次の配属先が王太子妃となりました

犬野花子

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「やあ、君がわたしを待っていてくれることがあるなんて、嬉しいなあ」

 回廊の絨毯の上を優雅な足取りで現れたロレットは、いつも自分が時間を潰していた場所にリリアナが立っているのを見つけて、誰もが見惚れるような甘い微笑みを浮かべた。

 だけども、それを受けたリリアナの顔は険しい。なんだったら腰に両手を当てて立腹ポーズを、この国の王子にしてみせている。
 それに気付いてロレットは、瞳を細めてゆっくりとリリアナの前まで進んだ。

「どうしたのかな? 今日はご機嫌が悪いようだ」
「心当たりありませんか? ありませんでしょうね、単刀直入に怒らせてもらいますよ元客室棟副女官として」
「ほう、仕事熱心だね」
 ロレットは無礼を気にするでもなく、面白そうにリリアナを眺める。

 リリアナはキッと睨み上げた。自分はこれでクビになるだろうと、覚悟も決めている。それでも構わないほど、怒りが収まらないのだ。
殿がご存知でないなんてことあり得ないと思いますが、エスト様は王太子殿下の妃候補として、城へ滞在されているのです。ロレット殿下が彼女と逢瀬を重ねるのはこれどーゆうことでしょうかっ」

 ロレットは軽く瞳を見開き、フフフとゆるく笑った。
「なるほど。聞いたのかな? それとも見たのかな?」
「……否定はされないのですね」
「実際そうだからね」
「何故」
「何故?」
 ロレットは肩を竦めてみせた。
「野暮なことを聞くね。リリアナだって兄と逢瀬をかさねているだろう?」
「違います! あれは仕事の一環です!」
 リリアナの顔は羞恥と怒りで真っ赤になる。
「それにロレット様は、エスト様を泣かせてたじゃないですか! 懇親期の令嬢をそそのかした上に泣かせるなんて、どんな根性ねじれ具合なんですか!」

「君は何か勘違いしてるようだね」
 ロレットは涼しげな表情のまま言葉を返す。
「彼女が会いたいと請うから会っていただけだ。もう会えないと告げて彼女が勝手に泣いただけだ。わたしはむしろ迷惑しているよ、君のような女官に変な正義心をぶつけられて」
「なっ!」

 リリアナはワナワナと小さな身体を震わせた。
 自分でもあまりに礼儀に欠いた言動をしていることは承知している。だが、エストへの無礼はどうなるというのだ。王子であってもしていいことと悪いことはあるのではないか。

「……貴方が……ロレット様が故意に近づいたのでしょう? でなければ懇親期の令嬢が殿下に出会うことなんて、まず有り得ませんよね」
 上目遣いに睨み続ければ、ロレットは意に介さず口元をゆるめ瞳を細めた。スッと差し出されたロレットの指先は、リリアナの顎を掬い上げる。

「わたしのせいかな。兄が余りにも彼女に寂しい思いをさせていたから、ささやかながら慰めてあげようと思ったんだけど。こうやって、真摯に瞳を見つめて語らっただけなんだけどね」

 リリアナは一歩後ろに下がり、ロレットの指先から逃れた。
「そうですか。ロレット様ほど美しいかたでしたら、見つめるだけで甘い言葉を囁くだけで、相手が勝手に恋に落ちてしまうと」
「そこまでは言ってないけどね」
「それで? エスト様を落として、彼女の心を意のままにして、ジルベルト様の懇親の期をメチャクチャにした御感想は?」

 リリアナのその低く抑えた言葉に、ロレットはニッコリと笑みを返した。
「おおむね、満足かな」

 リリアナは、初めて人を殴りたいと思ってしまった。こんなに気分の悪い感情が、抑えきれないものがあることを知った。
 思わず自分の右手がビクリと揺れたが、必死で拳を握りしめた。
 これは無礼を働くことへの回避ではない。しっかりと、相手の心へ反撃する為の我慢だ。

 フッと、リリアナは笑ってみせた。
「そうですか。随分お兄様へのコンプレックスを拗らせていらっしゃるようで」

 はじめてそこで、ロレットの表面の笑みが消えた。かろうじて口の端は上がっているが、瞳の奥は暗い。

「やっぱりあれですか? 出来の良いお兄様への反抗ってやつですか? そんな自分ごとで令嬢を巻き込んで。これはお兄様も手のかかる弟をお持ちで気の毒ですねー」
「……言うね」

 ロレットは、切れ長の瞳をさらに細めた。
「女官ごときに憶測出来るような立場ではないのだよ、わたしは」
 リリアナはフンと顎を上げた。
「変な嫉妬とかですよね。順風満帆なお兄様の足を引っ張りたいだけでしょ。見当違いもいいとこです。貴方のお兄様は順風満帆になるために努力を怠らないだけ。貴方が純粋な心を弄んでる間、ジルベルト様は休む間も惜しんで働いて勉強してるんです」
「それは兄が王太子なのだから当たり前だ。だから好きなことをしてなんでも与えられているのだろう」
「当たり前と思われることを、そう思わせる努力をしてると言っているのです。なんの努力もせずに僻んで、令嬢を巻き込むなんて王子がしていいことですか?」
「……」

 ロレットはジッと視線をリリアナへ強く注ぐ。太陽に輝く銀髪と反比例するかのように、表情は暗く鈍る。
「わたしに、どうしろと? なにひとつ期待もされず生殺しのように飼われているだけの二番手に、なにを頑張れと?」

 リリアナは、ロレットへと真っ直ぐ返した。
「二番手なんて思うから思考が間違っちゃうんです。貴方は王太子の次、ではなくて唯一のものを目指すべきです」
「唯一の、もの?」
 ロレットの眉はひそめられる。

「例えば、王太子より得意なもの、外交職を極めるとか。対人との交渉とかは、甘さが出そうなジルベルト様より、性根が悪いロレット様のほうが向いてますね」

 ロレットはしばし沈黙ののち、ハッと息を吐いた。
「ハッキリ言うね。だが、いいだろう。いずれ逆転させる面白さもあるね」
「その心意気大事ですね」
「でもそれだけなら、面白くもなんともない。わたしは性根が悪いようだからね、楽しくなる見返りが欲しくなるよ」
「でしょうね」

 ロレットはそこで、心からの笑みを浮かべた。
「君が条件を呑むのなら、考えてもいい。乗るかい?」
 リリアナは頷いた。
「いいですよ。私が受ければ、もうジルベルト様や令嬢を巻き込まないでくれるんですよね?」
「ああ、約束しよう」

 リリアナが大きく息を吸って「わかりました」と答えれば、ロレットはスッと二本だけ立てた指を目の前に出した。
「選択肢は、ふたつ。ひとつは、わたしと婚約すること」
「……は?」
 リリアナのしかめっ面に、ロレットは口の端で笑った。
「兄は君がお気に入りのようだからね。それを奪うのと、君の未来を奪うこと。これならとても頑張れるよわたしがね」
「……ほんと、性根が悪いですね」
 リリアナは吐き捨てるように呟いた。

 ロレットは指をひとつ下ろして人差し指だけを見せた。
「そしてもうひとつ。この世の人間ではない君が、元の世界に戻ること」
「……」
 リリアナは人差し指の先の、楽しそうなロレットの顔を静かに睨む。

「さあ、どっちがいいかな? わたしにはどちらも選べないな、どちらも愉快だからね」
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