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第3部1章
02 残る不安要素
しおりを挟むはあ……と、悩まし気に、大きなため息をついた殿下は、大きな手で顔を一掃し、その後、ぎりっと奥歯をかみしめた。
思い出させるつもりはなかったのだが、やはり、不安要素として残るそれが、どうしても頭の中をよぎってしまうのだ。
ヴァイス・クルーガー――改め、ヴァイス・ディオス。
彼は、クルーガー侯爵家の養子だったが、その正体は、帝国に滅ぼされた国、ゲベート聖王国の第一王子で、帝国に国の情報を売った狂った男。殿下には話していないが、私が転生者であることを見抜いたうえで、ストーカーし、私を自分のものにしようとした気味の悪い男だ。ただ気味が悪いだけなら、さほど、問題にならないのだが、彼が大魔導士であり、そのつかえる魔法は、この世のすべての魔法で、多くの手札を持っている。だからこそ、彼はとても危険であり、魔法に対する対抗策を持っていない帝国からしたら脅威なのだ。
最も恐ろしいのは、彼は、近々、冷戦状態にある、フルーガー王国と帝国の戦争を再開させようとしているということ。どうやって、というのは分からないのだが、彼は洗脳魔法も使えることから、いつでも戦争を再開できる立場にあるのは変わりない。
ただ、この間の戦いにより、殿下に深手を負わされたのでその回復も兼ね、今は息をひそめていると思われる。
(視線も感じないし、今のところは……だけど)
思い出すだけでも恐ろしく気味が悪い。内に秘めているものはどす黒いのに、何物にも染まっていないその純白が私の頭から離れてくれなかった。また会おうね、なんてとんでもない呪いの言葉を吐いて。
「帝国と、フルーガー王国が衝突するのはさけられないみたいだな。今のうちに、国力を強化し、武器や、魔法に対する対策も立てなければならない。はあ……本当に、困ったな」
「殿下……アイン、大丈夫。私がついているから」
「ロルベーア」
彼の手に触れる。震えてはいなかったが、怒りにその手に力を入れていたようで手のひらには爪の跡が残っていた。その手を優しく包み込んで、顔を上げた殿下と目を合わせる。
狙われた、人質となった私が何を言っているんだという話でもあるが、殿下をこれ以上不安にさせないためにも、私は強くあろうと思ったのだ。彼からの思いは何も心配していないし、疑っていない。私がピンチの時に彼はヒーローのように颯爽と現れてくれる。でも、それだけじゃダメなのだ。
まず、捕まらないこと。対処すること。
だからこそ、鍛えているし、自分の身の回りの防犯にも気を使っている。用心棒のゼイも、公爵家の騎士団に混ざって剣の腕を磨き始めているし、何もしていないわけじゃない。
それでも不安が残るのは、それほどヴァイスの存在が脅威だからだろう。
(でも、魔法に対応できる護衛は欲しいかもしれない)
自分のため、殿下が不安にならないため。そのためには、もっと強い護衛をつける必要があるのではないかと思った。もちろん、公爵家の騎士が弱いというわけではない。ただ、魔法に対する防御は0に等しい。ゼイのような竜人族でも、竜人族に有効な毒を使われたら元も子もない。だから――
「ロルベーアは強いな」
「別に強くありません。強くあろうとしているだけです。貴方が不安になると、私も不安ですし、いやだから」
「いい心がけだな。そうしてくれ」
フッと笑い、殿下は私の手を握り返した。骨ばった、男らしい手。その手で剣を握り、人を殺してきた。それでも、温かく、優しいとはいえないけれど、弱くて、強い手。私はこの手が好きだ、と自然と笑みがこぼれた。
「そうやって、笑っていてくれ。それが、俺にとって一番の薬だ」
「殿下も、笑っていてくださいね。眉間にしわが寄りすぎて、ずっと怖い顔になってますよ」
「仕方ない。考えるべきことが多いんだ。悩みが多い」
「悩みですか?」
「ああ……あの白い男の事、即位式、老害との関係、戦争…………ああ、あとは公女が寝るときに俺に抱き着いてくるから眠れない、とかか?」
「アイン!」
「ハハッ、すまない。だが、事実だ。公女は、俺から離れたくないって、自ら体を寄せ抱き着いてくる。俺じゃなければ、襲われていただろうな」
「殿下でも襲われていますが? というか、いつもそんな目で見てくるんですか? 最低です」
「愛しの人がそばにいるのに、抱きしめ返せないんだぞ? どれほど、苦痛か、公女には分からないだろうな」
「……抱きしめればいいじゃないですか」
「そのまま、抱きたくなる。抱きしめたら、愛おしさのあまり、下半身が爆発する」
「……」
真顔で言うから、冗談に聞こえない。
でも、一度や二度……数えるほどでもないくらいだし、彼は抑えてくれているのだろう。というか、抑えてくれていなければ、一緒に寝るのさえ危ない。それほど、私を愛してくれている、肉体的にも、精神的にも求めてくれているというのは嬉しくもある。いつだって、殿下の頭を支配しているのは自分なんだと、そう思うと優越感に浸れるのだ。
誰のものでもない、殿下は私のものなのだと。そんな、根拠ある自信がわいてくる。
まあ、それはいいとして、また爆発されたら困るわけで、少しは抑えてほしいとは思う。私はただ、彼の隣で安心して寝たいだけなのだから。
それからも私たちは他愛もない話を続けながら、殿下は申し訳ない程度に書類仕事を進めていったが、やはりというべきか、山のような書類は減らないし、減る気配もなかった。ためにためた、殿下が悪いのだが、書類仕事はやはり性分に合わないらしい。
「公女、何か話をしよう」
「今までもしていましたが? 無言でやった方が、書類仕事はかどるのではないでしょうか」
「そういうな。寂しいだろ」
「……それで? 何か?」
「……結婚式のドレスは決まったか?」
殿下は、視線はこちらに向けず、声だけ耳で拾い上げその手を動かす。
私は、深くソファに腰かけ、「ええ」と答えたうえで、この間リーリエや、他の使用人たちと確認したドレスを思い出していた。ウェディングドレスだから、白を――と思ったのだが、あの男のこともあって、選ぶのに時間がかかった。また、殿下の隣に立つにあたって、真っ白だと、殿下に目が持っていかれてしまうかもしれない、など並んだ時の見栄えも考える。まあ、結局純白のドレスには決まったのだが、小物や、当日の髪型など、いろいろ話し合っている最中だ。
「決まりましたよ」
「そうか。当日が楽しみだな」
「まだ、先の話です……が、私も楽しみにしていますよ。一生に一度しかないものですし、それに、私にとって夢みたいなものでしたから」
「夢か……ウェディングドレスを着ることがか?」
「……違います。結婚式……いえ、もっと言うと、好きな人と結ばれて結婚まですることです」
「ロマンティストだな。だが、公女の言っていることは分からないでもないぞ? 貴族は、その地位や、利益のために政略婚をすることが多いからな。恋愛婚など珍しい。といっても、俺たちの始まりは、政略的なものだったが」
「過去は過去ですよ。でも、だからこそ、ここまで来た……そう思うとなんだか、運命感じちゃいますよね」
私がそういうと、ぷっと殿下が噴出したので、何か変なことをいったかと思えば、彼は幸せそうな顔で、頬を赤らめて口を押えていた。抑えきれない、喜びがその隙間から漏れ出るように、殿下は笑っている。
「そうだな。運命……ハハッ、まったくだ」
「何がおかしいんですか」
「俺は、幸せ者だってことだ」
「よくわかりません。まあ、お互い、結婚式まで大人しくしていましょうね。結婚式後の初夜――初めて、避妊魔法が説かれるんですから」
「そうだな。ロルベーアとの子供は、さぞかわいいだろうな。名前も考えなければ」
「まだ、生まれもしていないし、性別だってどっちか分からないのに」
「どっちにしても可愛いだろう。ああ、楽しみだな」
と、殿下は夢を語るように言うと、確認し終えた書類を、ぺらりと置き、再び違う書類と向き合った。
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