佐藤と朝霧とおうちごはん

藍 雨音(アイ アオト)

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「――今日からお世話になります。これ……」

扉を開けた先で、相変わらず無表情の朝霧さんが紙袋を差し出した。
手土産! 以前も思ったが、朝霧さんは顔に似合わず気遣いできるやつらしい。

あれから約1週間が過ぎ、今日から本格的にルームシェア生活がスタートする。
だというのに、朝霧さんの荷物は恐ろしく少なくて、俺の方が心配になってくる。引っ越しって普通、トラックが必要なんだぞ? 社用車ですませられるわけないだろう。

「朝霧さん……荷物、本当にこれだけですか?」

布団、衣類、文具類や洗面具類――以上。段ボール数箱に収まってしまう荷物を一緒に運びながら、遠慮しているのだろうかと端正な顔を覗き込んだ。

「必要な物は、買い足すので」

……心配する必要はなかったらしい。同い年だし、営業課と広報課で給料に差はないはずだけど、確かアスリートは特別手当があるんだったか。

「キッチンは基本使わないって言ってましたけど、冷蔵庫は使いますよね?」
「飲み物さえ入れさせてもらえれば。それか、俺用の別に買います」
「いやいや、結構でかい冷蔵庫なんで、どうぞ」

何せ二人暮らし用だからな! ゆくゆくは……なんて妄想膨らませて買った代物だしな!
またもや自分で傷を抉りつつ全ての荷物を運び終え、さっそく手土産を開けさせてもらった。

「おお、井太丹いたに屋のクッキー!」

思わず頬をほころばせ、同封されていた緑茶に苦笑する。普通、クッキーに合わせるのは紅茶じゃないだろうか。気遣いできても、さすがは野郎だ。

「朝霧さーん、クッキーいただきましょう!」

まあいいか、と湯を沸かし、茶葉を入れた急須に注ぐ。立ち上る湯気から青々とした香りを感じて、結構いい茶葉なのではと勘繰った。

「どうぞ、座ってください」
「俺も?」
「もちろんです」

朝霧さんがいると、部屋が狭く感じる。椅子も湯飲みも、そんなに小さかったはずはないのに。

「井太丹屋のクッキー、人気ですよね! こんなにたくさんありがとうございます」
「差し上げたので、全部食ってもらって構わないです」
「いやいや、全部は食べないですよ?! 太りますって!」

贈答用のクッキー缶は、結構な大きさだ。こんなにバターと砂糖の塊を食えば、確実に増量コース間違いなし。ただ……知っていても食ってしまうのが人の悲しき性だ。

「佐藤さんは、もう少し太った方が……」

遠慮がちな視線が、俺の腕を辿った。
違う、そうじゃないぞ。太るというのはな、あんたみたいな腕になることじゃあ……ないんだよ。
瞳に悲しみを宿らせ、俺はさりげなくまくり上げていた袖を下ろしておく。

そう言えば、と俺はあからさまに話題を変えるよう口を開いた。

「七瀬さんが、『あんた達同い年なのに、なんでそんな他人行儀なの?!』って言ってまして。だけど俺は別に……」

ん、とくぐもった声に顔を上げると、素早く視線を逸らされた。
……もしかして、今笑いました?

「いえ、すみません。似てるな、と思って」
「……ああ! こ、これはその、自然と身についてしまって」

無意識に身振り表情付きで七瀬さんのモノマネを披露してしまった俺は、赤面して熱い茶を啜った。

「けど、俺もそう思います」

意外な反応に、クッキーに伸ばした手を止めて考えた。
えーと、他人行儀なことについて? それ、無口無表情の朝霧さんが言う?!

驚いた俺に気付いたか、朝霧さんは決まり悪そうに視線を下げ、湯飲みを両手で包んだ。手もでかいな、とつい関係ないことを考えていると、低い声がためらいがちに続ける。

「佐藤さんも、やりにくくはないですか。普段は、もっと軽……気楽そうだったので」

今、軽いって言いかけた? つうか、お気楽そう、も決して褒められた言葉ではない。

「俺、ボロが出そうなんで……佐藤さんが良ければ、タメの方がありがたいです」

うん、出てるね。既にボロは出てるよ。
朝霧さん、そもそも敬語苦手そうだもんな。
俺としては、社内の期待の星は敬語対象だと思っていたけども、本人から許可が出たわけだし。

「マジで? 俺も家で敬語とか落ちつかないなーって思ってたから、むしろありがたいくらいで! いいの? 俺、素だとこんなんだけど?!」

いきなり砕けた俺に面食らったように目を瞬き、朝霧さんは少し吹き出して口角を上げた。

「助かる」

ふわっと解けた空気を感じて、またひとつ意外に思う。こんな図体して、俺相手に敬語使うことがそんなに苦になってたんだろうか。
もしかして、無口というよりも人見知りってやつなのか。

「……佐藤、でいいか」
「お、おう」

低い声にいきなり呼ばれ、思わず肩が揺れる。
いや、絶対違うな。これ、人見知りの圧じゃねえ。そして、人見知りはいきなり佐藤って呼ばない。
どっちかっつうと口下手無口?

「じゃあ、俺も朝霧って呼ぶ? なんか、俺がそう呼ぶのはちょっとアレだけど」
「何がアレなんだ」
「だって、相手は有名アスリートなわけだし?」
「俺を知ってるのか?」
「知ってるっつうか……『アスリート部の朝霧さん』は大体みんな知ってると思うけど」

ああ、と少し不服そうな納得の仕方をした彼を見て、ふと気がついた。

「あれ? 朝霧は俺のこと知ってんの? なんで?」

俺、いたって一般的な社員だ。そして部署内ですら被る名前の持ち主。
首を捻ると、朝霧は少しだけ視線を彷徨わせて口を開いた。
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