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第一章 大迷宮クレバス
35話 生命の賢者
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柔らかい緑の香りが鼻腔を擽る。深く沈み込むベットの感覚、上に掛けられた毛布がとても暖かく感じる。
硬い地面で寝ていた筈だがいつの間にか俺はベットの上で寝かされていた。
やけに久しぶりの心地よい感覚に再び眠りに着こうと意識を切ろうとするが、直ぐにそういう訳にはいかないと思い直す。
目を開けて最初に飛び込んできたのは綺麗な木目の並んだ天井。続けて身体を起こして辺りを見回す。
見たことの無い本がびっしりと埋まった二つの本棚、大人四人は余裕で食事ができる大きな食卓テーブルに椅子、暖炉に火は焚べられておらず今は静かにしている。その少し広すぎにも思える部屋……いやここ以外他の部屋はないのか、そこは小さな木造の小屋だった。
「……ここは?」
明らかに殺風景な迷宮ではない空間にどうして自分がいるのか理解が追いつかない。
あの馬鹿みたいに強い牛野郎を倒した後、俺はそのまま迷宮内で意識を失ったはずだ。それがどうしてこんないいベットで寝ているんだ?
「起きたか」
何がどうなったのか、少ない情報だけで把握しようとしていると直ぐに嗄れた声が聞こえてきた。
「ああ。もうぐっすり快眠だ」
「そうか」
「そんでいきなりで悪いんだがどういう状況か説明してもらえるか?」
「ああ」
軽く言葉を交わして俺はベットから起き上がり大きく伸びをする。
「……痛くないな」
そこですんなりと身体を動かせたことに驚く。無理な『領域拡張』で身体に無茶をさせたり、片腕を失って血を流しすぎるわで、直ぐに満足に体を動かせる状態ではないと思っていたが全くそんなことは無い。寧ろ調子は絶好調だ。
それにいつの間にか着替えや手当もされている。ボロボロだった装備を身に付けていたはずが、綺麗で肌触りの良い薄緑のパジャマを着せられているし、影で無理矢理止血をしていた左腕はしっかりと包帯が巻かれている。
「何処から話したものか……とりあえずここは大迷宮クレバスの最終階層、深層100階層だ。そしてこの大迷宮の主がこの小屋までお前を運んで介抱した」
「ここが最終階層……」
失った左腕の包帯を確認して、窓まで歩いて外の様子を伺う。するとそこには青く生い茂る草木と湖が見えた。
「正直なところ、俺も大して説明できることは無い。まだこの階層に来てそれほど時間も経っていないし、諸々の話はお前が起きてからと思ってたしな」
「……そうか」
驚いた。スカーの事だから俺より先に色々とここまで俺を連れてきた主とやらに話を聞いていると思っていたが、わざわざ俺が起きるまで待っていてくれたとは。
意外なスカーの言葉に面食らっていると、奴は続ける。
「とりあえず動けるようなら部屋を出ろ。ここの主は外でお前が目を覚ますのを待っている」
「分かった」
スカーの指示に素直に頷いて俺は小屋を出る。
外に出た瞬間感じたのは、眩く照らしつける光と先程よりも濃い緑の香りを乗せた涼しく吹き抜ける風。柔らかい芝生、風に靡く木々、ざあと波打つ湖、そこは深い森の中にある湖畔そのものだった。
その水辺には数冊の本が積まれた小さな丸テーブルに、ゆらゆらと揺れるロッキングチェア。
「あれか?」
その人の気配がする水辺へとゆっくりと歩いていく。
すると直ぐにこちらに気づいたのか、一定間隔で揺れていたロッキングチェアから一人の女性が立ち上がり振り返る。
「やあ。もう少しゆっくり寝ていると思っていたけど随分と早いお目覚めだね」
落ち着いた聞き取りやすい綺麗な女性の声。靡く深緑の長髪、人とは少し形の変わった横長な耳、衰えを知らないキメ細やかな白い肌に美貌。その女性は普通の人とは様子が違った。
「……エルフですか?」
「ああ、そうだよ──」
俺の疑問に首肯した女性は柔らかく微笑む。
「──私がこの大迷宮クレバスの創造主にして管理者。生命の賢者リイヴ・エルガルドだ。よろしく頼むよスカーの弟子……影の継承者ファイク・スフォルツォ君」
こちらに近づきながら名乗ったエルフ──リイヴは目の前まで来ると左手を差し出して握手を求めえてくる。
「え……ああ……どうも──」
戸惑いながらも握手を交わし、考える。
この人が大迷宮クレバスの主、生命の賢者リイヴ・エルガルド。まさかこんな所で伝説の賢者に会えるとは思わなかった。もう何百年も前の時の人とこうして握手を交わせるとは……ん?
「──って今生命の賢者って言いました!? 本当にあの伝説の魔法使いリイヴ・エルガルド様!?」
考えて俺はこの状況の異常性に気がつく。
いくら人間よりも長寿で不老のエルフと言えど、遠い昔の時代を生きていた賢者リイヴ・エルガルドが未だに生きているはずがない。この状況はどう考えてもおかしい。
「あはは! 予想通りな素晴らしいリアクションをどうもありがとう。如何にも私は生命の賢者リイヴ・エルガルドその人で間違いないよ」
幽霊でも見たように慌てた俺の反応が面白かったのかリイヴと名乗ったエルフは笑いながら改めて名乗る。
「いやっ……でも……本当に本物……どうしてまだ生きて……ええー……」
それでも俺は彼女が本当にあの生命の賢者とは信じられなかった。
「まあ簡単には信じられない君の気持ちもわかる。なら私が生命の賢者である証拠を見せれば納得して貰えるかな?」
「え? 証拠?」
眉間を抑えて唸る俺に提案するエルフは俺の中途半端に無くなった左腕に触る。
「そう証拠だ。こう言ってはなんだが直ぐに治さなくて良かった。この魔法を見れば君は嫌でも私を本当の生命の賢者だと信じざるを得ないからね」
「あの……」
「まあ見ててくれたまえ」
困惑した俺を無視してエルフは始める。
「芽吹く生命は我の手の中に──」
それは俺の知らない初めて見る魔法だった。
「── 完全再生」
魔を帯びた言葉を合図に彼女の両手に緑の淡い光が発生し俺の左腕を包む。次第にその光は強くなっていき、左腕の内側が妙に疼き始める。
「……なッ!?」
そんな感覚がしたかと思えば、俺はその光景に目を疑う。
疼いた左腕に丁寧に巻き付けられていた包帯が自然と解けたかと思えば、綺麗サッパリ無くなっていた左腕が元通りに治ったのだ。
「ど、どうして……!?」
エルフの魔法が終わり、自分の左腕を触って確認する。
なんの違和感もなく、俺の左腕は確かに治っている。
『秘薬』と呼ばれるフルポーションを使用しての回復では無い。例えフルポーションを使ったとしてもこんなに速く欠損した前腕が再生する訳が無い。『秘薬』を持ってしても最低一週間は完治に時間がかかる傷をこのエルフは一瞬にして治して見せた。
それは紛うことなき魔法での完全治癒。この世界にかつて存在していたと言われる生命魔法による治癒だった。
「うん。傷も残らず綺麗に治ったね。これで少しは私の言っていることを信じてもらえるかな……って確認しなくても良さそうだね」
「元通りに治ってる……!」
今一度自分の左腕をまじまじと見る。
しっかりと左腕の感覚がある。幻覚ではなく、俺の左腕はそこに存在していた。今まで所在なさげにぶらぶらと揺れていた左袖に腕が通っている。
もう戻ることは無いと思っていた左腕が戻り俺は感極まる。
「その……ありがとうございます」
「うん、どういたしまして。これで私の言っていることを信じてくれるよね?」
「はい」
再三笑みを浮かべながら確認してくるエルフ──リイヴ・エルガルドに首肯する。
こう目の前でしっかりと魔法を見せられると信じざるを得ない。この人は本当に生命の賢者リイヴ・エルガルドその人だ。いくら長命なエルフと言えどどうして現代まで生き残っているのかは謎だが、こんな奇跡としか言いようのない魔法を見せられたら何も言えない。
「それなら良かった。それじゃあ信じてもらえたところでそろそろ本題に入ろうか。色々と君は私に聞きたいことがあるだろう? 私も君の師匠に積もる話があってね。ゆっくり水辺で語り合おうじゃないかいファイク・スフォルツォ君」
「あ、はい……あれ? そう言えば俺、名前言いましたっけ?」
小さな丸テーブルとロッキングチェアがある水辺まで手招きされる中、首を傾げて考える。
「君の事は51階層に転移された時点でずっと見ていたよ。私の自慢の家臣達の目を通してね。だからここまでの君のことならある程度は理解しているつもりだ」
「……自慢の家臣?」
「まあその話もゆっくりとしようじゃないか。さて……カルミナティ! ファイク君の座る椅子を持ってきてくれるかな?」
水辺まで着くとリイヴは一つ手を叩いて聞き覚えのある名前を呼ぶ。
「畏まりました、リイヴ様」
するとすぐ背後に流暢な言葉を話す牛頭人が椅子を担いで現れる。
「どうぞ」と声をかけられまじまじとその牛頭人を見れば、そいつは確実に99階層で殺しあった暴虐の牛頭人カルミナティであった。
「……どうしてお前が生きてるんだ? 確かにあの時殺したはず……」
「ん? ああ。彼は私の護衛兼執事でね。簡単に殺されては困るから生命魔法で傷を癒した。まあ生命の賢者である私に掛かればあれぐらいの傷なんて死んだうちに入らないよ」
「あの程度……そうですか」
俺の疑問にドヤ顔で答えるリイヴにそれ以上何も言えない。
伝説の賢者様が言うんだ。俺のあの決死の思いで負わせた傷は大したことがないのだろう。腕もあんなに簡単に治していたんだ、そうなのだろう。
何だか虚しい気持ちになりながら差し出された椅子に腰を下ろす。
「何だかとんでもない人だな……」
"全く同感だな"
思わず独り言ていると今まで全く喋らなかったスカーが頷く。
「……どうした。やけに静かだな?」
"いや……そんなことは無い。俺はいつもこんな感じだろ"
明らかにリイヴと話してから黙りこくったり、念話で会話をするスカーに違和感を覚える。
一体どうしたというのだろうか?
「あれ、もしかしてスカーとお話してるのかい? 良ければ私も混ぜてくれないかな」
スカーの様子に眉を顰めて不審がっていると、リイヴが話に混ざりたがる。
「久しぶりの再開なのにつれないねスカー。そんなにあの時の事を気にしているのかい?」
「黙れ」
あからさまに不機嫌な態度でスカーは冷たく言い放つ。
「そんなに邪険に扱わなくてもいいじゃないか……って言ってもそうは行かないか。あの時の事は本当に申し訳ないことをしたと思っている。すまなかったスカー」
「ふんっ! 何を今更」
「そうだね。今更だ。それでも私たちは猛省したんだ。スカーの言っていることは正しかった。それなのに私たちは君の意見を全く取り合わず……突き放し、その結果こんなことになってしまった。本当に申し訳ない」
「……」
深く頭を下げて謝罪するリイヴ。それを見てスカーは再び黙ってしまう。
「他の同胞たちも同じ気持ちだ。君にはとても酷いことをしてしまった。どうか私たちに過ちを償う機会を貰えないだろうか」
「……」
依然としてスカーは何も答えない。
……何の話をしているのかイマイチ掴めないがこんなにも誠意を持って謝罪してくれているのだ。何もこんなに突き放すこともないのではなかろうか。
「おいスカー。何の話か分からんがこんなに謝ってるんだし許しても──」
「──少し静かにしていろ」
そう思い二人の間を取り持とうとするが直ぐにそれはかき消される。
「お前には関係ない」と言われた気がするほどの静かに放たれた一言。
もう俺にはこの状況をどうにかすることは出来ない。
「他の賢者達は? 生き残っているのはお前だけか?」
「いいや。ある特定の縛りをつけて私とファーレの魔法で他の賢者達も生きている」
「そうか。具体的に償うとはどうするつもりだ?」
スカーの淡々とした質問に頭を下げたままリイヴは続ける。
「私たちの持ち得る全知識の提供と……君への肉体の提供だ」
「えっ!?」
リイヴの発言に思わず俺が反応してしまう。
肉体の提供……どういうことだ?スカーの動かせる身体をどうやって?
考えても分からない。質問することもこの状況では憚られる。
当の本人はとんでもない条件を提示されているというのに全く動揺した感じはなく。とても静かだ。
「…………お前達の言いたいことはとりあえず分かった。このままうだうだ続けてもファイクを待たせるだけだし時間の無駄だから謝罪は受け入れよう」
「スカー!!」
長い沈黙の後淡々と喋るスカーに、リイヴは驚いた様子で勢いよく頭を上げる。
「とりあえずこの話は終わりだ。そんなことよりもそろそろ本題に入ってもらえるか? こんな何も面白くない話より。色々と説明をしてもらうぞ」
「ええっ!! それだけか!?」
急にぶった斬って話を切り替えるスカーに驚く。
「……なんだ? そろそろわけも分からん話を聞き続けるよりもお前の為になる話をした方がいいだろう?」
「いやっ! そうだけど! そうだけども! 何か大事な提案されただろッ!!」
ここで一旦お終いと言うのは何とも歯切れが悪い。出来ることならば完全に決着を付けて貰ってから次の話題に進んでもらいたい。
「とりあえずの区切りは付けた。俺はこんな話よりも他に聞いたいことが山ほどあるんだよ」
「こんな話……」
スカーの辛辣な言葉にリイヴは項垂れる。
そんなリイヴを見て何だか可哀想に思えてきた。
「…………まあそうね。私たちの都合でファイク君を待たせるのも申し訳ないものね。あくまでこの場の主役は完全踏破者のファイク君ですものね……」
しかしリイヴは直ぐに思考を切り替えて、スカーに同意する。
「え? 何か初耳な事が聞こえたんですけど?」
この場の主役が俺ってどういうことだ?
「まあそれも含めて今からこの女に聞けばいいだろう。ほら思いついたことから適当に質問していけ、何でも答えてくれるぞ」
「んな適当な……」
「何でもばっちこい!!」
もうやけくそ気味にリイヴはドンと胸を張って構える。
まだお茶会は始まったばかりだ。
硬い地面で寝ていた筈だがいつの間にか俺はベットの上で寝かされていた。
やけに久しぶりの心地よい感覚に再び眠りに着こうと意識を切ろうとするが、直ぐにそういう訳にはいかないと思い直す。
目を開けて最初に飛び込んできたのは綺麗な木目の並んだ天井。続けて身体を起こして辺りを見回す。
見たことの無い本がびっしりと埋まった二つの本棚、大人四人は余裕で食事ができる大きな食卓テーブルに椅子、暖炉に火は焚べられておらず今は静かにしている。その少し広すぎにも思える部屋……いやここ以外他の部屋はないのか、そこは小さな木造の小屋だった。
「……ここは?」
明らかに殺風景な迷宮ではない空間にどうして自分がいるのか理解が追いつかない。
あの馬鹿みたいに強い牛野郎を倒した後、俺はそのまま迷宮内で意識を失ったはずだ。それがどうしてこんないいベットで寝ているんだ?
「起きたか」
何がどうなったのか、少ない情報だけで把握しようとしていると直ぐに嗄れた声が聞こえてきた。
「ああ。もうぐっすり快眠だ」
「そうか」
「そんでいきなりで悪いんだがどういう状況か説明してもらえるか?」
「ああ」
軽く言葉を交わして俺はベットから起き上がり大きく伸びをする。
「……痛くないな」
そこですんなりと身体を動かせたことに驚く。無理な『領域拡張』で身体に無茶をさせたり、片腕を失って血を流しすぎるわで、直ぐに満足に体を動かせる状態ではないと思っていたが全くそんなことは無い。寧ろ調子は絶好調だ。
それにいつの間にか着替えや手当もされている。ボロボロだった装備を身に付けていたはずが、綺麗で肌触りの良い薄緑のパジャマを着せられているし、影で無理矢理止血をしていた左腕はしっかりと包帯が巻かれている。
「何処から話したものか……とりあえずここは大迷宮クレバスの最終階層、深層100階層だ。そしてこの大迷宮の主がこの小屋までお前を運んで介抱した」
「ここが最終階層……」
失った左腕の包帯を確認して、窓まで歩いて外の様子を伺う。するとそこには青く生い茂る草木と湖が見えた。
「正直なところ、俺も大して説明できることは無い。まだこの階層に来てそれほど時間も経っていないし、諸々の話はお前が起きてからと思ってたしな」
「……そうか」
驚いた。スカーの事だから俺より先に色々とここまで俺を連れてきた主とやらに話を聞いていると思っていたが、わざわざ俺が起きるまで待っていてくれたとは。
意外なスカーの言葉に面食らっていると、奴は続ける。
「とりあえず動けるようなら部屋を出ろ。ここの主は外でお前が目を覚ますのを待っている」
「分かった」
スカーの指示に素直に頷いて俺は小屋を出る。
外に出た瞬間感じたのは、眩く照らしつける光と先程よりも濃い緑の香りを乗せた涼しく吹き抜ける風。柔らかい芝生、風に靡く木々、ざあと波打つ湖、そこは深い森の中にある湖畔そのものだった。
その水辺には数冊の本が積まれた小さな丸テーブルに、ゆらゆらと揺れるロッキングチェア。
「あれか?」
その人の気配がする水辺へとゆっくりと歩いていく。
すると直ぐにこちらに気づいたのか、一定間隔で揺れていたロッキングチェアから一人の女性が立ち上がり振り返る。
「やあ。もう少しゆっくり寝ていると思っていたけど随分と早いお目覚めだね」
落ち着いた聞き取りやすい綺麗な女性の声。靡く深緑の長髪、人とは少し形の変わった横長な耳、衰えを知らないキメ細やかな白い肌に美貌。その女性は普通の人とは様子が違った。
「……エルフですか?」
「ああ、そうだよ──」
俺の疑問に首肯した女性は柔らかく微笑む。
「──私がこの大迷宮クレバスの創造主にして管理者。生命の賢者リイヴ・エルガルドだ。よろしく頼むよスカーの弟子……影の継承者ファイク・スフォルツォ君」
こちらに近づきながら名乗ったエルフ──リイヴは目の前まで来ると左手を差し出して握手を求めえてくる。
「え……ああ……どうも──」
戸惑いながらも握手を交わし、考える。
この人が大迷宮クレバスの主、生命の賢者リイヴ・エルガルド。まさかこんな所で伝説の賢者に会えるとは思わなかった。もう何百年も前の時の人とこうして握手を交わせるとは……ん?
「──って今生命の賢者って言いました!? 本当にあの伝説の魔法使いリイヴ・エルガルド様!?」
考えて俺はこの状況の異常性に気がつく。
いくら人間よりも長寿で不老のエルフと言えど、遠い昔の時代を生きていた賢者リイヴ・エルガルドが未だに生きているはずがない。この状況はどう考えてもおかしい。
「あはは! 予想通りな素晴らしいリアクションをどうもありがとう。如何にも私は生命の賢者リイヴ・エルガルドその人で間違いないよ」
幽霊でも見たように慌てた俺の反応が面白かったのかリイヴと名乗ったエルフは笑いながら改めて名乗る。
「いやっ……でも……本当に本物……どうしてまだ生きて……ええー……」
それでも俺は彼女が本当にあの生命の賢者とは信じられなかった。
「まあ簡単には信じられない君の気持ちもわかる。なら私が生命の賢者である証拠を見せれば納得して貰えるかな?」
「え? 証拠?」
眉間を抑えて唸る俺に提案するエルフは俺の中途半端に無くなった左腕に触る。
「そう証拠だ。こう言ってはなんだが直ぐに治さなくて良かった。この魔法を見れば君は嫌でも私を本当の生命の賢者だと信じざるを得ないからね」
「あの……」
「まあ見ててくれたまえ」
困惑した俺を無視してエルフは始める。
「芽吹く生命は我の手の中に──」
それは俺の知らない初めて見る魔法だった。
「── 完全再生」
魔を帯びた言葉を合図に彼女の両手に緑の淡い光が発生し俺の左腕を包む。次第にその光は強くなっていき、左腕の内側が妙に疼き始める。
「……なッ!?」
そんな感覚がしたかと思えば、俺はその光景に目を疑う。
疼いた左腕に丁寧に巻き付けられていた包帯が自然と解けたかと思えば、綺麗サッパリ無くなっていた左腕が元通りに治ったのだ。
「ど、どうして……!?」
エルフの魔法が終わり、自分の左腕を触って確認する。
なんの違和感もなく、俺の左腕は確かに治っている。
『秘薬』と呼ばれるフルポーションを使用しての回復では無い。例えフルポーションを使ったとしてもこんなに速く欠損した前腕が再生する訳が無い。『秘薬』を持ってしても最低一週間は完治に時間がかかる傷をこのエルフは一瞬にして治して見せた。
それは紛うことなき魔法での完全治癒。この世界にかつて存在していたと言われる生命魔法による治癒だった。
「うん。傷も残らず綺麗に治ったね。これで少しは私の言っていることを信じてもらえるかな……って確認しなくても良さそうだね」
「元通りに治ってる……!」
今一度自分の左腕をまじまじと見る。
しっかりと左腕の感覚がある。幻覚ではなく、俺の左腕はそこに存在していた。今まで所在なさげにぶらぶらと揺れていた左袖に腕が通っている。
もう戻ることは無いと思っていた左腕が戻り俺は感極まる。
「その……ありがとうございます」
「うん、どういたしまして。これで私の言っていることを信じてくれるよね?」
「はい」
再三笑みを浮かべながら確認してくるエルフ──リイヴ・エルガルドに首肯する。
こう目の前でしっかりと魔法を見せられると信じざるを得ない。この人は本当に生命の賢者リイヴ・エルガルドその人だ。いくら長命なエルフと言えどどうして現代まで生き残っているのかは謎だが、こんな奇跡としか言いようのない魔法を見せられたら何も言えない。
「それなら良かった。それじゃあ信じてもらえたところでそろそろ本題に入ろうか。色々と君は私に聞きたいことがあるだろう? 私も君の師匠に積もる話があってね。ゆっくり水辺で語り合おうじゃないかいファイク・スフォルツォ君」
「あ、はい……あれ? そう言えば俺、名前言いましたっけ?」
小さな丸テーブルとロッキングチェアがある水辺まで手招きされる中、首を傾げて考える。
「君の事は51階層に転移された時点でずっと見ていたよ。私の自慢の家臣達の目を通してね。だからここまでの君のことならある程度は理解しているつもりだ」
「……自慢の家臣?」
「まあその話もゆっくりとしようじゃないか。さて……カルミナティ! ファイク君の座る椅子を持ってきてくれるかな?」
水辺まで着くとリイヴは一つ手を叩いて聞き覚えのある名前を呼ぶ。
「畏まりました、リイヴ様」
するとすぐ背後に流暢な言葉を話す牛頭人が椅子を担いで現れる。
「どうぞ」と声をかけられまじまじとその牛頭人を見れば、そいつは確実に99階層で殺しあった暴虐の牛頭人カルミナティであった。
「……どうしてお前が生きてるんだ? 確かにあの時殺したはず……」
「ん? ああ。彼は私の護衛兼執事でね。簡単に殺されては困るから生命魔法で傷を癒した。まあ生命の賢者である私に掛かればあれぐらいの傷なんて死んだうちに入らないよ」
「あの程度……そうですか」
俺の疑問にドヤ顔で答えるリイヴにそれ以上何も言えない。
伝説の賢者様が言うんだ。俺のあの決死の思いで負わせた傷は大したことがないのだろう。腕もあんなに簡単に治していたんだ、そうなのだろう。
何だか虚しい気持ちになりながら差し出された椅子に腰を下ろす。
「何だかとんでもない人だな……」
"全く同感だな"
思わず独り言ていると今まで全く喋らなかったスカーが頷く。
「……どうした。やけに静かだな?」
"いや……そんなことは無い。俺はいつもこんな感じだろ"
明らかにリイヴと話してから黙りこくったり、念話で会話をするスカーに違和感を覚える。
一体どうしたというのだろうか?
「あれ、もしかしてスカーとお話してるのかい? 良ければ私も混ぜてくれないかな」
スカーの様子に眉を顰めて不審がっていると、リイヴが話に混ざりたがる。
「久しぶりの再開なのにつれないねスカー。そんなにあの時の事を気にしているのかい?」
「黙れ」
あからさまに不機嫌な態度でスカーは冷たく言い放つ。
「そんなに邪険に扱わなくてもいいじゃないか……って言ってもそうは行かないか。あの時の事は本当に申し訳ないことをしたと思っている。すまなかったスカー」
「ふんっ! 何を今更」
「そうだね。今更だ。それでも私たちは猛省したんだ。スカーの言っていることは正しかった。それなのに私たちは君の意見を全く取り合わず……突き放し、その結果こんなことになってしまった。本当に申し訳ない」
「……」
深く頭を下げて謝罪するリイヴ。それを見てスカーは再び黙ってしまう。
「他の同胞たちも同じ気持ちだ。君にはとても酷いことをしてしまった。どうか私たちに過ちを償う機会を貰えないだろうか」
「……」
依然としてスカーは何も答えない。
……何の話をしているのかイマイチ掴めないがこんなにも誠意を持って謝罪してくれているのだ。何もこんなに突き放すこともないのではなかろうか。
「おいスカー。何の話か分からんがこんなに謝ってるんだし許しても──」
「──少し静かにしていろ」
そう思い二人の間を取り持とうとするが直ぐにそれはかき消される。
「お前には関係ない」と言われた気がするほどの静かに放たれた一言。
もう俺にはこの状況をどうにかすることは出来ない。
「他の賢者達は? 生き残っているのはお前だけか?」
「いいや。ある特定の縛りをつけて私とファーレの魔法で他の賢者達も生きている」
「そうか。具体的に償うとはどうするつもりだ?」
スカーの淡々とした質問に頭を下げたままリイヴは続ける。
「私たちの持ち得る全知識の提供と……君への肉体の提供だ」
「えっ!?」
リイヴの発言に思わず俺が反応してしまう。
肉体の提供……どういうことだ?スカーの動かせる身体をどうやって?
考えても分からない。質問することもこの状況では憚られる。
当の本人はとんでもない条件を提示されているというのに全く動揺した感じはなく。とても静かだ。
「…………お前達の言いたいことはとりあえず分かった。このままうだうだ続けてもファイクを待たせるだけだし時間の無駄だから謝罪は受け入れよう」
「スカー!!」
長い沈黙の後淡々と喋るスカーに、リイヴは驚いた様子で勢いよく頭を上げる。
「とりあえずこの話は終わりだ。そんなことよりもそろそろ本題に入ってもらえるか? こんな何も面白くない話より。色々と説明をしてもらうぞ」
「ええっ!! それだけか!?」
急にぶった斬って話を切り替えるスカーに驚く。
「……なんだ? そろそろわけも分からん話を聞き続けるよりもお前の為になる話をした方がいいだろう?」
「いやっ! そうだけど! そうだけども! 何か大事な提案されただろッ!!」
ここで一旦お終いと言うのは何とも歯切れが悪い。出来ることならば完全に決着を付けて貰ってから次の話題に進んでもらいたい。
「とりあえずの区切りは付けた。俺はこんな話よりも他に聞いたいことが山ほどあるんだよ」
「こんな話……」
スカーの辛辣な言葉にリイヴは項垂れる。
そんなリイヴを見て何だか可哀想に思えてきた。
「…………まあそうね。私たちの都合でファイク君を待たせるのも申し訳ないものね。あくまでこの場の主役は完全踏破者のファイク君ですものね……」
しかしリイヴは直ぐに思考を切り替えて、スカーに同意する。
「え? 何か初耳な事が聞こえたんですけど?」
この場の主役が俺ってどういうことだ?
「まあそれも含めて今からこの女に聞けばいいだろう。ほら思いついたことから適当に質問していけ、何でも答えてくれるぞ」
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子供の泣き声を聞くと殺戮マシーンと化す「狂犬」龍魔呂。
規格外の魔力を持つが、方向音痴で市場を破壊する「天然」エルフのルナ。
「やれやれ。手のかかる部下を持ったもんだ」
坂上は彼らを拾い、ユニークスキル【酒保(PX)】を発動する。
呼び出すのは、自衛隊の補給物資。
高品質な食料、衛生用品、そして戦場の士気を高めるコーヒーと甘味。
魔法は使えない。だが、現代の戦術と無限の補給があれば負けはない。
これは、熟練の指揮官が「残り物」たちを最強の部隊へと育て上げ、美味しいご飯を食べるだけの、大人の冒険譚。
『異世界ガチャでユニークスキル全部乗せ!? ポンコツ神と俺の無自覚最強スローライフ』
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> 仕事帰りにファンタジー小説を買った帰り道、不運にも事故死した38歳の男。
気がつくと、目の前には“ポンコツ”と噂される神様がいた——。
「君、うっかり死んじゃったから、異世界に転生させてあげるよ♪」
「スキル? ステータス? もちろんガチャで決めるから!」
最初はブチギレ寸前だったが、引いたスキルはなんと全部ユニーク!
本人は気づいていないが、【超幸運】の持ち主だった!
「冒険? 魔王? いや、俺は村でのんびり暮らしたいんだけど……」
そんな願いとは裏腹に、次々とトラブルに巻き込まれ、無自覚に“最強伝説”を打ち立てていく!
神様のミスで始まった異世界生活。目指すはスローライフ、されど周囲は大騒ぎ!
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俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
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