王子としらゆき

秋月朔夕

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第三十話 王子に嘘を吹き込まれるしらゆき

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 ここが私達が一緒に暮らしていたマンションだよ、と部屋の中を隅々まで案内したけれど、彼女はごめんなさい。まだ思い出せそうにないの、と申し訳なさそうに謝った。
  ――当たり前だ。前に住んでいたマンションとは違う物件なのだから。
  記憶を取り戻されたら、また雪乃は私を拒絶する。そんなことは私が一番分かっている。だから少しでも、彼女の記憶を蘇らせるものは避けたかった。そのために雪乃が検査を受けている間に、この部屋を用意させたのだ。ここならばマンション自体が私名義だし、バリのリゾートをイメージした部屋の内装は雪乃が気に入りそうだと思って、この部屋に決めた。そんな私の汚い胸中など知らないで、彼女は思い出せないことへの罪悪感がありありと顔に浮かんでいる。
 「気にしないで。思い出なんてまた作ればいいのだから」
  己の浅ましい本心を押し隠して、雪乃の髪を撫でれば、はにかむ彼女が眩しい。
  ――できるなら、ずっと、この関係が続けばいい。



  夕食を終えて、シャワーから上がったら、雪乃が落ち着かない様子でリビングをウロウロと歩いていた。
 「…………ゆきの?」
 「ひゃっ!」
  声を掛けると、丁度正反対を向いていた雪乃は私に気付いてなかったらしく、大きく肩を跳ねさせて驚いていた。
 「どうしたの?」
 「う、うん……」
  返事を待つけれど、煮え切らない答えに首を傾げる。
 (具合でも悪いのかな?)
  おでこを合わせて、熱があるか確かめようとすると、直前で胸をおもいきり押されて、やり場のない手が虚しい。
 「た、た、たかや……!」
 「うん?」
 「べ、ベッドが一つしかないの」
 (なんだ。そんなことか……)
  嫌われたわけではない、という事実に胸を撫で下ろす。
 「私と雪乃は毎晩一緒に眠っていたからね」
 (まぁ、無理矢理にだけど)
  それでも、ここはあのマンションとは違う場所だ。もちろんベッドくらい置いてあった。破棄させたのはわざとだ。雪乃が私と一緒に眠るために。
 考えていることを隠して悠然に告げると、雪乃の白い頬がみるみる紅潮していく。
 「えっと、じゃあ、今夜も……」
  うつ向きながら、だんだんと弱くなって最後まで言わなかったけれど、彼女の言いたいことは分かる。雪乃は私と一緒に眠ることに気が進まないのだ。当然だ。今の彼女にとって私は、初対面の男なのだから。
 (だけど、私は雪乃が嫌だと思うことが嫌だ)
 「雪乃、私はね、不安なんだ」
 「――え?」
 「もしも、もう一度雪乃が目覚めなかったらと考えると…だから、もしもキミになにかあった時にすぐに気付いてあげられるように一緒に眠りたいんだ」
  言ったことは全て事実だ。
…………ただちょっぴりあるやましい気持ちを言わないだけで。







 (どうしよう!)
  そんな風に心配されたら断れない。
 「ゆきの?」
  駄目、と首を傾げる彼は反則だと思う。結局、わたしは鷹夜にギクシャクと壊れたロボットのようにかぶりを振って、寝室で眠ることを了承してしまった。
  直後に彼は良かった、と安心したかのように息を吐き、寝室へと手をとって歩き出す。
 (どうしよう、どうしよう……)
  心臓が壊れそうなくらいバクバクいっている。緊張で手に汗をかいていることが、握っている彼に伝わらないか心配しているうちに、あっという間に寝室に着いてしまった。
  部屋に置いてあるベッドは大人三人が寝ても、余裕なくらい大きい。
 (…………これなら、端っこの方に寄れば、大丈夫だよね)
  鷹夜も空気を読んでくれたのか、わりと端の方に寄ってわたしを待っている。よし、と心の中でこっそり気合いを入れて、ベッドに潜り込んだ。彼はそれを確認して、サイドテーブルにあるリモコンで電気を消し、明かりは間接照明のオレンジ色の光だけとなる。
 (あぁ、もう!緊張する……)
  お互いに距離はとっているとはいえ、同じベッドの中にいるのだ。意識しない方がおかしい。
  ――それに、鷹夜はなにも教えてくれなかった。
  夕食の時に、わたしたちの出会いや、なれそめ。それに鷹夜のことも聞きたかったのに、答えることで変な先入観を植え付けたくない、とその一言で拒絶されてしまった。だから未だに彼のことが分からない。


 (…………眠れない)
  緊張からか、二週間も寝溜めしたからか、考えることがあまりに多いからか、あるいは全部か。無駄に打つ寝返りが、余計に心を重くしていく。
  ――その時、腕がわたしに伸びてきた。
 「た、たかや?」
  いつの間に、こんなに近くにいたのか。予期せぬ形で抱き締められたせいで、動揺のあまり上擦った声が出る。けれど、返ってくるのは規則正しい寝息だけ。
 (寝ぼけているの……?)
  腕の力はすぐに抜け出せる程に弱い。だけど、実際に行動に移してもすぐに引き戻されて意味のないものになる。
  そのせいで余計に密着してしまい、首に当たる彼の息がくすぐったい。
 「…………ぁ」
  首への刺激が弱いだなんて今は知りたくなかった。きっと鷹夜は抱き枕だと思っているはずなのに、勝手に反応してしまう自分に余計に焦りを感じてしまう。そういえば混乱の中、気付いたけれど、着ているパジャマは色違いだ。
  鷹夜が水色で、わたしが薄いピンク色。
 (なんだか新婚さんみたい……)
  そう考えた時、急激にこの体勢が恥ずかしくなった。もう一度抜け出してリビングにあるソファーで眠ろうと考えたけれど、力が強くなっていって不可能だ。
 (鷹夜の馬鹿っ!)


  ――結局この日、わたしが眠ることができたのは朝日が昇る直前のことだった。

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