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幼少編
第26話 約束の日に
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心臓の音が耳朶を撃ってやけにうるさい。
「はあ、はあ……!!」
門前から屋敷の中のアリスの部屋までなんて大した距離なんかではない。だというのに酷く息は切れて、大きく肩が揺れる。それは隣の爺さんも同じであり、いつも飄々としている表情はとても強張っている。爺さんの気持ちは良くわかる。ここまで英雄と囃される半面で一人の少女を危険に晒し、終いにはここ一カ月目を覚まさなかった。その事実は彼に計り知れない罪悪感と後悔を与えたことだろう。
加えて、目覚めた彼女は十中八九、何かしらの欠陥を患っているかもしれない。その答え合わせがこれから行われるのだ。
────誰だって怖いさ……。
俺だってそうだ。ずっと目覚めてほしいと思っていた半面で、実際に目を覚ました彼女と対峙するのはとても怖い。既に一人、〈影龍〉の呪いによって騎士として致命的な欠陥を負わされた人間を近くで見てきたのだ。騎士としても人としても強い彼だから俺は表向きでは平然を装えているが、これがまだ年端も行かない妹となるとどうかは分からない。
「アリス……」
「アリスちゃん……!」
同じように目覚めたことを知らされた父様と母様も部屋の前まで立ち尽くしている。あまり大勢で一気に押し寄せてもアリスを困惑させるだけだ。だから部屋に入ることを許されたのは肉親と今までずっとアリスの世話を見てくれていた侍女のみ。
その侍女は既に部屋の中、今しがた起きたばかりのアリスに簡単な事情説明をしていた。
「皆様、中へどうぞ」
侍女によって部屋の扉が開かれて、中へ誘われる。一歩、廊下と部屋を隔てる扉を潜っただけで心臓の鼓動が跳ね上がる。瞬間、視界に入ったのはベットに上半身だけを起こしてこちらを向くアリスの姿だ。
「アリス!!」
「アリスちゃん!!」
「お父様? お母さま?」
彼女の元まで駆け寄り途端に崩れ落ちて泣き出す両親、そんな二人の様子にアリスは小首を傾げる。本来ならば俺と爺さんも彼女の元へとすぐに駆け寄りたかった。
「ま、さか────」
しかし一瞬にして足が凍り付いたかのように動かない。ようやく目を覚ましてくれた妹に何か言葉をかけるべきなのに喉が直前で詰まる。激しい違和感、押し寄せる焦燥感、厭な予感が脳裏をよぎる。
────やめてくれ……嘘だと、言ってくれ……。
確かに彼女はこちらを見ている。しかしその瞳には一切の光が差さす、虚ろで、確かに眼球は動いているのに何も映していないようで────
「お父様、お母様、そこにいるのですか? なんだか目がおかしくて……全然見えないのです」
「ッ!!」
アリスの困り果てたような言葉で違和感の正体に気が付く。それと同時に答え合わせもできてしまった。
────目が見えていない。
それが〈影龍〉が彼女に与えた祝福だった。予想は、できていたことだ。右腕の感覚を失った爺さんがそうであるように、同じくあの瞬間に影を刻まれたアリスが何かしらの呪いを受けていることは予想できたし、分かっていたことだった。
けれど、これはあまりにも残酷だ。
「ふざ……け────!!」
腹の奥底から何かが込み上げてくる。何か、なんてのは言うまでもない────「怒り」だ。
まだ幼い彼女の、視界を奪うなんて残酷なことがどうしてまかり通るのか。彼女の淡く輝く宝石のような赤い瞳はこれからさまざなものを映して、記憶として大事なものを築き上げていくには必要不可欠なものだ。それがないなんて────
「お兄様もいるのですか? どこですか?」
「────」
怒りに思考を支配され、我を失いかけそうになる間際、寸でのところでずっと聞きたかった声によって我に返る。溢れかけた感情をぐっとこらえて俺は歩き出す。
「────ああ、いる……ここにいるよ、アリス」
ゆっくりと彼女の元まで近寄り、ガラス細工を扱うかのように優しくその小さな手を取った。
「お怪我は大丈夫ですか!? 私、ずっとお兄様が心配で────」
「ッ────うん、大丈夫。俺、は、なんともない。元気だ……」
「よかったあ。お兄様に何かあったらアリスはとても悲しいです」
心底安心した様子のアリスを前に俺はどんな表情をしてしまっただろうか? 定かではないが、俺はとにかく「怒り」とは別に込み上げてくる感情を抑えるの必死だった。
────泣くな。絶対にここでは泣くな……!!
自分が一番大変なはずだったろうに、どうして彼女は人の心配を真っ先にできるのか。まざまざと根本的な違いを見せつけられたようだ。自分本位に行動してきた自分がどれだけ愚かで、浅はかで、出来の悪いことか。
「フェイド叔父様も大丈夫ですか!?」
「あ、ああ……」
次いでアリスは爺さんの心配をするが当の心配された本人は気のない返事しかできない。そんないつもとは想像のつかない様子に彼女は不安げに首を傾げるが────
「ほんとですか?」
「────すまない。本当にすまない……」
我慢の限界であった。
「え?」
老兵は今まで見たことがない気の抜けた顔をしたかと思えば、一転して力なく崩れ落ち、今までため込んできた感情が爆発する。
「俺は……俺は────!!」
はじめて、見た。一度目の人生では当然、今回も彼のこんな姿を見ることはないと思っていた。泣いている。そう泣いているのだ────あの爺さんが。
「え!?え!?」
懺悔するようにアリスへと泣きすがる老兵に彼女は状況が掴めず困惑するしかできない。それでも老兵の懺悔は止まらない。
「お前を守ることができずに、ジークにアリアに信頼されていたというのに……!レイも危険な目に遭わせて────本当にすまない……!!」
終いには父様と母様……そして俺にまで懺悔をする。
「いいんだ……いいんだよ。これは誰も悪くない、不幸な事故だった。寧ろ、娘の息子を助けてくれて本当にありがとう……!!」
「そうです……!!」
爺さんの懺悔に父様と母様も感情を抑えきれずに泣いてしまう。侍女も同じく、外で様子を伺っていたのであろう使用人たちの泣き声まで扉越しに聞こえてくる。
「────」
そんな中で俺だけは決して涙を流さない。こぼれそうになった雫をぎりぎりで堪える。ここで場の雰囲気に流されて泣くのは自分自身が許さないし、何より一人状況が分からないアリスを放っておくわけにもいかない。
「アリス」
「お、お兄様!どうしてみんな泣いているのですか? 何か悲しいことでもあったのですか?」
まだ彼女は何も知らない。これから彼女は辛く、苦しい現実を知り、そして少なからず絶望をする。その悲しみを俺なんかが計り知ることはできない。けれど今ここに一つの誓いを立てる。
────俺は絶対にアリスをこれ以上不幸にはしないし、絶対にあのクソトカゲから守り抜いて見せる。
「いいや、違うよアリス。みんな、お前が無事に目覚めたことが嬉しいんだ」
「嬉しい……いったい私はどれくらい眠っていたのですか?」
「約一カ月ってところだな」
「い、一カ月!?」
そりゃあ驚くよな、とアリスの反応をみて苦笑する。そうして俺は大切な妹を優しく抱きしめた。
「おはよう、アリス。君は絶対に俺が助ける。少しの間だけ不便な思いをさせるけど、ごめんな?」
「??」
その言葉の意味を彼女はまだちゃんとかみ砕けてはいない。
「はあ、はあ……!!」
門前から屋敷の中のアリスの部屋までなんて大した距離なんかではない。だというのに酷く息は切れて、大きく肩が揺れる。それは隣の爺さんも同じであり、いつも飄々としている表情はとても強張っている。爺さんの気持ちは良くわかる。ここまで英雄と囃される半面で一人の少女を危険に晒し、終いにはここ一カ月目を覚まさなかった。その事実は彼に計り知れない罪悪感と後悔を与えたことだろう。
加えて、目覚めた彼女は十中八九、何かしらの欠陥を患っているかもしれない。その答え合わせがこれから行われるのだ。
────誰だって怖いさ……。
俺だってそうだ。ずっと目覚めてほしいと思っていた半面で、実際に目を覚ました彼女と対峙するのはとても怖い。既に一人、〈影龍〉の呪いによって騎士として致命的な欠陥を負わされた人間を近くで見てきたのだ。騎士としても人としても強い彼だから俺は表向きでは平然を装えているが、これがまだ年端も行かない妹となるとどうかは分からない。
「アリス……」
「アリスちゃん……!」
同じように目覚めたことを知らされた父様と母様も部屋の前まで立ち尽くしている。あまり大勢で一気に押し寄せてもアリスを困惑させるだけだ。だから部屋に入ることを許されたのは肉親と今までずっとアリスの世話を見てくれていた侍女のみ。
その侍女は既に部屋の中、今しがた起きたばかりのアリスに簡単な事情説明をしていた。
「皆様、中へどうぞ」
侍女によって部屋の扉が開かれて、中へ誘われる。一歩、廊下と部屋を隔てる扉を潜っただけで心臓の鼓動が跳ね上がる。瞬間、視界に入ったのはベットに上半身だけを起こしてこちらを向くアリスの姿だ。
「アリス!!」
「アリスちゃん!!」
「お父様? お母さま?」
彼女の元まで駆け寄り途端に崩れ落ちて泣き出す両親、そんな二人の様子にアリスは小首を傾げる。本来ならば俺と爺さんも彼女の元へとすぐに駆け寄りたかった。
「ま、さか────」
しかし一瞬にして足が凍り付いたかのように動かない。ようやく目を覚ましてくれた妹に何か言葉をかけるべきなのに喉が直前で詰まる。激しい違和感、押し寄せる焦燥感、厭な予感が脳裏をよぎる。
────やめてくれ……嘘だと、言ってくれ……。
確かに彼女はこちらを見ている。しかしその瞳には一切の光が差さす、虚ろで、確かに眼球は動いているのに何も映していないようで────
「お父様、お母様、そこにいるのですか? なんだか目がおかしくて……全然見えないのです」
「ッ!!」
アリスの困り果てたような言葉で違和感の正体に気が付く。それと同時に答え合わせもできてしまった。
────目が見えていない。
それが〈影龍〉が彼女に与えた祝福だった。予想は、できていたことだ。右腕の感覚を失った爺さんがそうであるように、同じくあの瞬間に影を刻まれたアリスが何かしらの呪いを受けていることは予想できたし、分かっていたことだった。
けれど、これはあまりにも残酷だ。
「ふざ……け────!!」
腹の奥底から何かが込み上げてくる。何か、なんてのは言うまでもない────「怒り」だ。
まだ幼い彼女の、視界を奪うなんて残酷なことがどうしてまかり通るのか。彼女の淡く輝く宝石のような赤い瞳はこれからさまざなものを映して、記憶として大事なものを築き上げていくには必要不可欠なものだ。それがないなんて────
「お兄様もいるのですか? どこですか?」
「────」
怒りに思考を支配され、我を失いかけそうになる間際、寸でのところでずっと聞きたかった声によって我に返る。溢れかけた感情をぐっとこらえて俺は歩き出す。
「────ああ、いる……ここにいるよ、アリス」
ゆっくりと彼女の元まで近寄り、ガラス細工を扱うかのように優しくその小さな手を取った。
「お怪我は大丈夫ですか!? 私、ずっとお兄様が心配で────」
「ッ────うん、大丈夫。俺、は、なんともない。元気だ……」
「よかったあ。お兄様に何かあったらアリスはとても悲しいです」
心底安心した様子のアリスを前に俺はどんな表情をしてしまっただろうか? 定かではないが、俺はとにかく「怒り」とは別に込み上げてくる感情を抑えるの必死だった。
────泣くな。絶対にここでは泣くな……!!
自分が一番大変なはずだったろうに、どうして彼女は人の心配を真っ先にできるのか。まざまざと根本的な違いを見せつけられたようだ。自分本位に行動してきた自分がどれだけ愚かで、浅はかで、出来の悪いことか。
「フェイド叔父様も大丈夫ですか!?」
「あ、ああ……」
次いでアリスは爺さんの心配をするが当の心配された本人は気のない返事しかできない。そんないつもとは想像のつかない様子に彼女は不安げに首を傾げるが────
「ほんとですか?」
「────すまない。本当にすまない……」
我慢の限界であった。
「え?」
老兵は今まで見たことがない気の抜けた顔をしたかと思えば、一転して力なく崩れ落ち、今までため込んできた感情が爆発する。
「俺は……俺は────!!」
はじめて、見た。一度目の人生では当然、今回も彼のこんな姿を見ることはないと思っていた。泣いている。そう泣いているのだ────あの爺さんが。
「え!?え!?」
懺悔するようにアリスへと泣きすがる老兵に彼女は状況が掴めず困惑するしかできない。それでも老兵の懺悔は止まらない。
「お前を守ることができずに、ジークにアリアに信頼されていたというのに……!レイも危険な目に遭わせて────本当にすまない……!!」
終いには父様と母様……そして俺にまで懺悔をする。
「いいんだ……いいんだよ。これは誰も悪くない、不幸な事故だった。寧ろ、娘の息子を助けてくれて本当にありがとう……!!」
「そうです……!!」
爺さんの懺悔に父様と母様も感情を抑えきれずに泣いてしまう。侍女も同じく、外で様子を伺っていたのであろう使用人たちの泣き声まで扉越しに聞こえてくる。
「────」
そんな中で俺だけは決して涙を流さない。こぼれそうになった雫をぎりぎりで堪える。ここで場の雰囲気に流されて泣くのは自分自身が許さないし、何より一人状況が分からないアリスを放っておくわけにもいかない。
「アリス」
「お、お兄様!どうしてみんな泣いているのですか? 何か悲しいことでもあったのですか?」
まだ彼女は何も知らない。これから彼女は辛く、苦しい現実を知り、そして少なからず絶望をする。その悲しみを俺なんかが計り知ることはできない。けれど今ここに一つの誓いを立てる。
────俺は絶対にアリスをこれ以上不幸にはしないし、絶対にあのクソトカゲから守り抜いて見せる。
「いいや、違うよアリス。みんな、お前が無事に目覚めたことが嬉しいんだ」
「嬉しい……いったい私はどれくらい眠っていたのですか?」
「約一カ月ってところだな」
「い、一カ月!?」
そりゃあ驚くよな、とアリスの反応をみて苦笑する。そうして俺は大切な妹を優しく抱きしめた。
「おはよう、アリス。君は絶対に俺が助ける。少しの間だけ不便な思いをさせるけど、ごめんな?」
「??」
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