冬空の木漏れ日

わしお

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「ただいまー」

翔が帰ると、リビングで本を読む社長の姿があった。

「おかえり。今日もお疲れ様」
「恭哉さんは部屋ですか?」
「うん。帰っておうどんを食べてから、ずっと寝ているよ」

そう言って、社長はいつも以上に穏やかに微笑む。結局フレンチトーストはやめたらしい。
翔はその姿に安心して、帰りに買ってきたお菓子の箱をテーブルに置いた。

「プリン買ってきたんです。カラメルが別になってるから、恭哉さんも食べられるだろうってりっちゃんに教えてもらって」

練習の合間にお菓子の話になって、超甘党の恭哉さんはプリンのカラメルソースの苦みが苦手だと、耕平さんに教えてもらった。
それを聞いたりっちゃんが、このプリンなら食べられるだろうと検索してくれて、見たら食べたくなって買って来てしまったのだ。

社長は本を置き、嬉しそうに箱を開ける。

「わあ、美味しそうだね。ありがとう。恭哉が起きてたら食べようか」

社長は微笑んで、椅子から立ち上がる。

「はい!見てきますね!」

翔は部屋にコートと鞄を放り投げ、洗面所で手洗いとうがいをしてから、二階への階段を駆け上がる。

そのとき、ふいに不安になった。本当に部屋にいるだろうか。実は窓から外に出てはいないだろうか。
家に帰ったらやっぱり苦しくなった、なんてこともあるかもしれない。

恭哉さんの部屋の前に立ち、深呼吸をする。
寝ている可能性も考えて控えめにノックをしたが、しっかりとした声で「はい」と返ってきた。
よかった。とりあえず部屋にはいるようだ。

「失礼しまーす……」

なんとなく緊張してしまって、恐る恐るドアを開ける。
奥のベッドを見れば、恭哉さんは上体を起こしていて、ノートにペンを走らせている。

いつも通りの様子に安心して、翔は部屋のドアを閉めた。

「起きてて大丈夫なのか?」
「ああ。よく眠れたから」

翔が話しかけても、恭哉さんは顔を上げずにノートに文字を書いている。
多分作詞だろう。本当は寝ずに作詞をしていたんじゃないかという疑念が頭をよぎったが、恭哉さんの穏やかな横顔を見れば、その心配がないことはすぐに分かった。

翔が近寄ったとき、ちょうど書き終えたのか、恭哉さんはノートからペンをゆっくりと離した。

「歌詞、書けたんだけど、ちょっと見てくれないか?」

そう言って、恭哉さんはノートを差し出す。
もうコンタクトレンズは外したようで、穏やかな青い瞳が翔の姿を映す。

翔はノートを受け取り、印刷のように読みやすい文字に目を走らせる。
決して綺麗な言葉ではなかった。すれ違い、苦しみ、葛藤。
それでも確かに繋がっている、簡単には切れない絆。

少し泥臭くて、だけどそこが共感できる、寄り添ってくれるような詞。
いつものChronicle Growthらしいといえばらしい、血の通った歌詞だった。

「……いいと思う。切なくて、でもあったかくて、すっと馴染んでくる気がする」

翔が素直な感想を言えば、恭哉さんはほっと息をついた。

「よかった。家族の絆って、やっぱりちょっと自信なくてさ。もっと綺麗な言葉を並べた方がいいかと思ったんだけど……なんか、上っ面で喋ってるみたいで気持ち悪くて」
「オレも先方が求めるものを理解してるわけじゃないから何とも言えないけど……。でも、家族って綺麗なだけのものじゃない気がする。喧嘩して、結構酷いことも言い合ってさ、でも、最後にはなんやかんや許しちゃう。そうやってぶつかり合ったからこそ、お互いを理解し合えるんだと思う」

翔の言葉に、恭哉さんは穏やかな顔でうなずく。
ノートを恭哉さんに返すと、恭哉さんはそのページをスマートフォンで撮影し、トークアプリの耕平さんの画面に、何の言葉も書かずに写真だけ貼り付けた。

「よし。あとは耕平がいい感じに仕上げてくれるだろ」
「……恭哉さんって、耕平さんにはちょっと雑だよな」
「付き合い長いからな。で、何の用だったんだ?」

言われて初めて、自分がここに来た目的を思い出す。
プリンがあると言えば、恭哉さんは子どものように嬉しそうに笑った。

部屋まで持っていくと言ったのだが、せっかくならみんなで食べたいと恭哉さんが言うので、二人でリビングに下りた。
三人分のスプーンと、社長と翔のコーヒー、恭哉さんのココアを用意する。

濃厚で甘いプリンを食べながら、先程書いたばかりの歌詞を社長にも見てもらった。
社長は大いに喜んで、涙ぐみながら絶賛してくれた。
流石に大げさではと思ったが、翔にはわからない、父親への恭哉さんの思いが込められていたのかもしれない。恭哉さんは少し照れくさそうに笑った。

「そうだ、恭哉に渡したいものがあってね」

社長はそう言うと、誰も使っていない椅子の上から、二つの小箱を取り出した。
なんだろうか。翔が帰宅した時には無かったはずだ。

「はい」と、社長は随分あっさりした動作でそれを恭哉さんに手渡す。

「本当は大学の卒業祝いで渡そうと思っていたものなんだけど、保管には気をつけたから、状態はいいはずだよ。まあ、会社員にならなかった恭哉には必要ないかもしれないけど……。いらなかったら捨てていいから」

大学の卒業祝い、と聞いた段階で、箱を開けようとした恭哉さんの手が止まった。
恐る恐るといった様子で、恭哉さんは箱を開ける。
翔は以前社長から聞いたから、中身を知っていた。ネクタイとネクタイピンだ。

シンプルだが上質な紺色のネクタイと、数年間眠っていたとは思えないほどの光を放つ、銀色のネクタイピン。
きっと翔が買うものよりずっと値が張るだろうそれは、新しい持ち主を歓迎するように輝いて見えた。
恭哉さんは震える手で、大切そうにそれを抱えた。

「……ありがとう」

蚊の鳴くような小さな声だったが、社長にはちゃんと届いたようで、「どういたしまして」と笑った。

プリンを食べながらテレビを見て、他愛のない話をした。
このタレントがどうだ、このアーティストはどうだ、ここのスタジオはどうだと、とても一般家庭では出てこないであろう裏側の話をしながら、時折、昔はこんなことがあったねと、親子ならではの思い出話をする。

その思い出には食い違いもあって、お互いの主観をすり合わせて、真実を探っていく。
きっとこれからも、二人はこうして歩み寄って、失った時間を、少しずつ埋めていくのだろう。

よかった。本当に良かった。

翔は安心すると同時に、あることを心に決めた。
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