ってKyoyaさんの家に向かう。重い荷物を持つ程度は、AD時代に散々持たされたから苦ではない。
オートロックを開けてもらい、エレベーターで六階に上がる。インターホンを押せば、Kyoyaさんが迎えてくれて、荷物を半分持ってくれた。
先に行くよう促され、奥の部屋の扉を開けた。
途端、パンパンと大きな音と共に、カラフルなテープが視界を舞う。
「かけるっち、入社おめでとー!」
りつさんが元気よくそう言い、Koheiさん、MASATOさん、クロユリさんが拍手をする。
驚いて固まっていると、後ろからも同じ音がして、振り向けばKyoyaさんがにやにやと笑ってクラッカーを持っていた。
「あと、あけましておめでとうございます。これからも、よろしくお願いしますね、マネージャー」
Kyoyaさんにそう言われ、嬉しいやら驚きやらで涙が出そうになる。
翔は袖で涙を拭い、笑顔を浮かべた。
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
翔がそう言えば、みんなが拍手をしてくれた。
翔の荷物をKoheiさんが受け取り、りつさんに連れられて部屋の中心に来る。
各々酒やジュースを持って、改めて乾杯した。
ピザを食べたり、お菓子を食べたり、話しながらただ騒ぐ。
「かけるっちって、どこに住んでるの?」
「社長の家に居候させてもらってます。りつさんはご実家ですよね?」
「そうだよー。父親の病院の手伝いしてるの。こう見えて、僕も医者なんだよ」
「え、そうなんですか!?すごい!」
「まだ研修医だけどねー」
こんなプライベートな話をする機会は今まであまりなく、友達の少ない翔には新鮮で、とても楽しい時間だった。
こんな時でも、話題は音楽のことが多い。
最近の曲の傾向、次のライブの曲目、新曲のPV撮影、気付けば仕事の話になっていたが、真面目な場では絶対に言えないような斬新なアイデアや下ネタまで、本当に思い思いに、気を遣わずに話していた。
お酒が回ってくると、翔も今までメンバーには言わなかったテレビ局時代の愚痴などを話してしまった。みんなは茶化しながらもちゃんと聞いてくれて、なんだか心が軽くなっていく気がした。
そんな中でふと、翔は聞いてみたかった疑問を口にした。
「皆さんの芸名って、本名から取ってるんですか?」
「そうだよー」と、りつさんがカバンから紙とペンを取り出す。
「みんな本名の字を変えただけ」
りつさんがペンを走らせ、それぞれの名前を書く。
書かれた文字は、恭哉、耕平、里津、真人、九郎。
「僕、マサ、こうちゃん、きょうちゃんはほんとにそのまま。クロちゃんの本名は九郎なんだけど、元々クロユリって呼ばれてたからそこから取ったの」
「あだ名みたいな感じですか?」
「まあそうだね」
随分変わったあだ名だが、一体どこから来たのだろうか。
それぞれの本名を見ていると、こちらの方が馴染みやすく感じる。読み方は変わらないが、心の中では本名で呼んでみようか、なんて思った。
「苗字は何て言うんですか?里津さん家の表札は乙部になってますけど……」
「そう、僕は乙部。マサは氷室で、こうちゃんは服部。そういえば、きょうちゃんは表札出してないね」
言われてみれば確かに、ポストにもドアにも何も書かれていなかった。
恭哉さんを見ると、丁度チューハイを一缶飲んだところのようで、上を向いた首を正面に戻し、ごくりと喉を鳴らす。
「気休めだけど、防犯対策」
そう言われて、翔は納得する。何があるかわからないご時世だ。特に恭哉さんは有名人だし、名字を公表していないとはいえ、どこから情報が漏れるかわからない。些細なことでも防犯対策は必要だ。
それからまた他愛のない話をしていたのだが、目の前でチョコレートを口に入れたクロユリさんが、険しい顔をした。
「こーへー」
クロユリさんの後ろのベッドに腰掛けていた耕平さんに、クロユリさんが呼びかける。耕平さんは「どうした?」とクロユリさんに顔を向けた。
クロユリさんが、耕平さんの首に手を伸ばす。その仕草が妙に色っぽくてドキッとした。
耕平さんが上半身を倒すと、クロユリさんは伸ばした腕を耕平さんの首に掛けて引き寄せ……そのままキスをした。
「!!!!???????」
翔は驚いて、口に運ぼうとしたスナック菓子を落として固まってしまう。スナック菓子は床に落ちる前に、隣にいた真人さんがキャッチして食べた。
耕平さんは一瞬驚いた顔をしたが、目を閉じてクロユリさんの頭に手を回す。
その様子は明らかにただの同居人ではなく、愛し合う恋人同士にしか見えなかった。
翔は直視していいのかわからず、顔が熱くなっていくのがわかる。
なんだか目が放せなくてそのまま眺めていれば、やがて二人は口を離した。
耕平さんが、何やら口をもぐもぐと動かす。
「ビターチョコ?」
何事もなかったかのように、耕平さんはクロユリさんが食べたチョコの箱を見る。そこにはカカオ70%と書かれていた。
「苦かった」
クロユリさんは苦々しい顔をしながら、乳酸菌飲料をごくごくと飲む。
「いや、苦いのはわかるけど、口移しする必要あった!?」
何も言えない翔の横で、里津さんが声を上げる。反対側の隣で真人さんもうなずいている。
「クロ、こっちにミルクチョコある」
恭哉さんは気にした様子もなく、クロユリさんに個包装のミルクチョコを渡す。クロユリさんはそれを受け取り、美味しそうに頬張った。
翔はいまだに何も言えず固まっている。それに気づいた恭哉さんが翔に声を掛けた。
「高木さん、大丈夫ですか?」
「は、はい!!!」
つい、声が裏返ってしまう。驚きすぎて、何から聞いていいのかわからない。
恭哉さんは申し訳なさそうに眉を下げて、翔にチューハイの缶を手渡した。
「そういえば言ってませんでしたね。クロと耕平は付き合ってるんですよ」
「そ、そうだったんですね……」
チューハイを受け取り、高鳴った心臓を抑えるように缶を開ける。
同性愛者が周りにいなかった翔はつい驚いてしまったが、別に珍しい話ではない。
耕平さんが27歳、クロユリさんが16歳と歳の差があることもあり、勝手に耕平さんがクロユリさんの保護者代わりなのかと思っていた。
同性愛者に偏見はないつもりでいたが、実際に目にすると驚いてしまう。
そういえば、以前現場に行くとき、クロユリさんが寝不足だということに里津さんたちが突っ込んでいたが、それはもしかして、夜の営みをしていたんじゃないかということだったのではないだろうか。
そう考えたら、また顔に熱が集まっていく。つい変な想像をしてしまいそうだ。
「ちなみに、里津とマサも付き合ってますよ」
落ち着かずにいる翔に、恭哉さんがそんなことを言うものだから、また驚いてチューハイを噴き出しそうになった。
翔はなんとかチューハイを飲み込み、里津さんを見る。照れくさそうに微笑まれた。
翔はふと、自分の座っている場所を見る。ちょうど里津さんと真人さんの間だった。
「す、すみません!退きますね!」
なんて邪魔なところにと思いながら立ち上がると、二人が翔の後ろで手を繋いでいたことを知る。
なんてことだ。本当に邪魔者ではないか。
「別に気にしなくていいのに。かけるっち真面目―」
里津さんはそう言ってスナック菓子を頬張るが、真人さんは翔が退いた瞬間里津さんとの距離を詰めた。やっぱり邪魔者ではないか。
逃げるように恭哉さんの隣に座る。恭哉さんは笑いながら甘そうなカクテルを煽った。
「オレ、恋人できたことないんですよ……」
翔は愚痴るようにそう言い、チビチビとチューハイを飲む。好きだった子が地元で結婚したと言えば、恭哉さんは笑いながらも慰めてくれた。
「恭哉さんは恋人います?」
こんなかっこいいんだからどうせいるんだろうと思いつつそう聞けば、恭哉さんは「いや」と言う。
「今はいませんよ。大学卒業してから作ってません」
「え!?」
驚いて恭哉さんを見るが、からかっている顔ではない。本当にいないらしい。
「別に好きな人がいるわけでもないし、仕事に支障が出ても嫌なので断ってます」
「ああ、やっぱり告白はされるんですね……」
告白されたことのない翔とは全く違う理由だった。当然のことだが、一瞬親近感が湧いたゆえに落胆は大きい。
「その幼馴染はどんな人だったんですか?」
恭哉さんに問われ、翔はまだ失恋の傷が癒えきっていない幼馴染の顔を思い出す。
「幼稚園からの幼馴染なんですけど、勝ち気で芯が強くて、曲がったことが大嫌いな人でした」
明るくて面倒見がよくて、男よりも強い同級生。おかしいと思えば大人相手でも臆せず立ち向かい、いじめられているクラスメイトがいれば積極的に話しかけ、守るように共に行動していた。
翔も守られたことがある。小学校の時、同級生の男子たちから嫌がらせを受けた時だ。
怖くて逆らうこともできなくて、誰にも相談できずにいた翔を、彼女は先生や親を巻き込んで助けてくれた。
ずっと好きだったかと言うと、そういうわけではなかった。姉弟みたいな感覚だった。他に気になる子がいたこともあった。
その時も、仲を取り持とうとしてくれたり、応援してくれた。上手くいかなければ慰めてくれた。
そのうちに好きになった。けれど彼女の中では、翔はずっと弟のような存在だったのだろう。
結婚の連絡も、全く飾ることのない「結婚した」という言葉と、旦那さんと二人で映る、幸せそうな写真だけを送ってきた。
彼氏がいたことすら、翔は知らなかった。震える手で「おめでとう」と送るのが精一杯だった。
結婚式の招待状を送ると言ってくれたが、とても出席する気になれず、仕事が忙しいからと断った。実際は仕事をクビになった直後で、一ミリも忙しくなかったのだが。
不義理だと思う。薄情だと思う。けれど、他人と幸せそうに笑う彼女の姿を見たくなかった。
せめて、彼氏ができた段階で教えてほしかった。そしたら、もう少し割り切れたかもしれないのに。
「好き」と言うことすらできないまま、翔の長い恋は終わりを告げた。
終わりを告げたはずなのに、いまだに割り切れずに引きずっている。最近は新しい日常に慣れるので精一杯で、彼女を思い出す暇がなかったが、こうして振り返っていると、また涙が溢れそうになる。
泣いたら迷惑になってしまうと必死に堪えていると、不意に恭哉さんが歌を口ずさみ始めた。
途端に耕平さんがビールを吹きかけたが、なんとか飲み込んだようだ。翔にはその理由がわからないが、他のメンバーは耕平さんをからかうように笑っている。
そんなメンバーの様子を気にも留めず、恭哉さんは歌い続ける。
悲しくて、けれどどうしようもない愛しさを感じるその歌は、歌詞から考えても明らかに失恋の曲だ。
ライブでも、収録でも聞いたことがない。いつ頃作った曲なのだろうか。そもそもChronicle Growthの曲なのだろうか。
わからないが、それは今の翔の感情に、あまりにもぴったりと寄り添ってくれた。
割り切らなきゃ、忘れなきゃと思っていた翔に、そうじゃないと、泣いていいんだと言ってくれているような気がした。
「う、うぅ……」
耐えきれなくて、翔の頬を大粒の涙が伝う。チューハイを握りしめる手に力がこもり、缶がベコリと音を立てる。
そのまま声を上げて泣き出せば、恭哉さんは歌い続けながら、ポンポンと頭を撫でてくれた。
恭哉さんが歌い終わっても、翔はしばらく泣き続けた。恭哉さんは翔が泣き止むまで、ずっと髪を撫で続けてくれた。
どうしたらいいかわからなかった思いが、やっと解放された気がした。
翔がようやく泣き止んでくると、みんな思い思いの方法で慰めてくれた。
自分の失恋話をしてくれる耕平さん、何も言わずに微笑んでくれる真人さん、酒飲んで忘れよ!という里津さん、お菓子を沢山手に乗せてくれるクロユリさん。
みんなのおかげで、だいぶ心が軽くなった。ありがたさに微笑めば、恭哉さんがそっとハンカチで涙を拭ってくれた。
「今のは、クロが入る前、四人で初めて演奏した曲なんです。耕平が高校の時に失恋して、未練タラッタラで作ったんですけど」
「おい」
恭哉さんの言葉を遮り、耕平さんが不満そうな声を上げる。さっき噴き出したのはそういうことだったようだ。少し恥ずかしそうな耕平さんの様子に、里津さんとクロユリさんが小さく笑う。
恭哉さんは気にした様子もなく言葉を続ける。
「俺と耕平が出会うきっかけにもなった曲で、耕平は恥ずかしがるけど、個人的に好きな曲なんですよ。きっと、今の高木さんにも寄り添ってくれると思って」
翔は小さくうなずき、「ありがとうございます」と呟く。恭哉さんは聖母のように綺麗な顔で微笑んだ。
その後も、くだらない話をしながら、いつまでも酒を飲んだ。
電車で来ているからアルコールの心配をしなくていいし、何より、こんな風に飲みながら駄弁るだけの時間が本当に楽しくて、翔は気付けばかつてないほど飲んでいた。
だんだん瞼が重くなっていき、隣にいる誰かの肩に寄り掛かる。もう相手が誰なのかを認識できるほどの思考は無い。
爽やかで、少し甘い香りが鼻をくすぐる。隣の人の香水だろうか。なんだかとても心が落ち着く。
伝わる体温が温かくて、ふわふわとした心地のまま瞼を閉じた。
りつさんからのそんな提案で、一月も半ばになってしまったが、急遽新年会をすることになった。
場所はいつも通りと言うから、定番のお店でもあるのだろうかと思ったら、Kyoyaさんの家に各々食べ物や飲み物を持ち寄るという、ホームパーティー的なものだった。
翔もみんなで食べられるお菓子やピザを購入し、2リットルのペットボトルのお茶やお酒が入った重いカバンを持ってKyoyaさんの家に向かう。重い荷物を持つ程度は、AD時代に散々持たされたから苦ではない。
オートロックを開けてもらい、エレベーターで六階に上がる。インターホンを押せば、Kyoyaさんが迎えてくれて、荷物を半分持ってくれた。
先に行くよう促され、奥の部屋の扉を開けた。
途端、パンパンと大きな音と共に、カラフルなテープが視界を舞う。
「かけるっち、入社おめでとー!」
りつさんが元気よくそう言い、Koheiさん、MASATOさん、クロユリさんが拍手をする。
驚いて固まっていると、後ろからも同じ音がして、振り向けばKyoyaさんがにやにやと笑ってクラッカーを持っていた。
「あと、あけましておめでとうございます。これからも、よろしくお願いしますね、マネージャー」
Kyoyaさんにそう言われ、嬉しいやら驚きやらで涙が出そうになる。
翔は袖で涙を拭い、笑顔を浮かべた。
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
翔がそう言えば、みんなが拍手をしてくれた。
翔の荷物をKoheiさんが受け取り、りつさんに連れられて部屋の中心に来る。
各々酒やジュースを持って、改めて乾杯した。
ピザを食べたり、お菓子を食べたり、話しながらただ騒ぐ。
「かけるっちって、どこに住んでるの?」
「社長の家に居候させてもらってます。りつさんはご実家ですよね?」
「そうだよー。父親の病院の手伝いしてるの。こう見えて、僕も医者なんだよ」
「え、そうなんですか!?すごい!」
「まだ研修医だけどねー」
こんなプライベートな話をする機会は今まであまりなく、友達の少ない翔には新鮮で、とても楽しい時間だった。
こんな時でも、話題は音楽のことが多い。
最近の曲の傾向、次のライブの曲目、新曲のPV撮影、気付けば仕事の話になっていたが、真面目な場では絶対に言えないような斬新なアイデアや下ネタまで、本当に思い思いに、気を遣わずに話していた。
お酒が回ってくると、翔も今までメンバーには言わなかったテレビ局時代の愚痴などを話してしまった。みんなは茶化しながらもちゃんと聞いてくれて、なんだか心が軽くなっていく気がした。
そんな中でふと、翔は聞いてみたかった疑問を口にした。
「皆さんの芸名って、本名から取ってるんですか?」
「そうだよー」と、りつさんがカバンから紙とペンを取り出す。
「みんな本名の字を変えただけ」
りつさんがペンを走らせ、それぞれの名前を書く。
書かれた文字は、恭哉、耕平、里津、真人、九郎。
「僕、マサ、こうちゃん、きょうちゃんはほんとにそのまま。クロちゃんの本名は九郎なんだけど、元々クロユリって呼ばれてたからそこから取ったの」
「あだ名みたいな感じですか?」
「まあそうだね」
随分変わったあだ名だが、一体どこから来たのだろうか。
それぞれの本名を見ていると、こちらの方が馴染みやすく感じる。読み方は変わらないが、心の中では本名で呼んでみようか、なんて思った。
「苗字は何て言うんですか?里津さん家の表札は乙部になってますけど……」
「そう、僕は乙部。マサは氷室で、こうちゃんは服部。そういえば、きょうちゃんは表札出してないね」
言われてみれば確かに、ポストにもドアにも何も書かれていなかった。
恭哉さんを見ると、丁度チューハイを一缶飲んだところのようで、上を向いた首を正面に戻し、ごくりと喉を鳴らす。
「気休めだけど、防犯対策」
そう言われて、翔は納得する。何があるかわからないご時世だ。特に恭哉さんは有名人だし、名字を公表していないとはいえ、どこから情報が漏れるかわからない。些細なことでも防犯対策は必要だ。
それからまた他愛のない話をしていたのだが、目の前でチョコレートを口に入れたクロユリさんが、険しい顔をした。
「こーへー」
クロユリさんの後ろのベッドに腰掛けていた耕平さんに、クロユリさんが呼びかける。耕平さんは「どうした?」とクロユリさんに顔を向けた。
クロユリさんが、耕平さんの首に手を伸ばす。その仕草が妙に色っぽくてドキッとした。
耕平さんが上半身を倒すと、クロユリさんは伸ばした腕を耕平さんの首に掛けて引き寄せ……そのままキスをした。
「!!!!???????」
翔は驚いて、口に運ぼうとしたスナック菓子を落として固まってしまう。スナック菓子は床に落ちる前に、隣にいた真人さんがキャッチして食べた。
耕平さんは一瞬驚いた顔をしたが、目を閉じてクロユリさんの頭に手を回す。
その様子は明らかにただの同居人ではなく、愛し合う恋人同士にしか見えなかった。
翔は直視していいのかわからず、顔が熱くなっていくのがわかる。
なんだか目が放せなくてそのまま眺めていれば、やがて二人は口を離した。
耕平さんが、何やら口をもぐもぐと動かす。
「ビターチョコ?」
何事もなかったかのように、耕平さんはクロユリさんが食べたチョコの箱を見る。そこにはカカオ70%と書かれていた。
「苦かった」
クロユリさんは苦々しい顔をしながら、乳酸菌飲料をごくごくと飲む。
「いや、苦いのはわかるけど、口移しする必要あった!?」
何も言えない翔の横で、里津さんが声を上げる。反対側の隣で真人さんもうなずいている。
「クロ、こっちにミルクチョコある」
恭哉さんは気にした様子もなく、クロユリさんに個包装のミルクチョコを渡す。クロユリさんはそれを受け取り、美味しそうに頬張った。
翔はいまだに何も言えず固まっている。それに気づいた恭哉さんが翔に声を掛けた。
「高木さん、大丈夫ですか?」
「は、はい!!!」
つい、声が裏返ってしまう。驚きすぎて、何から聞いていいのかわからない。
恭哉さんは申し訳なさそうに眉を下げて、翔にチューハイの缶を手渡した。
「そういえば言ってませんでしたね。クロと耕平は付き合ってるんですよ」
「そ、そうだったんですね……」
チューハイを受け取り、高鳴った心臓を抑えるように缶を開ける。
同性愛者が周りにいなかった翔はつい驚いてしまったが、別に珍しい話ではない。
耕平さんが27歳、クロユリさんが16歳と歳の差があることもあり、勝手に耕平さんがクロユリさんの保護者代わりなのかと思っていた。
同性愛者に偏見はないつもりでいたが、実際に目にすると驚いてしまう。
そういえば、以前現場に行くとき、クロユリさんが寝不足だということに里津さんたちが突っ込んでいたが、それはもしかして、夜の営みをしていたんじゃないかということだったのではないだろうか。
そう考えたら、また顔に熱が集まっていく。つい変な想像をしてしまいそうだ。
「ちなみに、里津とマサも付き合ってますよ」
落ち着かずにいる翔に、恭哉さんがそんなことを言うものだから、また驚いてチューハイを噴き出しそうになった。
翔はなんとかチューハイを飲み込み、里津さんを見る。照れくさそうに微笑まれた。
翔はふと、自分の座っている場所を見る。ちょうど里津さんと真人さんの間だった。
「す、すみません!退きますね!」
なんて邪魔なところにと思いながら立ち上がると、二人が翔の後ろで手を繋いでいたことを知る。
なんてことだ。本当に邪魔者ではないか。
「別に気にしなくていいのに。かけるっち真面目―」
里津さんはそう言ってスナック菓子を頬張るが、真人さんは翔が退いた瞬間里津さんとの距離を詰めた。やっぱり邪魔者ではないか。
逃げるように恭哉さんの隣に座る。恭哉さんは笑いながら甘そうなカクテルを煽った。
「オレ、恋人できたことないんですよ……」
翔は愚痴るようにそう言い、チビチビとチューハイを飲む。好きだった子が地元で結婚したと言えば、恭哉さんは笑いながらも慰めてくれた。
「恭哉さんは恋人います?」
こんなかっこいいんだからどうせいるんだろうと思いつつそう聞けば、恭哉さんは「いや」と言う。
「今はいませんよ。大学卒業してから作ってません」
「え!?」
驚いて恭哉さんを見るが、からかっている顔ではない。本当にいないらしい。
「別に好きな人がいるわけでもないし、仕事に支障が出ても嫌なので断ってます」
「ああ、やっぱり告白はされるんですね……」
告白されたことのない翔とは全く違う理由だった。当然のことだが、一瞬親近感が湧いたゆえに落胆は大きい。
「その幼馴染はどんな人だったんですか?」
恭哉さんに問われ、翔はまだ失恋の傷が癒えきっていない幼馴染の顔を思い出す。
「幼稚園からの幼馴染なんですけど、勝ち気で芯が強くて、曲がったことが大嫌いな人でした」
明るくて面倒見がよくて、男よりも強い同級生。おかしいと思えば大人相手でも臆せず立ち向かい、いじめられているクラスメイトがいれば積極的に話しかけ、守るように共に行動していた。
翔も守られたことがある。小学校の時、同級生の男子たちから嫌がらせを受けた時だ。
怖くて逆らうこともできなくて、誰にも相談できずにいた翔を、彼女は先生や親を巻き込んで助けてくれた。
ずっと好きだったかと言うと、そういうわけではなかった。姉弟みたいな感覚だった。他に気になる子がいたこともあった。
その時も、仲を取り持とうとしてくれたり、応援してくれた。上手くいかなければ慰めてくれた。
そのうちに好きになった。けれど彼女の中では、翔はずっと弟のような存在だったのだろう。
結婚の連絡も、全く飾ることのない「結婚した」という言葉と、旦那さんと二人で映る、幸せそうな写真だけを送ってきた。
彼氏がいたことすら、翔は知らなかった。震える手で「おめでとう」と送るのが精一杯だった。
結婚式の招待状を送ると言ってくれたが、とても出席する気になれず、仕事が忙しいからと断った。実際は仕事をクビになった直後で、一ミリも忙しくなかったのだが。
不義理だと思う。薄情だと思う。けれど、他人と幸せそうに笑う彼女の姿を見たくなかった。
せめて、彼氏ができた段階で教えてほしかった。そしたら、もう少し割り切れたかもしれないのに。
「好き」と言うことすらできないまま、翔の長い恋は終わりを告げた。
終わりを告げたはずなのに、いまだに割り切れずに引きずっている。最近は新しい日常に慣れるので精一杯で、彼女を思い出す暇がなかったが、こうして振り返っていると、また涙が溢れそうになる。
泣いたら迷惑になってしまうと必死に堪えていると、不意に恭哉さんが歌を口ずさみ始めた。
途端に耕平さんがビールを吹きかけたが、なんとか飲み込んだようだ。翔にはその理由がわからないが、他のメンバーは耕平さんをからかうように笑っている。
そんなメンバーの様子を気にも留めず、恭哉さんは歌い続ける。
悲しくて、けれどどうしようもない愛しさを感じるその歌は、歌詞から考えても明らかに失恋の曲だ。
ライブでも、収録でも聞いたことがない。いつ頃作った曲なのだろうか。そもそもChronicle Growthの曲なのだろうか。
わからないが、それは今の翔の感情に、あまりにもぴったりと寄り添ってくれた。
割り切らなきゃ、忘れなきゃと思っていた翔に、そうじゃないと、泣いていいんだと言ってくれているような気がした。
「う、うぅ……」
耐えきれなくて、翔の頬を大粒の涙が伝う。チューハイを握りしめる手に力がこもり、缶がベコリと音を立てる。
そのまま声を上げて泣き出せば、恭哉さんは歌い続けながら、ポンポンと頭を撫でてくれた。
恭哉さんが歌い終わっても、翔はしばらく泣き続けた。恭哉さんは翔が泣き止むまで、ずっと髪を撫で続けてくれた。
どうしたらいいかわからなかった思いが、やっと解放された気がした。
翔がようやく泣き止んでくると、みんな思い思いの方法で慰めてくれた。
自分の失恋話をしてくれる耕平さん、何も言わずに微笑んでくれる真人さん、酒飲んで忘れよ!という里津さん、お菓子を沢山手に乗せてくれるクロユリさん。
みんなのおかげで、だいぶ心が軽くなった。ありがたさに微笑めば、恭哉さんがそっとハンカチで涙を拭ってくれた。
「今のは、クロが入る前、四人で初めて演奏した曲なんです。耕平が高校の時に失恋して、未練タラッタラで作ったんですけど」
「おい」
恭哉さんの言葉を遮り、耕平さんが不満そうな声を上げる。さっき噴き出したのはそういうことだったようだ。少し恥ずかしそうな耕平さんの様子に、里津さんとクロユリさんが小さく笑う。
恭哉さんは気にした様子もなく言葉を続ける。
「俺と耕平が出会うきっかけにもなった曲で、耕平は恥ずかしがるけど、個人的に好きな曲なんですよ。きっと、今の高木さんにも寄り添ってくれると思って」
翔は小さくうなずき、「ありがとうございます」と呟く。恭哉さんは聖母のように綺麗な顔で微笑んだ。
その後も、くだらない話をしながら、いつまでも酒を飲んだ。
電車で来ているからアルコールの心配をしなくていいし、何より、こんな風に飲みながら駄弁るだけの時間が本当に楽しくて、翔は気付けばかつてないほど飲んでいた。
だんだん瞼が重くなっていき、隣にいる誰かの肩に寄り掛かる。もう相手が誰なのかを認識できるほどの思考は無い。
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「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
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