塩マネージャー vs サバサバ系女子、私が選んだ対抗策は ‘ぶりっ子’ でした

雨宮 叶月

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出張⑤

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 六日間にわたる出張も、とうとう最終日を迎えた。
 朝五時。ホテルの窓を開けると、空はまだ薄闇を残していたが、金色の光がゆっくりと伸びてきていた。

 ――今日で一区切り。
 そう思うと、不思議なことに疲労感よりも充足感のほうが大きかった。

 私はすぐに身支度を整え、タブレットを開いてスケジュールを確認する。
 最終日の今日は、午前は業界団体との合同カンファレンス、午後は地方自治体との観光タイアップ会議、そして夜には取引先を交えたクロージングディナー。
 分刻みの行程だが、すでに頭の中ではすべての流れをシミュレーション済みだ。

午前――合同カンファレンス

 会場はホテル最上階の大ホール。
 大手芸能事務所や広告代理店、音楽レーベルの幹部が一堂に会し、今後の市場展望について討論する場だった。

 壇上ではある事務所の重役が熱弁をふるっていた。
 「今後は、より海外展開を――」

 私は後列から静かにメモを取りつつ、発言の機をうかがう。
 そして司会から指名されると、すっと立ち上がった。

 「確かに海外展開は重要です。ただ、基盤となる国内市場の熱量を軽視すべきではありません」

 会場の視線が一斉にこちらに注がれる。
 私は落ち着いた声で続けた。

 「今の若年層は、国内での成功を前提にして海外コンテンツを受け入れます。国内での支持が弱ければ、海外展開はただの散発的な企画に終わるでしょう。ですから――国内のファンベースを強固にした上で、海外に発信する二段構えが不可欠なのです」

 スクリーンには、私が用意したデータが映し出される。SNS拡散の波形、過去五年間のライブ動員数の推移、海外ファンコミュニティの統計。
 グラフは雄弁に語る。

 しばしの沈黙ののち、会場から拍手が湧き起こった。
 「さすが黒宮さん……」
 「言葉に説得力がある」

 討論は一気に方向性を変え、最終的に私の提案した「国内強化+海外展開」の路線で一致を見た。

 壇を降りると、複数の関係者が私を取り囲んだ。
 「ぜひ今度、我が社のプロジェクトにもアドバイスを……」
 「黒宮さんの分析力には本当に感服します」

 ――これが求められるということ。
 私は微笑みながら名刺を差し出しつつ、心の中で小さくつぶやいた。

午後――地方自治体との会議

 次に向かったのは、市庁舎の会議室。
 地元観光課の職員たちが、私を迎え入れる。

 「黒宮さん、本日はお越しいただきありがとうございます」
 「こちらこそ。観光とエンタメの連携は、双方にとって大きな価値がありますから」

 議題は、アイドルグループを活用した地域活性化イベント。
 しかし職員たちの案はどこか曖昧で、ただ「賑やかになればいい」という程度のものだった。

 私はホワイトボードに立ち、さらさらと図を描いていった。
 「まず、イベントは一過性に終わらせてはいけません。三段階に分けましょう。
 一、地元の学生を巻き込んだワークショップ。
 二、その成果を披露するステージイベント。
 三、その様子をオンラインで配信し、地域ブランドを全国に届ける」

 職員たちは目を丸くし、やがて次々と頷き始めた。
 「なるほど……確かにそれなら、地元の若者も参加しやすい」
 「オンライン配信を組み込めば、観光客も呼び込める」

 「観光は人を動かす力を持っています。しかし、その“動き”をどう持続させるかが課題です。エンタメと組み合わせれば、それは十分に可能です」

 最後にそう締めくくると、職員たちは深々と頭を下げた。
 「ぜひこのプロジェクト、黒宮さんに監修をお願いしたい」





 最後の予定は、取引先や関係者を招いた食事会だった。
 丸テーブルに料理が並び、シャンパンのグラスが交わされる。

 「黒宮さん、この六日間でどれだけの案件を前に進めたか、我々全員よく分かっています」
 主催者が笑みを浮かべながら言った。
 「正直、帰ってほしくないくらいです」

 同席していた代理店の幹部も続ける。
 「ええ、本当に。黒宮さんがいるだけで場が締まる。まるで魔法みたいだ」

 私はグラスを傾け、柔らかな笑みを浮かべた。
 「ありがたいお言葉です。でも、私は私の場所に戻らなくてはなりません。待っている人たちがいますから」

 心に浮かんだのは、メンバーたちの顔。
 疲れた表情で送ってくるメッセージ、引きつった笑顔。
 ――早く帰ってきて。
 思わず笑いそうになるが、その声が、ずっと胸の奥に響いていた。

 「もしまたこちらに来る機会があれば、ぜひお力を貸してください」
 「もちろんです。そのときは全力で」

 グラスを掲げ、最後の乾杯を交わした。
 華やかな夜の席でさえ、私にとっては“影”の仕事の一環。
 けれどその影は確かに光を導いている。






 翌朝。
 新幹線に乗り込んだ私は、窓の外を流れる風景を眺めていた。
 都会のビル群が遠ざかり、やがて田園が広がる。青い空に白い雲。

 胸の奥に小さな高鳴りがあった。
 ――戻るのだ、あの場所へ。

 正午すぎ、事務所に到着した。
 扉を開けた瞬間、空気の重さが伝わってくる。
 メンバーたちはソファにぐったりと座り、スタッフも疲弊した表情で資料をめくっていた。

 「……く、黒宮さん!」
 一番に気づいたのは成瀬だった。ぱっと顔を輝かせ、駆け寄ってくる。
 「やっと……やっと帰ってきてくれたんですね!」

 その声に釣られるように、ほかのメンバーたちも一斉に立ち上がった。
 「黒宮さん!」

「おかえりなさい!」

 私は少し微笑みながら頷いた。
 「ただいま」

 その瞬間、彼らの表情が一気に和らぎ、疲労がほどけていくのが分かった。
 スタッフもほっとしたように肩を下ろす。

 ――求められている。
 出張先でも、ここでも。
 私は常に、必要とされる存在なのだ。

 ふと視線を横に向けると、佐伯が腕を組み、不満げにこちらを見ていた。
 「……べ、別に。私はサバサバしてるから。黒宮さんがいなくても全然やれるし」

 その声に、メンバーの誰一人として頷かなかった。
 むしろ、皆の口元が引きつっている。


「ちゃんとメンバーのケアだってできてたし!ほら、メッセージ送ったでしょ!?」

 私は心の中で笑いをこらえながら、落ち着いた声で告げた。
 「今日からまた、私がここにいます。安心してください」

 その一言で、部屋の空気が一変した。
 緊張も不安も解け、温かなものが広がっていく。


 奥の会議室に入ると、スタッフ陣が待ち構えていた。
 プロデューサーの三原《みはら》さんが、すぐに深々と頭を下げてきた。
 「黒宮さん、……あなたがいないと現場が崩壊寸前でした」

 「そんな、大げさですよ」
 そう返したものの、机の上に広げられたスケジュール表を見て、私は小さくため息をつく。
 ――これは、ひどい。

 予定の順番はぐちゃぐちゃ、ダブルブッキング寸前の案件もある。
 さらにメンバーの休養時間はほぼ削られていて、無理やりにでも「ファンと触れ合うイベント」を詰め込んだ形跡が見える。
 もちろん、佐伯の仕業だ。彼女の「私の方がケアできる」理論が空回りし、結果的にメンバーをすり減らしていたのだ。

 「黒宮さん、お願いします」
 スタッフの一人が、ほとんど祈るように手を合わせてきた。
 「このままじゃ、メンバーもスタッフも持ちません」

 「わかりました。 ではまず、スケジュールを全部リセットしましょうか」
 私は鞄からノートパソコンを取り出し、淡々と指を動かす。

 作業は驚くほど速かった。
 私がカレンダーを開き、予定を組み替え、外部との調整を数件だけ電話で済ませる。
 その間、会議室は水を打ったように静まり返っていた。
 「……こんなに一瞬で整理できるんですか?」と誰かがぽつりと呟く声が聞こえたが、私は特に答えず、淡々と処理を進めた。

 およそ十五分後。
 私はノートパソコンを閉じ、ゆっくりと微笑んだ。
 「はい。 これで、今週の予定は安全に回せますよ。」

 三原さんは驚愕の面持ちで画面を覗き込んだ。

 スタッフたちが感激の声を上げる。


 「さすが黒宮さん…!」

 「女神様…!」


 「女王!」


 「ありがとうございます!」


 「やはり……あなたがいないとダメですね」

 ――その一言に、心の中で小さく満足感が灯る。
 出張で得た成果はもちろんあるが、こうして現場に戻ってきて“必要とされている”と実感する瞬間は、やはり格別だ。

 ちなみに当の佐伯さんは、すみっこで腕を組んでいた。
 「ふ、ふんっ……まぁ、黒宮さんだからできるだけで、私だってもうちょっと時間があれば……」
 ぶつぶつ言っていたが、メンバーが完全に疲れ切った顔をしていたのを私は覚えていた。

 「そうですかぁ♡ じゃあ次の機会に、また挑戦してみますかぁ♡?」
 とわざと返すと、佐伯さんはぎょっとして黙り込んだ。

 スタッフたちも頭を抱えてしゃがみこむ。

 ――どうやら、今回の数日間で、彼女なりに痛感したのだろう。
 “メンバーのケア”は、言葉だけでどうにかなるものではない、と。


 「ふふ……」
 思わず笑みがこぼれる。
 どんなに佐伯さんが“私の方ができる”と息巻いても、結局、結果が全てを語っているのだ。

 私は夜空を見上げ、小さく息を吐いた。
 都会の星は少ない。けれど、灯りの中に浮かぶメンバーたちの笑顔を思えば、それだけで十分に美しかった。

 ――私は戻ってきた。
 そしてこれからも、影として導き続けるのだ。
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