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バイト先で、見つけられたくなかった顔
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グラスの水滴が指先を濡らす。
「お待たせしました、アイスコーヒーです」
陸は涼しげな声でトレイを持ち、笑顔を貼りつけるようにして常連客のテーブルに飲み物を置いた。制服のシャツは袖をまくり、黒いエプロンの端にペンを差し込んでいる。前髪はヘアピンで軽く留められていて、ふだんよりもきっちりとした印象がある。
カフェ「灯」。落ち着いた木目調の内装に、ジャズが静かに流れる午後の店内。陸の勤務時間は、夕方から夜のピークにかけて。慣れた手つきで注文を取り、キッチンと客席を行き来する姿は、まるで別人のようだった。
「ねぇ陸くん、今日も安定の塩対応ありがと~」
「そっちはタバスコ一瓶出しとけば黙るって、店長が言ってましたよ」
「ひっどー!」
言いながら笑う常連客の女性に、陸は軽く頭を下げてカウンターへ戻る。無駄な動きがなく、声も通る。愛想よくというより、プロ意識で組み立てられた“仕事用の自分”だった。
そんなタイミングで、入口のベルが鳴った。
顔を上げた瞬間、背筋が固まる。
見慣れた顔が、すっとドアをくぐってきた。
「……なんで」
小さく口の中でつぶやくが、声にならなかった。
桐谷蓮が、ラフなパーカーにキャップを被った姿で店に現れた。まるで近所のコンビニにでも行くような気軽な雰囲気だったが、その顔はマスクも帽子も意味をなさないほど整っていて、入店と同時に視線を集めていた。
蓮はこちらに気づき、笑って軽く手を上げた。
「よっ」
陸はすかさず奥へ引っ込もうとするが、店長の志村が後ろから肩を叩いてきた。
「はいはい、接客してらっしゃいな~。あんたの“美形彼氏”が来てくれたんだから」
「違いますって」
声が一オクターブ上ずった。
「ほんとに?」
「ほんとに」
半ば押し出されるようにして、陸はカウンターへ戻った。
蓮は一番奥の席に腰を下ろし、メニューを開くふりをしてこちらを見ていた。その視線が妙に落ち着いていて、逆に陸の方が動揺してしまう。
「……何飲むんだよ」
「じゃあ、真田くんが選んで」
「適当すぎだろ」
注文を取り、コーヒーを淹れて持っていくと、蓮は静かにカップを受け取った。
そのまましばらく、何も言わずにコーヒーを飲みながら、じっとカウンターの方を見ていた。
嫌でも意識する。カップを拭く手が止まりそうになる。蓮の視線が、まるで日常とは違う“何か”を見透かしているように思えて、落ち着かない。
仕事モードの自分。誰にも見せない、作られた顔。努力で積み上げたもの。
それを、蓮にだけは見られたくなかった。
これが俺の“頑張ってる顔”だから。
バイトが終わると、店の外には夜風が吹いていた。春先特有の冷たさを含んだ風が、シャツの襟を揺らす。
「おつかれさま」
蓮が待っていた。店の前の街灯の下に立ち、スマホをいじるでもなく、ただこちらを見ていた。
「……なんで来てたんだよ」
陸の問いに、蓮は微笑んだ。
「見たかったから。真田くんの、仕事モード」
「なんだよ、それ」
「今日の陸、すごくかっこよかったよ」
その一言に、心臓が跳ねた。
思わず顔を逸らす。
「……そういうの、やめろ」
「なんで?」
「……調子、狂うだろ」
その言葉に、蓮は少しだけ目を細めた。
優しい眼差しだった。人を見透かすような視線ではなく、ただ、こちらを静かに見守るような光。
「そういう顔も、俺は好きだけどね」
「……もう、黙ってろ」
耳まで真っ赤になっている自覚があった。風のせいではない。熱のせいでもない。
ただ、蓮の声と、目と、言葉が、自分の中の“平常”をすべて狂わせていく。
何も言い返せないまま、並んで歩く。
足元に落ちるふたりの影が、交差して、重なって、離れていく。
その距離が、今の関係そのもののようだった。どこか近いのに、まだ決定的な一歩が踏み出せない。
だけど——それでも、胸の奥で何かが、確実に変わってきている。
もう、見ないふりはできなかった。
見られたくなかった顔を、あいつにだけは、見せてもよかったのかもしれない。
そんなことを、ふと思った。
「お待たせしました、アイスコーヒーです」
陸は涼しげな声でトレイを持ち、笑顔を貼りつけるようにして常連客のテーブルに飲み物を置いた。制服のシャツは袖をまくり、黒いエプロンの端にペンを差し込んでいる。前髪はヘアピンで軽く留められていて、ふだんよりもきっちりとした印象がある。
カフェ「灯」。落ち着いた木目調の内装に、ジャズが静かに流れる午後の店内。陸の勤務時間は、夕方から夜のピークにかけて。慣れた手つきで注文を取り、キッチンと客席を行き来する姿は、まるで別人のようだった。
「ねぇ陸くん、今日も安定の塩対応ありがと~」
「そっちはタバスコ一瓶出しとけば黙るって、店長が言ってましたよ」
「ひっどー!」
言いながら笑う常連客の女性に、陸は軽く頭を下げてカウンターへ戻る。無駄な動きがなく、声も通る。愛想よくというより、プロ意識で組み立てられた“仕事用の自分”だった。
そんなタイミングで、入口のベルが鳴った。
顔を上げた瞬間、背筋が固まる。
見慣れた顔が、すっとドアをくぐってきた。
「……なんで」
小さく口の中でつぶやくが、声にならなかった。
桐谷蓮が、ラフなパーカーにキャップを被った姿で店に現れた。まるで近所のコンビニにでも行くような気軽な雰囲気だったが、その顔はマスクも帽子も意味をなさないほど整っていて、入店と同時に視線を集めていた。
蓮はこちらに気づき、笑って軽く手を上げた。
「よっ」
陸はすかさず奥へ引っ込もうとするが、店長の志村が後ろから肩を叩いてきた。
「はいはい、接客してらっしゃいな~。あんたの“美形彼氏”が来てくれたんだから」
「違いますって」
声が一オクターブ上ずった。
「ほんとに?」
「ほんとに」
半ば押し出されるようにして、陸はカウンターへ戻った。
蓮は一番奥の席に腰を下ろし、メニューを開くふりをしてこちらを見ていた。その視線が妙に落ち着いていて、逆に陸の方が動揺してしまう。
「……何飲むんだよ」
「じゃあ、真田くんが選んで」
「適当すぎだろ」
注文を取り、コーヒーを淹れて持っていくと、蓮は静かにカップを受け取った。
そのまましばらく、何も言わずにコーヒーを飲みながら、じっとカウンターの方を見ていた。
嫌でも意識する。カップを拭く手が止まりそうになる。蓮の視線が、まるで日常とは違う“何か”を見透かしているように思えて、落ち着かない。
仕事モードの自分。誰にも見せない、作られた顔。努力で積み上げたもの。
それを、蓮にだけは見られたくなかった。
これが俺の“頑張ってる顔”だから。
バイトが終わると、店の外には夜風が吹いていた。春先特有の冷たさを含んだ風が、シャツの襟を揺らす。
「おつかれさま」
蓮が待っていた。店の前の街灯の下に立ち、スマホをいじるでもなく、ただこちらを見ていた。
「……なんで来てたんだよ」
陸の問いに、蓮は微笑んだ。
「見たかったから。真田くんの、仕事モード」
「なんだよ、それ」
「今日の陸、すごくかっこよかったよ」
その一言に、心臓が跳ねた。
思わず顔を逸らす。
「……そういうの、やめろ」
「なんで?」
「……調子、狂うだろ」
その言葉に、蓮は少しだけ目を細めた。
優しい眼差しだった。人を見透かすような視線ではなく、ただ、こちらを静かに見守るような光。
「そういう顔も、俺は好きだけどね」
「……もう、黙ってろ」
耳まで真っ赤になっている自覚があった。風のせいではない。熱のせいでもない。
ただ、蓮の声と、目と、言葉が、自分の中の“平常”をすべて狂わせていく。
何も言い返せないまま、並んで歩く。
足元に落ちるふたりの影が、交差して、重なって、離れていく。
その距離が、今の関係そのもののようだった。どこか近いのに、まだ決定的な一歩が踏み出せない。
だけど——それでも、胸の奥で何かが、確実に変わってきている。
もう、見ないふりはできなかった。
見られたくなかった顔を、あいつにだけは、見せてもよかったのかもしれない。
そんなことを、ふと思った。
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