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3 飲んだ後で
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「――佐藤さん、佐藤さん」
低い声が、困惑気味に俺の名前を呼んでいる。
覚えのない声だな……と考えると同時にバチッと覚醒した。
「あっ? あれっ?! すみません、俺寝てました?!」
垂れているだろうヨダレを高速で拭い、爆速で鳴りだした心臓を押さえる。
ヤバい、やらかした。初対面の相手、放置して寝た。
それも、我が社期待の星を相手に。これで機嫌を損ねて、ウチの部署に迷惑がかかるとか――。
一瞬でそこまで考えた俺は、朝霧さんを見上げて少し安堵した。
大丈夫、無表情だけどあんまり怒ってる感じはしない。
強面の割りに寛容なタイプかもしれない。
「少しウトウトされただけです。だけど、そろそろ帰りましょうか」
「そうですね……申し訳ないです」
少しウトウト、でこんなに空の皿が積み上がる事態にはなるまい。頬についたスーツのシワを撫でて、自分のふがいなさに半泣きだ。
良かった、相手が意中の女性じゃなくて。
「ありやとっしたー!」
店員の適当な言葉を聞き流して、手元に視線を落とす。お釣りは130円。朝霧さん……お前なかなかやるな。
ほぼ使い切った上司の金に機嫌を良くして店を出ると、秋口の風がみるみる熱を奪っていく。火照っていた頬も、そろそろ冷めている頃合いだろう。
思わず身を縮ませて、傍らの朝霧さんを見上げた。
「じゃあ、また。朝霧さんはどっちです?」
確か、立ち退きは1週間後だったはず。俺と同じ上成だと言っていたから、ここから歩きかタクシーか。ちなみに彼が上成にこだわるのは、練習用プールが上成にあるからだ。
「いえ、送りますよ」
思わぬセリフに、目を瞬いた。送る? 俺を?
「俺……もう酔ってないですよ」
「いえ、ついでに場所と周辺の地理を確認したいです」
ああ、そういうこと。別に拒否するいわれもない。朝霧さんがいれば、夜道で暴漢に襲われることはないだろうし。
「この店からだと、徒歩で20分くらいですね。ちょっと遠いけど大丈夫ですか? 本来なら次の駅で下りるんですけど、この店の位置だと中途半端で――」
頷く朝霧さんを見上げながら、良い機会だと今後のルームシェアについて話を詰めていく。
「――で、部屋は元々彼女が使ってたんですけど、今何もなかったと思うんで色々持ち込んでもらえたら。あ、朝霧さん結構食いますよね? 飯とかどうします?」
「自分で用意するので、寝場所と風呂トイレだけ貸してもらえれば」
ちらちらと俺の様子を気にしながら、朝霧さんはずっとそんな調子だ。なんとなく、こいつなら一緒に暮らしても気にならなさそうだと楽観的な思いが湧いてくる。親交を深めよ、なんて七瀬さんの言葉通りになって、少々腹はたつが。
「はは、朝霧さんも家賃払うんですから、もっと――」
言いかけた俺は、ガッチリ掴まれた左腕に驚いて、言葉を止めた。
腕というか脇と言うべきか、まるで介護されているような体勢に顔を顰めて男前を見上げる。
とりあえず、力の入った朝霧さんの手、俺の繊細な腕には結構痛いんですけど。
「……落ちますよ」
少々呆れた声音に足元を見やると、なんと右足が空中にある。いつの間にか、俺は側溝に身体半分はみ出していた。落ちますよ、じゃない! 落ちそうになる前に言ってくれ。
「うっ、すみません、暗くて……」
決して、酔っているわけではない。そのはず。俺はまだ大丈夫。
乾いた愛想笑いを浮かべると、ぐいと安全地帯まで引き寄せられた。すげえ力。
「それにしても朝霧さん、やっぱり鍛えてあるんですね。俺なんて片手で持ち上げられそうだ」
気まずさにおべっかを使ってみると、彼は小首を傾げた。
「……。佐藤さん、何キロですか」
「体重ですか? 5……60キロくらいだったかな」
「……」
ちょっとだけサバを読んだ。今結構飲み食いしたから、きっと四捨五入したら60キロに違いない。
だって、きっと高身長の朝霧さんに比べたら――ホラ見ろ、驚いた顔をする! どうせ、あんたに比べたら軽いんだろうよ! どうせ俺は四捨五入して170センチだよ!!
何事もなかったように口を噤んだところを見るに、もしかして本当に片手で持ち上げられる重量だったのかもしれない。
何となくいたたまれない気分で目を逸らしていた時、バララ、と音がした。
「うわ、雨?!」
大粒の雨は、派手な音をたてながら、見る間に本降りになってきた。
「ヤバい、朝霧さん傘とか持ってないですよね?!」
「そうですね……走りますか?」
「えっ? ……はい」
それは、俺に走れということだよな。だって朝霧さん俺の住所知らないもんな。
あのさ、今日は俺の家を諦めて、駅に戻ってくれていいんだけどな?!
帰ったら? という圧を込めてチラチラ見上げてみたけれど、完全スルーされている。
さっき側溝に嵌まりそうになった事で、俺は完全に介護が必要な人と認識されたらしい。
「俺……体力ないんですけど?!」
頬を伝うのは雨なのか涙なのか。
俺はひいひい言いながら自宅への遠い道のりを走り出したのだった。
低い声が、困惑気味に俺の名前を呼んでいる。
覚えのない声だな……と考えると同時にバチッと覚醒した。
「あっ? あれっ?! すみません、俺寝てました?!」
垂れているだろうヨダレを高速で拭い、爆速で鳴りだした心臓を押さえる。
ヤバい、やらかした。初対面の相手、放置して寝た。
それも、我が社期待の星を相手に。これで機嫌を損ねて、ウチの部署に迷惑がかかるとか――。
一瞬でそこまで考えた俺は、朝霧さんを見上げて少し安堵した。
大丈夫、無表情だけどあんまり怒ってる感じはしない。
強面の割りに寛容なタイプかもしれない。
「少しウトウトされただけです。だけど、そろそろ帰りましょうか」
「そうですね……申し訳ないです」
少しウトウト、でこんなに空の皿が積み上がる事態にはなるまい。頬についたスーツのシワを撫でて、自分のふがいなさに半泣きだ。
良かった、相手が意中の女性じゃなくて。
「ありやとっしたー!」
店員の適当な言葉を聞き流して、手元に視線を落とす。お釣りは130円。朝霧さん……お前なかなかやるな。
ほぼ使い切った上司の金に機嫌を良くして店を出ると、秋口の風がみるみる熱を奪っていく。火照っていた頬も、そろそろ冷めている頃合いだろう。
思わず身を縮ませて、傍らの朝霧さんを見上げた。
「じゃあ、また。朝霧さんはどっちです?」
確か、立ち退きは1週間後だったはず。俺と同じ上成だと言っていたから、ここから歩きかタクシーか。ちなみに彼が上成にこだわるのは、練習用プールが上成にあるからだ。
「いえ、送りますよ」
思わぬセリフに、目を瞬いた。送る? 俺を?
「俺……もう酔ってないですよ」
「いえ、ついでに場所と周辺の地理を確認したいです」
ああ、そういうこと。別に拒否するいわれもない。朝霧さんがいれば、夜道で暴漢に襲われることはないだろうし。
「この店からだと、徒歩で20分くらいですね。ちょっと遠いけど大丈夫ですか? 本来なら次の駅で下りるんですけど、この店の位置だと中途半端で――」
頷く朝霧さんを見上げながら、良い機会だと今後のルームシェアについて話を詰めていく。
「――で、部屋は元々彼女が使ってたんですけど、今何もなかったと思うんで色々持ち込んでもらえたら。あ、朝霧さん結構食いますよね? 飯とかどうします?」
「自分で用意するので、寝場所と風呂トイレだけ貸してもらえれば」
ちらちらと俺の様子を気にしながら、朝霧さんはずっとそんな調子だ。なんとなく、こいつなら一緒に暮らしても気にならなさそうだと楽観的な思いが湧いてくる。親交を深めよ、なんて七瀬さんの言葉通りになって、少々腹はたつが。
「はは、朝霧さんも家賃払うんですから、もっと――」
言いかけた俺は、ガッチリ掴まれた左腕に驚いて、言葉を止めた。
腕というか脇と言うべきか、まるで介護されているような体勢に顔を顰めて男前を見上げる。
とりあえず、力の入った朝霧さんの手、俺の繊細な腕には結構痛いんですけど。
「……落ちますよ」
少々呆れた声音に足元を見やると、なんと右足が空中にある。いつの間にか、俺は側溝に身体半分はみ出していた。落ちますよ、じゃない! 落ちそうになる前に言ってくれ。
「うっ、すみません、暗くて……」
決して、酔っているわけではない。そのはず。俺はまだ大丈夫。
乾いた愛想笑いを浮かべると、ぐいと安全地帯まで引き寄せられた。すげえ力。
「それにしても朝霧さん、やっぱり鍛えてあるんですね。俺なんて片手で持ち上げられそうだ」
気まずさにおべっかを使ってみると、彼は小首を傾げた。
「……。佐藤さん、何キロですか」
「体重ですか? 5……60キロくらいだったかな」
「……」
ちょっとだけサバを読んだ。今結構飲み食いしたから、きっと四捨五入したら60キロに違いない。
だって、きっと高身長の朝霧さんに比べたら――ホラ見ろ、驚いた顔をする! どうせ、あんたに比べたら軽いんだろうよ! どうせ俺は四捨五入して170センチだよ!!
何事もなかったように口を噤んだところを見るに、もしかして本当に片手で持ち上げられる重量だったのかもしれない。
何となくいたたまれない気分で目を逸らしていた時、バララ、と音がした。
「うわ、雨?!」
大粒の雨は、派手な音をたてながら、見る間に本降りになってきた。
「ヤバい、朝霧さん傘とか持ってないですよね?!」
「そうですね……走りますか?」
「えっ? ……はい」
それは、俺に走れということだよな。だって朝霧さん俺の住所知らないもんな。
あのさ、今日は俺の家を諦めて、駅に戻ってくれていいんだけどな?!
帰ったら? という圧を込めてチラチラ見上げてみたけれど、完全スルーされている。
さっき側溝に嵌まりそうになった事で、俺は完全に介護が必要な人と認識されたらしい。
「俺……体力ないんですけど?!」
頬を伝うのは雨なのか涙なのか。
俺はひいひい言いながら自宅への遠い道のりを走り出したのだった。
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