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出張①
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出張前の会議室は、妙な熱気に包まれていた。
原因はもちろん、例の佐伯である。
「いやぁ、やっぱり私が一番メンバーの気持ちをわかってますから!」
胸を張り、これでもかとばかりにサバサバを意識した笑顔を見せるその姿は――実際には全然爽やかではなく、ただ暑苦しい。
しかも彼女はついに、こんな言葉まで口にした。
「黒宮さんは仕事はすごいけど、ちょっと冷たいところがあるんですよ。私だったらもっとメンバーのケアができるのにな~って思うんです」
……あぁ、やってしまいましたね。
私は書類をぱらぱらと整えながら、涼しい顔で心の中に笑みを浮かべていた。
それに、最近はぶりっ子をするのを忘れていた。
「なるほどぉ~!♡では、やってみますかぁ♡?」
声はあくまで穏やかに。
「えっ」
佐伯の目が、あの自称サバサバ特有の「想定外」に直撃したときのぎこちない焦りを浮かべる。
「ちょうど数日間、私が出張に出ますからぁ、その間、メンバーのケアも含めてぇ佐伯さんに任せてみてもいいと思うんですぅ♡!」
「え、えぇっ? わ、私がですか?」
「はい♡いつもそう仰ってますよね♡ “私だったらもっとケアできるのに”って♡」
ざまあみろ。
……と言いたいところだが、私はあくまで笑顔を崩さない。ここはぶりっ子モードを忘れてはいけない場面だ。
「皆さんもいいですよね?」
メンバーとスタッフへ視線を向けると、彼らは一瞬沈黙し――次の瞬間、ぎこちない笑顔で浅く、とても浅くうなずいた。
もちろん心の中では「やめて!」「無理!」と叫んでいるに違いないが、それを口に出せないのがこの世界の不条理である。
「ほら、みんなも賛成ですよぉ?」
私がそう告げると、佐伯はぐっと口を結び、無理に笑顔をつくった。
「ま、任せてくださいよ! 私が一番メンバーからも信頼されてるし!」
……信頼されてる“つもり”なのは、あなた一人ですよ。
こうして私は数日間の出張に向かうことになった。
スケジュール表も必要最低限だけ残し、あとは“お好きにどうぞ”という状態にセット。もちろん、本当に放り投げるわけではない。メンバーからの連絡で様子を見ながら、万が一のときには即座に対応できる準備も整えてある。
――それでも、佐伯が大炎上する未来は揺るがないだろう。
□
出張初日。
朝の移動中、新幹線の座席でスマートフォンを開くと、グループチャットに写真が上がっていた。
「今日もみんな元気です!」と、佐伯さんのコメント付き。
画面いっぱいに並ぶメンバーの顔は……笑っている。笑ってはいるが、どこかぎこちない。
とくに天城なんて、口角は上がっているのに目が死んでいた。
私は危うく吹き出しそうになり、慌てて口を押さえた。
――いけないいけない。ここで笑っては、せっかくの観察が台無しだ。
「ふふっ……」
こみ上げる笑いを押さえながら、私は車窓に目を向ける。流れる景色が妙に爽快に見えるのは気のせいだろうか。
昼すぎ。
再び通知が鳴る。今度は「お昼ごはん食べてます!」という報告だ。
添付された写真を見て、私はまた笑いをこらえることになった。
テーブルに並ぶのはカレー、サラダ、デザート……。一見普通の食事風景なのだが――。
みんなの姿勢が、明らかに不自然にかしこまっている。
「いただきます」のポーズで固まっているメンバー、カメラ目線を避けるようにうつむいているメンバー。
全体的に、写っている空気がぎゅうぎゅうに張り詰めていた。
「佐伯さん……何をしているんでしょうね」
独り言をつぶやく。周囲の乗客には聞こえない程度の小声だ。
おそらく「ほら、もっと笑顔で!」とか「アイドルなんだから元気出して!」などと空気を読まずに指示を飛ばしたのだろう。
その結果、みんなが「無理して作った笑顔」で固まっている――そんな光景が目に浮かぶ。
夜。
ホテルに到着した私は、一日の仕事を終えた安心感と共に、再びスマートフォンを開いた。
そこには、佐伯さんの「今日も無事に終わりました!」というメッセージ。
添付された写真には、夜の稽古を終えたメンバーが写っていた。
――その全員の顔が、疲労と苦笑で固まっている。
「ふふっ……あぁ……」
私はベッドに腰を下ろし、枕に顔を埋めて声を殺した。
逆にメンバーからの連絡には、「助けてください」「止めてください!」「次の休みはいつなんだろうなぁ」など嘆願や現実逃避の言葉が並んでいた。
スタッフからも、「黒宮さんがいないと進みません」「助けてください」と、同じようなことが。
明日も、きっと面白い写真が送られてくるだろう。
私はそんな確信を胸に、静かにスマートフォンを閉じた。
佐伯が「メンバーのケアは得意です!」と宣言したあの日から、物語はもう決まっているのだ。
――さて、出張が終わる頃には、どんな表情を見せてくれるのか。
私は心の中で密かにカウントダウンを始めていた。
原因はもちろん、例の佐伯である。
「いやぁ、やっぱり私が一番メンバーの気持ちをわかってますから!」
胸を張り、これでもかとばかりにサバサバを意識した笑顔を見せるその姿は――実際には全然爽やかではなく、ただ暑苦しい。
しかも彼女はついに、こんな言葉まで口にした。
「黒宮さんは仕事はすごいけど、ちょっと冷たいところがあるんですよ。私だったらもっとメンバーのケアができるのにな~って思うんです」
……あぁ、やってしまいましたね。
私は書類をぱらぱらと整えながら、涼しい顔で心の中に笑みを浮かべていた。
それに、最近はぶりっ子をするのを忘れていた。
「なるほどぉ~!♡では、やってみますかぁ♡?」
声はあくまで穏やかに。
「えっ」
佐伯の目が、あの自称サバサバ特有の「想定外」に直撃したときのぎこちない焦りを浮かべる。
「ちょうど数日間、私が出張に出ますからぁ、その間、メンバーのケアも含めてぇ佐伯さんに任せてみてもいいと思うんですぅ♡!」
「え、えぇっ? わ、私がですか?」
「はい♡いつもそう仰ってますよね♡ “私だったらもっとケアできるのに”って♡」
ざまあみろ。
……と言いたいところだが、私はあくまで笑顔を崩さない。ここはぶりっ子モードを忘れてはいけない場面だ。
「皆さんもいいですよね?」
メンバーとスタッフへ視線を向けると、彼らは一瞬沈黙し――次の瞬間、ぎこちない笑顔で浅く、とても浅くうなずいた。
もちろん心の中では「やめて!」「無理!」と叫んでいるに違いないが、それを口に出せないのがこの世界の不条理である。
「ほら、みんなも賛成ですよぉ?」
私がそう告げると、佐伯はぐっと口を結び、無理に笑顔をつくった。
「ま、任せてくださいよ! 私が一番メンバーからも信頼されてるし!」
……信頼されてる“つもり”なのは、あなた一人ですよ。
こうして私は数日間の出張に向かうことになった。
スケジュール表も必要最低限だけ残し、あとは“お好きにどうぞ”という状態にセット。もちろん、本当に放り投げるわけではない。メンバーからの連絡で様子を見ながら、万が一のときには即座に対応できる準備も整えてある。
――それでも、佐伯が大炎上する未来は揺るがないだろう。
□
出張初日。
朝の移動中、新幹線の座席でスマートフォンを開くと、グループチャットに写真が上がっていた。
「今日もみんな元気です!」と、佐伯さんのコメント付き。
画面いっぱいに並ぶメンバーの顔は……笑っている。笑ってはいるが、どこかぎこちない。
とくに天城なんて、口角は上がっているのに目が死んでいた。
私は危うく吹き出しそうになり、慌てて口を押さえた。
――いけないいけない。ここで笑っては、せっかくの観察が台無しだ。
「ふふっ……」
こみ上げる笑いを押さえながら、私は車窓に目を向ける。流れる景色が妙に爽快に見えるのは気のせいだろうか。
昼すぎ。
再び通知が鳴る。今度は「お昼ごはん食べてます!」という報告だ。
添付された写真を見て、私はまた笑いをこらえることになった。
テーブルに並ぶのはカレー、サラダ、デザート……。一見普通の食事風景なのだが――。
みんなの姿勢が、明らかに不自然にかしこまっている。
「いただきます」のポーズで固まっているメンバー、カメラ目線を避けるようにうつむいているメンバー。
全体的に、写っている空気がぎゅうぎゅうに張り詰めていた。
「佐伯さん……何をしているんでしょうね」
独り言をつぶやく。周囲の乗客には聞こえない程度の小声だ。
おそらく「ほら、もっと笑顔で!」とか「アイドルなんだから元気出して!」などと空気を読まずに指示を飛ばしたのだろう。
その結果、みんなが「無理して作った笑顔」で固まっている――そんな光景が目に浮かぶ。
夜。
ホテルに到着した私は、一日の仕事を終えた安心感と共に、再びスマートフォンを開いた。
そこには、佐伯さんの「今日も無事に終わりました!」というメッセージ。
添付された写真には、夜の稽古を終えたメンバーが写っていた。
――その全員の顔が、疲労と苦笑で固まっている。
「ふふっ……あぁ……」
私はベッドに腰を下ろし、枕に顔を埋めて声を殺した。
逆にメンバーからの連絡には、「助けてください」「止めてください!」「次の休みはいつなんだろうなぁ」など嘆願や現実逃避の言葉が並んでいた。
スタッフからも、「黒宮さんがいないと進みません」「助けてください」と、同じようなことが。
明日も、きっと面白い写真が送られてくるだろう。
私はそんな確信を胸に、静かにスマートフォンを閉じた。
佐伯が「メンバーのケアは得意です!」と宣言したあの日から、物語はもう決まっているのだ。
――さて、出張が終わる頃には、どんな表情を見せてくれるのか。
私は心の中で密かにカウントダウンを始めていた。
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