佐藤と朝霧とおうちごはん

藍 雨音(アイ アオト)

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99 ドライヤー

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「朝霧、風呂は」
「いい。夕方入った」

どこに転がっても邪魔になる身体を跨いでやり過ごすと、キッチンで風呂上がりの身体を冷ます。
ぼんやりと髪を拭いていると、みるみる冷えて小さく震えた。今暑いからって、冬場にキンキンの飲み物はよくなかったかもしれない。

「佐藤、そっちに座るなよ」
「え? ……あ、お前また切ってねえの?」

キッチンに入ってすぐに座りやすいのは、朝霧の席。キッチンで作業終わりに座りやすいのは、俺の席。だから、調理する時以外は朝霧席に腰かけるのだけど、こいつ結構録画を切り忘れる。
点ける方は、着席動作に馴染んで忘れなくなったのだけど、こいつ録画中も構わず立って俺の所へ来るからな……。

「まあ、俺は映ってても消すからいいけど。ダウンロードに余計な時間食うんだから、ちゃんと切れよな」

今日はもう撮らないし、カメラを切ってカードを取り出すと、PC前に座る。
興味深そうにのぞき込む朝霧をそのままに、カードを差し込んだ。

「こうやって編集するのか」
「ああ、興味ある?」
「ない」
「……」

じゃあ、なんで覗き込んでるのかね? 胡乱な目を向けたけど、朝霧はじっと画面を見つめているだけ。

「あのな、今日撮ったの見たいなら、そんなすぐにダウンロードされねえから。お前が余計な空白時間作ったし、30分くらいかかるんじゃねえ?」
「そんなにかかるのか」
「手間だろ、ちゃんとオンオフ頼むぞ」

素直に頷いた朝霧を見て、少し笑った。
この調子でしばらく露出があったら、朝霧チャンネルじゃなくとも、あっちこっちでメディア露出の機会が増えそうだ。そうなれば、企画が終わっても、SNSだけで大丈夫かもしれない。
こんなに撮影慣れした朝霧は、使いどころがいっぱいあるだろうし。

ダウンロードを待つ間、他の作業をしようとタブを開くと、PCを調べていた画面が残っていた。
時間がかかると聞いた朝霧が、ふいっと離れて部屋を出ていく。
大きな生き物が離れると、途端に寒い気がして、こたつに足を入れた。

PCを開いたまま、ぼんやり意識が逸れる。
……朝霧チャンネルが終わったら、どうなるんだろう。そのための同居、そう言ってある。
……朝霧がオリンピック選手に選ばれたら、どうなるんだろう。こんな安宿でいいはずがない。
寒いな、と両手をこたつに入れた。

俺は、きちんと胸にとどめておかなきゃいけない。
朝霧と一緒の時間なんて、きっと、唐突に終わる。
きっと、今みたいに前触れもなく。

いつか、画面越しにしか見ない姿になる。
ぽたり、髪を伝った水が、天板に滴ったのを眺めていた。



ふいに重い足音が戻って来て、ハッと顔を上げ画面に視線を戻す。
ドライヤー片手にやって来た朝霧が、当たり前のようにコンセントを刺し、俺の後ろにまわった。
え、と振り返るまでもなく、ドライヤーの大きな音が響き始める。

「……なに。すげえサービスいいじゃねえか」
「サービスなのか? なら、いつでも言え」

あたたかい風が髪を吹き乱し、正直画面が見づらい。だけど、すげえ気持ちいい。いかにも不器用そうな手が、案外そっと髪をかき回して、あたたかい指が、あちこちに触れて。
なんか……大事にされてるような、そんな気になってしまって。
きゅっと唇を結び、誤魔化すように何気ないふりで口を開く。

「なあ、お前絶対、今選ばねえとPC決めないだろ? 何でもいいなら、今日買っちゃえば?」
「なら、そうする」

温風が遠ざかり、乾いたかどうか、大きな手が俺の髪を梳いて確認している。
何度も繰り返されるその心地よさに、目を閉じた。
何の気まぐれで始めたか知らねえけど、胸の内まであたたかくて……そして、息苦しい。

「……それ、気持ちいい」

胸苦しさを吐き出すように、ごく小さく口にした。
まだ大きな音をたてている、ドライヤーに紛れるように。
だけど、朝霧の手が、ぴたっと止まったから。
……聞かれたのだなと苦笑した。

まあいい。どんな顔したか、見えないから。
別に、多分、そこまで変なこと言ってない。美容室だって、気持ちいいし。
カチリ、とドライヤーの音が止まった。
朝霧に、覗き込まれている気がする。
動かなかった朝霧の手が、そろそろと再び俺の髪を梳き始める。

「……いい、か?」
「うん」

目を閉じたまま、ごく素直にこくりと頷いた。
だって、続けてほしかったから。もう、これきりかもしれない朝霧の行動、ちゃんとひとつひとつ、俺は拾っておかなきゃいけない。

そっと後ろへ抑え込まれるまま、朝霧の身体にもたれかかった。
ふわ、と髪に微かに感じる圧迫感に目を開け、顔を寄せる朝霧に驚いた。
お前それ、結構すげえことしてるぞ。

「なん、だよ」
「……いい匂いがする」

言うに事欠いてそんなセリフだから、ついふふっと笑った。

「何言ってんだ、お前と同じ匂いだろ」
「……同じじゃない気がする」
「全く同じだよ、ばーか」
「俺はこんないい匂いじゃない」
「どれ……」

なおも言い張る朝霧に笑うと、身体を捻ってその頭を引き寄せる。
ホントだ、違う気がする。
だけど、敢えて違う言葉を選ぶ。

「……ほら、同じだろ、同じモン使ってんだから」

どこかぎこちなく固まっている朝霧の頭を少し撫で、前を向いた。
俺の内を揺らしているはずの速い鼓動は、まるで背中から伝わる朝霧のもののように思えたのだった。

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