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出張②
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朝の会議室。
私は一枚の資料をテーブルに滑らせながら、淡々と説明を続けていた。
「こちらの新曲タイアップの件ですが、まずスポンサー側の要望は三点ございます。ひとつ、楽曲のテーマ性。ふたつ、ビジュアル面の統一。みっつ、メディア露出のスケジュール調整。――ここを押さえておけば、双方の利益はきちんと一致します」
言葉と同時にページをめくると、先方の担当者たちが一斉に頷いた。
それはただの同意ではなく、「納得した」という反応だ。
「いやぁ……さすが黒宮さん。こんなに整理された資料を初めて見ましたよ」
隣に座る広報担当が、感嘆混じりの声を漏らす。
「ありがとうございます。ただ、情報が多いと人は迷子になりますから。道筋を見せるだけで、むしろ皆さんが理解しやすくなるんです」
私は柔らかい笑みを浮かべた。
事実、私の仕事は大半が「整理」だ。複雑に絡み合った要望や条件を解きほぐし、誰が見ても分かる形にする。それだけで交渉の八割は終わっている。
その後の打ち合わせもスムーズに進み、昼前には一通りの合意が取れた。
「では午後は広告撮影の立ち会いです。セッティングの確認をしておきましょう」
声をかけ、次の現場へ向かう。
出張先でも私は、いつも通り――いや、むしろ普段以上にきびきびと動いていた。
誰もが「この人がいれば大丈夫」と思うように。
その証拠に、同行していた若手スタッフたちは、終始安心した顔をしていた。
……そして、そんな完璧な仕事の合間に、やってくる。
スマートフォンが震えた。
画面を開くと、佐伯からのグループチャット。
《今日はメンバーみんなで掃除してまーす!》
添付された写真には、モップを握ったメンバーが並んでいた。
――が。
その表情は、どれも硬直している。特に朝倉なんて、明らかに「無理に笑ってます」という顔。
「……ふっ」
口元を押さえ、私は一瞬視線を落とす。
隣にいた取引先の方が不思議そうに首を傾げたので、慌てて取り繕った。
「すみません、ちょっと家のほうから連絡がありまして」
……家。まぁ、嘘ではない。
私はすぐに仕事モードへ戻り、カメラセッティングの最終確認を続けた。
ライティング、背景、動線――すべてを短時間で整える。指示は的確で、無駄がない。
現場スタッフたちの動きも次第に滑らかになり、予定より早く撮影が開始された。
「黒宮さんが来てくれると、現場が締まりますね」
カメラマンが笑顔でそう言う。
「ありがとうございます。でも私が何かをしているわけではなくて。皆さんの力が揃いやすいように整えているだけです」
謙遜ではなく、事実だ。
ただ、それをきちんと形にできる人間が少ないからこそ、私は「有能」と呼ばれるのだろう。
――撮影が滞りなく終わった夕方。
私はホテルに戻り、ようやく一息ついた。
そのタイミングで、再びスマートフォンが震える。
今度は動画だ。
《みんなでダンス練習してまーす!》という佐伯の声。
画面に映るメンバーは、確かに踊っている。……が。
動きが揃わない。テンポもばらばら。
極めつけに、佐伯さんが画面の端で「もっと笑顔!」「元気出して!」と叫んでいるのがマイクに拾われていた。
私はベッドに腰を下ろし、口元を覆った。
肩が小刻みに震える。
「……はぁ……ふふっ……」
笑ってはいけない。笑ってはいけないのだ。
けれど、頑張れば頑張るほど逆効果になる佐伯の姿を想像すると、どうしても耐えられない。
メンバーからの個別メッセージも届いていた。
《黒宮さん……本当にあと何日ですか?》
《体力はあるけど、精神力が削られてます》
《次に会ったとき、笑えてるかな……》
私は枕に顔を埋め、声を押し殺して笑った。
「大丈夫ですよぉ♡ もうちょっとの辛抱ですぅ♡」
返信を打ち込みながら、私は再び冷静な顔に戻った。
明日のスケジュールを確認する。
午前は地方テレビ局での番組会議。午後はタイアップ先の視察。夜はスポンサーとの会食。
どれも重要な案件だが、問題はない。むしろ楽しみですらある。
――私は今、二つの舞台に立っている。
一つは出張先で、誰からも頼られる有能なマネージャーとして。
もう一つは遠隔の舞台で、佐伯の「自滅劇」を観客席から眺める役として。
どちらも、私にとっては十分に愉快なものだった。
私は一枚の資料をテーブルに滑らせながら、淡々と説明を続けていた。
「こちらの新曲タイアップの件ですが、まずスポンサー側の要望は三点ございます。ひとつ、楽曲のテーマ性。ふたつ、ビジュアル面の統一。みっつ、メディア露出のスケジュール調整。――ここを押さえておけば、双方の利益はきちんと一致します」
言葉と同時にページをめくると、先方の担当者たちが一斉に頷いた。
それはただの同意ではなく、「納得した」という反応だ。
「いやぁ……さすが黒宮さん。こんなに整理された資料を初めて見ましたよ」
隣に座る広報担当が、感嘆混じりの声を漏らす。
「ありがとうございます。ただ、情報が多いと人は迷子になりますから。道筋を見せるだけで、むしろ皆さんが理解しやすくなるんです」
私は柔らかい笑みを浮かべた。
事実、私の仕事は大半が「整理」だ。複雑に絡み合った要望や条件を解きほぐし、誰が見ても分かる形にする。それだけで交渉の八割は終わっている。
その後の打ち合わせもスムーズに進み、昼前には一通りの合意が取れた。
「では午後は広告撮影の立ち会いです。セッティングの確認をしておきましょう」
声をかけ、次の現場へ向かう。
出張先でも私は、いつも通り――いや、むしろ普段以上にきびきびと動いていた。
誰もが「この人がいれば大丈夫」と思うように。
その証拠に、同行していた若手スタッフたちは、終始安心した顔をしていた。
……そして、そんな完璧な仕事の合間に、やってくる。
スマートフォンが震えた。
画面を開くと、佐伯からのグループチャット。
《今日はメンバーみんなで掃除してまーす!》
添付された写真には、モップを握ったメンバーが並んでいた。
――が。
その表情は、どれも硬直している。特に朝倉なんて、明らかに「無理に笑ってます」という顔。
「……ふっ」
口元を押さえ、私は一瞬視線を落とす。
隣にいた取引先の方が不思議そうに首を傾げたので、慌てて取り繕った。
「すみません、ちょっと家のほうから連絡がありまして」
……家。まぁ、嘘ではない。
私はすぐに仕事モードへ戻り、カメラセッティングの最終確認を続けた。
ライティング、背景、動線――すべてを短時間で整える。指示は的確で、無駄がない。
現場スタッフたちの動きも次第に滑らかになり、予定より早く撮影が開始された。
「黒宮さんが来てくれると、現場が締まりますね」
カメラマンが笑顔でそう言う。
「ありがとうございます。でも私が何かをしているわけではなくて。皆さんの力が揃いやすいように整えているだけです」
謙遜ではなく、事実だ。
ただ、それをきちんと形にできる人間が少ないからこそ、私は「有能」と呼ばれるのだろう。
――撮影が滞りなく終わった夕方。
私はホテルに戻り、ようやく一息ついた。
そのタイミングで、再びスマートフォンが震える。
今度は動画だ。
《みんなでダンス練習してまーす!》という佐伯の声。
画面に映るメンバーは、確かに踊っている。……が。
動きが揃わない。テンポもばらばら。
極めつけに、佐伯さんが画面の端で「もっと笑顔!」「元気出して!」と叫んでいるのがマイクに拾われていた。
私はベッドに腰を下ろし、口元を覆った。
肩が小刻みに震える。
「……はぁ……ふふっ……」
笑ってはいけない。笑ってはいけないのだ。
けれど、頑張れば頑張るほど逆効果になる佐伯の姿を想像すると、どうしても耐えられない。
メンバーからの個別メッセージも届いていた。
《黒宮さん……本当にあと何日ですか?》
《体力はあるけど、精神力が削られてます》
《次に会ったとき、笑えてるかな……》
私は枕に顔を埋め、声を押し殺して笑った。
「大丈夫ですよぉ♡ もうちょっとの辛抱ですぅ♡」
返信を打ち込みながら、私は再び冷静な顔に戻った。
明日のスケジュールを確認する。
午前は地方テレビ局での番組会議。午後はタイアップ先の視察。夜はスポンサーとの会食。
どれも重要な案件だが、問題はない。むしろ楽しみですらある。
――私は今、二つの舞台に立っている。
一つは出張先で、誰からも頼られる有能なマネージャーとして。
もう一つは遠隔の舞台で、佐伯の「自滅劇」を観客席から眺める役として。
どちらも、私にとっては十分に愉快なものだった。
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