機械仕掛けの女神様

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第13話 歯車は止められない

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どこで歯車がズレた。
 どこで間違えた。
 そもそも何を間違えてて、どのように直せばよかったのか。

 ガラスの向こう側に見えた、ラスカの泣きそうな顔を思い出しながらユウキはそう思った。直視できなかった。扉に消えていくラスカを、ラスカから教えられた真実を、労働者達に待っている未来に、希望なんてない事を……。

 ただ、心のどこかで、ラスカがなんとかしてくれると思っていた。ラスカは自分より遥かに頭が良くて、自分にとって大切なものだったから。処分されると聞いても、どこかで生きているように思っていた。いや、思わずにはいられなかった。だから、受け入れられなかった。

 面会からすぐに、管理官がユウキの部屋にやってきた。土足でユウキの部屋をふみ荒らす。後ろにはシュウゾウが立っていた。

「これは……」

 管理官は何かに気づくと、家主であるユウキの許可も取らずに何かを奪ってポケットに入れた。薄汚れた、長方形の何かを。それを見た時、争う気も起きない衝動がユウキを突き動かした。

「テメェ!!」

 刹那、ユウキが敬礼を解いて殴りかかる。鈍い音を立て、管理官が倒れた。普段なら、ユウキはこのようなことはしない、決して許されないからだ。しかし、今回は許されなくてもいい。こちらが許せないのだから。合理的ではない思考がユウキを支配し、そして彼自身の体を突き動かしていた。ユウキはそのまま倒れ込んだ管理官の上に乗り、続けざまに2発、3発と拳を叩きこむ。生暖かい感覚。ユウキの顔に返り血が飛ぶ。気がつくと、管理官の鼻から血が流れていた。しかしそんなもの構うものか、もう一発叩き込……もうとした時、後ろのシュウゾウに阻まれた。仕事とはいえ、抑えた当人も困惑していた。こんな姿見たことがない。

「全く、仕方のない労働者だ!」

 管理官は立ち上がると、一言捨て台詞と共に腰元の棒でユウキの腹を強く叩いた。苦い胃液が血と共にユウキの口から溢れ、その場にくず折れる。管理官はうずくまったユウキに2回蹴りを入れると、シュウゾウにも一発拳骨を入れた。

「管理は一体どうなってる!」

 苛立ち声でシュウゾウに尋ねる。しかし、シュウゾウは答えられなかった。全くどいつもこいつも、管理官がボソリと呟くと、右手に持っているそれを乱雑にポケットに詰め込んだ。しかし、さんざんされたにも関わらず、ユウキの怒りは収まっていなかった。

「返せ……、それは、あいつが残した最後の証なんだよ……!お前が持ってちゃ意味ないんだよ……!返せよ……!返せよぉ!!」

 血と胃液と痛みでぐちゃぐちゃになりながらも、ユウキは力強く叫んだ。しかし、管理官はその叫びに耳もくれず、足早にそれを持ち去ってしまった。扉がしまる重たい音が響く。

「返せ……!返せ……!」

 ボロボロの体でユウキは扉を叩く。もはや開く体力も残っていないほど痛めつけられていたはずなのに。その姿に、シュウゾウはただただ呆然としていた。

「あいつを返せよぉ!!」

 ユウキが叫んだ。それは、嘆きのような、悲しみのような、今までのユウキなら到底考えられなかった、悲しい叫び声だった。

 奪われたのはラスカの名札であり、ラスカが生きていた証だ。嫌な憶測だが、管理官がこれを奪った理由は、きっと処分するためだろう。居なくなった労働者の痕跡を残す必要はない。あくまで推測だが、ユウキには、それがラスカがいなくなってしまったという事実を裏付けるものになってしまった。その事実に、ユウキはどうすることも出来なかった。ただ、扉をたたき、「返せ」と泣きながら訴えることしか出来なかった。

「もう、やめろ。血が出てるぞ」

 シュウゾウは言った。確かに、いつの間にか扉にも赤い拳の跡が残っている。ユウキの拳は既に皮がめくれて、血が吹き出していた。それでも、叩くのをやめない。

「もう、やめてくれ……」

 声を絞り出す。祈るような声でシュウゾウがもう一度言った。祈りが届いたのか、ユウキは叩くのをやめた。そして……

「やめろって!?俺にラスカを諦めろって!?出来るわけないだろ!!」

 叩くのをやめたユウキは、その行き場のない気持ちを扉ではなく、シュウゾウにむけた。いや、扉の向こうにある、遠く離れた理不尽から、手が届きうるシュウゾウに移すしかなかった。溢れんばかりの気持ちをぶつける。

「あいつは俺の大事な友達だぞ!俺たちは、それすら持っちゃ行けないのかよ!!」

 大粒の涙がユウキの胸元を濡らす。

「俺たちは、一体なんなら許されるんだよ……。神様は俺たちの何を許してくれるんだよ……」

 溢れ出たユウキの気持ちに胸が痛くなる。ユウキは変わった。豹変してしまった。同僚がひどい形で亡くなろうと、涙ひとつ流さなかったユウキが、今ここまで嘆いている。辛いだろう。悲しいだろう。変わってやりたい。しかし我が身も労働者、出来ることは、ただ涙を拭いてやることだけだった。初めて、シュウゾウは自分が置かれている状況を恨んだ。

「この世界の神様は、鉄くずで、人の心なんてちっとも分からないヤツなんだ。」

 ぽつりとシュウゾウがつぶやく。ただ、そうすることしか出来なかった。慰めにもならないような言葉をこぼす。神様なんてこの世にいない。口癖のように、かつての家族に言っていた言葉を掛ける。それが労働者シュウゾウに許された、気休めにもならないただ一つだけの慰めだった。

「だから、自分しか信じちゃダメなんだよ。この世界じゃ……」

 神様は自分の心にいる。少し前に掛けられた言葉をユウキは思い出す。そうか、あの時の言葉の真意はこういうことだったんだ。自分以外が信じられないから自分しか神様になり得ないんだ。シュウゾウは慰め程度に投げた言葉だったが、それは大きな黎明になった。ユウキの頭に、一つの天恵が降りてくる。

「……自分なら信じて良いんだよな」

 子どもが親に頼むような聞き方でユウキが訪ねる。まるで、わかりきっている事を正しいと確認するように。それに対しシュウゾウは当たり前だと肯定する。

「それが馬鹿げてても良いんだよな」

 再度、シュウゾウは肯定する。それが傷ついたユウキを癒やすと信じて。

「じゃあ……」

 ユウキは、口を開いた。そうだ。神様なら会ってるじゃないか。

「あの馬鹿神様に復讐してもいいんだよな」

 あまりに攻撃的な言葉に、シュウゾウは理由無しに肯定出来なかった。思わず冗談だろうと聞き返す。しかしそれは冗談ではないらしい。

「あのマキナって女に会って、文句言ってもいいんだろう?」

 返ってくるのは同じ内容だった。本気だ。ユウキは冗談を言う男ではない。本気で会おうとしている。

「辞めておけ。到底許されない」
「許されなくたっていいんだよ」
「殺されるぞ」
「それでもいい」
「良いわけがないだろ」

 シュウゾウにはやりとりで分かった。ユウキは本気でマキナに会おうとしている。そして、自分の命も捨てる覚悟でいる。今度はシュウゾウに悲しみが満ちる。自分の家族を思い出してしまう。自分の家族がたどった悲しい道を。

「……頼む。俺にもう一度、家族を失わせないでくれ」

 気づいたら、言葉を絞り出していた。そして、止まらなかった。

「お前のことが大事なんだよ。何よりも大事なんだよ。だから……」

 ユウキの肩をつかむ。いつもより、力が入っている気がした。そして、必死に、祈るように、こうつぶやいた。

「頼む」


「……やっぱり神様なんていないんじゃないか」

 ユウキのその言葉だけが、ただ重たく、何もなくなった部屋の中に響いた。


▽……▽……▽……▽


 その晩、ユウキは考え込んでいた。

 部屋に何もなくなった分、考え込むのはたやすい。かつてあった、夜な夜な紙をめくる音も、独り言も聞こえてこなかったからだ。正確には、ラスカがいなくなってから音自体は消えていたのだが、名札があったおかげで、それがあたかも今も続いていて、ラスカがこの部屋で勉強しているように思えた。しかし名札がなくなってしまったことで、耳にこびりついた音は、まるでラスカがこの世から消えてしまったかのように、ぱったりと消えてしまった。がらんどうの中、ユウキは思考を止められなかった。頭の中にあったのは、やはり「どうやったらマキナに会えるのか」ただそれだけだった。

 どう頭を巡らせても、結びつく結論は「処分」しかない。しかしそれも本望だった。「処分される」という結果ならまだ良い。問題は「会えずに処分される可能性が高い」という事だった。マキナはこの世界の神様の一部だ。ならそこら辺を歩いている訳もない。どこか、自分たちの手に届き得ない場所にいるのだろう。であれば、この間のような、視察の時を狙うか?そう考えたが、視察は滅多にないことに気づく。ロムルの視察は、年に一度あるかないかだ。すでに来てしまっているので、今年はもう来ないだろう。それに、マキナを連れているのも確かではない。そんな希有なチャンスを待ち続けられるほど自分の神様こころに嘘はつけない。今すぐにでも文句を言って、殴り尽くさなければ気が済まない。

 気がつくと、時計はⅢを指していた。何時も煌々と光を放っている工場も今の時間は人の気がない。真夜中だ。なのに頭は休まらず、寝ようとする気も起きなかった。ユウキは窓を開けて、恨めしげに外を見る。そこには、いつもと変わらない、煙を吐き出し続ける心臓のような機械があった。ラスカはこれを第百五火力発電機と呼んでいたっけ。今も昔も、変わらないな、そう考えていると、ふと、いつもと違う部分を見つけた。誰かが通路を歩いている。よく目を凝らして見ると、それはシュウゾウだった。再度時計を見る。時計は相変わらずⅢを指したままだ。ユウキが眠れないことは良くあったが、この時間に人影を見かけることはそうそう無かった。真夜中にシュウゾウがたった一人で通路を歩いている。それは明らかに普通じゃなかった。

「ジジィ。一体何を考えてるんだ?」

 口を突いて出ていた。いや、その異常さに、出さずにはいられなかった。
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