三途の川で映画でも

日上口

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第五章 きみはうつくしい

母と娘

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「そうだ。ちょっとお手洗いと、ついでに化粧直ししてきてもいい?」

「おっけ。じゃあその間にパンフとか取ってくるわ」

 そういうわけで、しばしの別行動を済ませて戻ってくると、黒江がクラスの女子——準備を妨害していた連中に絡まれていた。
 なにかあったのかと早足で近づくと、廊下の喧騒にも埋もれない甲高い声が頭に響いた。

「黒江さんホントかわいいー! 一緒に写真撮ろーよ!」

「マジでお人形さんみたいー」

 なるほど、とりあえずトラブルではなさそうだ。
 だが黒江の方は面倒くさそうな顔を隠しきれていない。接客で外面を作るエネルギーを使い果たしてしまったのかもしれない。

「悪い。黒江さんこれから浪川に頼まれた仕事があるから、後にして貰えると助かる」

 わざとらしくプラカードをアピールしながら彼女らの間に割り込むと、何か小声で言いながらも存外素直に引いてくれた。
 
 とりあえず立ち止まっていても仕方ないので、黒江に「行こうぜ」と声を掛けてゆっくりと人混みの隙間を縫うように歩いていく。とりあえず混雑がマシなところに移動したい。
 
 少し歩いたところで左手が冷たい何かに包まれた。それが黒江の手であることはすぐに分かった。一瞬躊躇ったが、そのまま彼女の手に体温を渡すように握り返した。
 不思議と周りの賑やかな声が全て遠くなる感覚がする。

「ありがと」

「顔が限界っぽかったからな……あの辺とも付き合いあったっけ?」

 歩きながら、少し聞きにくいことを聞いた。

 アイツらは黒江の噂を楽しそうに話していた連中でもある。噂の源泉かは分からないが、少なくとも彼女を軽んじてゴシップを消費していたのは間違いない。
 だがここ最近黒江を取り巻く潮流が変化して、彼女らもまた掌を返したらしい。
 本人たちは自分たちの悪辣さに無関心だろうが、こちらとしてはいい気分にはならない。

「んーん、全然。ちゃんと相手は選ぶよ。合わない人と居ても摩り減るし」

「そか。それがいいな」

「そもそも私をダシにして浪川君とかとお近づきになるのが目的っぽいんだよね。牽制みたいなこともしてくる」

 なるほど、やけにあっさり引き下がったと思ったが咄嗟に出した浪川の名前が効いたらしい。

「あー、それはまた面倒な。そういや俺も最近全然話したことない女子に話かけられるようになったな……そういうことか。なんにせよトラブらなくてよかった」

 準備期間の短い中で一気に距離が近づいたのが彼を狙う女子達の目に留まったのだろう。
 密かに不思議に思っていた事柄に納得いく理由が見つかってスッキリしていると、ちょうど教室の並ぶエリアを抜けて息の詰まる閉塞感から解放された。

 ふうと息を漏らしたと同時に、腕が引っ張られて強制的に黒江の方を向かされた。彼女は少しムッとした表情をしているが、その理由は咄嗟には思い浮かばなかった。
 困惑も束の間、彼女はスカートの裾を軽く持ち上げて服をアピールして言った。

「そういえば、感想とか、ないの?」

「確かに、忙しくて言えてなかったな。『アダムスファミリー』の“ウェンズデー”みたいで良いと思う」

「——可愛い?」

 不服そうに一歩近づいてくる黒江。もう服なんて殆ど視界に入っていない。

「な、なんだよ。圧凄いな」

「ちゃんと言葉にして」

 それを言われると弱い。彼女も分かっていてやっているだろう。
 完全敗北だ。

「……可愛いよ。そりゃ」

 黒江は満足気に笑った後、じわじわ恥ずかしくなってきたのか顔を伏せてしまった。
 「自分で聞いたんだろ」という言葉は、胸の内から溢れる愛おしさに塗りつぶされてしまった。

「やぁやぁお二人さん迷路で遊んで行かんかねェ……って、なんかジャマしちった?」

 突如横から飛び込んできた亀井の能天気な声に俺も黒江も思わず肩を震わせた。

「全然そんなことないぞ! なぁ黒江!」

「う、うん! 迷路、遊んでこうか、せっかくだし」

「おっしゃ、付いてきな! これで最低限働いたアピできるわーありがとねェ。てか黒江っち衣装可愛すぎだねェ! アタシも手つないじゃおー」

 いつにも増してハイテンションな亀井に連れられて彼女の教室へ向かう。
 一瞬頭から抜けていたが、せっかく風間も気を利かせてくれたのだから、ガラでもないが文化祭を楽しまなければ。
 亀井につられるように、あどけない笑顔を見せる黒江を見て改めてそう思った。


 *


 それから二人で文化祭をたくさん回った。体験型の催しはほぼ全て網羅したし、色々食べ歩きもした。軽音部や演劇部のパフォーマンスは想像以上のクオリティを生で観ることができて特によかった。

 そして、もうすぐ一日目が終わる。
 夕日が射す廊下を、いつもの半分以下の歩幅で並んで歩く。

「あっという間だったね。私、去年仮病で休んだから文化祭がこんなに盛り上がるって知らなかった」

「奇遇だな。俺も人酔いしてぶっ倒れたから新鮮だった」

「そっか、人混み苦手なんだっけ。今日は大丈夫だった? 無理してない?」

「そういえば全然大丈夫だったな」

 言われて初めて思い出すくらい、去年は疎ましくて仕方なかった人混みがまるで気にならなかった。
 理由は明白だ——今日一日、どこを思い返しても黒江の横顔ばかりが記憶に残っている。周りなんて気にしている暇が無かっただけだ。

 それから、明日はどうしようか、などと話ながら教室に向けて歩いていると前方からこちらに走り寄ってくる人影が現れた。

「あれ、ひまりさんじゃない?」

 それは確かに、紛れもなく母さんだった。
 朝も何も言っていなかったし俺も黒江も裏方だと伝えていたから、まさか来ると思っていなくて本当に驚いて硬直してしまった。

「あらー! ナナちゃんどうしたのそのお洋服、可愛いすぎるわぁ! あちょっと慎と並んで並んで、写真撮らなきゃダメよねこんなの! ほら慎もっと寄んなさい恥ずかしがってないで!」

「母さん……ほんと勘弁して」

「ふふっ、ひまりさん平常運転だね」

 出会い頭とは思えないハイテンションとあまりにも母親らしい言動を浴びて、感傷的な気分は吹き飛び、忘れていた疲労が全身を襲った。
 そのまま母さんの言いなりに写真を撮られ、周りから生暖かい視線を努めて気にしないフリをして母さんにせめてもの恨み節をぶつけた。

「来るなら事前に言ってくれよな」

「アタシも来るつもりなかったんだけどね。お客様と話が盛り上がちゃって、せっかくだから一緒に行きましょーってなってね」

「「お客様?」」

 予想外の言葉を揃ってオウム返しをすると、母さんは「ほら、ちょうど」とさっきまで居た方を向いた。
 釣られてそちらを見ると、そこには気まずそうに小さく手を振る黒江の母、絵梨さんの姿があった。

『今度お家に伺うわ。お詫びと、お礼しないとね』

 お店で話した時に言っていた言葉がフッと思い出された。今度、というのがどうやら今日だったらしい。

「ナナ、えっと、すごい衣装ね。一瞬誰か分かんなかった」

 絵梨さんは優しく、そして微かに不安を帯びた声で黒江に声を掛けた。
 咄嗟に黒江の方を見ると、彼女はとにかく驚いて状況が飲み込めないようで、口を半開きで目も泳いでしまっている。

「お母さん……えっ、なんで、お店は? もうすぐ開店時間じゃ」

 辛うじて絞り出した声はか細く、震えていた。
 俺と母さんはただ二人の様子を見守ることしかできない。

 絵梨さんはゆっくりと、一言一言を噛み締めるように答えた。

「今日は休みにしたの。それで神崎さんと話して、アナタの様子を聞いてね。アタシ、ちゃんとナナとの時間を取らないとって思って……だからその、勝手な話だけど、久しぶりにご飯食べに行かない……? その、二人で」

 唐突にも思える提案、しかしそれは何日も、何か月も溜め込まれた言葉だったに違いない。それだけの感情の重みが籠った声だった。

 黒江の方は、複雑で入り乱れた感情がそのまま表情に出ている。
 そして何か言おうとしても、言葉が上手く外に出ないのかワナワナと口を震わせている。

 その姿を見て、俺は半ば無意識に彼女の手を強く握っていた。

 ——俺が居る。

 そんな想いを込めて。

 黒江はこちらを振り向くことはしなかったが、代わりに目一杯の力で手を握り返してくれた。
 そして、彼女は意を決して声を絞り出す。

「行かない」

「そう、よね。ごめ——」

「家がいい。お母……ママが作ったご飯がいい」

「——ッ!」

 絵梨さんは声にならない声を出して嗚咽した。黒江もそれを見て耐えきれなくなったように涙を流した。
 ポケットからハンカチを出して、そっと彼女の目元に差し出すと、彼女はそれを受け取りながら小さく笑って言った。

「今度は完璧だね」

 涙で目元の化粧が流れて台無しになっているはずなのに、俺にはその笑顔が今までで一番眩しく映った。

 二人は歩み寄る道を選んだ。お互いに沢山の葛藤があって、その末に選んだ道にも乗り越えなきゃいけない障害物も、目を逸らしたくなる過去も付きまとう。
 それを避けることも出来たし、もしかしたらそっちの方が賢い選択だったかもしれない。

 それでも、きっと上手くいく。

 母と娘の、温かい涙と口元に浮かぶ笑みを見たらそう信じられた。
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