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1.聖女と魔女のプロローグ
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「もうっ……やめてくれ……」
あ……あっ……ああぁ……
石積みの寂れた塔から、若い男の艶やかな嘆きが漏れ聞こえている。
欠けた月夜に流れ星。
華やかな王宮から一番遠い庭園の端に、生垣は枯れ、芝生は禿げ、人々から忘れ去られたように苔生し、かつては「白鳥の塔」と尊ばれた結界塔が、今は何の力も無く朽ち果てようとしている。
塔の明かり取りの小さな窓から覗くと、月明かりが差し込む暗く狭い石畳の部屋で、男が一人。
白いシーツが乱れたベット、四つん這いになる男の薬指にはめられた、怪しい光を放つ赤い石に、指輪の爪が食い込んでいる。
男の指がギュッとシーツを握る。
剥ぎ取ろうとしたのか、逆に白いシーツに巻き込まれてベットから転げ落ちた。
頬を伝う雫は汗と涙がまざり、翠眼の周りは暗影、足取りはフラフラ、椅子に掛けていたガウンを掴み、部屋を出ようとガウンを羽織る、男の背中は閉ざされる扉の隙間に、蒸気した首筋と肩は震えていた。
ぺたり ぺたり
冷たい石畳を裸足で歩いていく。
ぽうっ
生命力に反応して灯る苔。
男の僅かな命の灯火が燃えているようだ。
男が通り過ぎた石壁は元の暗い闇に戻る。
ぺたり ぺたり
冷たい石積みの階段を地下へと降りていく。
男が通り過ぎた後方からは、こちらを窺う常闇が、命の灯火を狙って近付いてくる。
永久不変の暗闇が男を飲み込もうとするたびに、苔生した灯火が男を照らす。それはとても頼りない柔らかな光。けれど確かな不可侵領域で男を導いていく。
男がやっと階段を降りきり、突き当たりの古びた木の扉を、体重をかけて押し開く。
ガッギギィィィ
隙間からパァッと明るい光が照らされた。
そこは地下室とは思えない豪華なシャンデリアが飾られ、柔らかそうな絨毯が敷き詰められていた。
けれどそれは、檻の向こう、貴族用に作られた貴賓監獄の一室。
男は、通路に所狭しと配置された立派な家具の前を通り、檻に近付いた。
檻の奥から、水色のワンピースの女が現れた。
「お可哀想なお兄様。……その様子では、今日はかなり酷い扱いを受けたのですね。」
檻を掴み、兄に話しかける。
「ハハ……週末はいつもこんなものさ。朝まで続かないだけ今日はまだマシかな……」
兄は檻の前に置かれた猫脚椅子に落ちるように腰掛けた。
ガウンからはだけた厚い胸板に汗が滴り、大きな体が小さく丸まった背中。
「……以前」妹の声に、兄の視線が向けられる。
湯気が立つ、上半身。
「……以前、お兄様にお話しした、ソフィーリアの事を覚えておいでですか?」
「ん……。隣国の公爵令嬢、だったかな確か、ルフィアの母の妹の家族だったと記憶しているよ。ルフィアにそっくりな顔をした令嬢は、ルフィアとは正反対の清浄無垢な、深層の淑女だと。」
「まあお兄様。私これでも教会から祝福を授かってから、今までずっと塔におりますのよ。深層の姫君と言っても過言ではなくてよ。」
「深層の姫君とは、王家の諜報員を手懐け、塔に居ながら社交界を牛耳り、その細腕で豪傑な商人や傭兵ギルドまで手中に収めるものなのかな。」
「言い方。いじわるね。」
ピカピカに磨かれた鉄格子から手を離す。
ソファにちょこんと座ると、侍女がちょうど良い感じに用意したティーセットワゴンから、ルフィアが選んだ「ソレとソレ」を目線で読み取った侍女が、ナイトハーブティーを淹れ、お茶菓子の用意をする。
兄は肩をすくめた。
「実は」ハーブティーで潤った声は少し機嫌がいい。
「実は、隣国からの使者がようやく参りまして、皇帝両陛下を後ろ盾に公爵家親戚縁者総動員で、ソフィーリアを守る会が設立された、と報告がございましたの。」
「それはすごいな。」
兄は驚いてはいるものの、聖痕尽き果てた肉体はままならず、ただ相槌を打つのみ。
くす、と不敵に笑みをこぼすルフィア。
「お兄様はもっとお喜びになられた方がようございましてよ。」
「なんだか怖いな。お手柔らかに頼むよ。」
「……安心なさいませ、お兄様、歯車は動き出したのです。全てこのルフィーリアの掌の上ですわ。」
それが一番怖い……と思ったが言葉には出さずに腰を上げ、兄は扉に向かった。
ふと何かを思ったのかゲッソリと頬に影が射す横顔で、
「明日の月曜日は休み明けだから、悪魔の挨拶回りのせいで一日寝込む事になるだろう。……いや、つまらない愚痴がついて出たようだ、忘れてくれ。また、来るよ。期待せずに待ってて。」
自分自身に、期待などするなと言い聞かせているように、諦めにも似た呟きと、うつろな目。
ルフィーリアは、兄の精神状態が既に限界を超えていると見て、甘い期待の言葉を伏せた。去っていく兄の背中を見送りながら、固く閉じた唇は、心の中で囁く。
ソフィーリアが必ず、クリストファーお兄様を救います。……それをこの目で観劇出来ないのは残念ですが。
くす。
ルフィーリアの挑戦的な眼差しと、妖しく笑む唇がゆっくり、閉じる扉の隙間に、シャンデリアのまばゆい光の中に消えた。
クリストファーは常闇に向かっていく。
その先には破滅しか無いと知りながら、歩みを止めることはなかった。
あ……あっ……ああぁ……
石積みの寂れた塔から、若い男の艶やかな嘆きが漏れ聞こえている。
欠けた月夜に流れ星。
華やかな王宮から一番遠い庭園の端に、生垣は枯れ、芝生は禿げ、人々から忘れ去られたように苔生し、かつては「白鳥の塔」と尊ばれた結界塔が、今は何の力も無く朽ち果てようとしている。
塔の明かり取りの小さな窓から覗くと、月明かりが差し込む暗く狭い石畳の部屋で、男が一人。
白いシーツが乱れたベット、四つん這いになる男の薬指にはめられた、怪しい光を放つ赤い石に、指輪の爪が食い込んでいる。
男の指がギュッとシーツを握る。
剥ぎ取ろうとしたのか、逆に白いシーツに巻き込まれてベットから転げ落ちた。
頬を伝う雫は汗と涙がまざり、翠眼の周りは暗影、足取りはフラフラ、椅子に掛けていたガウンを掴み、部屋を出ようとガウンを羽織る、男の背中は閉ざされる扉の隙間に、蒸気した首筋と肩は震えていた。
ぺたり ぺたり
冷たい石畳を裸足で歩いていく。
ぽうっ
生命力に反応して灯る苔。
男の僅かな命の灯火が燃えているようだ。
男が通り過ぎた石壁は元の暗い闇に戻る。
ぺたり ぺたり
冷たい石積みの階段を地下へと降りていく。
男が通り過ぎた後方からは、こちらを窺う常闇が、命の灯火を狙って近付いてくる。
永久不変の暗闇が男を飲み込もうとするたびに、苔生した灯火が男を照らす。それはとても頼りない柔らかな光。けれど確かな不可侵領域で男を導いていく。
男がやっと階段を降りきり、突き当たりの古びた木の扉を、体重をかけて押し開く。
ガッギギィィィ
隙間からパァッと明るい光が照らされた。
そこは地下室とは思えない豪華なシャンデリアが飾られ、柔らかそうな絨毯が敷き詰められていた。
けれどそれは、檻の向こう、貴族用に作られた貴賓監獄の一室。
男は、通路に所狭しと配置された立派な家具の前を通り、檻に近付いた。
檻の奥から、水色のワンピースの女が現れた。
「お可哀想なお兄様。……その様子では、今日はかなり酷い扱いを受けたのですね。」
檻を掴み、兄に話しかける。
「ハハ……週末はいつもこんなものさ。朝まで続かないだけ今日はまだマシかな……」
兄は檻の前に置かれた猫脚椅子に落ちるように腰掛けた。
ガウンからはだけた厚い胸板に汗が滴り、大きな体が小さく丸まった背中。
「……以前」妹の声に、兄の視線が向けられる。
湯気が立つ、上半身。
「……以前、お兄様にお話しした、ソフィーリアの事を覚えておいでですか?」
「ん……。隣国の公爵令嬢、だったかな確か、ルフィアの母の妹の家族だったと記憶しているよ。ルフィアにそっくりな顔をした令嬢は、ルフィアとは正反対の清浄無垢な、深層の淑女だと。」
「まあお兄様。私これでも教会から祝福を授かってから、今までずっと塔におりますのよ。深層の姫君と言っても過言ではなくてよ。」
「深層の姫君とは、王家の諜報員を手懐け、塔に居ながら社交界を牛耳り、その細腕で豪傑な商人や傭兵ギルドまで手中に収めるものなのかな。」
「言い方。いじわるね。」
ピカピカに磨かれた鉄格子から手を離す。
ソファにちょこんと座ると、侍女がちょうど良い感じに用意したティーセットワゴンから、ルフィアが選んだ「ソレとソレ」を目線で読み取った侍女が、ナイトハーブティーを淹れ、お茶菓子の用意をする。
兄は肩をすくめた。
「実は」ハーブティーで潤った声は少し機嫌がいい。
「実は、隣国からの使者がようやく参りまして、皇帝両陛下を後ろ盾に公爵家親戚縁者総動員で、ソフィーリアを守る会が設立された、と報告がございましたの。」
「それはすごいな。」
兄は驚いてはいるものの、聖痕尽き果てた肉体はままならず、ただ相槌を打つのみ。
くす、と不敵に笑みをこぼすルフィア。
「お兄様はもっとお喜びになられた方がようございましてよ。」
「なんだか怖いな。お手柔らかに頼むよ。」
「……安心なさいませ、お兄様、歯車は動き出したのです。全てこのルフィーリアの掌の上ですわ。」
それが一番怖い……と思ったが言葉には出さずに腰を上げ、兄は扉に向かった。
ふと何かを思ったのかゲッソリと頬に影が射す横顔で、
「明日の月曜日は休み明けだから、悪魔の挨拶回りのせいで一日寝込む事になるだろう。……いや、つまらない愚痴がついて出たようだ、忘れてくれ。また、来るよ。期待せずに待ってて。」
自分自身に、期待などするなと言い聞かせているように、諦めにも似た呟きと、うつろな目。
ルフィーリアは、兄の精神状態が既に限界を超えていると見て、甘い期待の言葉を伏せた。去っていく兄の背中を見送りながら、固く閉じた唇は、心の中で囁く。
ソフィーリアが必ず、クリストファーお兄様を救います。……それをこの目で観劇出来ないのは残念ですが。
くす。
ルフィーリアの挑戦的な眼差しと、妖しく笑む唇がゆっくり、閉じる扉の隙間に、シャンデリアのまばゆい光の中に消えた。
クリストファーは常闇に向かっていく。
その先には破滅しか無いと知りながら、歩みを止めることはなかった。
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