竜の末裔と生贄の花嫁

砂月美乃

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25・雨やどり 後

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 翌日、2人はいつかと同じ、あの見晴らしの良い崖に来ていた。ヴィルフリートはあの時の話をちゃんと覚えていてくれて、手には敷き布と、お茶の入った籠があった。

「どうぞ、ヴィルフリート様」
「ああ、ありがとう」

 アメリアが差し出すカップをヴィルフリートは笑顔で受け取ってくれる。ただ、いつもと違うのはそのまま黙り込んでしまうことだ。
 昨夜も今朝も、なんとなくぎこちない、必要最低限の会話しかしない二人だった。それなのになぜ、ヴィルフリートはここへ来ようと誘ったのだろう? アメリアがそれに頷いたのは、ここでならば思い切って打ち明けられるかも、と思ったからだ。あの日、初めて普通に話が出来た場所だから。

 アメリアも自分の紅茶を淹れ、ポットを置いた。ほんの何日か経っただけで、眼下に広がる景色はいっそう鮮やかになり、ところどころに明るい色の草花が群生している。空も青く、いかにも春らしい陽気だった。

「……だいぶ暖かくなったな」
「……はい」

 ぽつりと言葉を交わしても、また沈黙が訪れる。このままではいけないと焦るアメリアに、高い鳥のさえずりが聞こえた。

 ―――雲雀ひばりだ。これもヴィルフリート様に教えてもらったのだった……。

 アメリアは思い切って、正面からヴィルフリートに話しかけた。


「ヴィルフリート様」

 ヴィルフリートは黙ってアメリアを見る。その金色の瞳は穏やかだが、何の感情も映してはいない。

「昨日のことをお詫びします。二度も勝手に戻ったりして、無作法をいたしました」
「……そんなことは、気にしてもいない。アメリア、もし―――」
「恥ずかしかったのです。だってあの時、ヴィルフリート様は……」

 ヴィルフリートの言いかけた先を押しとどめるように、アメリアは続けてしまった。今のうちに伝えないと、言えなくなってしまいそうに思ったから。

「ああ……悪かった。つい……」

 ヴィルフリートが頷き、アメリアは頬を染めて俯いた。だが、まだ言わなくてはならないことは残っている。

「だが、アメリア。図書室で君は……」
「申し訳ございません。お約束したのに」
「……やはり、私が怖いか?」

 ヴィルフリートの声音に暗いものを感じ、アメリアは弾かれたように顔を上げた。やはり目の前の人は、ひどく辛そうな顔をしている。

「違います、ヴィルフリート様! 逆なんです」
「逆?」
「初め……お会いする前は本当に、どんな恐ろしい方かと不安でした。ですが、今はもう違います。ヴィルフリート様は……優しい方です」
「アメリア……」

 風が強くなって、アメリアの髪を揺らした。アメリアはカップを置いて、両手を膝できゅっと握り合わせる。

「ヴィルフリート様を知るほどに、どうしていいか分からなくなって……。惹かれていく自分に気付かなくて、怖かったのです」

 ヴィルフリートがびくりと身体を揺らした。まじろぎもせずにアメリアを見つめ、やがて口を開いた。

「嫌われたのかと、思っていた」
「いいえ、そんなことは……」

 身動ぎした拍子に手の中でカップが音をたて、彼はそんなものを持っていたのも忘れていたように傍らへ置いた。それからアメリアの両手を取って包み込む。

「嫌わないでくれ、と。せめてここに、傍にいてくれと。そう言おうかと思っていた」
「ヴィルフリート様……」

 あまりに一途な、真摯な瞳に、アメリアの胸が激しい音をたてる。だが昨日までと違って、アメリアはどう答えるべきか知っていた。

「ヴィルフリート様、好きです」


 言い終えないうちにもう、アメリアはヴィルフリートに抱きしめられていた。

「アメリア……アメリア」

 譫言のように何度も名を囁かれる。息も出来ないほどにきつく抱かれた胸から、彼の鼓動がどくどくと響いてくる。

「ヴィルフリートさま、くるし……」

 気が遠くなりそうな思いでやっと呟くと、やっと腕を緩め、膝に抱き上げられた。目が合って恥ずかしさに頬を染めたアメリアの髪を払い、ヴィルフリートが唇を寄せたその時。

「あ」

 雨粒が、アメリアの頬に当たった。どうやら天候が急変したらしく、空が暗い。風も強まっているようだ。これは一雨来る。ヴィルフリートにはすぐ分かった。

「アメリア、戻ろう」

 だが、話に気を取られ、恐らく気付くのが遅かったのだろう。カップを片付け、敷布をまとめている間にも、早くも大粒の雨が落ちてきてしまった。敷布をアメリアに被せ、ヴィルフリートは手を引いて木立のなかへ駆け出した。



 あっという間に土砂降りになった。ヴィルフリートはアメリアをかばいながら、大きな木の下まで連れて行った。ここならいくらかは雨をしのげる。

「アメリア、大丈夫か」

 足元に籠を置き、ヴィルフリートはアメリアに被せた敷布を上げる。濡れた布を纏ったままでは、ドレスまでとおってしまうだろう。

「はい、大丈夫です」

 濡れて貼りついた髪を払いながら、アメリアは気丈に微笑んだ。だが、ここでは雨は防げても風は防げない。薄い絹のドレスのアメリアは、見るからに寒そうだ。ヴィルフリートは自分の上着を脱いでアメリアに羽織らせた。

「そんな、ヴィルフリート様が風邪を引いてしまいます」
「大丈夫だ。―――竜は丈夫らしくてね、私は今まで熱など出したことがないんだ」
「でも……」

 アメリアはしきりに遠慮したが、風が吹き抜けた瞬間、ぶるっと震えた。

「ほら、そのままにしていなさい」

 そう言って、アメリアを抱き寄せた。


 ヴィルフリートは王都でみた騎士たちのような、隆々とした身体ではない。すらりとして一見細身にさえ見える。だが、抱き寄せる腕の力は強く、頬を寄せた胸は固かった。上着を脱いでしまったので、絹のシャツごしに感じられる肌が温かかった。それでもアメリアはどうしていいか分からず、抱き寄せられたまま、ヴィルフリートの腕の中で身を固くしていた。

 ヴィルフリートがアメリアを抱えなおしたとき、アメリアは彼の腕に何かあるのに気がついた。見ると、シャツの袖の下に、腕輪のようなものが透けている。

「ヴィルフリート様、これ……?」

 袖の中、しかも二の腕という不自然な位置なので、アメリアは思わず顔を上げてしまった。するとヴィルフリートは黙ったまま、アメリアを痛いほどに見つめている。

「―――これが、私の『特徴しるし』だ」
「……!」

 アメリアの身体を離し、ヴィルフリートはシャツの袖を捲り上げた。アメリアが何も言えずに見ていると、袖の下からは幅の広い金の腕輪が現れた。

「見るがいい、私のつがい。これが私の、竜の末裔たる証」

 そう言って、ヴィルフリートはかちりと留め金を外した。アメリアに見えるように、少し腕を上げてみせる。

 薄暗い森の中で、乳白色の鱗が淡く輝いていた。
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