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出張④
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朝七時。
ホテルのラウンジで、私は一日のスケジュールを整理していた。
手元のタブレットには、三色に色分けされた行程表。青は会議、赤は交渉、緑は現場対応。どれも一分の無駄もなく並んでいる。
「本日も詰まっていますね……」
隣で資料を渡してきたアシスタントが思わずため息をもらす。
私は小さく微笑んだ。
「大丈夫ですよ。詰まっているようで、ちゃんと隙間を作ってありますから」
実際、五分、十分の「余白」を挟むことで、移動の遅れも突発事項も吸収できる。
スケジュールはただ並べるものではない。空気を読むように調整することで、初めて「使える形」になるのだ。
まずは朝九時。広告代理店との打ち合わせ。
新曲プロモーションの全国展開について、提案されたプランを検討する場だった。
「テレビCMと街頭ビジョンを主軸に、全国五大都市で同時展開を――」
代理店の担当者が熱っぽく語る。
私は静かに首を傾げた。
「悪くはありません。ただ、その場合、SNSでの拡散が遅れますよね?」
会議室の空気が変わる。
「た、たしかに……」
「テレビ主体だと、初動は強くても若年層がついてきません」
私はタブレットを操作し、試算グラフを映し出した。
「こちらをご覧ください。過去のデータから、テレビ先行型は三か月後に勢いを失いやすい。一方、SNSを初動に組み込めば、熱量が持続するんです」
静まり返る会議室。
そして――「なるほど!」と声が上がった。
「ですので、都心の街頭ビジョンは一週間だけに絞り、その分の予算を動画広告とトレンド戦略に振り分けましょう。地方都市はSNSとの連動企画を強化すれば、費用対効果はむしろ高まります」
会議は一気に方向を変え、代理店の担当者までが「黒宮さんのプランで進めさせてください」と言った。
午前中だけで、全体の予算構造を塗り替える。
私はただ一つ、心の中でつぶやく。
――これが私の仕事。
会議後、控室でスマートフォンを開いた。
メンバーのひとり、天城からの個別メッセージが届いていた。
《黒宮さん……佐伯さんやっぱり……無理です……》
《練習中に「笑顔!笑顔!」って言われて、みんな逆に顔が引きつってます》
続けて、別のメンバーから。
《お願いです、早く帰ってきてください》
さらに、スタッフからも。
《黒宮さんがいないと、佐伯さんが全部口を出してきて現場が混乱してます。早く帰ってきてください》
……私は画面を閉じ、深呼吸した。
――やはり。
私は今ここで、彼らから求められている。
午後はテレビ局での番組制作会議。
出演枠や演出案をめぐって、演出家とプロデューサーが言い合いになっていた。
「いや、ここの演出はもっと派手にしなきゃ!」
「でも楽曲の雰囲気に合わないだろう!」
私は二人の間に、穏やかな声で割って入った。
「……お二人とも、間違っていません。ただ――視聴者は“曲そのもの”を見たいんです。派手さではなく、楽曲とメンバーの魅力を最大化する方向で考えませんか?」
スクリーンに仮映像を流す。
余計な効果を削ぎ落とし、照明とカメラワークで曲を際立たせる。
数秒の沈黙のあと、プロデューサーがうなずいた。
「黒宮さんの言う通りだ……これなら双方が納得できる」
演出家も肩を落としつつ笑った。
「なるほどな。シンプルなのにインパクトあるわ」
私は静かに微笑んだ。
この一瞬の説得で、数百万単位の制作費とメンバーの負担が救われたのだ。
夕方、ロケ現場に移動。
地方観光局とタレント事務所との合同企画。雨の予報で撮影が危ぶまれていたが、私は事前に確認しておいた。
「西から雲が流れてきます。あと三十分で小雨になります。ですが、二時間後には必ず晴れます。待機所を移して機材を守り、その間はインタビューを進めましょう」
「本当に……二時間で晴れるんですか?」
不安げなスタッフに、私はスマートフォンで気象レーダーを示した。
「ご安心ください。必ず晴れます」
実際、二時間後。
分厚い雲が切れ、夕日の光が差し込んだ。
黄金色の浜辺が広がり、カメラマンたちは「奇跡だ!」と声を上げた。
「黒宮さんのおかげで……」
「この映像は絶対に使える!」
私は穏やかに微笑みつつ、内心では冷静に計算していた。
――段取りを整え、状況を読む。
それだけで現場は動くのだ。
夜。ホテルに戻る。
スマートフォンにはさらにメッセージが増えていた。
《黒宮さん、もうダメです……》
《笑えません……》
《佐伯さんが「ケア!ケア!」って連呼してます》
私は画面を見つめ、ふと笑みを浮かべた。
――彼らは私を待っている。
現場でも、メンバーのもとでも。
私はどこにいても「影の女王」だ。
表に立つ必要はない。ただ、状況を掌握し、望む未来を描くだけでいい。
そう自覚しながら、私はタブレットを閉じ、ベッドに横たわった。
明日も、完璧にやり遂げるために。
ホテルのラウンジで、私は一日のスケジュールを整理していた。
手元のタブレットには、三色に色分けされた行程表。青は会議、赤は交渉、緑は現場対応。どれも一分の無駄もなく並んでいる。
「本日も詰まっていますね……」
隣で資料を渡してきたアシスタントが思わずため息をもらす。
私は小さく微笑んだ。
「大丈夫ですよ。詰まっているようで、ちゃんと隙間を作ってありますから」
実際、五分、十分の「余白」を挟むことで、移動の遅れも突発事項も吸収できる。
スケジュールはただ並べるものではない。空気を読むように調整することで、初めて「使える形」になるのだ。
まずは朝九時。広告代理店との打ち合わせ。
新曲プロモーションの全国展開について、提案されたプランを検討する場だった。
「テレビCMと街頭ビジョンを主軸に、全国五大都市で同時展開を――」
代理店の担当者が熱っぽく語る。
私は静かに首を傾げた。
「悪くはありません。ただ、その場合、SNSでの拡散が遅れますよね?」
会議室の空気が変わる。
「た、たしかに……」
「テレビ主体だと、初動は強くても若年層がついてきません」
私はタブレットを操作し、試算グラフを映し出した。
「こちらをご覧ください。過去のデータから、テレビ先行型は三か月後に勢いを失いやすい。一方、SNSを初動に組み込めば、熱量が持続するんです」
静まり返る会議室。
そして――「なるほど!」と声が上がった。
「ですので、都心の街頭ビジョンは一週間だけに絞り、その分の予算を動画広告とトレンド戦略に振り分けましょう。地方都市はSNSとの連動企画を強化すれば、費用対効果はむしろ高まります」
会議は一気に方向を変え、代理店の担当者までが「黒宮さんのプランで進めさせてください」と言った。
午前中だけで、全体の予算構造を塗り替える。
私はただ一つ、心の中でつぶやく。
――これが私の仕事。
会議後、控室でスマートフォンを開いた。
メンバーのひとり、天城からの個別メッセージが届いていた。
《黒宮さん……佐伯さんやっぱり……無理です……》
《練習中に「笑顔!笑顔!」って言われて、みんな逆に顔が引きつってます》
続けて、別のメンバーから。
《お願いです、早く帰ってきてください》
さらに、スタッフからも。
《黒宮さんがいないと、佐伯さんが全部口を出してきて現場が混乱してます。早く帰ってきてください》
……私は画面を閉じ、深呼吸した。
――やはり。
私は今ここで、彼らから求められている。
午後はテレビ局での番組制作会議。
出演枠や演出案をめぐって、演出家とプロデューサーが言い合いになっていた。
「いや、ここの演出はもっと派手にしなきゃ!」
「でも楽曲の雰囲気に合わないだろう!」
私は二人の間に、穏やかな声で割って入った。
「……お二人とも、間違っていません。ただ――視聴者は“曲そのもの”を見たいんです。派手さではなく、楽曲とメンバーの魅力を最大化する方向で考えませんか?」
スクリーンに仮映像を流す。
余計な効果を削ぎ落とし、照明とカメラワークで曲を際立たせる。
数秒の沈黙のあと、プロデューサーがうなずいた。
「黒宮さんの言う通りだ……これなら双方が納得できる」
演出家も肩を落としつつ笑った。
「なるほどな。シンプルなのにインパクトあるわ」
私は静かに微笑んだ。
この一瞬の説得で、数百万単位の制作費とメンバーの負担が救われたのだ。
夕方、ロケ現場に移動。
地方観光局とタレント事務所との合同企画。雨の予報で撮影が危ぶまれていたが、私は事前に確認しておいた。
「西から雲が流れてきます。あと三十分で小雨になります。ですが、二時間後には必ず晴れます。待機所を移して機材を守り、その間はインタビューを進めましょう」
「本当に……二時間で晴れるんですか?」
不安げなスタッフに、私はスマートフォンで気象レーダーを示した。
「ご安心ください。必ず晴れます」
実際、二時間後。
分厚い雲が切れ、夕日の光が差し込んだ。
黄金色の浜辺が広がり、カメラマンたちは「奇跡だ!」と声を上げた。
「黒宮さんのおかげで……」
「この映像は絶対に使える!」
私は穏やかに微笑みつつ、内心では冷静に計算していた。
――段取りを整え、状況を読む。
それだけで現場は動くのだ。
夜。ホテルに戻る。
スマートフォンにはさらにメッセージが増えていた。
《黒宮さん、もうダメです……》
《笑えません……》
《佐伯さんが「ケア!ケア!」って連呼してます》
私は画面を見つめ、ふと笑みを浮かべた。
――彼らは私を待っている。
現場でも、メンバーのもとでも。
私はどこにいても「影の女王」だ。
表に立つ必要はない。ただ、状況を掌握し、望む未来を描くだけでいい。
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