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第二章 大迷宮バルキオン
20話 戦闘限界
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「いやあ、覚えててくれて嬉しいなぁ~。久しぶりだねアイリス・ブルーム」
厭らしく舐め回すようにこちらに向けた視線。その崩れた顔面に浮かべられた醜悪な笑みは嫌悪感を覚える。
「見たところすごくボロボロじゃないか。大丈夫かい?」
「ッ! 近づかないで!」
笑顔を貼り付けた笑顔のままこちらに近づいてくるアッシュ・ワモルド。
私はエルバートとラーナちゃんを庇うようにして一歩後ろに下がる。
どうしてこの男がここにいる?
──いや、よく思い出せ。転移前に私たちに襲いかかってきたローブの集団。この男がしているローブはあの時のそれと同じものだ。
ということはこの男が私たちを襲ってきた正体ということ──。
「おいおい、そんなに邪険にしないでくれよ。こんな状況だ、お互いに助け合おう」
「どの口が! 私たちを襲ってきておいてよくそんなことが言えるな!」
距離を置こうとしてもさらに近づいてくるアッシュ・ワモルド。
なぜアッシュ・ワモルドが私たちにあの時襲いかかってきたのか、真意は分からない。だが、私たちはコイツらの所為で死にかけているのだ、馴れ合うつもりなど毛頭ない。
「それは誤解だよ。俺たちは君を殺すつもりはなかった……まああのクソ男は殺そうと思ってたけどね」
「ッ! お前!!」
「そんな殺気立たないでくれ。争うつもりはないんだ!」
腰に携えた『颶剣グリムガル』に手をかけて目の前の男を睨みつける。男は焦ったように一歩身を引くと両手を上げる。
「巫山戯るな、こちらには戦う理由がある!」
「はあ……あんまり手荒なマネはしたくないんだけど……まあ、手負いみたいだしすぐに終わるか。おい、お前ら手を出すな。この女は俺がヤる。後の毛玉とガキは好きにしろ」
アッシュ・ワモルドは困ったように溜息を吐くと後ろにいた探索者らしき集団に指示を出す。
「いいんですかいダンナ?」
「何度も言わせるな」
「へい」
手下らしき集団は下卑た笑いをしながら確認を取ると、各々獲物を構える。
「ッ……エルバート、ラーナちゃん。ごめんなさい、戦うしかないわ」
「謝らないでください姐さん。僕もコイツらは許せません」
「キュイ!」
私と同様に臨戦態勢に入るエルバートとラーナちゃん。
相手の数はおよそ20人。
数では圧倒的に不利だが、負ける気などない。魔法の使えない相手に遅れをとるつもりもない。
正直体は限界だが、コイツらはどうしても許せない。
「殺れッ!」
「絶対に許さない!」
グリムガルを抜剣して、目の前の男へと突進する。
身体が動く毎秒ごとに激痛が走る。意識が刈り取られ朦朧とする。
だが身体中に魔力を熾す。『魔力循環』は十全とは言えない。それでも目の前の男を殺すには充分だと判断する。
「はぁあッ!!」
「うおっと! 恐ろしく早い剣筋だ。手負いとは思えないな」
上段から振り下ろした剣を既のところでアッシュ・ワモルドは躱す。
「ッ……!」
──今ので殺しきるつもりで放った一撃だったが避けられた!?
予想よりも素早い動きに驚くが、攻撃の手は緩めずに直ぐに次のモーションへと移る。
下からの斬りあげ、横薙ぎ、刺突と間髪入れずの三連撃。先程よりも速く斬りかかるが、その全てを尽く躱されてしまう。
「よっ……と、本当におっかないな。一つでもモロに喰らった死亡確定だ」
ヘラヘラと煽るような顔に腹が立つ。
おかしい。この三連撃を難なく躱せるほどこの男の戦闘能力は高くなかったはずだ。なのにどうして攻撃が躱されてしまうのだ。
──体が本調子じゃないから?
それもあるだろうけれど、それだけで遅れをとるはずがない。
「なっ……ぜ……? はっ……はっ……!」
「おいおい、もう息が上がってるけど大丈夫かい?やっぱりこんなことはやめようよ」
「はっ……はっ……うる、さいっ!」
心配するかのようなアッシュ・ワモルドの視線が気に入らない。
もう面倒だ、魔法で一気に片をつけよう。
大きく後ろに飛んで距離を取る。そして、大きく溜めを作って加速する。
心像するのは暴れ狂う乱気流。
「疾風怒濤、我は追い風を捉えてその身に宿す───」
身体は限界だ。視界はどんどん霞んでいく。今すぐ魔法を使うのは止めろと脳内は警鐘を鳴らしている。
「───然れど、その風は我が身には過ぎた力であり、ただ暴れ狂うのみ──」
それでも止める訳にはいかない
ここでコイツを殺さなければ、自分たちの身が危ない。
確実にここで殺しきる。
全身の魔力が高まる。
愛剣は今にも砕け散りそうなほど儚く、この一撃で完全に使い物にならなくなるだろう。
……いや、充分だ。この一撃まで持てば充分すぎる。
魔法は完成まで来ている。
「──それは正に──────えっ」
しかし、あと少しのところで全身の力が抜ける。今までたしかに持っていたはずの愛剣が砂のように砕け散る。
手の感覚が軽くなって意識は一気に鮮明になる。身体は一歩も動こうとしない。
──どうして?
脳内が混乱する。
──剣が魔法の行使に耐えきれなかったの?
結果がしっかりと物語っている。
「ひゅ~、こいつは僥倖。流石に今の魔法が完成していたらまずかったが、ラッキーだね」
目の前の男はいっそう深く汚く笑う。
「ひっ…………!!」
どうしてか目の前の男が悪魔に見えた。
──いや、あながち間違えではないのかもしれない。
これから待ち受けるのは悪魔の蹂躙。私はここで死ぬのだろう。
依然として身体は動かず、どうすることも出来ずに地面に倒れ込んでしまう。砂の嫌な感覚が口の中に広がる。
「さて、そんじゃあお楽しみの時間と行こうか。
……暴れられても困るし、念には念をってことでこいつを使うか」
倒れた私を見下ろして近づくアッシュ・ワモルドは徐ろに一つの魔導具を取り出す。
それは拘束系の簡易魔導具『バインド』だった。
アッシュ・ワモルドは取り出した『バインド』に微弱な魔力を流して起動させる。
瞬間、私の両手首と足首が特殊な材質の縄によって縛られる。
「……っ」
「クハハっ! いいねぇ。手足が縛られただけで一気にそれっぽくなってきた」
愉快そうに笑うアッシュ・ワモルド。
そんな奴の顔を今すぐ殴りたい衝動に駆られる。しかし、身体は言うことを聞こうとは全くしない。
なんという屈辱だろうか。今の自分ではこんな脆弱な魔導具を壊す力も残ってはいない。
「あいつらの方は終わったか?」
完全に身動きの取れなくなった私を満足そうに見ていたアッシュ・ワモルドは私から視線を外して、別の方へと移す。
それにつられて私も唯一動く視界を同じ方向を見遣る。
視線を向けた先には必死に探索者の集団に応戦するエルバートとラーナの姿が見えた。
「クソっ! やめろ! 離せ!!」
「そんな足で何ができるってんだ! 大人しくしやがれ!!」
「うぐっ!!」
エルバートは抵抗虚しく数人の男に囲まれ、殴る蹴るなどの暴行を全身に受けて私と同じように『バインド』で拘束される。
「キュイ!!」
「毛玉に用は無いんだよ!」
「キュアッ!?」
ラーナちゃんはエルバートを助けようとするが、他の探索者に返り討ちにされエルバートよりも酷く傷ついて地面に横たわってしまう。
「エルバートッ! ラーナちゃんッ!!」
助けることも出来ずにただ見てるだけの自分が恨めしい。
すぐ真上から聞こえてくる笑い声が煩くて仕方がない。
今すぐにでもコイツら殺したい。
でも今の自分にはその体力も気力も残ってはいない。
心は完全に折れそうだった。
「さあ、それじゃあイタダクとしようか」
舌なめずりをしてアッシュ・ワモルドは私に触れてくる。顔から鎖骨、胸、腹へと厭らしく全身を撫でる。
「ッ………!!」
身震いが止まらない。屈辱的で仕方がない。怒りで気が狂いそうだ。
この体に触れていいのはこの世界でたった1人だけなのだ。
「ふざけるな! やめろ!!」
少し離れた場所からエルバートの甲高い声が耳朶を打つ。
「おいおい! ずっと男だと思ってたけどこのガキ、女かよ!!」
儲けものだ、と喜ぶ下衆共の声が聞こえる。
──ああ、本当にここで終わりなのだ。
そう思うと涙が流れた。
悔しくて悔しくて、涙が止まらなかった。
本当に、許されるのであれば本当に最後に彼に会いたかった。
「……………ファイク」
・
・
・
悲しみと苦しむ声が聞こえた。
朦朧とする意識の中、獣はたしかに二人の声を聞き取った。
「……」
呼吸は浅く。全身にはつい先程、見知らぬ探索者から貰った切り傷や打撲がキリキリと痛みを訴えている。
意識が残っているのも不思議な状態だ。それほど獣は疲弊していた。
大切な人達の悲痛な声が届いてくる。
ボヤける視界にはたしかに二人の女性が涙を流して、大勢の男たちに身ぐるみを剥がされ霰もない姿にされていた。
下卑たクズ共の腹の立つ笑い声が聞こえてくる。
──どうして自分はこんなところで倒れている?
獣は自身の状況を恥じた。
──こんなところで自分は何をしている?
──なぜ呆気なく倒されている?
──どうして大切な人を守ることが出来ない?
──あの人ならばきっとこんなことにはならない。
──こんなことではあの人に相応しくない。
大切な人が泣いている。下衆共が大切な人を蹂躙しようとしている。
この事実が獣にはどうしても許せなかった。
全身がキリキリと痛む。それと同時にふつふつと怒りが煮えたぎる。耐え難い地獄であった。
──こんなところで倒れている場合ではない。
獣は彼に言われた言葉を今までずっと忘れずに覚えていた。
それは本当に何気ない日常に紛れ込んだ一言であったが、獣にとってそれはとても大事な言葉であった。
『俺たちに何かあったらラーナが守ってくれ』
この言葉を獣は片時も忘れたことなどなかった。
今が正にこの約束を実行する瞬間だ。
なのに獣には立ち上がる力も、気力も、アイツら圧倒する体力も、力も、勇気もなかった。
ただただ腹が空いて力が出ない。
飢えて飢えて、気がどうにかなりそうだった。
身体が渇いて仕方がなかった。
様々な感情が獣の中を駆け巡る。
獣は途中から自分は何に怒っているのか、悔しいのか、狂っているのか分からなくなっていた。
分からないことばかりだった。
──どうして自分には戦う力がないのか。
──どうして自分はいつまで経っても成体へと成長できないのか
──どうして自分はいつも誰かに守られているのだろうか。
──どうして自分は約束の一つも守れないのだろうか。
分からないことだらけだった。
「……フゥ……フゥ……フゥ…………」
それでも分かることが一つだけあった。
自分がここで立ち上がらなければ悔やんでも悔やみきれない一生の傷になることだけは、獣には分かっていた。
「フゥ……はァ……ハァ……ハァ……ハァ……」
呼吸の感覚がどんどん短くなる。
依然として飢えと渇きが獣の中を駆け巡る。
しかしそんな中で獣は不思議な感覚を覚える。
どんどんと身体の中心が熱くなり滾るのだ。自分の身体が引き裂かれるような感覚を覚える。
魔力の光が集中する。
今までに感じたことの無い魔力が獣の体内を駆け巡る。力が不自然に湧き出る。自分の身体が塗り替えられていく。
獣はこの感覚に一瞬の恐怖を感じたが、抗わずにただ身を任す。
「お、おい、アレなんだ……」
一人の男が異常に気づく。
動揺するが、誰も獣に近づくことは出来ない。
異様な威圧感がそこにはあった。
「……ラーナちゃん?」
涙で真っ赤に充血した女の瞳が獣を捉える。女は呆然と獣の名前を呼び、獣は異様な状況の中でもその声を聞き逃さなかった。
「ハァ……ハァ─────」
力は臨界点を超える。
止めようのないその変化を獣は拒むことなく受け入れた。
強い発光の次には、獣に集まってた光は収束する。
「───ウォォオオオオオオオオオン!!」
瞬間、迷宮内に一つの甲高い遠吠えが反響した。
「な、なんだよこいつ…………!!?」
誰かが驚愕の声を上げる。
急な出来事にお楽しみ取り掛かろうとしていた男どもは呆然とするしかない。
その光景は誰もが目を疑うものであり、予想外の出来事であった。
先程まで白い毛玉の獣が倒れていた場所には一匹の白銀の大狼が悠然と立っていた。
厭らしく舐め回すようにこちらに向けた視線。その崩れた顔面に浮かべられた醜悪な笑みは嫌悪感を覚える。
「見たところすごくボロボロじゃないか。大丈夫かい?」
「ッ! 近づかないで!」
笑顔を貼り付けた笑顔のままこちらに近づいてくるアッシュ・ワモルド。
私はエルバートとラーナちゃんを庇うようにして一歩後ろに下がる。
どうしてこの男がここにいる?
──いや、よく思い出せ。転移前に私たちに襲いかかってきたローブの集団。この男がしているローブはあの時のそれと同じものだ。
ということはこの男が私たちを襲ってきた正体ということ──。
「おいおい、そんなに邪険にしないでくれよ。こんな状況だ、お互いに助け合おう」
「どの口が! 私たちを襲ってきておいてよくそんなことが言えるな!」
距離を置こうとしてもさらに近づいてくるアッシュ・ワモルド。
なぜアッシュ・ワモルドが私たちにあの時襲いかかってきたのか、真意は分からない。だが、私たちはコイツらの所為で死にかけているのだ、馴れ合うつもりなど毛頭ない。
「それは誤解だよ。俺たちは君を殺すつもりはなかった……まああのクソ男は殺そうと思ってたけどね」
「ッ! お前!!」
「そんな殺気立たないでくれ。争うつもりはないんだ!」
腰に携えた『颶剣グリムガル』に手をかけて目の前の男を睨みつける。男は焦ったように一歩身を引くと両手を上げる。
「巫山戯るな、こちらには戦う理由がある!」
「はあ……あんまり手荒なマネはしたくないんだけど……まあ、手負いみたいだしすぐに終わるか。おい、お前ら手を出すな。この女は俺がヤる。後の毛玉とガキは好きにしろ」
アッシュ・ワモルドは困ったように溜息を吐くと後ろにいた探索者らしき集団に指示を出す。
「いいんですかいダンナ?」
「何度も言わせるな」
「へい」
手下らしき集団は下卑た笑いをしながら確認を取ると、各々獲物を構える。
「ッ……エルバート、ラーナちゃん。ごめんなさい、戦うしかないわ」
「謝らないでください姐さん。僕もコイツらは許せません」
「キュイ!」
私と同様に臨戦態勢に入るエルバートとラーナちゃん。
相手の数はおよそ20人。
数では圧倒的に不利だが、負ける気などない。魔法の使えない相手に遅れをとるつもりもない。
正直体は限界だが、コイツらはどうしても許せない。
「殺れッ!」
「絶対に許さない!」
グリムガルを抜剣して、目の前の男へと突進する。
身体が動く毎秒ごとに激痛が走る。意識が刈り取られ朦朧とする。
だが身体中に魔力を熾す。『魔力循環』は十全とは言えない。それでも目の前の男を殺すには充分だと判断する。
「はぁあッ!!」
「うおっと! 恐ろしく早い剣筋だ。手負いとは思えないな」
上段から振り下ろした剣を既のところでアッシュ・ワモルドは躱す。
「ッ……!」
──今ので殺しきるつもりで放った一撃だったが避けられた!?
予想よりも素早い動きに驚くが、攻撃の手は緩めずに直ぐに次のモーションへと移る。
下からの斬りあげ、横薙ぎ、刺突と間髪入れずの三連撃。先程よりも速く斬りかかるが、その全てを尽く躱されてしまう。
「よっ……と、本当におっかないな。一つでもモロに喰らった死亡確定だ」
ヘラヘラと煽るような顔に腹が立つ。
おかしい。この三連撃を難なく躱せるほどこの男の戦闘能力は高くなかったはずだ。なのにどうして攻撃が躱されてしまうのだ。
──体が本調子じゃないから?
それもあるだろうけれど、それだけで遅れをとるはずがない。
「なっ……ぜ……? はっ……はっ……!」
「おいおい、もう息が上がってるけど大丈夫かい?やっぱりこんなことはやめようよ」
「はっ……はっ……うる、さいっ!」
心配するかのようなアッシュ・ワモルドの視線が気に入らない。
もう面倒だ、魔法で一気に片をつけよう。
大きく後ろに飛んで距離を取る。そして、大きく溜めを作って加速する。
心像するのは暴れ狂う乱気流。
「疾風怒濤、我は追い風を捉えてその身に宿す───」
身体は限界だ。視界はどんどん霞んでいく。今すぐ魔法を使うのは止めろと脳内は警鐘を鳴らしている。
「───然れど、その風は我が身には過ぎた力であり、ただ暴れ狂うのみ──」
それでも止める訳にはいかない
ここでコイツを殺さなければ、自分たちの身が危ない。
確実にここで殺しきる。
全身の魔力が高まる。
愛剣は今にも砕け散りそうなほど儚く、この一撃で完全に使い物にならなくなるだろう。
……いや、充分だ。この一撃まで持てば充分すぎる。
魔法は完成まで来ている。
「──それは正に──────えっ」
しかし、あと少しのところで全身の力が抜ける。今までたしかに持っていたはずの愛剣が砂のように砕け散る。
手の感覚が軽くなって意識は一気に鮮明になる。身体は一歩も動こうとしない。
──どうして?
脳内が混乱する。
──剣が魔法の行使に耐えきれなかったの?
結果がしっかりと物語っている。
「ひゅ~、こいつは僥倖。流石に今の魔法が完成していたらまずかったが、ラッキーだね」
目の前の男はいっそう深く汚く笑う。
「ひっ…………!!」
どうしてか目の前の男が悪魔に見えた。
──いや、あながち間違えではないのかもしれない。
これから待ち受けるのは悪魔の蹂躙。私はここで死ぬのだろう。
依然として身体は動かず、どうすることも出来ずに地面に倒れ込んでしまう。砂の嫌な感覚が口の中に広がる。
「さて、そんじゃあお楽しみの時間と行こうか。
……暴れられても困るし、念には念をってことでこいつを使うか」
倒れた私を見下ろして近づくアッシュ・ワモルドは徐ろに一つの魔導具を取り出す。
それは拘束系の簡易魔導具『バインド』だった。
アッシュ・ワモルドは取り出した『バインド』に微弱な魔力を流して起動させる。
瞬間、私の両手首と足首が特殊な材質の縄によって縛られる。
「……っ」
「クハハっ! いいねぇ。手足が縛られただけで一気にそれっぽくなってきた」
愉快そうに笑うアッシュ・ワモルド。
そんな奴の顔を今すぐ殴りたい衝動に駆られる。しかし、身体は言うことを聞こうとは全くしない。
なんという屈辱だろうか。今の自分ではこんな脆弱な魔導具を壊す力も残ってはいない。
「あいつらの方は終わったか?」
完全に身動きの取れなくなった私を満足そうに見ていたアッシュ・ワモルドは私から視線を外して、別の方へと移す。
それにつられて私も唯一動く視界を同じ方向を見遣る。
視線を向けた先には必死に探索者の集団に応戦するエルバートとラーナの姿が見えた。
「クソっ! やめろ! 離せ!!」
「そんな足で何ができるってんだ! 大人しくしやがれ!!」
「うぐっ!!」
エルバートは抵抗虚しく数人の男に囲まれ、殴る蹴るなどの暴行を全身に受けて私と同じように『バインド』で拘束される。
「キュイ!!」
「毛玉に用は無いんだよ!」
「キュアッ!?」
ラーナちゃんはエルバートを助けようとするが、他の探索者に返り討ちにされエルバートよりも酷く傷ついて地面に横たわってしまう。
「エルバートッ! ラーナちゃんッ!!」
助けることも出来ずにただ見てるだけの自分が恨めしい。
すぐ真上から聞こえてくる笑い声が煩くて仕方がない。
今すぐにでもコイツら殺したい。
でも今の自分にはその体力も気力も残ってはいない。
心は完全に折れそうだった。
「さあ、それじゃあイタダクとしようか」
舌なめずりをしてアッシュ・ワモルドは私に触れてくる。顔から鎖骨、胸、腹へと厭らしく全身を撫でる。
「ッ………!!」
身震いが止まらない。屈辱的で仕方がない。怒りで気が狂いそうだ。
この体に触れていいのはこの世界でたった1人だけなのだ。
「ふざけるな! やめろ!!」
少し離れた場所からエルバートの甲高い声が耳朶を打つ。
「おいおい! ずっと男だと思ってたけどこのガキ、女かよ!!」
儲けものだ、と喜ぶ下衆共の声が聞こえる。
──ああ、本当にここで終わりなのだ。
そう思うと涙が流れた。
悔しくて悔しくて、涙が止まらなかった。
本当に、許されるのであれば本当に最後に彼に会いたかった。
「……………ファイク」
・
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・
悲しみと苦しむ声が聞こえた。
朦朧とする意識の中、獣はたしかに二人の声を聞き取った。
「……」
呼吸は浅く。全身にはつい先程、見知らぬ探索者から貰った切り傷や打撲がキリキリと痛みを訴えている。
意識が残っているのも不思議な状態だ。それほど獣は疲弊していた。
大切な人達の悲痛な声が届いてくる。
ボヤける視界にはたしかに二人の女性が涙を流して、大勢の男たちに身ぐるみを剥がされ霰もない姿にされていた。
下卑たクズ共の腹の立つ笑い声が聞こえてくる。
──どうして自分はこんなところで倒れている?
獣は自身の状況を恥じた。
──こんなところで自分は何をしている?
──なぜ呆気なく倒されている?
──どうして大切な人を守ることが出来ない?
──あの人ならばきっとこんなことにはならない。
──こんなことではあの人に相応しくない。
大切な人が泣いている。下衆共が大切な人を蹂躙しようとしている。
この事実が獣にはどうしても許せなかった。
全身がキリキリと痛む。それと同時にふつふつと怒りが煮えたぎる。耐え難い地獄であった。
──こんなところで倒れている場合ではない。
獣は彼に言われた言葉を今までずっと忘れずに覚えていた。
それは本当に何気ない日常に紛れ込んだ一言であったが、獣にとってそれはとても大事な言葉であった。
『俺たちに何かあったらラーナが守ってくれ』
この言葉を獣は片時も忘れたことなどなかった。
今が正にこの約束を実行する瞬間だ。
なのに獣には立ち上がる力も、気力も、アイツら圧倒する体力も、力も、勇気もなかった。
ただただ腹が空いて力が出ない。
飢えて飢えて、気がどうにかなりそうだった。
身体が渇いて仕方がなかった。
様々な感情が獣の中を駆け巡る。
獣は途中から自分は何に怒っているのか、悔しいのか、狂っているのか分からなくなっていた。
分からないことばかりだった。
──どうして自分には戦う力がないのか。
──どうして自分はいつまで経っても成体へと成長できないのか
──どうして自分はいつも誰かに守られているのだろうか。
──どうして自分は約束の一つも守れないのだろうか。
分からないことだらけだった。
「……フゥ……フゥ……フゥ…………」
それでも分かることが一つだけあった。
自分がここで立ち上がらなければ悔やんでも悔やみきれない一生の傷になることだけは、獣には分かっていた。
「フゥ……はァ……ハァ……ハァ……ハァ……」
呼吸の感覚がどんどん短くなる。
依然として飢えと渇きが獣の中を駆け巡る。
しかしそんな中で獣は不思議な感覚を覚える。
どんどんと身体の中心が熱くなり滾るのだ。自分の身体が引き裂かれるような感覚を覚える。
魔力の光が集中する。
今までに感じたことの無い魔力が獣の体内を駆け巡る。力が不自然に湧き出る。自分の身体が塗り替えられていく。
獣はこの感覚に一瞬の恐怖を感じたが、抗わずにただ身を任す。
「お、おい、アレなんだ……」
一人の男が異常に気づく。
動揺するが、誰も獣に近づくことは出来ない。
異様な威圧感がそこにはあった。
「……ラーナちゃん?」
涙で真っ赤に充血した女の瞳が獣を捉える。女は呆然と獣の名前を呼び、獣は異様な状況の中でもその声を聞き逃さなかった。
「ハァ……ハァ─────」
力は臨界点を超える。
止めようのないその変化を獣は拒むことなく受け入れた。
強い発光の次には、獣に集まってた光は収束する。
「───ウォォオオオオオオオオオン!!」
瞬間、迷宮内に一つの甲高い遠吠えが反響した。
「な、なんだよこいつ…………!!?」
誰かが驚愕の声を上げる。
急な出来事にお楽しみ取り掛かろうとしていた男どもは呆然とするしかない。
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無自覚チートな元おっさんが、今日も異世界でのんびり無双中!
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
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