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1巻
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とにかく、これまでの縁を活かして攻めていくよりは、新しい縁を求めて動くのがいいような気がする。何故なら、両親の知り合いのつてを頼ったお見合い作戦はいまだに成功していないからだ。
お見合いが成立しないんだから、それ以外で出会いを求めなくちゃね。今日は商人も多くいることだし、父の事業関係を中心にあたるか、それ以外か……
深く考えるよりもまず行動したほうがいいかもと考え直し、話しかけやすそうな集団に近づこうと試みる。聞こえてくる話の内容や格好から、彼らは商人から貴族になった人たちのようだ。
さて、どう話しかけたらいいものかしら?
今一番気をつけなければいけないのは、ここで大きな失敗をして、彼らとの縁が切れること。
商人には商人の作法なんてものがあったりするのだろうか。女性から話しかけてもいいのだろうかと、ここにきて躊躇してしまう。
もっと勉強しておくべきだったわね……
一歩を踏み出せずにいると、隣の部屋から音楽が響き始める。オーケストラの演奏は、ダンスの始まりを知らせていた。
しめたわ! ダンスに誘ってもらえば自然と話ができるわね!
私はここぞとばかりに、商人たちの中で一番好みの男性に声をかけてもらえるように近づいていく。
「――おや、まだ残っていらっしゃったとは」
さっき聞いたばかりの失礼な声に、私は足を止めて声の主を見た。
眼鏡の奥の瞳が優しそうな笑みを作っている。一方で、せっかくの助言を無視するなんてと言わんばかりの棘々しい雰囲気も読み取れた。
「私がパーティーを楽しんでいてはいけませんか?」
私は不機嫌さを隠さず、上目遣いで睨む。
わざと嫌味を込めて言ってやれば、黒髪の占い師は困ったような顔をした。
「今からでも帰宅されるのが、あなたのためだと思うのですが……」
「余計なお世話です」
きっぱり言うと、彼は思案顔をしたのちに手を差し出した。
「……わかりました。では、これも何かの縁ですし、一曲踊っていただけませんか?」
私の話を聞きなさいよ……って、ん?
「は?」
今の私の目は点になっていたのではないだろうか。聞き間違いかと思って、うっかり令嬢らしからぬ声が出た。
「先ほどふらつかれた時も特にお怪我はされていないのでしょう?」
そう言って彼はちらりと私の足元を見る。だが、この裾の長さでは彼には靴の先さえ見えていないだろう。今の流行りは裾が床に届くほど長いドレスなのだ。
「……そうですけど」
返事をしてから後悔した。だが、よくよく考えると肯定しても否定しても、私にとっては都合が悪い。足の怪我を理由にパーティー会場から追い出されたくなかったので、つい平気だと答えてしまったが、ダンスに誘われている状況でこう言ってしまえば、いけ好かない彼と一曲踊らねばならなくなってしまう。
「では、決まりですね」
当然の帰結として手首を掴まれ、私はオーケストラが見える場所まで強引に引っ張り出された。
「ちょ……私、あなたと踊るのは――」
嫌だと振り払おうとした時には曲が始まってしまい、気づけば私たちはダンスの輪の中にいた。
手慣れている? 占いはあくまで趣味で、実は貴族なのかしら?
あまりの手際のよさに驚いて見上げると、彼の口元が笑みに変わった。
「おやおや、ダンスが苦手なのでしたら、そうおっしゃってくださればよかったのに」
軽い挑発。誘いを断るのはダンスが下手だからかと煽っているのだろう。
そうなると、私はかえって燃えてしまう性格だ。挑むように彼を見つめ、しっかりと手を取った。
「へえ、あなたこそ、私に恥をかかせないように励んでくださいね」
ところが曲に合わせて踏み出した一歩は、不思議とぴったり呼吸が合っていた。
――どういうこと?
動きもそうだが、それ以上に息が合う。まるで長年連れ添った夫婦のような、そんな風に感じてしまうくらい、ステップを踏むのがラクだ。
いやいや、オーケストラの演奏が上手だから、テンポに乗るのも簡単なのよ。この男の腕前じゃないわ。
正面の様子を盗み見ると、眼鏡の占い師は視線に気づいたらしく、私を見てクスクスと笑った。
「そんな怖い顔をしないでください。可愛らしい顔が台無しですよ。それともそれは、苦手なダンスについていくのに必死という表情でしょうか?」
「お黙りなさい」
小声で言い合いながらも、彼のステップは完璧だ。おまけにポジションの確保が上手く、他のペアがうっかりぶつかりそうになっても難なくかわす。
この男、何者なの?
「……僕の名前はオスカー・レーフィアルです。あなたの名前は?」
心を読まれたように感じて動揺し、私はステップを外してしまう。転びそうになったところを、彼が巧みに勢いを削いで次のステップに繋いでくれた。
危なかった……。しかし随分と踊り慣れているのね。
彼のファミリーネームを聞いて、自分の知る限りの貴族のそれと照合してみるが、一致するものがない。
ならば、この人は商人なのだろうか。それにしては、身のこなしがよすぎる気がするのだが。もちろん神職者の可能性もあるが、神職者がパーティー慣れをしているなんてイメージしにくい。私の顔馴染の神父やシスターたちがこういう場所に来るように見えないからだろうか。
オスカー・レーフィアル、ね……
後で身元を確認するためにもしっかり覚えておこうと、私は彼の名前を心の中で繰り返したあと、問いに答えることにした。
「私はレネレット。レネレット・ゴットフリードよ」
「ああ、やっぱりあなたがレネレットさんでしたか」
「やっぱり?」
再会は偶然かと思っていたが、わざわざ私を探してダンスに誘ってきたということだろうか。一体何が目的なのだろう。
彼の足を踏まないように注意しつつ、オスカーの言葉を待つ。
「あなた、有名ですよね。なんでも美人なのに、なかなか結婚できない伯爵令嬢だとか」
「今年十七を迎えたばかりの女性に、失礼な言い方ですわね」
結婚適齢期である十七歳の時点で縁談が決まっていないということは、式を挙げるのも十八歳以降になる可能性が高いということだ。春の終わりというよりも夏の初めに近い現在、油断していたらすぐに年を取ってしまう。
人が気にしていることを。私が不愉快な気持ちを微塵も隠さずに返してやれば、オスカーはふっと笑った。
「婚約者がいないだけでなく、恋人の噂ひとつ聞かないですよね?」
「余計なお世話です」
腹が立ったので、よろけたふりをして足を踏んでやろうとドレスの中で準備をするが、さらりとかわされた。勘のいい男だ。
なんなのよ、もう。
「――意地を張っていないで、ご帰宅なさってはいかがです?」
そこでオスカーは急に話題を変えてきた。
「帰りの時間については、家人にすでに指示してあるので。迎えが来るまでは会場に残ります」
「ああ、なるほど。しかし、レネレットさん。これ以上ここにいてもいいことはないと思いますよ?」
「あなたに何がわかるのかしら」
「……わかりますよ」
含みを持った言い方が気になり、私は彼の言葉の続きを待つ。しかし、オスカーはそれっきり何も言わなかった。
やがて曲は終わりを迎え、フロアは沈黙した。たくさんの招待客がひしめき合うようにダンスをしていた割には、結局誰とも衝突することもなく、またオスカーの足を踏みつけてやることもできないまま踊りきってしまった。
「――ダンス、お上手じゃないですか。僕もさまになっていたでしょう?」
「さあどうかしらね。あなたのエスコートがお上手だったのは、あくまで曲との相性がよかったからではなくって?」
彼の言い方がいちいち癪にさわるので、私も皮肉で返してやった。
正直な感想として、彼はダンスに長けている。おそらく、今まで私が相手をしてもらった男性の中では一番上手だ。隙あらばと攻撃してやったのに絶対に足を踏ませない上、私が体勢を崩した時のフォローも完璧で文句なし。
だから、なおさら悔しい。これは想定外だ。
すると、オスカーは口の端をキュッと上げた。
「では、もう一曲お相手していただけますか?」
「なんで私が――」
そうは言うものの、ここで断ったら、私の方が負けを認めた感じになってしまう。それは私のプライドが許さない。
「――これで最後にさせてもらいますから」
だが、こんな無用なプライドは捨てるべきだったと私は心底後悔することになる。
まさか、私が帰ると音を上げるまで、彼がダンスを申し込み続けてくるとは思わなかった。
誰か察して助けてよ!
他の男性がダンスを申し込んでくれれば、そこでパートナーを代えられるのに。誰からも声をかけてもらえないどころか、男性は視線を逸らすし、気づけば私たちの周囲にだけギャラリーが増えているしで散々な目に遭った。
なんか拍手をたくさんもらったけど、全然嬉しくないし……
ヘトヘトになるまで付き合わされ、最終的にはオスカーに馬車まで送ってもらうことになってしまった。計算外だ。
「お疲れ様でした。今夜はゆっくり休んでください」
「一体誰のせいで疲れていると思っていらして? 私、他の殿方ともダンスをしたかったのに」
こんなことでお見合いの機会を逃すことになるなんて誰が想像できようか。小さく膨れて不満をぶつけると、オスカーはどういうわけかしてやったりといった顔をする。
「おや。しかし、どなたからも申し込まれなかったではないですか」
「あ、あなたねぇっ! あんたがあれだけ完璧にエスコートしていたら、誰も私にダンスを申し込もうだなんて考えなくなるわ!」
ついに淑女の皮を完全に脱ぎ捨てて言ってやれば、オスカーは愉快そうに笑った。
「やっと僕のダンスを認める気になったんですね」
「…………」
この時の私はどんな顔をしていただろう。口をあんぐりと開いて、呆然としていたかもしれない。およそ令嬢がすべき顔ではなかったと思う。
そしてその台詞で、私は一つの推測をする。
「ひょ、ひょっとして、あなた、そんな理由で私を拘束していたんじゃ……」
ダンスの腕前を認めさせるためだけにそこまでするなんて、普通の人の行動じゃない。そんなにダンスの上手さを見せつけたいのなら、私以外と踊ってもよかったのではなかろうか。
それに、パーティー会場を出るようにと忠告したりダンスの邪魔をしたりと、意味不明な言動についても文句を言いたい。
「さあ、どうでしょうね」
おどけて見せると、オスカーはゴットフリード家の馬車まで連れて行ってくれた。こういうエスコートも手慣れていて、非の打ち所がない。もしも彼の正体が平民であるのなら、相当な訓練を積んだはずだ。
腹の立つ言い方さえしなければ、文字通り文句はないんだけど。
「またどこかでお会いしましょう」
馬車に乗り込む私に爽やかな調子で声をかけてくるので、私は彼を冷たく見下ろした。
「次に見かけたとしても、絶対に近づいたりしませんから、どうぞお構いなく」
御者に扉を閉めてもらうと、ようやく眼鏡の青年の顔は見えなくなった。
やれやれ。とんだ災難だったわ……
初対面の人間にあんなにしつこくされるとは思わなかった。私もたいがい意地っ張りな性格だという自覚はあるけど、彼は彼で相当だろう。
まったく、こういうのはもう間に合っているんだけど。
心の中で悪態をついた時、ふと、今日のような付きまといをかつて経験していたことを思い出した。しつこく粘着されて辟易したのはいつのことだっただろうか。
あれ? でも、社交界デビューをしてからの話じゃないような……?
ひとつひとつ丁寧に記憶をさかのぼってみるが、該当する事象に思い至らない。ぼやっとした感覚があるだけで、明確には思い出せないのだ。
妙なこともあるものね。
疲れのせいで錯覚でもしたのだろう――そう結論づけて、私は今日のパーティーのことは忘れてしまおうと決意したのだった。
* * *
パーティーの翌日もさらにその翌日も、熱心にお見合い相手の肖像画と睨めっこしていたが、一向に進展はない。憂鬱さが増すだけで、ついに頭痛まで感じ始めた。
ああ、せめて、パーティーで新しい縁ができていればっ!
「あ!」
落胆する私の隣で、リズが急に叫んだ。
そしてポンッと両手を叩いたかと思うと、きょとんとする私としっかり目を合わせる。次いでにっこりと微笑んだ。
「困った時は神頼みです。神殿へ良縁を頼みに行きませんか。一緒にお祓いもしてもらえば、安心できますでしょう?」
リズの提案に、私はふむと小さく唸る。
シズトリィ王国の宗教は多神教だ。諸外国は一神教が主流なので、だいぶ文化が異なっていると聞いているが、外国に嫁ぐつもりのない私は特に興味がない。
この国の宗教は土地に根ざしたものであり、地域によって祀っている神さまが違う。
王都で有名なのは縁結びの神さまの神殿だ。しかし神さま同士は仲がよいと言われているので、ある神さまの土地に他の地方の神さまの分殿があるなんてことも普通である。なお、ゴットフリード伯爵領では豊穣の神さまをお祀りしているからか、おかげさまで毎年豊作。収入は安定している。
「わたしが昔お世話になっていた孤児院を覚えていらっしゃいますか? 運営していたのは隣の神殿なのですが、あそこには良縁を結ぶ神さまがいらっしゃるのです。そちらを訪ねてみてはいかがでしょう。わたしもこうしてレネレットさまとの縁を結んでいただきましたし、ご利益はあると思いますよ」
名案だとはしゃぐリズを横目に、私は冷静に検討する。
孤児院で生活していたリズは、慈善活動で神殿を訪れた父と出会ったそうだ。その時に住み込みで働かないかと持ちかけられたことがきっかけで、ゴットフリードの屋敷にやって来たのである。当時私は十歳を迎えたばかりで、周囲はちょうど私と年の近い専属使用人を探していた。以来、喧嘩ひとつすることなく、これまでの七年間を仲良く暮らしているのだから、よほど相性がよかったのだろう。
そう言われると、一応行っておいても損はないか……
「そうね。行ってみましょうか」
私が頷くと、リズはますます嬉しそうに笑った。
「では、予定を調整いたします!」
飛び跳ねるようなさまは小柄で童顔な容姿に似合っているが、十九歳であることを思うと、もう少し落ち着いた振る舞いをしてほしいものだ。
ま、そういうところも嫌いじゃないけどね。
リズが喜んだのは、久しぶりに里帰りできるからという面もあるのだろうと、しばらくしてから気づいた。それならはしゃぐのは仕方がない。
神頼みにどこまで効果があるかはわからないけれど、多少の気分転換くらいにはなるかしらね。
その後彼女が張り切って予定を組んでくれたおかげで、神殿を訪ねる日は来週すぐに決まったのだった。
当日の天気は快晴。周囲は春らしく爽やかな空気に包まれている。
馬車を降りた私の前には、王都に滞在する時に使う屋敷より、少々控えめな大きさの建物があった。外観は古めかしく無骨な印象だが、壁に施されたレリーフは手が込んでおり、芸術作品のようだ。新緑の間から覗く屋根には縁結びの神さまのシンボルが飾られていて、ここが神殿であることを周囲に示している。
この神殿はゴットフリード家と縁の深い施設だ。父が爵位を受け継いでからずっと、金銭的な支援をしているのだと聞いている。だけど私はこの神殿についての情報があまりなく、建物も周囲の様子も初めて見るものばかりだ。
父はよくここに来ていたみたいだけど、私は初めてよね?
ああ、私がなかなか挨拶に来ないから、良縁の神さまがそっぽを向いてしまったのかしら。
それは充分にありえそうだ。ここはきっちりご挨拶を済ませ、損ねてしまった神さまの機嫌をどうにか直そうと私は意気込む。
最初に出会ったシスターに今日の訪問の目的を話すと、「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」と、建物の中へ通された。
へえ……なかなか素敵な場所ね。もっと早く訪ねるべきだったわ。
空気が澄んでいる。心身ともに浄化されそうな雰囲気だ。
建物内部の装飾が、シックで細やかなデザインなのも好ましい。派手ではないのに目を引きつけられる華やかさがあるのが素敵だ。
私の屋敷がいかにも贅沢を絵に描いたといったような感じなので、この神殿は対照的だと思った。
やがて祭壇に案内される。私はシスターに促され、神殿の作法に則った祈りを捧げた。
――ご挨拶が遅くなり申し訳ありませんでした。これからはこまめに顔を見せに参ります。何とぞ良縁をお恵みください。
祈ったところで必ず良縁に出会えるとは思っていないが、ここに通うこと自体は悪くないように感じた。気分転換にはちょうどよさそうな場所だ。
祈りを捧げたのち、私はゆっくり顔を上げる。
「え?」
びっくりして、思わず声が出た。目の前に人がいたからだ。
ひざまずく私の前に眼鏡をかけた黒髪の青年が立っていた。
この人、見覚えがあるような……
神父のものらしい黒の衣装に身を包む彼はにこやかに微笑んでいる。その唇が動いた。
「――良縁を希望されますか?」
室内に響く声はとても聞き取りやすい。そして、どこか聞き覚えのある声だ。
引っかかるものを感じながら、私は静かに頷いた。
「ええ。この神殿には良縁の神さまがいらっしゃると伺ったものですから」
彼の姿に、ふっと別の誰かの面影が重なって見える。
この人は……?
一気に動悸が激しくなる。頭痛がして、嫌な汗も流れ出した。脳が何かを思い出すのを拒否しているような、そんな感じだ。
あ、この前のパーティーで会った……確か、オスカーって占い師で……?
だんだんと記憶がはっきりしてくる。目の前の黒髪の青年が、先日のパーティーで私にしつこく付きまとってきた人物であるのは確信した。サラサラで艶のある黒髪も、眼鏡の奥に秘めた宝石のような緑色の瞳も、色白でなかなか整っている顔立ちも、私は間近で延々と見続けるハメになったのだから。
でも、この身体の反応は、きっとそれだけじゃないんだわ。
理性が警告していても、好奇心は抑えられない。私は彼と対峙しながら必死に過去の記憶をたどる。
必ずどこかに接点があったはずよ。思い出して!
黒髪の占い師――もとい、青年神父オスカーは意地悪そうに口の端を持ち上げた。その表情にはやはり覚えがある。
「それは残念ですね。あなたに相応しい伴侶となる方はこの世にはいないでしょう。結婚をしてもあなたが不幸になるだけです」
蔑むような顔と、その声色に、私は目を見開いた。
そうよ、この男は!
記憶の扉が大きく開かれる。次々と蘇ってきたのはこの世界とは違う、別の文明に根ざした知識のかけらたち。ここよりも文明が発展した世界だったり、あるいは今よりも厳しい世界だったりと、まるで自分で見てきたかのような光景が泉のごとく湧き出し、イメージとして頭に浮かぶ。
――そうだ、私はこの世界に転生してきたんだ……!
前世の記憶と現在の記憶が結びついた時、私は素早くオスカーから距離を取っていた。
こいつだ。こいつが前世までの私の恋路の邪魔をし、結婚から遠ざけてきた張本人だ!
「冗談じゃないわ! 何が〝私の伴侶になる相手はいない〟よ! あんたが毎回私の結婚を邪魔してきたんじゃない! 私、今度こそ必ず結婚するわよ!」
高らかに叫び、自分の胸を叩いて宣言する。
すると、オスカーは不敵に笑んだ。
「ああ、記憶、戻っちゃいましたか」
「いったい私になんの恨みがあるわけ!? 毎度、毎度毎度、毎度毎度毎度毎度毎度っ! 私の結婚をめちゃくちゃにしてくれたでしょっ! 私、この世界では絶対に誰かと結ばれてやるんだからねっ!」
彼の顔をまっすぐに指差し、はっきり告げる。
私は全部思い出した。今の私が数度目の転生の末の姿であることを。
そして、目の前の男によって幾度となく結婚を邪魔され続けていることを! 町娘の時は幼馴染だった彼に縁談を壊され、一国の姫君の時は使用人だった彼に騙され、ことごとく結婚を潰されてきたのだ!
「なんの恨み……さあ、なんでしょうね」
オスカーは一瞬表情を曇らせるが、再び笑った。
「しかし、前世までの記憶が戻ったのであれば、結婚せずとも幸せな人生を送れることも、あなたはよくご存知のはず。これまでの転生の経験を活かせば、あなたは巨万の富を築き、あらゆる人が羨む幸福な人生を歩むことができます。それのどこに不満があるのですか?」
彼の言うことにも一理ある。
複数の前世記憶を有する今の私は、生まれ持つ美貌に留まらず、知識も人より優っていることだろう。おまけに伯爵令嬢というそれなりのステータスを持っているおかげで、それが宝の持ち腐れになってしまう危険性をかなり減らせそうだ。
となると、この私はいわゆるチートという状態に違いないわね。
オスカーの指摘通り、蘇った前世までの知識をこの世界で成り上がるために使うことも可能だ。数ある前世では知識を利用して栄華を極めたこともある。けれどそんなのは面白くない。なんだかズルイ感じがして、気が引けるのだ。私は正々堂々、公正でありたい。
――いや、待てよ。
せっかく復活した前世知識、私が今までの人生でずっと願ってきた目的――つまり結婚のために使うのならアリじゃない? 宿敵を前に、フェアがどうのとか言ってる場合かしら?
私はオスカーを鼻で笑う。思いついた計画に心が踊った。
お見合いが成立しないんだから、それ以外で出会いを求めなくちゃね。今日は商人も多くいることだし、父の事業関係を中心にあたるか、それ以外か……
深く考えるよりもまず行動したほうがいいかもと考え直し、話しかけやすそうな集団に近づこうと試みる。聞こえてくる話の内容や格好から、彼らは商人から貴族になった人たちのようだ。
さて、どう話しかけたらいいものかしら?
今一番気をつけなければいけないのは、ここで大きな失敗をして、彼らとの縁が切れること。
商人には商人の作法なんてものがあったりするのだろうか。女性から話しかけてもいいのだろうかと、ここにきて躊躇してしまう。
もっと勉強しておくべきだったわね……
一歩を踏み出せずにいると、隣の部屋から音楽が響き始める。オーケストラの演奏は、ダンスの始まりを知らせていた。
しめたわ! ダンスに誘ってもらえば自然と話ができるわね!
私はここぞとばかりに、商人たちの中で一番好みの男性に声をかけてもらえるように近づいていく。
「――おや、まだ残っていらっしゃったとは」
さっき聞いたばかりの失礼な声に、私は足を止めて声の主を見た。
眼鏡の奥の瞳が優しそうな笑みを作っている。一方で、せっかくの助言を無視するなんてと言わんばかりの棘々しい雰囲気も読み取れた。
「私がパーティーを楽しんでいてはいけませんか?」
私は不機嫌さを隠さず、上目遣いで睨む。
わざと嫌味を込めて言ってやれば、黒髪の占い師は困ったような顔をした。
「今からでも帰宅されるのが、あなたのためだと思うのですが……」
「余計なお世話です」
きっぱり言うと、彼は思案顔をしたのちに手を差し出した。
「……わかりました。では、これも何かの縁ですし、一曲踊っていただけませんか?」
私の話を聞きなさいよ……って、ん?
「は?」
今の私の目は点になっていたのではないだろうか。聞き間違いかと思って、うっかり令嬢らしからぬ声が出た。
「先ほどふらつかれた時も特にお怪我はされていないのでしょう?」
そう言って彼はちらりと私の足元を見る。だが、この裾の長さでは彼には靴の先さえ見えていないだろう。今の流行りは裾が床に届くほど長いドレスなのだ。
「……そうですけど」
返事をしてから後悔した。だが、よくよく考えると肯定しても否定しても、私にとっては都合が悪い。足の怪我を理由にパーティー会場から追い出されたくなかったので、つい平気だと答えてしまったが、ダンスに誘われている状況でこう言ってしまえば、いけ好かない彼と一曲踊らねばならなくなってしまう。
「では、決まりですね」
当然の帰結として手首を掴まれ、私はオーケストラが見える場所まで強引に引っ張り出された。
「ちょ……私、あなたと踊るのは――」
嫌だと振り払おうとした時には曲が始まってしまい、気づけば私たちはダンスの輪の中にいた。
手慣れている? 占いはあくまで趣味で、実は貴族なのかしら?
あまりの手際のよさに驚いて見上げると、彼の口元が笑みに変わった。
「おやおや、ダンスが苦手なのでしたら、そうおっしゃってくださればよかったのに」
軽い挑発。誘いを断るのはダンスが下手だからかと煽っているのだろう。
そうなると、私はかえって燃えてしまう性格だ。挑むように彼を見つめ、しっかりと手を取った。
「へえ、あなたこそ、私に恥をかかせないように励んでくださいね」
ところが曲に合わせて踏み出した一歩は、不思議とぴったり呼吸が合っていた。
――どういうこと?
動きもそうだが、それ以上に息が合う。まるで長年連れ添った夫婦のような、そんな風に感じてしまうくらい、ステップを踏むのがラクだ。
いやいや、オーケストラの演奏が上手だから、テンポに乗るのも簡単なのよ。この男の腕前じゃないわ。
正面の様子を盗み見ると、眼鏡の占い師は視線に気づいたらしく、私を見てクスクスと笑った。
「そんな怖い顔をしないでください。可愛らしい顔が台無しですよ。それともそれは、苦手なダンスについていくのに必死という表情でしょうか?」
「お黙りなさい」
小声で言い合いながらも、彼のステップは完璧だ。おまけにポジションの確保が上手く、他のペアがうっかりぶつかりそうになっても難なくかわす。
この男、何者なの?
「……僕の名前はオスカー・レーフィアルです。あなたの名前は?」
心を読まれたように感じて動揺し、私はステップを外してしまう。転びそうになったところを、彼が巧みに勢いを削いで次のステップに繋いでくれた。
危なかった……。しかし随分と踊り慣れているのね。
彼のファミリーネームを聞いて、自分の知る限りの貴族のそれと照合してみるが、一致するものがない。
ならば、この人は商人なのだろうか。それにしては、身のこなしがよすぎる気がするのだが。もちろん神職者の可能性もあるが、神職者がパーティー慣れをしているなんてイメージしにくい。私の顔馴染の神父やシスターたちがこういう場所に来るように見えないからだろうか。
オスカー・レーフィアル、ね……
後で身元を確認するためにもしっかり覚えておこうと、私は彼の名前を心の中で繰り返したあと、問いに答えることにした。
「私はレネレット。レネレット・ゴットフリードよ」
「ああ、やっぱりあなたがレネレットさんでしたか」
「やっぱり?」
再会は偶然かと思っていたが、わざわざ私を探してダンスに誘ってきたということだろうか。一体何が目的なのだろう。
彼の足を踏まないように注意しつつ、オスカーの言葉を待つ。
「あなた、有名ですよね。なんでも美人なのに、なかなか結婚できない伯爵令嬢だとか」
「今年十七を迎えたばかりの女性に、失礼な言い方ですわね」
結婚適齢期である十七歳の時点で縁談が決まっていないということは、式を挙げるのも十八歳以降になる可能性が高いということだ。春の終わりというよりも夏の初めに近い現在、油断していたらすぐに年を取ってしまう。
人が気にしていることを。私が不愉快な気持ちを微塵も隠さずに返してやれば、オスカーはふっと笑った。
「婚約者がいないだけでなく、恋人の噂ひとつ聞かないですよね?」
「余計なお世話です」
腹が立ったので、よろけたふりをして足を踏んでやろうとドレスの中で準備をするが、さらりとかわされた。勘のいい男だ。
なんなのよ、もう。
「――意地を張っていないで、ご帰宅なさってはいかがです?」
そこでオスカーは急に話題を変えてきた。
「帰りの時間については、家人にすでに指示してあるので。迎えが来るまでは会場に残ります」
「ああ、なるほど。しかし、レネレットさん。これ以上ここにいてもいいことはないと思いますよ?」
「あなたに何がわかるのかしら」
「……わかりますよ」
含みを持った言い方が気になり、私は彼の言葉の続きを待つ。しかし、オスカーはそれっきり何も言わなかった。
やがて曲は終わりを迎え、フロアは沈黙した。たくさんの招待客がひしめき合うようにダンスをしていた割には、結局誰とも衝突することもなく、またオスカーの足を踏みつけてやることもできないまま踊りきってしまった。
「――ダンス、お上手じゃないですか。僕もさまになっていたでしょう?」
「さあどうかしらね。あなたのエスコートがお上手だったのは、あくまで曲との相性がよかったからではなくって?」
彼の言い方がいちいち癪にさわるので、私も皮肉で返してやった。
正直な感想として、彼はダンスに長けている。おそらく、今まで私が相手をしてもらった男性の中では一番上手だ。隙あらばと攻撃してやったのに絶対に足を踏ませない上、私が体勢を崩した時のフォローも完璧で文句なし。
だから、なおさら悔しい。これは想定外だ。
すると、オスカーは口の端をキュッと上げた。
「では、もう一曲お相手していただけますか?」
「なんで私が――」
そうは言うものの、ここで断ったら、私の方が負けを認めた感じになってしまう。それは私のプライドが許さない。
「――これで最後にさせてもらいますから」
だが、こんな無用なプライドは捨てるべきだったと私は心底後悔することになる。
まさか、私が帰ると音を上げるまで、彼がダンスを申し込み続けてくるとは思わなかった。
誰か察して助けてよ!
他の男性がダンスを申し込んでくれれば、そこでパートナーを代えられるのに。誰からも声をかけてもらえないどころか、男性は視線を逸らすし、気づけば私たちの周囲にだけギャラリーが増えているしで散々な目に遭った。
なんか拍手をたくさんもらったけど、全然嬉しくないし……
ヘトヘトになるまで付き合わされ、最終的にはオスカーに馬車まで送ってもらうことになってしまった。計算外だ。
「お疲れ様でした。今夜はゆっくり休んでください」
「一体誰のせいで疲れていると思っていらして? 私、他の殿方ともダンスをしたかったのに」
こんなことでお見合いの機会を逃すことになるなんて誰が想像できようか。小さく膨れて不満をぶつけると、オスカーはどういうわけかしてやったりといった顔をする。
「おや。しかし、どなたからも申し込まれなかったではないですか」
「あ、あなたねぇっ! あんたがあれだけ完璧にエスコートしていたら、誰も私にダンスを申し込もうだなんて考えなくなるわ!」
ついに淑女の皮を完全に脱ぎ捨てて言ってやれば、オスカーは愉快そうに笑った。
「やっと僕のダンスを認める気になったんですね」
「…………」
この時の私はどんな顔をしていただろう。口をあんぐりと開いて、呆然としていたかもしれない。およそ令嬢がすべき顔ではなかったと思う。
そしてその台詞で、私は一つの推測をする。
「ひょ、ひょっとして、あなた、そんな理由で私を拘束していたんじゃ……」
ダンスの腕前を認めさせるためだけにそこまでするなんて、普通の人の行動じゃない。そんなにダンスの上手さを見せつけたいのなら、私以外と踊ってもよかったのではなかろうか。
それに、パーティー会場を出るようにと忠告したりダンスの邪魔をしたりと、意味不明な言動についても文句を言いたい。
「さあ、どうでしょうね」
おどけて見せると、オスカーはゴットフリード家の馬車まで連れて行ってくれた。こういうエスコートも手慣れていて、非の打ち所がない。もしも彼の正体が平民であるのなら、相当な訓練を積んだはずだ。
腹の立つ言い方さえしなければ、文字通り文句はないんだけど。
「またどこかでお会いしましょう」
馬車に乗り込む私に爽やかな調子で声をかけてくるので、私は彼を冷たく見下ろした。
「次に見かけたとしても、絶対に近づいたりしませんから、どうぞお構いなく」
御者に扉を閉めてもらうと、ようやく眼鏡の青年の顔は見えなくなった。
やれやれ。とんだ災難だったわ……
初対面の人間にあんなにしつこくされるとは思わなかった。私もたいがい意地っ張りな性格だという自覚はあるけど、彼は彼で相当だろう。
まったく、こういうのはもう間に合っているんだけど。
心の中で悪態をついた時、ふと、今日のような付きまといをかつて経験していたことを思い出した。しつこく粘着されて辟易したのはいつのことだっただろうか。
あれ? でも、社交界デビューをしてからの話じゃないような……?
ひとつひとつ丁寧に記憶をさかのぼってみるが、該当する事象に思い至らない。ぼやっとした感覚があるだけで、明確には思い出せないのだ。
妙なこともあるものね。
疲れのせいで錯覚でもしたのだろう――そう結論づけて、私は今日のパーティーのことは忘れてしまおうと決意したのだった。
* * *
パーティーの翌日もさらにその翌日も、熱心にお見合い相手の肖像画と睨めっこしていたが、一向に進展はない。憂鬱さが増すだけで、ついに頭痛まで感じ始めた。
ああ、せめて、パーティーで新しい縁ができていればっ!
「あ!」
落胆する私の隣で、リズが急に叫んだ。
そしてポンッと両手を叩いたかと思うと、きょとんとする私としっかり目を合わせる。次いでにっこりと微笑んだ。
「困った時は神頼みです。神殿へ良縁を頼みに行きませんか。一緒にお祓いもしてもらえば、安心できますでしょう?」
リズの提案に、私はふむと小さく唸る。
シズトリィ王国の宗教は多神教だ。諸外国は一神教が主流なので、だいぶ文化が異なっていると聞いているが、外国に嫁ぐつもりのない私は特に興味がない。
この国の宗教は土地に根ざしたものであり、地域によって祀っている神さまが違う。
王都で有名なのは縁結びの神さまの神殿だ。しかし神さま同士は仲がよいと言われているので、ある神さまの土地に他の地方の神さまの分殿があるなんてことも普通である。なお、ゴットフリード伯爵領では豊穣の神さまをお祀りしているからか、おかげさまで毎年豊作。収入は安定している。
「わたしが昔お世話になっていた孤児院を覚えていらっしゃいますか? 運営していたのは隣の神殿なのですが、あそこには良縁を結ぶ神さまがいらっしゃるのです。そちらを訪ねてみてはいかがでしょう。わたしもこうしてレネレットさまとの縁を結んでいただきましたし、ご利益はあると思いますよ」
名案だとはしゃぐリズを横目に、私は冷静に検討する。
孤児院で生活していたリズは、慈善活動で神殿を訪れた父と出会ったそうだ。その時に住み込みで働かないかと持ちかけられたことがきっかけで、ゴットフリードの屋敷にやって来たのである。当時私は十歳を迎えたばかりで、周囲はちょうど私と年の近い専属使用人を探していた。以来、喧嘩ひとつすることなく、これまでの七年間を仲良く暮らしているのだから、よほど相性がよかったのだろう。
そう言われると、一応行っておいても損はないか……
「そうね。行ってみましょうか」
私が頷くと、リズはますます嬉しそうに笑った。
「では、予定を調整いたします!」
飛び跳ねるようなさまは小柄で童顔な容姿に似合っているが、十九歳であることを思うと、もう少し落ち着いた振る舞いをしてほしいものだ。
ま、そういうところも嫌いじゃないけどね。
リズが喜んだのは、久しぶりに里帰りできるからという面もあるのだろうと、しばらくしてから気づいた。それならはしゃぐのは仕方がない。
神頼みにどこまで効果があるかはわからないけれど、多少の気分転換くらいにはなるかしらね。
その後彼女が張り切って予定を組んでくれたおかげで、神殿を訪ねる日は来週すぐに決まったのだった。
当日の天気は快晴。周囲は春らしく爽やかな空気に包まれている。
馬車を降りた私の前には、王都に滞在する時に使う屋敷より、少々控えめな大きさの建物があった。外観は古めかしく無骨な印象だが、壁に施されたレリーフは手が込んでおり、芸術作品のようだ。新緑の間から覗く屋根には縁結びの神さまのシンボルが飾られていて、ここが神殿であることを周囲に示している。
この神殿はゴットフリード家と縁の深い施設だ。父が爵位を受け継いでからずっと、金銭的な支援をしているのだと聞いている。だけど私はこの神殿についての情報があまりなく、建物も周囲の様子も初めて見るものばかりだ。
父はよくここに来ていたみたいだけど、私は初めてよね?
ああ、私がなかなか挨拶に来ないから、良縁の神さまがそっぽを向いてしまったのかしら。
それは充分にありえそうだ。ここはきっちりご挨拶を済ませ、損ねてしまった神さまの機嫌をどうにか直そうと私は意気込む。
最初に出会ったシスターに今日の訪問の目的を話すと、「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」と、建物の中へ通された。
へえ……なかなか素敵な場所ね。もっと早く訪ねるべきだったわ。
空気が澄んでいる。心身ともに浄化されそうな雰囲気だ。
建物内部の装飾が、シックで細やかなデザインなのも好ましい。派手ではないのに目を引きつけられる華やかさがあるのが素敵だ。
私の屋敷がいかにも贅沢を絵に描いたといったような感じなので、この神殿は対照的だと思った。
やがて祭壇に案内される。私はシスターに促され、神殿の作法に則った祈りを捧げた。
――ご挨拶が遅くなり申し訳ありませんでした。これからはこまめに顔を見せに参ります。何とぞ良縁をお恵みください。
祈ったところで必ず良縁に出会えるとは思っていないが、ここに通うこと自体は悪くないように感じた。気分転換にはちょうどよさそうな場所だ。
祈りを捧げたのち、私はゆっくり顔を上げる。
「え?」
びっくりして、思わず声が出た。目の前に人がいたからだ。
ひざまずく私の前に眼鏡をかけた黒髪の青年が立っていた。
この人、見覚えがあるような……
神父のものらしい黒の衣装に身を包む彼はにこやかに微笑んでいる。その唇が動いた。
「――良縁を希望されますか?」
室内に響く声はとても聞き取りやすい。そして、どこか聞き覚えのある声だ。
引っかかるものを感じながら、私は静かに頷いた。
「ええ。この神殿には良縁の神さまがいらっしゃると伺ったものですから」
彼の姿に、ふっと別の誰かの面影が重なって見える。
この人は……?
一気に動悸が激しくなる。頭痛がして、嫌な汗も流れ出した。脳が何かを思い出すのを拒否しているような、そんな感じだ。
あ、この前のパーティーで会った……確か、オスカーって占い師で……?
だんだんと記憶がはっきりしてくる。目の前の黒髪の青年が、先日のパーティーで私にしつこく付きまとってきた人物であるのは確信した。サラサラで艶のある黒髪も、眼鏡の奥に秘めた宝石のような緑色の瞳も、色白でなかなか整っている顔立ちも、私は間近で延々と見続けるハメになったのだから。
でも、この身体の反応は、きっとそれだけじゃないんだわ。
理性が警告していても、好奇心は抑えられない。私は彼と対峙しながら必死に過去の記憶をたどる。
必ずどこかに接点があったはずよ。思い出して!
黒髪の占い師――もとい、青年神父オスカーは意地悪そうに口の端を持ち上げた。その表情にはやはり覚えがある。
「それは残念ですね。あなたに相応しい伴侶となる方はこの世にはいないでしょう。結婚をしてもあなたが不幸になるだけです」
蔑むような顔と、その声色に、私は目を見開いた。
そうよ、この男は!
記憶の扉が大きく開かれる。次々と蘇ってきたのはこの世界とは違う、別の文明に根ざした知識のかけらたち。ここよりも文明が発展した世界だったり、あるいは今よりも厳しい世界だったりと、まるで自分で見てきたかのような光景が泉のごとく湧き出し、イメージとして頭に浮かぶ。
――そうだ、私はこの世界に転生してきたんだ……!
前世の記憶と現在の記憶が結びついた時、私は素早くオスカーから距離を取っていた。
こいつだ。こいつが前世までの私の恋路の邪魔をし、結婚から遠ざけてきた張本人だ!
「冗談じゃないわ! 何が〝私の伴侶になる相手はいない〟よ! あんたが毎回私の結婚を邪魔してきたんじゃない! 私、今度こそ必ず結婚するわよ!」
高らかに叫び、自分の胸を叩いて宣言する。
すると、オスカーは不敵に笑んだ。
「ああ、記憶、戻っちゃいましたか」
「いったい私になんの恨みがあるわけ!? 毎度、毎度毎度、毎度毎度毎度毎度毎度っ! 私の結婚をめちゃくちゃにしてくれたでしょっ! 私、この世界では絶対に誰かと結ばれてやるんだからねっ!」
彼の顔をまっすぐに指差し、はっきり告げる。
私は全部思い出した。今の私が数度目の転生の末の姿であることを。
そして、目の前の男によって幾度となく結婚を邪魔され続けていることを! 町娘の時は幼馴染だった彼に縁談を壊され、一国の姫君の時は使用人だった彼に騙され、ことごとく結婚を潰されてきたのだ!
「なんの恨み……さあ、なんでしょうね」
オスカーは一瞬表情を曇らせるが、再び笑った。
「しかし、前世までの記憶が戻ったのであれば、結婚せずとも幸せな人生を送れることも、あなたはよくご存知のはず。これまでの転生の経験を活かせば、あなたは巨万の富を築き、あらゆる人が羨む幸福な人生を歩むことができます。それのどこに不満があるのですか?」
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となると、この私はいわゆるチートという状態に違いないわね。
オスカーの指摘通り、蘇った前世までの知識をこの世界で成り上がるために使うことも可能だ。数ある前世では知識を利用して栄華を極めたこともある。けれどそんなのは面白くない。なんだかズルイ感じがして、気が引けるのだ。私は正々堂々、公正でありたい。
――いや、待てよ。
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私はオスカーを鼻で笑う。思いついた計画に心が踊った。
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