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二.十二年合戦
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自転車で役場まで疾走し、軽トラという名の公用車を駆って駅へ向かった。幸い、今日は天気がいい。
時間に余裕があるので、途中で風光明媚な多雨野の姿を写真に収め、インスタグラムにアップした。フォロワーたちがリツイートなどで拡散してくれるので、少しずつだが多雨野に興味をもってくれるひとが増えている。小さな一歩だが、町のためには何事も疎かにできぬ。よきフォロワーたちに感謝だ。
さて、宮内さんとはどのような女性であろうか。改札の前であれこれ想像するうちに電車が到着した。
降りてくる乗客はひとりしかいない。間違いなく宮内さんだ。
「あっ」私は息をのんだ。
すべてがスローモーションの様だった。無人駅の改札。木製の手すりと切符入れの小箱。白い指が切符をそっと小箱に落とす。やや角ばった眼鏡の奥からまっすぐ私に向けられる眼差し――ひと目で特別な存在だとわかった。
それは天使だった。
理屈ではない。比喩だとか比喩じゃないとかどうでもいい。この世に天使はひとりしかいない。宮内さんだけが天使だ。
「役場の方ですか? はじめまして、宮内と申します」
「は、はじめまして。葦原と申します」
黒い髪は肩にかかる寸前で切り揃えられている。山歩きに適したジーンズにスニーカーという出で立ち。深いエンジ色の眼鏡もすこぶる品がよい。
眼鏡万歳! 万歳眼鏡!
美人には眼鏡が似合う。彼女こそ才色兼備の代名詞だ。
「あら」
天使が首を傾げた。
「もしかして、多雨野にUターンすると仰っていた方では?」
「え?」
「おなじ電車に乗っていた者です」
「ああ、あの」
驚くあまりつい指をさしてしまい、慌ててひっこめた。言われてみればたしかに白いセーターの彼女だ。眼鏡と服装が違うだけでこれほど印象が違うとは驚きだ。
「いやあ、驚きました。すごい偶然ですね」
「実は年に何度かQ市で研究会があるので、この地方に来ることは多いんです。あのときもそうだったんですが……でも、いきなりのお願いでご迷惑じゃなかったですか」
「迷惑なんて言葉はこの世から消えてなくなりました」
眼鏡の天使は口元を隠してふふっと笑った。
「ありがとうございます。ほんとうに助かります」
二十歳ちょっとにみえるが、大学院を卒業して助手になったのなら少し年上なのだろう。
「多雨野はフィールドワークの対象としてとても魅力的なんですよ」
軽トラの助手席で説明してくれる宮内さんも素敵だ。
なんでも民俗学ではフィールドワークという作業が重要なのだそうだ。文献等を調査したうえで現地を歩き、自分で見聞きして検証するらしい。
「だから天気がいいと、とてもありがたいんです。神様が歓迎してくれたのでしょうか? それとも葦原さんが竜にお願いしてくれました?」
以前のやり取りを覚えていてくれたことが嬉しく、思わず笑みが浮かんだ。同時に、やはり「パンティおくれ」というギャグは口にできないと改めて思った。口にしたとたん、穢れた私は天使のオーラで浄化されてしまうだろう。
宮内さんはこの町のことを実によく調べていた。小さな祠や伝承のある沼や岩などをつぎつぎと諳んじ、私を驚かせた。
「葦原さんは、遠野物語という本をご存知ですか」
「ええ。一応は」
そうですか、とにっこり笑う宮内さんもまた素敵だ。
時間に余裕があるので、途中で風光明媚な多雨野の姿を写真に収め、インスタグラムにアップした。フォロワーたちがリツイートなどで拡散してくれるので、少しずつだが多雨野に興味をもってくれるひとが増えている。小さな一歩だが、町のためには何事も疎かにできぬ。よきフォロワーたちに感謝だ。
さて、宮内さんとはどのような女性であろうか。改札の前であれこれ想像するうちに電車が到着した。
降りてくる乗客はひとりしかいない。間違いなく宮内さんだ。
「あっ」私は息をのんだ。
すべてがスローモーションの様だった。無人駅の改札。木製の手すりと切符入れの小箱。白い指が切符をそっと小箱に落とす。やや角ばった眼鏡の奥からまっすぐ私に向けられる眼差し――ひと目で特別な存在だとわかった。
それは天使だった。
理屈ではない。比喩だとか比喩じゃないとかどうでもいい。この世に天使はひとりしかいない。宮内さんだけが天使だ。
「役場の方ですか? はじめまして、宮内と申します」
「は、はじめまして。葦原と申します」
黒い髪は肩にかかる寸前で切り揃えられている。山歩きに適したジーンズにスニーカーという出で立ち。深いエンジ色の眼鏡もすこぶる品がよい。
眼鏡万歳! 万歳眼鏡!
美人には眼鏡が似合う。彼女こそ才色兼備の代名詞だ。
「あら」
天使が首を傾げた。
「もしかして、多雨野にUターンすると仰っていた方では?」
「え?」
「おなじ電車に乗っていた者です」
「ああ、あの」
驚くあまりつい指をさしてしまい、慌ててひっこめた。言われてみればたしかに白いセーターの彼女だ。眼鏡と服装が違うだけでこれほど印象が違うとは驚きだ。
「いやあ、驚きました。すごい偶然ですね」
「実は年に何度かQ市で研究会があるので、この地方に来ることは多いんです。あのときもそうだったんですが……でも、いきなりのお願いでご迷惑じゃなかったですか」
「迷惑なんて言葉はこの世から消えてなくなりました」
眼鏡の天使は口元を隠してふふっと笑った。
「ありがとうございます。ほんとうに助かります」
二十歳ちょっとにみえるが、大学院を卒業して助手になったのなら少し年上なのだろう。
「多雨野はフィールドワークの対象としてとても魅力的なんですよ」
軽トラの助手席で説明してくれる宮内さんも素敵だ。
なんでも民俗学ではフィールドワークという作業が重要なのだそうだ。文献等を調査したうえで現地を歩き、自分で見聞きして検証するらしい。
「だから天気がいいと、とてもありがたいんです。神様が歓迎してくれたのでしょうか? それとも葦原さんが竜にお願いしてくれました?」
以前のやり取りを覚えていてくれたことが嬉しく、思わず笑みが浮かんだ。同時に、やはり「パンティおくれ」というギャグは口にできないと改めて思った。口にしたとたん、穢れた私は天使のオーラで浄化されてしまうだろう。
宮内さんはこの町のことを実によく調べていた。小さな祠や伝承のある沼や岩などをつぎつぎと諳んじ、私を驚かせた。
「葦原さんは、遠野物語という本をご存知ですか」
「ええ。一応は」
そうですか、とにっこり笑う宮内さんもまた素敵だ。
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