異形の郷に降る雨は

雨尾志嵐

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一.我帰郷す

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 職場の入り口で足をとめ、もう一度身だしなみをチェックする。
 新しい職場での自己紹介には、ちょっとした配慮が必要だ。
 謙虚――その二文字を言葉と態度で示さねばならない。
 この町出身で、都会の大学を卒業してから地元へUターンするようなナイスガイはこれまで皆無だった。加えて私の放つオーラはちょっとやそっとで隠せるような代物ではない。故に諸先輩方から、
「いやー、大卒の葦原くんには敵わないなあ」
「さっすが、インテリジェンスぅ」
「眩しい、眩しすぎる」
 などと賞賛されまくることは明らかだ。だが、思い違いをしてもらっては困る。私は孤高の強者になどなりたくない。己が獅子であるとしても、怯える草食動物にそっと手を差し伸べる存在でありたい。ベジタリアンで友好的なライオンさんだ。
 とにかく自己紹介ではフレンドリーな空気を醸しださねばならない。扉を開けてひとつ咳払いすると、全員の目が私に向けられた。
「はーい。おひさっす、今日からお世話になります、みなさんご存知の芦原瑞海でーす。葦原さんちの瑞海クンが帰ってきましたよー」
 おいおい、みんなついてきていないじゃないか。すべて見知った顔だが、誰も彼もキョトンとしている。やはり最終兵器でみなのハートを鷲掴みにするしかないようだ。
「では、あいさつ代わりに自己紹介を兼ねたダンスをば」
 両手を大きく広げウェイブ、腰はキレキレ、靴底でビートを刻みながら、
「あ、葦原ぁーみっずうっみクンで――」
「うっさいわ。いらん、いらん」
 町長が白髪頭を掻きながらめんどうくさそうに自己紹介ダンスを遮った。
「ええ? でもここからのオタ芸をとりいれた振付が秀逸なんですよ」
「自己紹介なんぞ要るか! みんな知っとるわ、嫌っちゅうぐらいな」
 二週間練りこんで仕上げた完成度だというのに。瞬殺かっ。いや、たしかにみんな知った顔だが。
「いいから、こっちこい」
 町長に促されるまま進むと、パーテーションで区切られた一角に連れてこられた。そこには先輩職員が二名座っていた。
「おーう。悪ガキが帰ってきたかあ」
 ニヤニヤ笑う厳つい四十代が久慈さんだ。
 むかしは久慈さん家の柿を無断で採りまくり、みつかってはこっぴどく怒られたものだ。
「ご無沙汰っす。悪ガキは勘弁してくださいよ」
「悪ガキは悪ガキよ。うちはよくガラス割られたからね、あんたらに」
 紺の手甲を直しながらチラリとこちらをみただけで、またキーボード打ちに没頭するのが南部さんである。歳は久慈さんより二つか三つ上で、この世代の女性にしては大柄だ。いまの私とおなじぐらいの背丈だろう。子どもの頃に空き地で三角ベースをやって、よく南部さん家のガラスを割った。すると家から南部さんが飛びだし、棍棒を振りあげて私たちを追っかけ回した。南部さんが憤怒の形相で幼くもあどけない私たちを追いかける姿は、まさに地獄絵図であった。もう、超怖かった。鬼子母神さながらである。思い出しただけで寒気がする。
「英太はどうしてますか」南部さんのひとり息子である英太は三つ年下だ。むかしはよく遊んでやったものだ。
「家をでて、Q市で営業やってるよ」
「そっすか」
「多雨野に残っていたら、またガキ大将の悪さに付き合わされたかもなあ」
「人聞きが悪いなあ」
 ちなみに南部家ガラス破壊事件でも英太は犯人側であり、リアル鬼子母神に追い回された仲だ。ガラスを割った日の母親はスッゲー怖く、晩飯におかずをつけてもらえなかったらしい。フリカケすらなかったそうだ。あなおそろし。
「まったく、町はじまって以来の悪ガキだったわなあ」
 町長がずり落ちた眼鏡を直して肩をすくめた。思い起こせば物心着いた頃から町長はずっと町長だった気がする。むかしからよくずれる眼鏡だった。
「おめぇがしでかした悪さはもう伝説だな。多雨野史上で一番の有名人じゃないか」
「照れますね」
「褒めとらん」
 町長は眼鏡をずらして、まじまじと私の顔をみた。
「なんですか」
「いや、オヤジに似てきたと思ってな」私にだけ届く声でぼそりと呟くと町長はまた眼鏡をあげた。
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