異世界に飛ばされたおっさんは何処へ行く?

シ・ガレット

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10巻

10-3

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 ◇ ◇ ◇


 ショーンは脱衣所に来ると、服を脱いで籠へと入れた。
 普段は服を脱ぐと使用人が勝手に片づけてくれるのだが、今日は自分でやった。備え付けてあるタオルを手に取り、腰に巻いて風呂場へ歩き出す。
 その前に、後ろに控えていたカナンに声を掛ける。

「おばさん。僕は一人でお風呂に入れますよ?」

 そう言って一人で風呂に入ろうとするのだが、カナンは首を横に振る。

「ですが、小さいお子様が一人で入るのは避けたいのです。ショーン様が一人で入れるというのは分かりますが、何かあってからでは遅いですから同行させてください」

 そう言ってカナンは笑みを浮かべて笑いかける。

(あ……この笑顔はお母様と一緒だ。何を言っても駄目な時と一緒だ)

 カナンは一人娘を育てた母親である。子供に駄目なものは駄目とはっきりと言えるのだ。
 ショーンはこれ以上言っても覆る事はないと諦め、風呂の引き戸を開けた。

「……え? なんで?」

 母達と同じように目の前の景色に驚いていると、カナンは優しく説明をした。
 話を聞いたショーンの反応は、母達とは違って落ち着いたものだった。母達が慌てているところを見ていたので、風呂に何かあると覚悟をしていたのだ。

「こんな景色を見るのは初めてですが、とってもきれいですね」

 内心すごく興奮しているのだが、一緒にいるカナンに幼稚な様を見せたくないので、できる限り冷静に言葉を紡ぐ。
 カナンに通用するものではないのだが、彼女は黙って気付かない振りをする。男の子のプライドを傷つけないためだ。

「ありがとうございます。さあ、いつまでもそのままでは風邪を召してしまいます。お身体をきれいにして湯に浸かりましょう」

 そう言いつつ、カナンは内心こう思っていた。

(可愛い子ねぇ。冷静を装っているけど……きっと私にはしゃいだところを見せたくないんでしょうね)

 ショーンは促されるままにシャワーの前に座ると、身体と頭を洗った。彼はすぐに泡を流して湯船に移動しようとしたのだが、カナンが止める。

「ショーン様。背中が洗いきれていないようです。僭越せんえつながら私にお背中を洗わせてくださいませんか?」

 ショーンの機嫌をそこねないように、カナンは丁寧にお願いする。

「え? ちゃんと洗ったつもりだけど……」

 自分の背中を見ようとするが、さすがに無理である。ショーンの可愛い仕草に、カナンは微笑みながら優しく話す。

「背中は、自分で洗うのが難しいのです。さあ、もう一度座ってくださいね」

 ショーンを再び座らせ、カナンはタオルを泡立てて背中を擦ってやる。子供なので激しくはできないので優しく洗っていく。
 全体をしっかりと洗うと、シャワーで泡をきれいに流した。

「これで大丈夫です。さあ、肩まで浸かって温まりましょう」

 カナンはそう言うと、入り口に戻った。一人でお風呂を味わわせてあげかったからだ。
 ショーンは湯船に入ると、自分の髪を確認した。触ってみると、普段とは違って髪の毛に引っかかりを感じない。スルスルと髪の間を指が抜けていく。

「これはすごいや。いつもは髪を洗うとキシキシしたりするのにまったくない。それにこの景色……きれいだなぁ」

 ショーンは湯に浸かりながら、辺りの景色をボーッと眺める。雪が降っている山々を見ていると、不思議と心が安らいでいった。
 しばらくそうしていると、カナンから声が掛かる。

「ショーン様。そろそろ上がりませんと、のぼせてしまいます」

 ショーンはハッと我に返った。そして自分の身体が温まっている事に気が付いた。

「え? いつもより短いのになんで?」
「このお湯は温泉といって、色々な効能があるんです。肌がきれいになったりとかもそうですが、身体を芯まで温めてくれるんです」

 カナンはそう言いながら、ショーンに近づいて手を差し出す。もし立てなかった場合を考えての事だ。
 ショーンはカナンの手を借りて立ち上がると、そのまま風呂から出た。
 脱衣所に移動し、身体が冷えないうちに水気を拭き取っていく。下着を着終えると、すでに従業員が待機をしていた。出入り口付近には夕夏も控えている。

「じゃあ、甚平を着ましょうね」

 そう言って従業員は、ショーンに甚平を着せていく。
 ショーンは甚平がとても肌触りの良い事に気が付いた。それをカナンに尋ねると、すぐに答えが返ってくる。

「これで寝るのですから、肌触りはこだわっているそうですよ。それに動きやすいでしょう? 動いても楽なようになっていますので、いっぱい動いても良いですからね」

 そう言われたショーンは、嬉しそうに頷くのだった。


 ◇ ◇ ◇


 風呂を出たショーンは、客室へと移動した。
 その後、マギーとショーンは食事の時間になるまで、思いっきり部屋で遊んだ。今まで見た事のない部屋なので、探検をしてるだけでも楽しいようだ。
 ひとしきり遊び終わると、二人は王妃達の所へ戻ってきた。

「おかあさま! わたし、おなかすいちゃった!」
「ぼ、僕も……」

 お腹を押さえながら二人は、スージーとトリスに訴える。スージーが口を開く前に、カナンが口を開いた。

「では、ちょっと早いですが、食事の手配をしましょう」

 カナンが退室していく。
 家族だけになり、スージーとトリスは宿の感想を言い始める。

「たった数時間で、どれだけ度肝どぎもを抜かれたんでしょうね……」
「そうね。どれも変わった趣向ではあるけど、世界でもるいを見ない宿でしょうね。外観、内装、サービス、そして温泉。これが本格始動したらどうなるのかしら」

 接客につたない点はあるが、それを帳消しにしても余りある衝撃があった。

「わたしね、またここに来たいなー」

 マギーにとっては、初めての宿で初めての泊まりだった。随分喜んでいるようだが、スージーは今後の事を考えて少し不安になった。

「あのね、マギー。この宿は普通の宿とは違うからね? この宿はね、タクマさんが力を結集して作り上げたものなの。他の人に真似のできないようなすごい物がいっぱいだったでしょ?」

 スージーはそう言って、この宿を基準にしないように念を押した。ここを基準にしてしまえば、他の宿に泊まった場合の落胆が大きくなってしまうからだ。

「そうなのかー。タクマおじちゃんって、すごいんだねー」

 難しい事は分からないが、タクマがすごい物を作り上げたと聞いて、マギーは手放しに感心する。

「お母様。タクマおじ様はすごいんですね。かっこいいです」

 ショーンはタクマに憧れを持ったようだ。
 トリスが応える。

「そうね。タクマさんは、使う人が楽しんでくれるように頑張ったのでしょうね。でも、ショーンだって、将来は国の民達を幸せにするんでしょ?」
「はい! みんなに幸せになってほしいです」

 ショーンはそう言って胸を張った。
 そんな事を話していると、部屋の扉をノックする音が聞こえる。

「お食事の用意ができました。入室してもよろしいでしょうか?」
「どうぞ。お入りになってください」
「失礼します。お食事の給仕をさせていただく、ファリンと言います。よろしくお願いいたします」

 スージーが迎え入れると、そこにはカートを押したファリンがいた。
 食事の時の世話は彼女が行い、その間にカナンは休憩を取るのだ。ファリンとスージーは面識はあったが、初対面のように振る舞っている。
 ファリンは手早くテーブルに食事を並べていく。運ばれてきたにしては、全ての料理が熱々だった。

「ファリンさん。すごく熱々なのは見ただけでも分かるのだけど、何故冷めていないの?」

 スージーが首を傾げながら聞く。

「お食事を持ってきたカートに、状態保存の魔法が付与されているんです。なので、できたてそのままでお届けできるんです」

 テーブルに並べられたメインの料理は、水炊みずたきだった。その鍋の脇を、天ぷら四種、酢の物、茶わん蒸しが固める。
 カートには、おひつに入ったご飯と卵が置いてあった。

「この木の箱に入っているのは? ちょっと甘い香りがするけど……」

 スージーが尋ねると、ファリンが答える。

「これはタクマ商会長の故郷で食べられていた、米という穀物です。商会長の故郷では、この米が主食なのだそうです。普段はそのまま食べるのですが、今日は趣向を変えて出そうと考えているので、少しお腹をけておいてくださいね」

 しばらくして全ての準備が整った。マギーとショーンは目の前の食べ物に釘づけだった。ファリンはその姿を見て笑みを浮かべる。

「では、鍋を取り分けますね。いっぱい食べてください。鍋という料理はみんなで食べるのだそうです」

 ファリンは鍋の具材を取り分けて、各自に渡していく。
 そして、タクマの家で行われている食事の挨拶をファリンが口にし、早速食事が始まる。

「いただきます」
「「「「いただきます!」」」」

 各々気になった料理を口に運ぶ。スージーとショーンは最初に天ぷらを口にした。

「はふっ! あっふい……でも、カリッとしてて食感が面白いわ。それに、シンプルなのに美味しい」
「すごく美味しい……野菜って苦いと思ってたけど……」

 用意された天ぷらは、エビ、イカ、人参、たまねぎと貝柱のかき揚げだった。二人は、サクッとした食感と口の中に広がる素材の旨味に感動している。

「このプルッとしたのと甘酸っぱいのすき! おいしいねー!」
「そうねぇ。この酢の物だったかしら? この酸味は癖になるわね」

 マギーとトリスが言う。マギーは茶わん蒸しと酢の物がお気に入りで、トリスも酢の物に感激していた。
 茶わん蒸しは、具材の舌触りと鶏肉の味わいが最高なのだ。酢の物には、お酢だけではなくレモンの果汁も使っているので、酸味に深みが出ている。
 その後、四人はメインの鍋へ手を伸ばす。

「問題はこれよね」
「ええ。取り分けて食べるのなんて初めてだわ」

 スージーとトリスはそう口にして、不安げにする。
 食べ方が特殊だった。取り皿に取ってもらいはしたが、別に用意された小さなカップにスープが半分くらい入っている。ファリンからは、まずそれを飲んでほしいと言われていた。
 四人は言われるがままに、カップに口をつけた。

「あら。鶏の味がとっても強いのね」
「でも、くどいわけじゃないわね。むしろとっても優しい味……」

 王妃二人は、意外なほどにあっさりとした出汁だしの味を堪能した。マギーとショーンもいつも城で食べているような味覚を刺激するようなスープではないので、あっという間に飲み干した。

「しょっぱくないー」
「お城で出されるスープは味が濃くて飲めないのに、これは飲めました」

 そんな事を言う子供達に、スージーは苦笑いを浮かべる。
 確かにいつも城で出されている料理は、とても味が濃かった。豪華だが、子供達にとっては刺激的すぎるのだ。
 出汁を味わった後は、取り分けられた鍋の具材を食べる。そのままでも美味しいのだが、備えられたポン酢を垂らすと、さっぱりと食べられた。
 ひとしきり鍋を楽しんでいると、ファリンが話し始める。

「子供達の味覚はとても敏感なんです。小さいうちから強い刺激を与えてしまうと、細かい味が分からなくなるそうです。この宿で出す料理は、子供達でもたくさん食べられるように考えられています。じつは調味料は、味を調ととのえる程度しか使っていません」

 ファリンはそう言って、料理のコンセプトを話していく。
 タクマの宿では、家族で一緒に食べるという事を重視していた。家族で食卓を囲み、同じ物を食べてもらおうと考えたのだ。
 そのために、子供でもたくさん食べられる優しい味付けにしている。なお、味を濃くする場合は、自分達で味を足す事ができるようにしてある。
 スージーがファリンに問う。

「子供の味覚ってそんなに違うの?」
「大人とは別と考えた方が良いとの事です。出汁で味のベースを作り、調味料で調えるだけで、このスープのようにしっかりと味が出るんです」

 ファリンが説明すると、スージーとトリスは感心したように頷いた。
 マギーとショーンの食欲を見れば、この料理の良さは一目瞭然だった。普段小食だと思っていた二人が、もりもりと食べているのだ。
 思い出してみると、タクマの屋敷に遊びに行った時も、二人は普段より食べていた。てっきり運動してお腹がいていたのだろうと思っていたが、それだけではなかったようだ。
 マギーとショーンは言いにくそうに話す。

「あのね、お城のごはんもおいしいよ。でも、しょっぱいの……」
「僕も同じです。お城の料理はとてもしょっぱくて、いっぱい食べられないんです。それにあぶらっこくて、お腹がムカムカする時があるんです」

 スージーとトリスは申し訳なさそうに言う。

「そうだったの。二人ともごめんね。気付いていなかったわ。帰ったら料理長に話してみるわね」
「食事は大事だもの。普段食べる物は、この宿の考え方が正しいと思うわ。絶対に認めさせないと」

 ファリンは二人の発言を聞いて、ちょっと嫌な予感を覚えていた。

(あ、これはタクマさんに言っておいた方が良い気がする。面倒な事になりそうだし)

 とはいえ、言った事に後悔はなかった。
 子供が食事を楽しめないのは、良い事ではない。タクマは基本的に子供が第一に考えており、その彼の思いは、家族であるファリンも共有しているのだ。
 あっという間に、鍋の中身がなくなった。後は、スープを残すのみである。
 ファリンは、その場で締めを作る事にした。

「皆さん、まだ食べられますよね?」
「「「「もちろん!」」」」

 良い返事が返ってきたので、ファリンは鍋をカートに載せて魔力を流す。
 カートには状態保存の魔法に加えて、もう一つ仕掛けがあった。
 カートの天板は溶岩製で、炎の魔法を付与した魔石が嵌め込まれている。そこに魔力を流すと、再加熱が可能なのだ。
 鍋がクツクツと煮立ってくると、ファリンはおひつから米を出して鍋に入れた。米がほぐれたのを確認すると、卵を溶いて鍋へ流し込む。魔力を流すのを止めて、蓋をして蒸らすとでき上がりである。
 最後に器に盛って各自に配る。

「締めのおじやでございます。熱いので気を付けてくださいね」

 目の前に出されたおじやは、アツアツの湯気を上げている。
 四人はスプーンでそれを掬い上げると、息を吹きかけて冷ましてから口へ運んだ。

「はふ! あっふい!」

 あまりの熱さに驚いた顔をしたが、食べるのを止めない。それどころか、じつに幸せそうな表情でおじやを食べ続けた。
 再びあっという間に平らげてしまった四人は、同じ言葉を同時に出す。

「「「「は~……幸せ……」」」」

 その言葉を聞いたファリンは満足してもらえたと分かり、満面の笑みを浮かべた。


 ◇ ◇ ◇


 食事が終わったスージー達は、食後の紅茶を飲んでいた。マギーとショーンの二人はソファーでうつらうつらしている。
 戻ってきたカナンが王妃二人に話しかける。

「スージー様、トリス様。お子様達はそろそろ限界のようですし、寝室へお連れしてもよろしいですか?」
「そうね。あれだけはしゃいでいたら眠くなるでしょうね。お願いできるかしら?」

 スージーがそう言うと、カナンはマギーを優しく抱き上げる。そうしてショーンの手を引いて寝室へ連れていった。
 二人はベッドに横になり、すぐに寝息を立てて眠り始めた。
 カナンはリビングに戻ると、部屋に戻ってくる時に押していたカートの蓋を開ける。そこにはお猪口ちょこ二つと酒の入った徳利とっくりが置かれていた。その他に、ちょっとしたツマミが用意されている。

「あら? これは?」
晩酌ばんしゃくをしてもらおうかと」

 カナンはお猪口を二人に手渡すと、徳利に入ったお酒を注いでいく。

「気が利いてるわねぇ。ちょうど少し飲みたかったの」

 お猪口に注がれたお酒を見つめながら、トリスが言う。
 そして、トリスはスージーに話しかける。

「私達、こんなすごい宿に泊まって大丈夫なのかしら。次に宿に泊まるとなったら、絶対比べちゃうわ」
「そうね。私達もそうだけど、それ以上に子供達が心配だわ。初めて泊まる宿がここなんだから、普通の宿では絶対嫌がると思う」

 二人は、子供への対策を話し合いながら晩酌を進めていった。


 そして酒も入ってだいぶ酔った頃。
 スージーは、子供がいる前では聞けなかった事を、カナンに尋ねる。

「ねえ、カナンさん。ずっと気になっていたのだけど、クローゼットには浴衣の他に、もう一着あったわよね? あれって何? すごく目立つ色合いだったけど……なんだかすごく扇情的せんじょうてきだったような」
「ああ、あれは……」

 じつはクローゼットには、セクシーな下着のような物が入っていた。
 カナンは二人にだけ聞こえるように、その使用法を説明した。すると、二人の顔はみるみる赤く染まっていった。

「え? あれを着て!? 女性から誘うの!?」
「はしたないじゃない」

 二人は自分から男性を誘った経験がないため驚いていた。
 カナンはさらに話す。

「一般人の私からしたら普通なんですけどね。それにここは宿ですから、夫婦の営みも想定に入っています。夕夏さんとミカさんは今後の事も考えて、用意したみたいですよ」

 宿の衣装を決めた夕夏達は、ここでの宿泊がきっかけで夫婦のきずなを深めてほしくて、それを用意したと伝えていた。

「夕夏さんにいわく、この衣装で迫ったらイチコロよ! ……だそうです」

 スージーは唖然としつつ言う。

「あの人らしいのかしら? ……でも、そう言われてみれば良いチャンスかもしれないわね。外に泊まる時くらい、これくらい大胆に……」

 スージーは何やら思案し始める。
 トリスもまた同じような事を考えていた。

「「ウフフフフ……」」

 二人が怪しい相談をしている頃。
 城では、たった一人で置いてけぼりをくらっていたパミルが執務室で仕事に励んでいた。

「くそ! なんで我だけが留守番なんじゃ。今頃我も、タクマ殿の宿で最高な休みを過ごしていただろうに……」

 パミルは子供達からの信頼を失うという失態により、今回留守番をさせられていた。その事を棚に上げて、パミルはずっと愚痴っている。
 パミルが目の前の書類と格闘していると、不意に寒気が襲った。

「な、なんだ!? 背筋が急に……なんだ!? 何が起ころうというのだ?」

 何も知らないパミルは言い知れぬ恐怖を味わいながら、仕事を続けるのだった。


 怪しい相談をしていたスージーとトリス。二人はその後も話に華を咲かせながら、遅くまで晩酌するのだった。


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