【完結】村を救うために身を差し出したはずなのに、肝心のαが手を出してきません

窪野

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第4章 ファレンの花

29話

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 ヴェルが居た堪れない気持ちを抱えたまま、所在なく納屋の整理をし、館へ戻ると、ちょうど食事が終わったところらしい、ダイニングから出てきたカイと、玄関ホールで鉢合わせてしまった。
 ぎくり、と肩を強張らせながら、ヴェルは「相変わらず食べるの早いな」と軽口を叩いてみせる。何せカイは一口が大きいので、リウが用意した食事をあっという間に平らげてしまう。
 王宮でのフルコースと違い、気を使わなくてよい館の食事のほうが、カイの本来の咀嚼そしゃくスピードなのだろう。
 カイは「ああ。美味かった」と答えながら、ふと、ヴェルに問う。
「あまりじっくり聞く暇もなかったが。館で不自由していることはないか?」
「不自由? いや。特には……」
 ない、と言い掛けて、ヴェルは眉をひそめた。
「——……いや、一つだけ」
「何だ」
 ヴェルはカイを窺うようにして言った。
「あのさ。さすがに俺が主寝室使うの、そろそろやめたいんだけど……」
「なぜだ」
「なぜって。当たり前だろ。あんたと俺で使う部屋が逆なんだよ」
「前にも言ったが俺は一階の方が出入りが楽だ」
 それはきっと本当なのだろう。しかし、理由はそれだけではないはずだ、と既にヴェルは分かっていた。
「あんたさ。俺に気を遣いすぎだよ」
「それは……」
 王子であり、館の主人が一番良い部屋を使わないでどうするのか、とヴェルは軽く嘆息した。
「立場考えた方がいいよ」
「立場を考えるからこそ、だと思うが……」
「示しがつかないって言ってるんだよ。この館に言いふらす人はいないだろうけど、もし噂にでもなればあんたの権威に傷がつく」
 カイは、そんなところまで考えてくれていたのか、と、言わんばかりに、意外そうに目を瞬かせた。
「そんなものを気にしていたのか」
「そんなものじゃないだろ」
 咄嗟に即答してしまう。
 少なからず軍を経験した身としては、「上に立つ者の権威」がどれだけ戦場で必要不可欠か身に染みてわかっている。
 上になればなるほど上等な軍服を着て、たくさんの階級章をじゃらじゃらと身に纏うのは、そうした権威付けが必要だからだ。
 ヴェルの真っ直ぐな答えに、カイはきょとんとしたが、すぐに気が抜けたような苦笑を漏らした。
「……それを気にしているのであれば話してもいいか」
 怪訝そうに眉を寄せたヴェルに、カイは「立ち話もなんだ」と応接間を指差した。

 夜の応接間を、シャンデリアの灯りが照らす。ソファの、沈み込むようなクッション地に腰掛けたカイを横目に、ヴェルも一人掛け用のソファに座った。
 カイは背もたれに背を預け「どこから話したものか」と、僅かに天井を見やった。
「権威、名誉……。そんなもの、とっくに傷だらけだ」
 その言葉に、ヴェルは無意識に「はい?」と聴き返してしまう。先の大戦の英雄。カリスマ性に溢れ、兵からの人望も厚い王子。
 そう。ヴェルは「敵側」として、それをよく知っていた。
 シュリスには恐ろしい将がいる。第三王子カイ=シュリスレア。——当時はまだ二十二歳だったはずだ。それなのに、国境大戦も、その前に起きていた南方戦争でも、負けなしだったと言われている。
 ついた仇名は、常勝無敗の黒獅子。
 将でありながら最前線に出ることも厭わず、自ら槍を振るい、少数で多数を撃破することまであったとか。黒獅子が出没する戦場では、兵の士気が尋常ではなく高かったそうだ。
 戦場でヴェルは何度もその噂を耳にしていた。敵にまで名が知れていたような存在に、名誉がない、とはどういうことなのか。

 こちらの正体を言えない以上、シュリス人を装ったことしか言えないが、ヴェルは無難に「だってあんた、英雄だろ?」と問う。すると、カイは軽く腕を組んで淡々と話した。
「戦場ではそう呼ばれたかもしれないが、王宮での俺は鼻つまみものだったからな。ある事ない事を吹聴ふいちょうされるのはいつものことだった」
「……そうなのか?」
「ああ。例のオメガ狩りも、俺の名をおとしめるために仕組まれたものだろう」
 シャンデリアの灯りが、カイの高い鼻梁を照らし、頬に濃い影を落とさせる。
「お前がここへ連れて来られたのは俺のせいということだ。俺がもっと王都でうまく立ち回っていれば、お前も、あの村も、平和に今を過ごせていたはずだ。……再建用の金をあの村に渡したいのだが、俺の名義で出せばそれも揚げ足を取られる。お前も早く帰してやりたいが。それもままならない状態だ」
 カイは「……すまない」と沈痛そうな声で謝罪をした。

 なぜ王子にも関わらず、付き人がたったの三人なのか。
 なぜ、西方国境警備軍という、王都から最も遠い城砦にいるのか。
 数々の違和感と疑問が、ヴェルの中でようやく繋がった。

「あんた、そんなに恨まれてるの?」
「恨まれている、というよりは疎まれているという方が正しい。俺は部下に恵まれていたし、運が良かったから、戦場においては負けたことがない。どうやらそのせいで、俺は兵に人気があるらしい」
 らしい、じゃなくて、あるんだよ。とヴェルは喉元まで出かかった言葉を飲み込む。それには気付かず、カイは淡々と続けた。
「そして、兵に人気がある俺は非常に厄介だった。……俺は、王になる気などさらさらなかったのだが、俺を王にさせようとする一派ができてしまってな。兄を擁立ようりつする貴族にとって邪魔でしかなかった。そして、兄たちにとっても……」
 カイは僅かに俯いた。
 実の家族に疎まれ、捏造された悪評を立てられ続けたカイの三年間を思うと、ヴェルの胸がずきりと痛んだ。
 そんな中でも決して腐らず、自分の果たすべき仕事をしているのだろう。その姿が余計、周りの貴族たちにとって鬱陶しく感じたに違いない。

「あんた、今も嫌がらせ受けてるのか?」
「こちらにいるのはせいぜいダオンくらいだから、そこまで酷いものは受けていない。王都の噂や悪評はここまで届いていないから、兵たちもよく動いてくれるしな。まあ、ダオンも恐らく俺の監視役だろうが」
「監視役?」
「ああ。カロン家は、俺の兄……第一王子を擁立する一派だ。俺に不審な動きがあればすぐ王都に伝わる」
 だから、カイはヴェルに、何も知らないフリをして起きた出来事に従っておけ、と言ったのか。反抗する意思はないのだと、監視役であるダオンに——ひいては、兄派の者たちに見せるため。

 村が襲われた日。カイは村人たちに向かって「俺を恨め」と言った。全ての責任は自分にあるのだと。

 ヴェルは思わず吐き捨てるように「ひどいな」と言った。その怒りを滲ませた声に、カイが目を瞬かせる。
「ひどい、とは?」
「ひどいだろ! だってあんた、やってもないことを『やりました』って言わされてんだろ? そんなのひどい。最低だ」
 カイの切れ長の目がきょとんと丸くなる。その仕草は少し幼い。そして、思わずといった様子で「最低か」とぽつりと零した。
「そうだよ。最低。あんたは王になる気がないんだろ? なら、相手が勝手にあんたにビビってるだけだ」
 カイは目をぱちりと瞬かせた。
「……どうしてお前がそこまで怒るんだ?」
「どうしてって、だって、そりゃ……」

 なぜだろうか。当然と言わんばかりに理不尽なことを説明するカイを見ていると、会ったこともない貴族連中への怒りがふつふつと湧いてしまったのだ。
 そんな理不尽を当然だと受け入れないでほしい。
 怒りや憎悪を感じて良いはずなのに。なぜカイはこんなにも淡々と話すのか。
「逆に、あんたは腹立たしくないのか?」
「腹立たしい、という感情は特にない。……いや、あったのかもしれないが、もう諦めた」
「はあ?」
 カイは「仕方ないだろう」と、どこか疲労を滲ませた溜め息を吐く。
「こんなことは俺が幼い頃からずっとあった。一々怒る時間がもったいない」
「環境に慣らされすぎだろ!」
 ヴェルの言葉に、いささかむっとした様子でカイは言い返した。
「それを言うならお前もだろう。完全にこの館の人間になってる」
「それは良い方の慣れだろ。あんたのは悪い方の慣れ! まあ、理解できなくはないけど……」
 人間、抵抗をしても無駄だと悟れば無気力になる。環境に慣れてしまうと逃げ出す気がなくなっていく。それは自分自身痛いほど分かっていることだ。それでも、と、ヴェルは俯く。
「それでも、やっぱり嫌だよ。悪くない人が周りから『悪い』って思われるのは……」
 軽んじられ。周りに誤解され。怒りを感じることすら諦めてしまったというのなら、それは悲しいと思った。
 自分が言えた義理ではないし、部外者が何を言っているのか、という冷静な気持ちはあるものの、それでも、カイは「自分をもっと大切にしろ」と言ってきたのだ。その本人が、本人自身を大切にしていないなど、矛盾しているではないか。
 カイは眉根を寄せていたが、ややあって嘆息した。それは先ほどの諦めたような吐息ではなく、どこか呆れを滲ませた温かみのあるものだった。
「お前はやはり変わっている。だが、そうだな……。お前が俺の代わりに怒ってくれたのは、なぜだか嬉しい」
 ヴェルは思わず「え?」と顔を上げる。カイは気が抜けたような笑みを零した。
「兄たちへの対抗や抵抗など、感じなくなって久しいが……。お前の怒っている姿を見ていると確かに、理不尽かも、と思わなくもない」
「かも、じゃなくて理不尽だろ」
「はは。お前のそういう所が……」
 言い掛けて、穏やかに微笑んでいたカイの顔がぴしりと固まる。
 そして、油をさしていない歯車のようにぎぎ、と上がった口角が下がった。妙な汗をにじませながら、挙動不審気味に視線を外す。
「——……いや、何でもない」
「え、何? 怖いんだけど」
「本当に何でもない」
「そう? ならいいけど……。とにかく、あんたは理不尽にもっと怒っていいし、主寝室だって使っていい」
 カイが「寝室は……」と言い掛けたので、ヴェルは牽制けんせいする。
「客用でいいなんて言うなよ? せめて次帰ってきてからは主寝室使ってくれ。俺も落ち着かないし、リウたちにも申し訳ない」
 カイは「だが……」と反論しようとしたが、ヴェルは話を終わらせるように立ち上がった。
「何なら今夜から使ってよ。俺はどこででも寝られるし。あ、シーツ干してないから俺が朝起きたまんまだけど。取り替えれば……」
「駄目だ! 今夜は絶対に客用の寝室で寝る」
 打てば響くような早さでそう言われ、ヴェルは気圧されたように「お、おう」と相槌を打つ。
 いつもの淡々とした口調はどこへ行ってしまったのか。妙に焦った様子のカイに、ヴェルは首を傾げた。
「じゃ……じゃあ、次帰ってきた時からな。悪かったよ、疲れてるのに色々説明してもらっちゃって」
「いや。お前の気にすることではない」
 一秒、二秒、と沈黙が落ち、ヴェルは気を取り直したように微笑んだ。
「じゃ、おやすみ。仕事頑張って」
「……ああ」
 カイの視線がまた泳ぎ、ふい、とヴェルから外された。急にどうしてしまったのだろうか。と思いつつも、ヴェルは応接間を出た。
 やはり失礼だっただろうか。
「まあ、王子様相手の、口の利き方じゃなかったよな……」
 反省しつつ、ヴェルはリウの待つキッチンへと向かった。



 カイは、一人残された応接間で、詰めていた息をはぁ、と深く吐いた。
「……あいつは分かって言っているのか……?」
 否。分かっていないだろう。
 ヴェルが朝まで寝ていたベッドをそのまま使う、など。想像しただけでカイは居た堪れなさに俯いてしまう。
 思わず顔を片手で覆った。
「さすがに言えん……」
 最初は庭の花の香りかと思った。だが、どうにも違った。ヴェルが近づくたび、花のような、えも言われぬかぐわしい匂いがする。

 アルファとオメガは、つがい同士になると相手の匂いが遠くからでも分かるようになるといわれている。
 それはまるで香水のように鼻をくすぐり、相手が自分の唯一無二なのだと、身体が互いに示し合うのだそうだ。
 だが、あくまでもつがいになった場合の話だ。つがいになる前にはそういった現象は発生しない。
 しないはずだが、たった一つの例外がある。
 それは「運命のつがい」と呼ばれるものだ。運命に導かれ合った二人は、つがいになる前から相手の匂いが分かってしまうのだと言う。

 とはいえ、この「運命」とやらも詳しくは解明はされていない。
 神話。伝説。おとぎ話。様々な噂話に尾ひれがつき、何やら大層な「運命」という名をかんしただけだ。
『好みの人を運命だと思いたいがために、鼻が錯覚を起こしているだけ』という説もある。
 カイは肺に溜まった空気を全て押し出すほど、重苦しい溜め息を吐いた。
 この十年ほど、ノアに散々言われてきた「どんな人が好み?」の答え合わせが、まさかこんな形でされてしまうとは思わなかった。
「いや……。まだそうと決まったわけでは……」
 しかし、どうしてもヴェルからは良い匂いがするのだ。
 そんなヴェルの使っていた寝具にそのまま寝転がったが最後、自分でも自分がどうなるのか分かったものではない。
「まだ決まったわけでは……」
 呟く声が小さくなってしまう。

 最低だ、と怒るヴェルの姿が眩しかった。
 仕事頑張って、と気遣うヴェルの声が心地よかった。

 どうしても、ヴェルのことを考えると胸が温まったり、今までに感じたことのない落ち着かなさを覚えたりしてしまう。
 話していると安心するし、強張った顔が緩んでしまう。

「……そういう、所が」

 その先の言葉を言う資格は、自分にはない。

 王宮で立ち回ることも疎外され、とうとう理不尽さに抗うことすら諦めてしまった。
 反旗を翻したいわけではない。そんな事をしたら貴族同士の対立を生み、内乱状態になるだろう。
 内乱など起きてしまえば、これ幸いにとザディオスから戦争を仕掛けられる可能性が高い。平和を守るには、自分一人が耐えればいい話だ。無抵抗を示すこと——ただそれだけが、平和の道なのだと。

 だが、その無抵抗のせいでヴェルはここへ連れて来られた。理不尽にも、村の家屋が焼かれたのだ。

 カイは無言のまま軽く瞼を伏せた。
 生まれて初めて「好み」というものを自覚したものの。自覚した瞬間に失恋をしたようなものだ。
 せめて、ヴェルをできるだけ早く村に帰してやろう。
 それだけが、自分にできるたった一つの罪滅ぼしだ。
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