佐藤と朝霧とおうちごはん

藍 雨音(アイ アオト)

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9 自然な流れで

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冷蔵庫を開けて、ふむ、と頷いた。今日はカレーの気分だったけど、ひき肉しかない。
なら、ドライカレーだ。異論は認めない。
ちら、と時計を見て、刻んだタマネギとにんじんをレンジに入れる。時短、時短だ。

こちら、当社製品スマートクック3000Rになりまして~なんて宣伝文句を口ずさみながら、フライパンで油を熱してニンニクを香らせる。

そこへジャッとタマネギを放り込み、順に野菜を炒めつつひき肉も放り込む。
調味料を投入すれば、甘かったタマネギの香りが徐々にスパイシーに変化して、腹が鳴った。

「美味いな、さすが俺」

炒めていた木べらで直接つまみ食いして、よしよしと笑みを浮かべる。
何を隠そう、俺は広報課・PR部門のキッチン家電担当だからな! あの広告に使った料理も、販促資料も、レシピ原案も、作ったのは俺だ。

料理は唯一、俺が得意と言えることかもしれない。とは言え、これも仕事で必要に駆られて始めたものだけど。
SNS用に写真を撮りつつ、もう一度時計を見た時、玄関扉が開いた音がした。

「カレー? 美味そうだ」
「残念、ドライカレーだ! おかえり」

ただいま、とおざなりに答えながら、俺の背後から覗き込む気配を感じる。
ふわりと、塩素の匂いがした。

「もう食えるけど、風呂入ってくる?」
「いや、食う」

釘付けになっている視線に、だろうなと満足しながら大きな身体を押しやった。

「じゃ、手洗って来い」

いそいそ洗面所へ向かった朝霧を見送って、テーブルにドライカレーとサラダを並べた。
朝霧の器には、俺の倍は盛ってある。これをぺろっと食うから凄まじい。
現在、我が家の白米消費量は恐ろしいことになっている。食費は朝霧持ちだから全然構わないけどな!

コップとスプーンを……と振り返った俺の脇を長い腕が通り抜け、素早くそれらをつかみ取って席へ着いた。何となく、待ちきれない犬みたいだなと失礼な感想が浮かぶ。

俺も椅子を引いて、差し出されたスプーンを受け取った途端、朝霧は手を合わせてドライカレーを頬張った。よほど、腹が減っていたらしい。

「うま……」

小さな呟きを逃さず、俺は渾身の笑みを浮かべる。そうだろうそうだろう、感謝して食いたまえ。
でかい器でもりもり食う朝霧を見ていると、なんとも言えず微笑ましい気分になる。『いっぱい食えよ~』なんて、池の鯉に餌をまいている感覚に近いだろうか。それとも、やっぱり犬?

――こんな風に、朝霧の分も飯を作るようになったのは、ごく自然な流れからだった。
目の前でガツガツ食う犬を眺めて、俺はふと、その時のことを思い返していた。




ルームシェア開始後、俺のペースが乱されないことに安堵していたのは、ごく初期の頃。
日が経つにつれ、かえって落ち着かない気分になってきた。
それはもちろん、同居人に気を使うだとか、そういうことではない。

……そりゃあ、気になるだろう。
あんなにデカい存在感の男が、あまり存在を感じさせない。
いるはずなのだ。一つ屋根の下に、あの男が。
なのに、気にならない。

こうなると、気にならないことがむしろ気になってくる。
同じ会社にいるはずで、同じ家に住んでるはずで、なのに会わないってどういうことだよ? 
なんでそんなに生活リズムが違うわけ?!
一体、どういう生活を送ってんの……?!


「――朝霧ってさ、普段何食ってんの? つうか、何してんの? 休みは?」

今日も、風呂から上がって部屋に直行しようとするのを引き留め、尋ねてみた。

「別に、何も……。飯は、そこらで適当に食ってる」

困惑気味の朝霧を手招き、テーブルに着かせると、冷えたチューハイを取り出した。ついでに浸けたウズラ卵をつまみとして出してやる。どうせいなくなるだろうけど、明日は休みのはず。
酒と食い物で釣れば、引き留められるだろう。

「いいのか?」
「おう、俺のオゴリだ!」

胸を張ると、朝霧は少し笑ったろうか。

「そこらで、ってお前結構食うよな? すっげえ金かからない?」
「かかる。けど、昼は食堂で優待がある。夜は、大体丼亭。あと、サプリ系?」
「丼亭かあ、安いもんな……ってお前、いいの?! アスリートだろ?!」

キョトンとした朝霧に、指を突きつけた。

「俺……てっきりお前は計算された飯を食ってるもんだと……!! そんなジャンキーなことしていいのか?!」
「大会前じゃあるまいし、普段の飯まで管理されるわけないだろ」

呆れた顔でプシ、とプルタブを開けた朝霧が、うまそうに喉を鳴らしてチューハイを流し込む。

そ、そうなのか? 確かにウチはそこまでビッグな会社じゃないし……選手一人にそこまでの予算はないのか? 
けど朝霧ってさ、世間的にも成績残してる選手じゃなかったっけ? 本当にウチ南翔電機で良かったのか……?

釣られるように手の中の缶を呷って、冷えた液体にふるりと身体を震わせた。
目の前のウズラ卵をつまむと、朝霧がじっとそれを見つめている。
食えば良いのに。ずい、と小皿を押しやると、期待に満ちた視線とかち合った。

「一人で食わないよ、食えば? ウズラの浸け玉? 味玉? ってとこかな?」

小さな卵はしっかり茶色く染まって、中身はとろり、だ。このとろり具合を確実に再現するために、何回味玉を作ったことか。

物珍しげに口へ運んだ朝霧が、食った途端に雷に打たれたような顔をした。
無意識だろうか、つまんだ指をぺろり、と舐めた仕草が妙に艶っぽい。たとえその視線がウズラに向いていたとしても、だ。

「もっと食っていいよ」

苦笑して目の前に小皿を置いてやると、いつになくその瞳が輝いている気がする。

「いや……、これどこで買うんだ? 買ってくる」
「いいから食え。また作るから、買ってくるならウズラ卵を買ってきてくれ」
「作る?! 佐藤が作ったのか?!」

こんなに目を見開いた朝霧は、初めて見た。
たちまち機嫌を良くした俺は、得意になって鼻の穴を膨らませる。

「俺、毎日自炊してるからな! 広告の料理とか、レシピとか、俺が作ったの結構あるんだぞ?」
「そうなのか……!」

朝霧の瞳に、尊敬が宿った気がする。さらに調子に乗った俺は、つい口を滑らせた。

「何なら、朝霧の夕食も作ってやろうか? どうせ俺の分は作るんだし」

しまった、と思った時には既に遅し。朝霧の輝く瞳に『やっぱり無理』と言うこともできず、俺は日々二人分の飯を作る羽目になったのだ。

そう、これはごく、自然な流れ……で。
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