【完結】村を救うために身を差し出したはずなのに、肝心のαが手を出してきません

窪野

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第2章 ラジナ城砦

11話

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◇ ◇ ◇
 

『ラジナ城砦』とは、ここ一帯の領地全てを指す言葉だ。

 一番外側の石壁から、一番奥の城まで、その広さは、砦としてはシュリスいちと言われている。
 壁の内側には北方の大河からの川が引かれ、畑や家畜の放牧場が広がっている。ひとたび戦となれば年単位での籠城戦も可能だ。

 一番外側の壁は、高さ三メートルほど。崩されたとしてもすぐに修繕ができるような高さだ。
 二番目の城壁は、高さ十メートルほど。居住区などを守る盾となるのだから、本格的な高さが必要となる。
 そして三番目の城壁、城をぐるりと囲む盾壁は、高さ二十メートル。丘の上に位置しているため、その威圧感たるや、遠目から見ても戦意を削がれる巨大さである。

 その壁が守護するのが、ここ、ラジナ城である。三百年ほど前、シュリスの戦神と恐れられた猛将、ラジナ=ラヴァドが建造した城だ。
 王都のような荘厳な城と異なり、廊下にわざわざカーペットなど敷かれてはいないし、高級な調度品が置かれているわけでもない。
 華美なシャンデリアもなく、なんとも実用的で無骨な城だ。

 だがその中でも、やたら豪奢な一角がある。
 主寝室や客間を要する、城の二階部分だ。今は、なぜか中央貴族の一派であるダオン=カロンの有するフロアとなっており、彼の趣味らしき猫脚の椅子や、革張りのソファ。伝統織物のカーテン、果ては壁紙まで取り寄せて貼り替えている。
 王都からわざわざ料理人や楽師まで連れてきたらしい。
 このまま行くと、彼を讃える詩人まで、王都から到着しそうである。



 楽師の奏でる竪琴の音が、石の廊下にポロンポロロンと漏れ、一階の軍議室にまで響いてきた。
 大隊長から訓練の報告を受けていたカイは、耳に入ってきた軽やかな音色に、軽く眉根を寄せる。
 音色に罪はない。しかしこちらは重要な話の真っ最中だ。
 軍隊の編成、訓練の見直し、徴兵と退役の人数バランス。畑と家畜の生産量と、この城砦の分配量。加工、貯蔵のスピード。南にある城下町カフィアとの連携。等々。やるべき事、決めるべき事が山積みの中、朝な夕なに、竪琴だの歌声だのが聴こえてくると、さすがに辟易へきえきとしてくる。
 大隊長たちはもはや慣れているのか、諦めているのか。無反応のまま報告を終え、退室して行った。

 室内に一人になったカイは、眉間を軽く指で揉む。
 ラジナへ来てからの二週間、きちんと休息を取れた日はない。カイのこの二週間のスケジュールを聞いたら、どんな体力自慢でも顔を青褪あおざめさせるだろう。
 カイは大隊長たちから受け取った報告書の束を机上で揃え、立ち上がった。
 その瞬間、景色が一瞬くらりと霞んだ。咄嗟に靴裏に力を込めて倒れる事は防いだものの、どうにも動きに精彩せいさいを欠いている。連日の睡眠不足がたたっているのだという自覚はあった。
(……一度仮眠を取るか)
 眠気は全く感じないが、この状態で働いたところで効率は悪くなるばかりだろう。

 仮眠室は三階にある。指揮官部屋の隣室だ。
 会議室を出て、三階まで行こうと、メインホールの階段を昇りかけたところで、カイの頭上から声が掛かった。
「おや! おーやおやおや。カイ殿下ではございませんか!」
 道化じみた声色に、カイは顔を上げる。拳一つありそうな宝石をブローチにして襟元につけ、これが目に入らぬかというほど胸を張ったダオンの姿がそこにあった。
 カイは口の端を持ち上げる。
「ダオン。息災なようだな」
「ええ、ええ、お陰様で」
 顔を合わせるのは実に一週間ぶりだ。
 この男を馬の後ろに乗せてラジナに戻った際、この、体力のない貴族は声も出ぬほど疲弊し、そのまま付き人たちに担がれて行ってしまった。
 とはいえ、ここ数日は、ダオンお抱えの楽師による演奏も聞こえていたので、どうやら回復したようだというのは察していた。

 ダオンは、足元を確かめるように一段一段ゆっくりと降りてくる。
「しかしまぁ、驚きましたなぁ」
「驚いたとは?」
「おやおや! とぼけてらっしゃる! かの英雄、戦場の黒き獅子、常勝無敗のカイ殿下が、よりにもよって……」
 笑いを堪えきれない、とばかりにダオンは肩を震わせた。
「くく……、オメガ狩りの命令を下されるとは。いやぁ、驚いた驚いた!」

 カイの表情は何も変わらない。どれだけ煽られようとも動じぬ姿は、大木を思わせる。
 ダオンは、カイを間近で見下ろせる数段上の位置から、思いきり揶揄やゆの笑みを浮かべた。
「殿下も二十五歳。このままでは婚期を逃しそうだと焦られましたかなぁ?」
「……生憎あいにくと、結婚に興味はなくてな」
「ほほー! 王族でアルファで英雄で、これだけ好条件にも関わらず未婚とは。もしや人間性に問題があるのでは?」
「さあ。それを判断するのは俺ではない」
 ダオンは、淡々としか返さないカイに小さく舌打ちをする。そしてふん、と鼻を鳴らした。
「ま、ご命令書の通り、オメガは一匹捕獲できましたからね。私のその功績は評価してほしいものですな」

 一匹捕獲、という言葉に、それまで動かなかったカイの瞼がぴくりと動き、僅かに細められる。
 ようやく反応らしい反応が返ってきたことに気を良くしたのか、ダオンはぺらぺらと言葉を口から垂れ流し続けた。
「いかにも貧乏くさそうな農村でしたが、あのオメガ、見た目だけは中々でしたからな。我ながら当たりを引いたと思いますぞ。殿下の夜伽よとぎ相手にはうってつけでしょう」
「ダオン……」
「しかし、いかにも気が強そうなのがいけませんな。まったく、オメガはオメガらしく、しおらしくしていれば良いものを。ま。ああいう生意気なオメガの鼻っ柱を折ってやるのも一興いっきょう。いかがです? 拷問器具であればこの城にもたんまり……」
「ダオン」
 僅かに強められた語気に、ダオンが返事をしようとした。その瞬きの刹那。数段下にいたはずのカイが、ダオンの目の前に移動していた。
「へ」
 頭では理解できる。カイの脚の長さであれば、この数段を一足で昇れるだろう。だがそれにしても、普通は脚を上げる動作や、身体を持ち上げる動作があるはずだ。
 ダオンが目を瞬かせた、ほんの一瞬で、カイはダオンと同じ段まで昇り、鋭くダオンを見下ろしたまま、片手で、巨大なブローチがついた襟元に触れた。

 その速さを感じ取る事すらできず、突然目の前に猛獣が現れたような恐怖に「ひっ」と、ダオンは背を凍らせる。
 まさか襟首を掴んで投げ飛ばすつもりか、と、ダオンは身を縮こませた。
 戦場で獅子と恐れられたカイの威圧感は、彼の身長を何倍にも見せ、対峙する全ての戦意を削がせる。逃げ出そうにも、ダオンの足は竦み、ただただ、急所である首に近い位置に添えられたカイの手が、今にも自分をくびり殺しやしないかという恐怖に怯える。

 しかし予想に反して、カイは丁寧な手つきでダオンの襟元を軽く引っ張って整えた。
「——……襟が少し曲がっていたぞ」

 何度か襟元を軽く叩くカイの目は、全く笑っていない。これ以上失言を重ねればどうなるか、さすがのダオンでも分からないはずがない。
「へ、……へへ……、あ、ありがたく存じます……」
 ダオンは引き攣った笑みをへらへらと浮かべ、カイの手の力が緩んだと分かるや否や、一段、二段、と、後退りしながら階段をあがり、そのまま全速力で二階へ駆け上がって行った。
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