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第二章 大迷宮バルキオン
19話 希望と絶望
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「なんだってんだよおい……」
眼前で巻き起こるのは正に阿鼻叫喚。数秒ごとに誰かが必ず死んでいる。
自然と死に無頓着になる。最初は死んでいく同胞たちを気にかけ、弔おうとしたが今はそれすら無駄に思えてくる。
大迷宮に入る前は100人ほどいたメンバーも気づけば20を切っていた。この2週間で軽く80人は死んでいる。
最初は誰かが死ぬ度に恐怖し、気が狂いそうになった。しかしこれだけ死ねば無頓着にもなるだろう。
今は何よりも自分が如何にして生き残るかを考えるばかりだ。
「うぐあッ!!」
また見知らぬ巨人のモンスターに潰される肉塊。
まるで何事もなく羽虫を潰すかのような光景。
殺されるのが当たり前のような世界に男は──バルゼル・ジンドットはいた。
「魔導具を起動しろ!」
「はっ、はいぃいい!!」
集団のリーダーである鼠色のローブに身を纏った男が一人の手下に命令を下す。
同時に杖型の魔導具を小柄な男が起動させる。
瞬間、杖の先端についた紫色の魔法石が発光する。
「グォオオッ…………」
巨人のモンスターはその光に当てられると次第に動きが鈍くなり、次には完全に動きを止めて暴れなくなる。
それはあまりにも不自然な光景だった。
しかしバルゼル達は気にすることも無く、自分たちが生き残ったことに安堵するばかりだ。
「よし、それでいい。お前はそこで突っ立てろっ!!」
戦意が消え失せて木偶の坊になったモンスターにローブの男は近づくと、男はモンスターを何度も蹴りつける。
モンスターは男に何度も蹴られようが反撃することはなく。ただ虚ろな瞳で虚空を見つめるのみ。
「……」
異様な光景だった。
今まで恐怖していた到底実力が適うはずもないモンスターはたった一度の魔導具の謎の光で大人しくなり、今は男に好き勝手に蹴られている。その落差がバルゼル達の感覚を狂わせた。
「うっ……かはっ……!」
男が高笑いしてモンスターを蹴り続けるのを眺めていると、男の指示で魔導具を使った小柄な男が大量の血を吐いて倒れる。それ以降、その男が動くことは無い。
「……またか……」
その突然の出来事にバルゼルは疎か他の人間も驚くことは無い。
これもここに来て幾度となく見てきた光景だ。
「おっ! 死んだか。今回は2回、まあ持った方だな」
ローブの男も小柄な男が死んだことに気づくが、その声は到底人が死んだことを知ったものでは無い。まるで使い潰した蝋燭にようやく火がつかなくなった時のような感覚だ。
「よし。それじゃあ次はお前がこの魔導具を持ってろ。俺の指示があったら躊躇わずに魔力を込めろよ」
「はっ、はい……」
そうして男は新しい蝋燭を取り出すかのように、近くにいた適当な男に魔導具を手渡す。今まで一連の流れを見てきた痩せこけた男は息を飲んで文句を言わずに頷く。
この空間で男の命令は絶対で一言でも反論、拒否すれば殺される。男に目をつけられた時点でその人間は今死ぬか、後で死ぬか決まるのだ。
先程、この2週間で集団のメンバーが80人死んだと言ったが、その死んだ理由はモンスターによってと言うより、この魔導具によって死んだ者が殆どであった。
ローブの男はこの魔導具を甚く気に入っていた。
バルゼル達が聞いた話によれば、それは簡易魔導具であった。だが小柄な男が使っていたのは日常生活などで流通するような生半可な性能のモノではなく、所謂『賢者の魔導』と呼ばれる魔導具であった。
さらに話を聞いてみれば、その魔導具は大迷宮でしか手に入らない簡易魔導具よりもさらに希少度の高い、賢者が作ったと言われている魔導具。
曰く、その『賢者の魔導』には七賢者の魔法が記憶されており、属性関係なく魔力を持つものならば誰でも使うことの出来る共通魔導具でもあるらしい。
後半の話はバルゼルにはよく理解できなかったが、とにかく男が強力な魔導具を持っているのはよく分かった。
とにかくバルゼル達がこの2週間、人員を減らしながらもなんとか生きながらえて、しかもこの大迷宮の先を進めていたのはこの魔導具の力が大きかった。
「くそが……」
本当に飛んだハズレくじを引いたものだ。とバルゼルは思わず溜息を吐く。
殺しに加担しろ、と言われた時点でバルゼルはロクなことにならないと予想はしていたがこれは予想外だった。
まさかこんな地獄のような日々が待ち受けていようとは夢にも思わなかった。
「……どこで間違ったんだろうな」
恐らく最初からか。
薄暗い大迷宮の天を仰いでバルゼルは思い返す。
これはきっと罰なのだろう。愚かなことをし続けた自分への贖罪なのだろう。
無意識にバルゼルはそんなことを考える。
気がつけば今まで苦楽を共にした2人の仲間は先に死んでしまった。
次はいつ自分の番が回ってくるのか。バルゼルは気が気でなかった。
「チッ……何が深層だ。ふざけんじゃねぇ」
恐怖しながらもバルゼルは悪態を吐く。
そこは大迷宮バルキオン深層第76階層、階段部屋直前。
ローブの男率いる謎の集団は2週間という長い時間をかけて、着実にその階層を攻略しようとしていた。
・
・
・
パチパチと爆ぜる焚き火の音で目が覚める。
「んっ……」
「あ、起きたんですね姐さん!」
「キュイ!」
目を開けて視界が開けると直ぐにこちらを上から覗き込んだエルバートとラーナちゃんの安堵した顔が映った。
「ここは…………くっ!」
視界を彷徨わせ寝ていた体を起こそうするが、全身に力を入れた瞬間に激痛が走る。
「ああ! まだ起きちゃダメですよ姐さん! 安静にしててください」
「……ここは?」
「セーフティポイントです」
言われた通りに体の力を抜いてエルバートに尋ねると直ぐに答えは返ってくる。
セーフティポイント。
その返答に一瞬嘘だと疑うが、直ぐにエルバートの言葉が嘘でないことは分かる。
さっきまで戦闘をしていた虎型モンスターは疎か、他のモンスターの気配は皆無。異様な閉塞感と安堵感、それに嫌に見なれた光景は間違いなくセーフティポイントだ。
「どうして……どうやって……?」
疑問は尽きない。
どうして自分は生きているのか、助かったのかが分からない。情けない話だがさっきの戦闘で自分は死んだと思っていた。
渾身の一撃はモンスターに直撃したが絶命させるまでには至らず、反撃を喰らった。直ぐにエルバート達に撤退を指示して、なんとかエルバート達が逃げ切れる時間は作ろうと思っていたのだが……。
「……」
気がつけば自分はこうして五体満足で今まで眠っていた。
本当に訳が分からなかった。
「ごめんなさい。姐さんは逃げろって言ったのに、それが出来ませんでした。あそこで姐さんを見殺しにして生き残っても、僕はアニキに顔向けができません。だから勝手ながら助太刀に入りました」
額に地面を付けて謝るエルバート。
その声に情けなさは感じながらも後悔は感じない、芯の通った声だ。
それにエルバートの反応はおかしい。
エルバートは決死の覚悟で私を助けてくれた、なのにどうして私に謝るというのか、それは寧ろ私がしなければいけない事だ。
「謝らないで、頭を上げてエルバート」
「……はい」
なんとか手を動かしてエルバートの頭を優しく撫でてやる。
「私の方こそごめんなさい。今考えればあの時の私はどうかしてた。深層の……それもターニングポイントを超えたモンスターを倒せると思っていた自分が愚かで仕方ない。そしてそれに巻き込んでしまったことにも……本当にごめんなさい」
「そんな! 姐さんは悪くないです!!」
「いいえ、今回ばかりは私の責任よ。私にはあなた達を守る義務がある。それなのに正常な判断も出来ずに……これじゃあ私の方がファイクに合わせる顔がないわね」
よく見てみるとエルバートの左足に包帯が巻かれている。
私を助けた時にできた傷だということは聞かなくても分かる。なぜならここに来た時、エルバートは怪我などしていなかったのだから。
「姐さん……」
「改めて、本当にごめんなさいエルバート。そして助けてくれてありがとう、あなたには感謝しかないわ」
今自分が出来る最大の敬意を払って謝罪と感謝をする。
エルバートはどんな反応をしていいのか分からないのか、困ったように眉根を下げている。
「キュ~……」
「ラーナちゃんも無事でよかった。そして本当にごめんなさい」
「キュイ」
そんな私たちのやり取りを心配そうに見ていたラーナちゃんにも謝る。
「気にしないで」と言うかのように優しく鳴いたたラーナちゃんは私に近づくと、優しく身を寄せてきた。
「っ……ありがとう」
その優しさがすごく暖かく思えて、私の目頭は思わず熱くなる。
「とにかく全員無事で本当に良かったです。今はそのことを心から喜びましょう」
「……うん。エルバートもありがとう」
「はい」
エルバートは困ったように笑う。
ふたりの優しが痛くて暖かくて、自分が本当に情けなくて嫌になる。
ようやく彼に近づけたと思えたのに、寧ろその距離は開くばかりだ。悔しい。本当に合わせる顔がない。
それでも寂しくて、落ち着く声が聞きたくて、今すぐ彼に会いたくて仕方がない。
「会いたいよ……ファイク……」
我慢ができず、気がつけば頬を涙が伝っていた。
今までずっと秘めていた思いが溢れる。
自分が一番に折れては駄目なのに、ふたりを守らなければいけないのに、溢れたものは歯止めが効かなくなる。
必死に声を押し殺すが、それでも自分の情けない声は迷宮内に木霊する。
「「……」」
エルバートとラーナちゃんは何も言わずにただ傍で私を慰めてくれる。
「……ぐずっ……本当にごめんなさい。もう……大丈夫だから……」
「本当に本当ですか?」
「キュイ?」
「……ええ。本当に」
少しの間泣いて、私はまたふたりに謝る。
依然としてエルバートとラーナちゃんは心配そうに私の様子を伺うが、いつまでも泣いているわけにはいかない。
切り替えなければ。
「…………これからどうしましょうか」
私はゆっくりと呼吸を整えて考える。
生き長らえるためにモンスターを殺して食料を確保する。というのは失敗してしまった。
運良くセーフティポイントに生還する事ができたが、これで私たちにできることは飢えて死を待つばかりになった。
残っている食料は持って一日。節制して食いつなぐほどの量もない。
幸い、エルバートの魔法で飲水はなんとかなる。それでもエルバートの魔力も無限というわけではない。先程の戦闘でかなり魔力を消耗しているはずだし多用はできない。
怪我の方は何とかなるだろう。
ファイクに言われてハイポーションは持たされている。これを使えば今負っている傷は完治できるだろう。
しかしポーションで腹は膨れない。結局のところは食料問題だ。
「「「…………」」」
暫しの静寂が訪れる。
重苦しく、これからどうしていいのか答えは出ない、途方に暮れた沈黙。
私もエルバートもラーナちゃんも、もうどうしていいか分からなかった。
瞬間、何かの音が聞こえる。
それはコツコツと何かが螺旋階段を降ってくる硬い音。
「「「っ………!?」」」
全員がその音を聞き逃さず、この階層の入口へと視線を巡らせる。
期待、希望、願い。
その音が自分たちの待ち続けたものだとすぐさま判断する。
全身の痛みなんかも忘れて立ち上がる。気がつけば私たちは走り出していた。
「はっ……はっ……はっ……!」
走り出して直ぐに息が上がるが足は止まらない。
どんどん近づく足音。
頭の中では彼の姿が思い浮かぶ。
会いたくて、会いたくて、気が狂いそうだった、溢れ出した気持ちがまたやって来る。
しかし、それを再び抑え込む必要は無い。
なぜなら彼が来てくれたのだから────。
「────えっ…………?」
突然、足が走るのをやめる。高ぶった鼓動は急に冷静になる。
それは求めていたものとは全く違っていた。
入口から現れたのは鼠色のローブを着込んだ男と、数十人のボロボロの集団だった。
「おお? なんだ? 熱烈なお出迎えだなぁ。しかも───」
その声には覚えがあるが、自身の知っている人のものでは無い。だがその声には覚えがあり、異様な嫌悪感が胸中に沸き起こる。
先頭のローブの男は目深にフードを被っており、その顔を確認することは出来ないが勝手に被っていたフードを下ろす。
「───すごく弱ってて食べ頃じゃないか」
「お前は───」
フードで隠していた顔が顕になると男は醜悪な笑みを浮かべていた。
その顔の半分以上は顔面ギプスによって覆い隠されているが見覚えはある。
その男の顔の怪我は彼があの決闘の時に与えたものだ。
「───憤怒の鎌…………!!」
「いやあ、覚えててくれて嬉しいなぁ~。久しぶりだねアイリス・ブルーム」
私たちの前に現れたのは、この迷宮都市バルキオンで最強と呼ばれているSランククラン『憤怒の鎌』のリーダー、アッシュ・ワモルドであった。
眼前で巻き起こるのは正に阿鼻叫喚。数秒ごとに誰かが必ず死んでいる。
自然と死に無頓着になる。最初は死んでいく同胞たちを気にかけ、弔おうとしたが今はそれすら無駄に思えてくる。
大迷宮に入る前は100人ほどいたメンバーも気づけば20を切っていた。この2週間で軽く80人は死んでいる。
最初は誰かが死ぬ度に恐怖し、気が狂いそうになった。しかしこれだけ死ねば無頓着にもなるだろう。
今は何よりも自分が如何にして生き残るかを考えるばかりだ。
「うぐあッ!!」
また見知らぬ巨人のモンスターに潰される肉塊。
まるで何事もなく羽虫を潰すかのような光景。
殺されるのが当たり前のような世界に男は──バルゼル・ジンドットはいた。
「魔導具を起動しろ!」
「はっ、はいぃいい!!」
集団のリーダーである鼠色のローブに身を纏った男が一人の手下に命令を下す。
同時に杖型の魔導具を小柄な男が起動させる。
瞬間、杖の先端についた紫色の魔法石が発光する。
「グォオオッ…………」
巨人のモンスターはその光に当てられると次第に動きが鈍くなり、次には完全に動きを止めて暴れなくなる。
それはあまりにも不自然な光景だった。
しかしバルゼル達は気にすることも無く、自分たちが生き残ったことに安堵するばかりだ。
「よし、それでいい。お前はそこで突っ立てろっ!!」
戦意が消え失せて木偶の坊になったモンスターにローブの男は近づくと、男はモンスターを何度も蹴りつける。
モンスターは男に何度も蹴られようが反撃することはなく。ただ虚ろな瞳で虚空を見つめるのみ。
「……」
異様な光景だった。
今まで恐怖していた到底実力が適うはずもないモンスターはたった一度の魔導具の謎の光で大人しくなり、今は男に好き勝手に蹴られている。その落差がバルゼル達の感覚を狂わせた。
「うっ……かはっ……!」
男が高笑いしてモンスターを蹴り続けるのを眺めていると、男の指示で魔導具を使った小柄な男が大量の血を吐いて倒れる。それ以降、その男が動くことは無い。
「……またか……」
その突然の出来事にバルゼルは疎か他の人間も驚くことは無い。
これもここに来て幾度となく見てきた光景だ。
「おっ! 死んだか。今回は2回、まあ持った方だな」
ローブの男も小柄な男が死んだことに気づくが、その声は到底人が死んだことを知ったものでは無い。まるで使い潰した蝋燭にようやく火がつかなくなった時のような感覚だ。
「よし。それじゃあ次はお前がこの魔導具を持ってろ。俺の指示があったら躊躇わずに魔力を込めろよ」
「はっ、はい……」
そうして男は新しい蝋燭を取り出すかのように、近くにいた適当な男に魔導具を手渡す。今まで一連の流れを見てきた痩せこけた男は息を飲んで文句を言わずに頷く。
この空間で男の命令は絶対で一言でも反論、拒否すれば殺される。男に目をつけられた時点でその人間は今死ぬか、後で死ぬか決まるのだ。
先程、この2週間で集団のメンバーが80人死んだと言ったが、その死んだ理由はモンスターによってと言うより、この魔導具によって死んだ者が殆どであった。
ローブの男はこの魔導具を甚く気に入っていた。
バルゼル達が聞いた話によれば、それは簡易魔導具であった。だが小柄な男が使っていたのは日常生活などで流通するような生半可な性能のモノではなく、所謂『賢者の魔導』と呼ばれる魔導具であった。
さらに話を聞いてみれば、その魔導具は大迷宮でしか手に入らない簡易魔導具よりもさらに希少度の高い、賢者が作ったと言われている魔導具。
曰く、その『賢者の魔導』には七賢者の魔法が記憶されており、属性関係なく魔力を持つものならば誰でも使うことの出来る共通魔導具でもあるらしい。
後半の話はバルゼルにはよく理解できなかったが、とにかく男が強力な魔導具を持っているのはよく分かった。
とにかくバルゼル達がこの2週間、人員を減らしながらもなんとか生きながらえて、しかもこの大迷宮の先を進めていたのはこの魔導具の力が大きかった。
「くそが……」
本当に飛んだハズレくじを引いたものだ。とバルゼルは思わず溜息を吐く。
殺しに加担しろ、と言われた時点でバルゼルはロクなことにならないと予想はしていたがこれは予想外だった。
まさかこんな地獄のような日々が待ち受けていようとは夢にも思わなかった。
「……どこで間違ったんだろうな」
恐らく最初からか。
薄暗い大迷宮の天を仰いでバルゼルは思い返す。
これはきっと罰なのだろう。愚かなことをし続けた自分への贖罪なのだろう。
無意識にバルゼルはそんなことを考える。
気がつけば今まで苦楽を共にした2人の仲間は先に死んでしまった。
次はいつ自分の番が回ってくるのか。バルゼルは気が気でなかった。
「チッ……何が深層だ。ふざけんじゃねぇ」
恐怖しながらもバルゼルは悪態を吐く。
そこは大迷宮バルキオン深層第76階層、階段部屋直前。
ローブの男率いる謎の集団は2週間という長い時間をかけて、着実にその階層を攻略しようとしていた。
・
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パチパチと爆ぜる焚き火の音で目が覚める。
「んっ……」
「あ、起きたんですね姐さん!」
「キュイ!」
目を開けて視界が開けると直ぐにこちらを上から覗き込んだエルバートとラーナちゃんの安堵した顔が映った。
「ここは…………くっ!」
視界を彷徨わせ寝ていた体を起こそうするが、全身に力を入れた瞬間に激痛が走る。
「ああ! まだ起きちゃダメですよ姐さん! 安静にしててください」
「……ここは?」
「セーフティポイントです」
言われた通りに体の力を抜いてエルバートに尋ねると直ぐに答えは返ってくる。
セーフティポイント。
その返答に一瞬嘘だと疑うが、直ぐにエルバートの言葉が嘘でないことは分かる。
さっきまで戦闘をしていた虎型モンスターは疎か、他のモンスターの気配は皆無。異様な閉塞感と安堵感、それに嫌に見なれた光景は間違いなくセーフティポイントだ。
「どうして……どうやって……?」
疑問は尽きない。
どうして自分は生きているのか、助かったのかが分からない。情けない話だがさっきの戦闘で自分は死んだと思っていた。
渾身の一撃はモンスターに直撃したが絶命させるまでには至らず、反撃を喰らった。直ぐにエルバート達に撤退を指示して、なんとかエルバート達が逃げ切れる時間は作ろうと思っていたのだが……。
「……」
気がつけば自分はこうして五体満足で今まで眠っていた。
本当に訳が分からなかった。
「ごめんなさい。姐さんは逃げろって言ったのに、それが出来ませんでした。あそこで姐さんを見殺しにして生き残っても、僕はアニキに顔向けができません。だから勝手ながら助太刀に入りました」
額に地面を付けて謝るエルバート。
その声に情けなさは感じながらも後悔は感じない、芯の通った声だ。
それにエルバートの反応はおかしい。
エルバートは決死の覚悟で私を助けてくれた、なのにどうして私に謝るというのか、それは寧ろ私がしなければいけない事だ。
「謝らないで、頭を上げてエルバート」
「……はい」
なんとか手を動かしてエルバートの頭を優しく撫でてやる。
「私の方こそごめんなさい。今考えればあの時の私はどうかしてた。深層の……それもターニングポイントを超えたモンスターを倒せると思っていた自分が愚かで仕方ない。そしてそれに巻き込んでしまったことにも……本当にごめんなさい」
「そんな! 姐さんは悪くないです!!」
「いいえ、今回ばかりは私の責任よ。私にはあなた達を守る義務がある。それなのに正常な判断も出来ずに……これじゃあ私の方がファイクに合わせる顔がないわね」
よく見てみるとエルバートの左足に包帯が巻かれている。
私を助けた時にできた傷だということは聞かなくても分かる。なぜならここに来た時、エルバートは怪我などしていなかったのだから。
「姐さん……」
「改めて、本当にごめんなさいエルバート。そして助けてくれてありがとう、あなたには感謝しかないわ」
今自分が出来る最大の敬意を払って謝罪と感謝をする。
エルバートはどんな反応をしていいのか分からないのか、困ったように眉根を下げている。
「キュ~……」
「ラーナちゃんも無事でよかった。そして本当にごめんなさい」
「キュイ」
そんな私たちのやり取りを心配そうに見ていたラーナちゃんにも謝る。
「気にしないで」と言うかのように優しく鳴いたたラーナちゃんは私に近づくと、優しく身を寄せてきた。
「っ……ありがとう」
その優しさがすごく暖かく思えて、私の目頭は思わず熱くなる。
「とにかく全員無事で本当に良かったです。今はそのことを心から喜びましょう」
「……うん。エルバートもありがとう」
「はい」
エルバートは困ったように笑う。
ふたりの優しが痛くて暖かくて、自分が本当に情けなくて嫌になる。
ようやく彼に近づけたと思えたのに、寧ろその距離は開くばかりだ。悔しい。本当に合わせる顔がない。
それでも寂しくて、落ち着く声が聞きたくて、今すぐ彼に会いたくて仕方がない。
「会いたいよ……ファイク……」
我慢ができず、気がつけば頬を涙が伝っていた。
今までずっと秘めていた思いが溢れる。
自分が一番に折れては駄目なのに、ふたりを守らなければいけないのに、溢れたものは歯止めが効かなくなる。
必死に声を押し殺すが、それでも自分の情けない声は迷宮内に木霊する。
「「……」」
エルバートとラーナちゃんは何も言わずにただ傍で私を慰めてくれる。
「……ぐずっ……本当にごめんなさい。もう……大丈夫だから……」
「本当に本当ですか?」
「キュイ?」
「……ええ。本当に」
少しの間泣いて、私はまたふたりに謝る。
依然としてエルバートとラーナちゃんは心配そうに私の様子を伺うが、いつまでも泣いているわけにはいかない。
切り替えなければ。
「…………これからどうしましょうか」
私はゆっくりと呼吸を整えて考える。
生き長らえるためにモンスターを殺して食料を確保する。というのは失敗してしまった。
運良くセーフティポイントに生還する事ができたが、これで私たちにできることは飢えて死を待つばかりになった。
残っている食料は持って一日。節制して食いつなぐほどの量もない。
幸い、エルバートの魔法で飲水はなんとかなる。それでもエルバートの魔力も無限というわけではない。先程の戦闘でかなり魔力を消耗しているはずだし多用はできない。
怪我の方は何とかなるだろう。
ファイクに言われてハイポーションは持たされている。これを使えば今負っている傷は完治できるだろう。
しかしポーションで腹は膨れない。結局のところは食料問題だ。
「「「…………」」」
暫しの静寂が訪れる。
重苦しく、これからどうしていいのか答えは出ない、途方に暮れた沈黙。
私もエルバートもラーナちゃんも、もうどうしていいか分からなかった。
瞬間、何かの音が聞こえる。
それはコツコツと何かが螺旋階段を降ってくる硬い音。
「「「っ………!?」」」
全員がその音を聞き逃さず、この階層の入口へと視線を巡らせる。
期待、希望、願い。
その音が自分たちの待ち続けたものだとすぐさま判断する。
全身の痛みなんかも忘れて立ち上がる。気がつけば私たちは走り出していた。
「はっ……はっ……はっ……!」
走り出して直ぐに息が上がるが足は止まらない。
どんどん近づく足音。
頭の中では彼の姿が思い浮かぶ。
会いたくて、会いたくて、気が狂いそうだった、溢れ出した気持ちがまたやって来る。
しかし、それを再び抑え込む必要は無い。
なぜなら彼が来てくれたのだから────。
「────えっ…………?」
突然、足が走るのをやめる。高ぶった鼓動は急に冷静になる。
それは求めていたものとは全く違っていた。
入口から現れたのは鼠色のローブを着込んだ男と、数十人のボロボロの集団だった。
「おお? なんだ? 熱烈なお出迎えだなぁ。しかも───」
その声には覚えがあるが、自身の知っている人のものでは無い。だがその声には覚えがあり、異様な嫌悪感が胸中に沸き起こる。
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その顔の半分以上は顔面ギプスによって覆い隠されているが見覚えはある。
その男の顔の怪我は彼があの決闘の時に与えたものだ。
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転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
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