塩マネージャー vs サバサバ系女子、私が選んだ対抗策は ‘ぶりっ子’ でした

雨宮 叶月

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第76話 ライブ決定⑨

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 アリーナ公演まで、一週間を切った。

 今日から三日間は「最終リハーサル期間」。
 ステージ、照明、映像、衣装、そして立ち位置──。
 すべてを“本番仕様”で再確認する、最後の総仕上げだ。

「照明、イントロはもう少し青み強く。白が多いとステージが浮きます」

「スクリーンの映像、テンポが半拍早いですね。演出チームさん、同期データ確認お願いします」

 インカム越しに、落ち着いた声がホールに響く。
 指示は端的で無駄がない。誰もが理解できるよう、リズムすら正確に刻まれている。

「黒宮さん、三曲目の切り替え、今のタイミングで大丈夫ですか?」

「ええ、バッチリです。リハの映像では0.3秒ズレてましたけど、今の修正で完璧ですね」

 スタッフが小さく「さすが」とつぶやく。
 

 彼女の中で、すべての配置図と照明パターンが正確に再生されている。
 ステージの動線、音響の反響時間、MCパートの間──。
 それらすべてを、黒宮は頭の中で緻密に組み立て、整えていく。

 



 午後のリハーサルは、衣装付き通し。

 着替えブースでは、メンバーが次々と衣装チェンジに走り回る。
 スタッフが慌ただしくマイクやインカムをつけ替え、黒宮はその動線を静かに見ていた。

「三番から四番に移動するルート、被りますね。天城さん、反対側から回ってください。カメラに被ります」

「了解です!」

「あと、成瀬さん、袖の飾りが引っかかってる。歩く前にスタッフさんに外してもらって」

「わっ、ほんとだ……助かりました」


 軽く微笑むその瞬間、黒宮の空気が少し柔らぐ。
 しかし次の瞬間には、また冷静な“現場の黒宮”に戻っていた。

「では通し、行きます。音、お願いします」

 舞台監督の声と同時に、音楽が鳴り響く。
 スポットライトが一斉に点灯し、メンバーが踊り出す。
 黒宮は客席中央でタブレットを操作しながら、ステージ全体を目で追う。

「成瀬さん、右2歩ズレてます。フォーメーション合わせて」
「了解!」
「朝倉さん、後半のコーラス、マイクが遠い。もう半歩前へ」
「はい!」

 すべての指示が一瞬で飛び、即座に修正が入る。
 ステージはどんどん完成形へと近づいていく。

 スタッフの誰もが、黒宮が現場に立つだけで空気が引き締まることを感じていた。

 



 夕方、リハーサルが一段落した頃。
 楽屋の隅では、メンバーが疲れ切って床に座り込んでいた。

「はー……足、終わった……」
「俺もう明日動けない……」
「ってか、黒宮さんいつ休んでるんですか?」

 黒宮は手元の資料を閉じて、笑顔で答える。

「私? ……糖分で動いてるだけですよ♡」

「またそれ言ってる! この前もケーキでエネルギー補給してたよね」
「ええ、あれはもう命綱ですから」

 メンバーの笑い声が広がる。
 疲労と緊張が入り混じった現場に、黒宮の柔らかな声が静かな癒しをもたらす。

 成瀬が、コーヒーを差し出した。
「冷めちゃいましたけど、飲みます?」
「ありがとう。優しいですね」
「黒宮さん、最近ちょっと顔に疲れ出てる気がして」
「……本当? うーん、ちゃんとマネージャーフェイスキープしてるつもりなんだけどなぁ」

 軽く冗談を返しながら、カップを受け取る。
 コーヒーの苦みが、静かに喉を通る。
 ほんの少し、心が落ち着いた。

「でも、大丈夫ですよ。ここまで来たら、もうブレませんから」
「……ですよね」
 成瀬の目が一瞬、真剣になる。
 そのまま言葉を飲み込み、彼は笑った。

 



 夜。
 リハーサルが完全に終わったあと、ホールは静まり返っていた。
 黒宮は一人、客席に残っていた。

 ステージ上には、誰もいない。
 ただ淡い照明が一筋、スポットのように落ちている。

 黒宮は客席中央に立ち、深く息を吸う。
 目を閉じると、メンバーたちの姿が脳裏に浮かぶ。
 努力、汗、失敗、笑顔──全部。

 (この光の中で、あの子たちは輝く。だから私の仕事は、彼らの背中を照らすこと。)

 舞台袖から足音が聞こえた。
「……まだ残ってたんですか」
 霧島だった。
「うん。最終チェック、終わってなくて」
「明日また朝からリハですよ? 少しは休んでください」
「霧島さんこそ、帰らないんですか?」
「黒宮さんがいると、帰りづらいんで」

 小さな笑いが漏れる。
 二人は並んで、暗いステージを見上げた。

 ライトがゆっくりフェードし、金色の残光が客席を包む。

「綺麗だな……」と霧島がつぶやく。
「ええ。これが“本番前の光”ですよ」
「“本番前の光”?」
「本番では、ルーセントがこの光を奪っていくんです。
 私たちは、その一瞬のために、ずっと準備してきた」

 どこか儚く、それでいて誇り高い表情。

「……絶対、成功しますよ」
「ううん、“させる”の。私はマネージャーだから」

 黒宮はそう言って、静かに立ち上がる。
 照明が完全に落ちると、ホールは闇に包まれた。

 その中で、彼女の瞳だけがまだ光を宿していた。

 (さぁ、ここからが本当の勝負。
  このチームを、最高のステージへ──)
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