嫌い、キス、時々好き。

宮谷りく

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♯02 抱きしめたくなる香り。

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 午後三時。
 穏やかなBGMが流れるオフィス。
 
「永瀬さん、ちょっといい?」
 
 振り返ると、同期の香料開発部・安堂真琴(あんどうまこと)が立っていた。
白衣姿に柔らかな笑み。

 社内でも“優男代表”と呼ばれる彼は、そこにいるだけで空気を和らげるような人だ。
 
「あ、まこちゃん。どうしたの?」
 
「新しい香りの試作できたから、嗅いでみてほしくて」
 
「えっ、もう新作できたの? はやっ!」

 真琴の手には、小さなガラス瓶。
淡いピンクベージュの液体が、光を受けてきらりと揺れる。
 
「まだ試作段階だけどね。
テーマは“抱きしめたくなる香り”。
永瀬さんの意見、もらいたくて」
 
「ええっ、私の意見でいいの?」
 
「うん。香りの印象を言語化するの、君うまいから」
 
その言葉に、思わず笑みがこぼれる。
 
「ちょっと、手首貸して?」
 
「うん」
 
 シュッ、とスプレーの音。
瞬間、ふわっと甘く優しい香りが広がった。
ラベンダーの清らかさに、シトラスの明るさ、ホワイトムスクの柔らかさ。
 
 次々に鼻先をくすぐるその香りに、思わず少しドキッとする。
 
「……わぁ、いい匂い!」
 
「ほんと?」
 
「うん。でも、なんか……あと一歩って感じ。」
 
「ん?」

 紗結は目を閉じ、手首の香りを確かめながら言葉を探す。

「最初にふわっと立ち上がるトップの明るさはすごく印象的。気分がパッと晴れる感じ。
でも、香りが少し落ち着くラストに、もう少し“温かい余韻”があると、テーマの“抱きしめたくなる香り”がもっと伝わると思う。
手首から離れた後も、そっと香る甘さみたいな……わかるかな?
……ごめん、偉そうに。あくまで一個人の意見です」
 
 その言葉に、真琴の目がぱっと見開かれる。
そして、ふっと息を吐いて笑った。
 

「やっぱり気づくか。俺もラストが少し弱いなって思ってたんだけど、言語化できなくて。
なるほど、“温かい余韻”か。やっぱり永瀬さんに聞いて正解だった」
 
「そう? お役に立てたなら何よりです」

 そう笑う紗結を見て、真琴は少し照れたように告げた。
 
「この香水、完成したら――一番につけてほしいな。永瀬さんに」
 
「……」
 
……はい、その発言。
同期として、聞き捨てならない。
私はやれやれとわざとらしく首を横に振った。
 
「……あー、また出たよ」
 
「え?」
 
「まこちゃんの天然思わせぶり発言。私じゃなければ、それ殺し文句ですからね?」
 
「ちょ、待って。今のどこが!?」
 
 本気でわかっていない顔。
そう、そういうところがタチ悪いんだよね~この人は。
 
「だってさ、この香り、“抱きしめたくなる香り”でしょ?」
 
「うん?」
 
「ってことは、その香りをつけてほしいって、“私を抱きしめて”って言わせたいってことじゃん」
 
「……あっ……!!」
 
やっと気づいたらしい。
みるみる頬が赤くなっていく真琴を見て、思わず笑いがこみ上げる。
 
「そ、そんなつもりじゃ……! ていうか、そう聞こえる!?」
 
「聞こえる聞こえる。むしろ、女性陣全員に誤解されるレベルです」
 
「気をつけます……」
 
 彼の困ったような笑顔に、ついこちらまで笑ってしまう。

――その時。
 
「邪魔です」
 
 打ち合わせ帰りだろうか。和泉がオフィスに戻ってきた。
入り口付近で話していた私たちに、無表情で声をかけ、間を割るように通り抜ける。
 
「こらっ、和泉くん。その言い方なに?」

 思わず突っかかってしまったけれど、和泉は無視して席へ向かう。
 
くうっ、可愛くない!
その背中を睨みつける。

 すると、まだ顔が赤い真琴が、手で顔をパタパタしながら言った。
 
「じゃ、ほんと、ありがとう! 永瀬さん!
完成してもし採用されたら、ボトルデザイン勝ちとってよ!」
 
「はーい」と軽く答えて手を振る。

――その様子を、和泉が鋭い瞳で見つめていたことに、私は全く気づかなかった。

***

「ただいま~」

 残業を終えて帰宅し、玄関を開けると、
リビングの明かりの下で、スウェット姿の和泉が振り返った。
湯上がりの髪が少しだけ濡れている。
 
「おかえり」
 
優しい声。
……けど、どこかトーンが低い。
 
んん? 機嫌悪い?
 
「どうしたの?」
 
「別に」
 
「うそ」
 
「ほんと」

そう言いながら、ぎゅっと抱きしめてくる。
スリスリと甘えるように頬を寄せてきて、くすぐったい。

「わっ、なに、どうしたの急に」
 
「……昼、楽しそうだったね。安堂さんと」
 
「えっ? そうかな?」
 
「あんな入り口で話されたら嫌でも目につく。……手首、貸してたよね」
 
「新作の香りのテストだよ? 意見聞きたかったって」
 
「ふーん」
 
和泉は、彼女の手を取る。
そのまま、今日スプレーした方の手首を、ゆっくり口元に寄せて――唇が触れた。
 
「っ……!」
 
やわらかい感触。
そして――唇を離すことなく、絡む視線。

近い。
その漆黒の瞳に見つめられた瞬間、心臓が跳ねた。
 
「“余韻”が足りないって言ってたよね」
 
「ちょ、待って! そこだけ切り取るとなんか、いやらしい!」
 
「事実述べてるだけですけど?」

唇の端が、わずかに上がる。

「しかも、あの人、自分の香水を真っ先に紗結さんにつけてほしいとか言ってたし。
それが、よりによって“抱きしめたくなる香り”だぁ? ふざけんな」

「それは……あの人、天然だから! 深い意味はないんだって!」
 
「それでも、あの人の香り、まだちょっとだけど、ここに残ってる」

再び手首に口づけ。
今度は――

がぶっ。

軽く噛まれた。

「いった……!」

甘い痛みに、抗議の声を上げると、和泉は低く囁く。

「……俺、これ嫌い」
 
「え、なんで?」
 
「俺以外の男の香りが、紗結さんに残ってるのが嫌。」
 
手を引かれ、胸に抱き寄せられる。
 
「職場では我慢してたけど……正直、めちゃくちゃムカついてた」
 
「……そんなに?」
 
「そんなに」
 
 低い声が耳に落ちる。
次の瞬間、首筋に唇が触れた。
 
手首にほんの僅かに残るラベンダーと、濡れた髪から香るシャンプーの香りがゆるやかに混ざり合う。
 
「俺の香りで、上書きしていい?」
 
「……っ」
 
「マーキングさせてください」
 
顔を上げた彼の瞳は、甘さと独占欲で満ちていて、思わず、くすっと笑うと、唇が重なった。

離れ際、和泉が小さく囁く。
 
「もしあの人の香水が完成しても、紗結さんのデザインは採用されないよう全力で阻止しますから」
 
「……は? なんで?」
 
「だって、あの人の香水を紗結さんがボトルデザインするって……
二人の共同作品みたいで、めちゃくちゃ嫌。すげーむかつく」
 
「私情がすぎる……! 私だって負けないから!」
 
「……やれるもんなら、やってみやがれ」
 
小さく笑って、また唇が触れた。
言葉は溶け、今日も彼の香りに包まれる。

でもね、和泉くん。知ってた?
私がもし“抱きしめたくなる香り”をつけるとしたら――
それは、君の前だけだよ。


……なんて、絶対言わないけどね。

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