塩マネージャー vs サバサバ系女子、私が選んだ対抗策は ‘ぶりっ子’ でした

雨宮 叶月

文字の大きさ
64 / 76

休暇

しおりを挟む
 久しぶりの完全オフ。
 朝からスケジュール帳には何も予定を書き込まなかった。
 “何も入れない日”を意識的に作らないと、結局どこかで仕事が割り込んでくるからだ。

 今日はただ、美味しいものを食べて、心を休める。
 そのために私は、前々から気になっていた三軒の店をハシゴするつもりでいた。

 まず一軒目は、都心の裏路地にひっそりと佇む洋菓子店。
 ショーケースに並ぶケーキはどれも宝石のようで、見ているだけで心が弾む。

 「いらっしゃいませ」
 若い女性店員が笑顔を向けてくる。
 私は迷わず、評判の「ベリーのミルフィーユ」と「シトラスのタルト」を注文した。

 白を基調とした落ち着いたカフェスペースに腰を下ろし、運ばれてきた皿を前にする。
 ――見ているだけで幸せ。

 ナイフを入れると、層を重ねた生地が軽やかな音を立てた。
 一口運べば、サクサクとした食感と、ベリーの甘酸っぱさが広がる。


 周囲の客がちらりとこちらを見る。

 けれど、私は気にしない。美味しいものを前にしたときは、素直に喜ぶ方が楽しいのだから。

 二軒目は、知人から聞いた評判の焼き鳥屋。
 カウンターの前に立つ大将は無骨な雰囲気だが、手さばきは見事なものだった。

 「お姉さん、今日はいいやつが入ってるよ」
 「じゃあ、それと……鶏肉、あと、ねぎもお願いします」

 炭火で焼かれる音と香りに、思わず頬が緩む。
 串が運ばれてくると、私はレモンサワーを片手に最初の一口をかじった。

 ――じゅわっ。
 口いっぱいに広がる肉汁と香ばしさ。


 カウンターにいたサラリーマン風の客が、思わずこちらを見て笑ってしまった。
 「いやぁ、そんな幸せそうに食べられると、こっちまで旨く感じるよ」
 「ふふ、 食べものって、楽しんだ者勝ちですよ」

 焼き鳥を何本か平らげ、満足げに一息つく。
 まだ余裕はある。――三軒目に進むべきだ。

 三軒目は、予約しておいたステーキハウス。
 赤い絨毯を敷いた店内に足を踏み入れると、肉を焼く音と香りが一気に鼻をくすぐった。
 カウンター越しに見える鉄板の上では、すでに分厚い肉がじゅうじゅうと音を立てている。

 「ご予約の黒宮様ですね。本日は特選サーロインと、シェフおすすめの赤ワインをご用意しております」

 「ありがとうございます」

 テーブルに並んだ肉は、見ただけでわかる極上品。
 ナイフを入れれば、柔らかさのあまり抵抗すらない。
 ひと口。
 「これは……反則です」

 脂の甘みと赤身の旨みが舌の上でほどけ、ワインと混ざり合う。
 思わず目を細め、体中が幸福感で満たされる。
 ――あぁ、やっぱり休暇はこうでなくては。

 そのとき。
 「……あれ? 黒宮さん?」

 聞き慣れた声に、私はナイフを置いた。
 振り向けば、そこに立っていたのは佐伯さん。
 ――偶然、というやつだろう。

 「お、おひとりでこんなところで……贅沢してますねぇ?」
 彼女は皮肉めいた笑みを浮かべていた。
 「メンバーが必死に練習してる時間に、ステーキなんて食べて……マネージャーの自覚ってものがあるんですか?」

 はい、来ましたね。
 心の中で小さく中指を立てながら、私はにっこり笑った。

 「えぇ♡ 佐伯さんも偶然ですねぇ♡ おひとりですかぁ♡?」
 
「わ、私は別に……! ちょっと打ち合わせの帰りで……!」

 「そうなんですかぁ♡ えらいですねぇ♡ 私は今日はお休みいただいてるのでぇ♡ 食べて、また元気に働きますよぉ♡」

 軽く流す。
 どうでもいいように、甘い声で。

 佐伯は少し顔を赤くし、言葉に詰まっていた。
 「……あ、あんたは本当に、いつも余裕ぶって……」
 「えへ♡ そう見えますかぁ?♡ でも、好きなものを美味しく食べられるって、それだけで幸せですからぁ♡」

 ナイフを再び手に取り、目の前のステーキを切る。
 肉汁が溢れ、皿に広がる。
 その光景を、佐伯はなぜか苦々しそうに見つめていた。

 「……ふん、勝手にしてれば?」
 そう吐き捨てると、彼女は早足で店を出ていった。

 残された私は、肩をすくめて笑った。
 ――ほんとうに、わかりやすい人だ。
 嫌味を言いに来て、勝手に苛立って帰る。
 その一方で、私はただ、美味しいご飯を味わう。

 フォークで肉を口に運びながら、私は心の中で呟いた。
 ――どうでもいい。
 私にとって大事なのは、明日からの仕事に向けて元気をチャージすることだけ。

 最後の一切れを口に入れ、ワインを傾ける。
 幸福感が舌から全身へと広がり、頬が自然に緩んだ。



 夜の街に出ると、涼しい風が吹いていた。
 私は鞄を軽く抱え、ゆったりと歩き出す。
 背後に香るステーキの匂いと、佐伯の刺々しい言葉――どちらも、すぐに忘れてしまうだろう。

 だって私にとっては、ほんの小さな出来事にすぎないのだから。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

処理中です...