【完結】村を救うために身を差し出したはずなのに、肝心のαが手を出してきません

窪野

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第4章 ファレンの花

最終話※

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 ユジム=ラヴァドとその執事であるゴーシェは、王都へ移送されることになった。王都で裁判に掛けられるのだそうだ。
 移送にはノアが立ち会うことになった。
 出立前に、ノアはヴェルを見下ろしながら言った。
「また暫く留守にするけど、ヴェルがここに残ってくれて良かったよ。何か心境の変化でも?」
「変化というか、えっと……」
 言い淀んだヴェルに、ノアは突然ピンと来た様子で顔を輝かせる。
「え? え? も、もしかして……!」
「まあ、……」
「えーっ!? いつ? 今朝? 本当に?」
「その」
「ああ、何でこんなタイミングで移送の立ち合いなんだ……! ひどいよ!」
 本気で悔しがりながら「帰ってきたら詳しく聞かせて」と、ノアは言い残して出て行った。嵐のような賑やかさが去り、ヴェルはほっと一息吐いた。

 告白の後、カイは後処理のためにまた城へ出かけて行ってしまった。シグもそれに付き添い、館にはまた、ヴェルとリウの二人が残される。
 ノアの絶叫が聞こえたらしい。ダイニングに入ると、食事の片付けをしていたリウがどこかそわそわとヴェルを一瞥し、むずむずと口元を緩ませるが、すぐに引き締める。
 問いただしたくて仕方ないという様子に、ヴェルは居た堪れなさを感じた。
「……なに? リウ」
「ふへっ!? いえいえ! まだ僕何も言ってないですよ! ただ、これだけはお伝えしておきます……!」
 リウはこほん、と咳払いを一つした。
「戦争が終わってからの三年間、僕は殿下と共に王都にいました。曲がりなりにも殿下は英雄なわけですから、見合いもたくさん組まれました」
「まあ、そうだろうな」
「以前言った通り、殿下は全てお断りをしました。下心から見合いに臨むオメガも多かったですし、お家の都合で見合いをさせられるオメガもいましたし……、でも殿下があの方たちを断り続けたのは、ご自身のいざこざに、あの方たちを巻き込むのを避けたんだと思います」
 リウの言葉に、ヴェルは少し眉を上げた。確かにそれはありそうだ。
 あの堅物の王子様は周りから疎まれている。それをよく自覚していた。
 リウは続ける。
「それほどまでに殿下は周りを優先される方なんです。……そんな殿下が……そんな……っ」
 リウの唇がまたむずむずと動き、とうとう堪えられない、とばかりに満面の笑みが浮かんだ。
「そんな殿下が! 自分の意思と都合を優先するほど、想われる方ができたとは! 僕はもう感無量ですよ。ヴェル様!」
 リウはヴェルの両手をがっしりと握った。
「殿下のこと、よろしくお願いいたします!」
 勢いに押されつつ、ヴェルは「い、いや、まだうなじ噛まれたわけでも何でもないから……!」とかろうじて返した。

 そう。告白をされた。それを受け入れた。
 そこから先。と考えると、ヴェルの思考はぐるぐると止まってしまうのだった。
 何せ、恋人がいたこともなければ、そもそも恋愛をするつもりもなく生きてきたのだ。
 拷問ならば容易に想像がつくのに、愛する人とどう過ごすのか、は想像の範疇外だった。

 顔を赤らめたまま俯いてしまったヴェルに、リウは「ヴェル様、本当に今までよく無事でしたね……」とこぼした。
 そして気を取り直したよう言う。
「殿下は今晩も帰ってくるそうですし、とりあえずお二人で過ごしていただくのが一番ですよ」
「はあ……」
「殿下のことなので、生真面目を発揮して『まずは手を繋ぐところから』とか言い出しかねないですし」
 リウの言葉に納得しつつも、果たしてそれで良いのか、と思わなくもない。
 戸惑った様子のヴェルに、リウは温かく微笑んだ。
「お二人の存在って、奇跡的ですね」
「え?」
「だってヴェル様も、殿下も、ずっと死と隣り合わせだったんですよ? ……そんな二人が巡り合って一緒になれるって。凄いことですよ」
「いや。でも奇跡は言いすぎだろ」
 リウは、ふふ、と嬉しそうに笑った。
「じゃあ、運命のつがいっぽく、魔法みたい。ってことにしておきますか」
「魔法も言いすぎだろ……」
 だが実際、本来であればつがいにならなければ分からないはずのカイの匂いが分かってしまう。
 ましてや、カイが毒で死にかけた際、魔力を吸い取ることのできる自分がたまたまその場にいた。確かに慣れたものではあったが、魔導士以外に使ったことのない力だ。それも補助の魔導具もなしに成功させられた。そんな偶然は、それこそ天文学的な確率だろう。
 だが、それを今ここでリウに言ったら、小一時間は離してくれなさそうなので、ヴェルはそっと胸にしまっておいた。



 リウの張り切りたるや凄まじく。カイが館に戻ってくるなり、テキパキと食事を用意しあっという間に風呂へ誘導した。
「準備完了です。ヴェル様! 寝室には一応、お茶とお酒とチェスとパズルと、他にもいくつか用意しておきましたので。お好きにお過ごしくださいね!」
 リウに背中をぐいぐい押され、ヴェルは主寝室の扉をくぐる。
「チェスは分かるけど、パズル?」
「お二人がイチャイチャとパズル組み立ててたらシュールで面白いかなって」
「面白さを求めるなよ!」
 まあまあ、とリウはヴェルを宥め、そのまま「それではごゆっくり!」と、扉を閉めてしまった。

 数日ぶりの主寝室だ。先日ヴェルが片付け、掃除をしたそのままの姿である。

 ヴェルは所在なく佇んでいたが、窓際のテーブルに近寄る。リウが言った通り、酒瓶やらチェスボードやらが置かれていた。
 手持無沙汰に、酒の銘柄を見ていたヴェルだったが、カタン、という物音で振り返る。ちょうどシャワーを浴び終えたらしいカイが、こちらを見て目を瞬かせていた。
「お、お疲れ……」
「あ。ああ」
 ぎこちなく挨拶を交わすことに、何とも言えない気恥ずかしさが出てしまう。
 すると、カイは髪を拭きながらヴェルに近寄り、懐かしむように笑った。
「……あの時も、お前はそこから俺を見上げてきたな」
 あの時、と言われてヴェルはすぐに理解する。初めてこの部屋で出会った時のことを指しているのだ。
「はは……。あの時は酷いことされるもんだと思ってたよ」
「怖がらせてすまない」
「あんたが謝ることじゃないだろ。結局手ぇ出されなかったし」
「そうだな」
 そんな言葉を交わしながら、ヴェルは手に持っていた酒瓶をテーブルに置き、じっとカイを見つめた。
 いつも上げている褐色の髪が濡れ、下りている。湯を浴びた直後のせいか、僅かに上気したカイの顔は、どことなく緊張しているようだった。
 緊張をしているのはヴェルも同じだ。
 あの時とは、状況があまりにも違う。自分たち二人がこの部屋にいる意味が、180度違うのだ。
 ヴェルは、ごくり、と唾を飲み込むと、意を決して問う。
「今は?」
「何?」
「今は……。手、出すの?」
 問われて、カイの頬に僅かな朱が滲む。
「だから、アルファ相手にそういうことを軽々しく言うな」
「アルファに言うわけじゃない。あんたにだから言ってる」
 ヴェルの言葉に、カイは驚いたように息を浅く飲んだ。そして、真剣な表情でヴェルを見つめ返した。
「お前は、俺でいいのか」
 生真面目すぎるその質問に、ヴェルは笑った。
「いいよ。あんたがいい」
 カイは手を伸ばし、まるで壊れ物でも扱うかのようにそっと触れる。
 ラヴァドの館でユジムに触られたのとは全く違う。あの時は他人の体温が気持ち悪くて不快で仕方なかったのに、今、触れてくるカイの厚い掌は、じんわりと温かく、心地よい。

 カイに促されるように顔を持ち上げる。
 どうやら、手を繋ぐだけでは終わらなさそうだ。と、思いながら、ヴェルはそっと目を閉じた。
 唇が重ねられ、触れるだけのキスが繰り返される。
 やがて、カイの舌がゆっくりと、唇のあわいを割って入ってきた。
 カイの舌が上顎をなぞり、ぞくぞくとした快感が背を走る。
「っ、……!」
 深く貪られるごとに身体が小さく跳ねる。まだどこも触られていないのに、内腿が汗ばむのを感じた。
「っ、ん、……ンん、く……」
 息継ぎが上手くできず、苦しさにヴェルはカイの胸を押す。しかしカイはその手を掴み、軽々とヴェルの腰を抱くと、傍らのベッドへと押し倒した。
「んぅっ!? ~~~~ッ!」
 シーツに沈み込み、角度を変えながら、舌を軽く噛むようにして吸われた。ようやく唇が解放され、酸素が一気に肺に流れ込んでくる。
「っ、はぁ、苦し……ッ」
「すまない。加減ができなかった……」
 馬鹿正直な謝罪にヴェルは苦笑した。
 さすが、敵の拠点に丸腰で単身突撃してくるだけのことはある。
「あんた、冷静そうなのに結構周り見えなくなる所あるよな」
「ああ。お前に関しては理性が効きにくい」
 さらりととんでもないことを言われてしまい、ヴェルは「……それはどうも」と小さく答えた。



 ゆるく奥を突かれ、抑えようとした声が上がってしまう。
「ひ、ぁッああっ……!」
「っ、痛くないか……?」
「も、もぉっ……それ、何度聞くんだよッ……っふ、あぅ、……~~ッ!」
 痛くはないが、内側を満たす圧迫感が凄まじい。いいところをぎゅうと圧迫されたまま揺さぶられるせいで、ひっきりなしに腹の奥から脳まで快感が運ばれてくる。
 限界を迎えたカイの屹立が最奥で熱が弾けるのを感じ、ヴェルも前で果てる。
「ん、ッんん、……ッぅ、……」
 肩で息を繰り返していると、カイがヴェルの汗ばむ首筋に口付けた。
「……次のヒートは来月か」
「へ? ……あ、ああ。そうだけど……」
 カイはヴェルの匂い立つような肌に、軽く歯を押し当てた。
「早く噛みたい」
 掠れた声で乞われ、快感の余韻が抜けないヴェルの首から背中にかけて、ぞくぞくとした快感が走った。
 噛まれたいのだと、本能が叫んでいる。あんなにも忌むべきものだったヒートを待ち望むなど、にわかには信じがたい。
 それでも今のヴェルにとって、目の前のアルファに噛まれたい、早くつがいになりたいという欲求には抗えない。
「俺も……、早く噛んでほしい」
 小さく呟かれたヴェルの言葉に、カイはもう一度強くヴェルを抱きしめた。

 体温が心地よい。
 匂いが心地よい。
 声が心地よい。
 この男の全てが心地よい。その安心感と疲労感に身を任せながら、ヴェルはゆっくりと目を閉じた。



 沈んだ意識の先。
 夢の中に恩師が出てきた。
 かつて二人で暮らした小さな家のダイニングで、恩師はヴェルに微笑みかけた。
『出会った時。ヴェルは小さくて細くて。栄養失調と寒さで死にかけていたね』
 ヴェルは反射的に、恩師に「ごめんなさい」と謝る。
「先生は俺を助けてくれたのに。俺のせいで先生は……」
『ヴェル』
 言葉を遮るようにして、恩師は言った。
『ヴェルを助けたことも、ヴェルと暮らしたことも。一度だって後悔したことはないよ』
 恩師は続ける。
『ヴェルにはもう分かってるんじゃないかな。たとえ自分の命を賭してでも、何かを守りたいという気持ちが』
 ヴェルの手に、そっと恩師の手が重なった。
『君が生きていることで助けられた命もあるはずだよ。……どうかそれを忘れないで』

 目の端に涙が滲み、視界がぼやける。
 先生の姿が霞んだように薄れていき、やがて手のぬくもりだけが残った。

「——……先生。ありがとう」

 ああ。十年ぶりだ。十年ぶりに、謝罪ではなく、感謝の言葉を恩師に言うことができた。
 そっと瞼を伏せれば、涙が雫になって頬を伝い落ちた。



 倦怠感の中、ぱちり、と目を覚ます。夜明け前の部屋はまだ薄暗いが、目の前の男の顔は見える。
 何度見ても彫刻のような目鼻立ちだ。初めてこの部屋で出会った時も、美しさに見惚れてしまったが、あの時はまさか、こんな形でこのアルファと結ばれるとは思わなかった。

 夢の中でかけられた、恩師の言葉を思い出す。
『君が生きていることで助けられた命もあるはず』

 ああ、そう思ってもいいのか。
 この愛しい男の命を助けることができたのだと。
 死なせずに済んだのだと。

 食い入るようにカイを見つめていると、目の前のくっきりとした眉根が僅かに寄せられた。そしてゆっくりと、瞼が持ち上げられ、赤みがかった瞳が現れる。
「——……そんなに見られると落ち着かないんだが」
 ヴェルは「ごめん」と苦笑した。カイはヴェルの目の端に指先を押し当てる。涙の跡を軽くなぞりながら、掠れた声で訊ねた。
「何を泣いている」
 カイの厚い掌に自分の手を重ねながら、ヴェルは微笑んだ。
「あんたが死なずに済んで良かった、って思って……」
 するとカイは虚を突かれたような顔をする。そして眩しげに目を細めた。
「俺の死を願う言葉は数えきれないほど聞いてきたが。その逆は珍しい。……こんなにも嬉しいものなのか」
 カイはヴェルを抱き締め、目頭に口付ける。
「俺も同じ気持ちだ。お前が生きていて良かった。今まで死なずに、こうして生き延びてくれて、感謝する」
「……っ!」
 胸の奥がぎゅう、と締め付けられた。罪悪感の苦しみに悶えながら、それでも、生き延びてきたことは無意味ではなかった。

「うん、……ありがとう」

 ヴェルは震える声でそう言うと、カイの広い背中を抱き返した。
 目を閉じ、カイの胸に額を押し当てながら、ヴェルは規則正しい鼓動に耳を澄ませた。

 夜が明ければ、また二人で池を見に行こう。
 ファレンの花を並んで見よう。
 そんな他愛ないことでさえ、決して当たり前ではないのだと。奇跡のような一瞬なのだと。二人にはよくわかっているから。


本編完
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