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1巻
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しおりを挟む序章 始まり……
それは一瞬の出来事だった。
眩いばかりの閃光に体が包まれたと思ったら、次の瞬間には地面に叩きつけられていた。
体の痛みに悶えながら、心のなかに何かが入ってくるような気持ち悪さを覚え、私――アリスミはえずく。
「……ッ、ゴホッ。だ、大丈夫で、すか……」
目を閉じたまま、一緒に巡回していた魔術師に声をかけるが、答えは返ってこない。すぐそばに立っていたのに。
彼女はどこ……
弄るように地面の上で手を動かしてみたけれど、触れるものは何もない。
閃光に逆らい目を開けると、手は届かない距離だけどすぐ隣に彼女は倒れていた。彼女は苦痛の表情を浮かべることなく、目を開け私のほうを見ている。
「動け……ますか……?」
痛みに耐えながらもう一度声をかけてみるが、彼女の唇は動かない。微動だにしない彼女をよく見ると、生気を失った瞳はもう何も映していなかった。
彼女は私よりも等級が上だったのに命を奪われていた。
どうしてっ、こんなことに……
私は生まれて初めて死というものを意識した。
この世界には『魔術師』と呼ばれる人たちがいる。人は誰もが魔力を持って生まれてくる。
ただ、体内に宿す魔力を紡げる者は多くない。紡いだ魔力を糧として術式を展開できる者だけが魔術師となれるのだ。
またひと括りに魔術師といっても、上位と下位ではその実力は天と地ほどの差がある。
私も魔術師の端くれだけど、等級が低いので危険な任務を任されることはなかった。
今回だって王都を囲う防御術式に綻びがないか目視で確認する簡単な作業だった。異常を見つけてもその場で対処することはなく、上に報告すればいいだけ。
巡回が終わったら家に帰って手際よく夕食を作って、いつものように過ごすはずだったのだ。
『早く帰るからね』と言ったのに……
まるで底なし沼にのまれるかのように意識が朦朧とし、弛緩した体は動かなくなる。まだ微かに動く唇で、私にとって一番愛しい名を紡ぐ。
「…………」
禍々しい光に蹴散らされてしまった声は、私の耳に届くことはなかった。一筋の涙が冷たくなっていく私の頬を伝う。私も彼女のように死ぬのだろうか。
――嫌、死にたくない!
強い思いは生への執着ではなかった。ただ、愛する人を残して逝きたくないだけ。
『……ごめんね』と心のなかで呟きながら、私の目も何も映さなくなった。
第一章 奇跡からの絶望
「……ック。……聞こ……いるか、カロック。アリスミ・カロック」
耳元で誰かが私の名を何度も呼んでいる。
しつこく繰り返されるのを止めようと口を開きかけ、自分が目を開けていないことに気づく。なんで私は寝ているのだろうかと思いながら、ゆっくりと重い瞼を開けた。
白い髭を生やした顔――白衣を纏っているので、たぶんお医者様――が覗き込むように私を見ていた。その姿を見てなぜ自分が寝ていたのか記憶が繋がる。
私、生きてる……
「きこえ……ま、す」
私の声は掠れて聞き取りづらいものだけど、医者は満足気にうなずき、私の手首を掴み脈を測る。続いて、目や耳や手足の動きを診ていく。こんなに丁寧に診る必要があるのかと思えるほど、その診察は入念だった。
訝しむ私に医者が答えてくれたのは、ひと通り確認し安堵の息をついたあとだった。
「防御術式に仕掛けられていた罠のせいで、君は二ヶ月間も生死の境を彷徨っていたんだ。正直だめだと思っていたが、こうして君は目覚めた。まさに奇跡だよ」
「あの、もうひとりの魔術師はどうなりましたか?」
生気を失った彼女の瞳を覚えているけれど、一縷の望みにかけて尋ねる。
しかし、医者は頭を左右に振りながら「残念ながら即死だった」と落ち着いた口調で告げた。
「君は本当に幸運だったんだ。体の欠損もないし、後遺症も今のところ見当たらない。しばらく体が重く感じられるだろうが、それは寝たきりだったから筋力が低下しているせいだ。時間とともに解消される。安心していい」
「……はい」
患者の回復を素直に喜んでいる医者を前にして、私は言葉少なに答える。
生きていることはうれしかったけれど、素直に喜ぶことはできなかった。
医者にとってもうひとりの魔術師の死は二ヶ月前の出来事で、その事実を受け止める時間は十分にあった。
でも、私にとってはたった数時間前のこと……
――すぐ目の前でひとつの命が消えた。
亡くなった魔術師は王都に異動してきたばかりで、一緒に仕事をしたのはあの日が初めて。
『よろしくお願いします。八等級のアリスミ・カロックです』
握手を求めて手を差し出した。
『ふーん。あなたが、あの有名なカロックなのね。私は五等級よ。あなたが私の足手まといにならないことを心から願っているわ』
『はい、頑張ります』
握り返されなかった手を、私はさり気なく引っ込めた。
彼女の態度は友好的とは言い難いものだった。名乗ってもくれなかったから、名前だって知らない。
……あとで誰かに聞こうと思っていたのに。
魔術師の階級はどこの国でも共通。十等級から始まりその実力に応じて、九等級、八等級と順に上がっていく。年齢も身分も関係なく、実力が重視される世界。
魔術は使い方を一歩間違えると、思わぬ惨事を生み出す。
それを防ぐために指揮系統がはっきりしている――上の者の命令は絶対だ。
中にはその意味を履き違えて、自分よりも下位の者を軽んじる人も残念ながらいる。……彼女のように。
でも、あの態度はそれだけが理由ではないと思っている。彼女は鼻で笑いながら私をジロジロと見ていたから。
あの有名なという言葉は皮肉を込めてだ。
私の恋人は『最上位』の称号を持つ魔術師――ザイン・リシーヴァだった。公言していたわけではなかったけれど、六年も付き合っていたら自然と周囲に知られるものだ。噂が届かないほどの田舎に住んでいる、もしくは他人に無関心でなければ、ほとんどの魔術師が私たちの関係を知っているだろう。
最上位とは一等級をも凌駕する存在で、現時点では彼を含めて世界に三人しかいない。その存在は、ある意味国を治める王よりも希少といえる。
そんなすごい魔術師の恋人が、下から数えたほうが早い八等級――私ごときなのが、気に入らない人も少なくない。
……たぶん、彼女もそのうちのひとり。
友人にはなれそうになかった、それでも同僚を失うのは心が痛む。
診察を終えた医者が今後の注意事項を説明していると、扉を叩く音がしてふたりの魔術師が入ってきた。
ひとりの肩には紙魔鳥――紙を折り作った鳥に魔力を流し込み連絡手段として魔術師は使っている――がとまっていた。
私の目覚めの連絡を受け駆けつけてくれたのだろう。
「もう、どれだけ寝るのよ! アリスミ。職務怠慢でクビになっても、かばってあげないんだからね!」
上半身を起こしている私に、金髪碧眼で容姿端麗の女性――ロザリー・シルエットが遠慮なく抱きついてくる。髪は乱れ、額には薄らと汗が滲み、肩で息をしている。
自慢の髪型が崩れることを何よりも嫌うのに、この病室まで全力疾走で来てくれたのだろう。
彼女は同じ年だけどすでに三等級の魔術師。
その美貌に釣り合った高い美意識を持っていて、凝った髪型や派手な服装にそれが反映されている。魔術師に支給されているローブに手を加える者もいるが、大概の人は裾の長さを変えるのみ。でも、彼女はお洒落に改造していた。
裏表のない性格ゆえに思ったことをはっきりと口にするけれど、嫌味がないから周囲から反感を持たれない。
――私の自慢の親友。
私の顔は彼女の豊満な胸に埋まる形になってしまう。……日常に戻ったと実感し、自然と肩の力が抜ける。
「困りますよ。彼女はまだ目覚めたばかりなんですから!」
医者が慌てて声を上げる。でも、ロザリーは私を優しく抱きしめたまま。離れる気はさらさらないようで、突っかかるような視線を医者に向ける。
「あら? 何か体に問題が見つかったの?」
「いえ、それは大丈夫ですが――」
「それなら問題はないわね。ただお見舞いに来ただけなのだから。ね?」
ロザリーは振り返って一緒に来た魔術師――私の恋人に同意を求める。
青銀の長髪を後ろで括っているザインは、表情が乏しいけれど優美な彫刻のように整った顔立ちをしている。瞳の色は、人が決して近づけない湖底の濁りのない水を連想させる深淵の青。そのうえ寡黙な人だから『下々の者とは口がきけないってか! 最上位だからとお高く止まりやがって……』と陰口を叩く人もいる。
でも、私は本当の彼を知っている――そんな人じゃない。
膨大な魔力を有している彼は、幼い頃隔離されていた。……つまり、家族から虐げられていたのだ。
だから、人と接するのが得意でないだけ。無表情で寡黙なのは彼の生い立ちのせい。
でも、それを知っているのは私を含めて数人のみ。だから、誤解されてしまう。
「と、とにかく患者を興奮させることは控えてください。それでは、私はこれで……」
最上位魔術師の無言を『圧』と受け取った医者は早口でそう告げると、病室から慌ただしく出ていった。
「ロザリー、心配をかけてごめんなさい。……ザイン?」
彼女から彼に視線を移し、私にとって一番愛しい人の名――あのとき、禍々しい光に蹴散らされて聞こえなかった名前を口にする。
私の感覚では数時間ぶり。でも、彼にとっては二ヶ月ぶりの再会のはずなのに、彼は扉のそばに立ったまま。
「どうしたの? こっちに来て、ザイン」
彼に向かって伸ばした手を、横から掠め取るように握りしめたのはロザリーだった。私はザインに顔を向けたまま、視線をまた彼女に戻す。
「あなたが眠っている間にいろいろあったの。彼、本当にあなたのことを愛していたから、憔悴して生ける屍だった。いいえ、本当に死にそうだったのよ。あなたが目覚めたときに、彼が死んでいたらだめだと思って、私、彼をひとりにしなかった。アリスミ、あなたのために」
彼女は明るい口調でそう言うと、ゆっくりと私から離れていった。そして、動かないままの彼の隣に並び立つ。
もし彼女ではなく他の女性だったら、友人以上の関係に見えるかもしれない近さ。
でも、ロザリーは私のかけがえのない親友。
それは決して揺らぐことがない事実。
――彼女のしなやかな腕が、ザインの腕に絡むそのときまでは……
私の目の前で、ザインはロザリーを拒むことなく受け入れた。
ロザリーは誰に対しても気安いところがある。酒に酔ったときなどは、軽いノリで異性と肩を組んで歌ったりしていた。
『ロザリー、それはやり過ぎよ』
『ふふ、そうかな~。そんなことないと思うけどな~。でも、親友に嫌われたくないからやめようかなー。アリスミ、大好き。大大だーい好きだからね!』
『はいはい、私も大好きよ。ロザリー』
こんな楽しい会話を何度も繰り返してきた。
でもこれは違う、酒席での冗談とは……
ザインに腕を絡める仕草はとても自然で、慣れたものだった。この行為がふたりにとって初めてじゃないことを物語っている。
「いつから……なの……」
掠れた声が喉に張りつく。さっきまで痛くなかった心臓が、張り裂けそうなほど苦しくなる。見たくないのに、寄り添うふたりから目が離せなくて、息をうまく吸えない。
どうして……、どうしてなの……
ふたりに向けた問いに答えたのは、やはりロザリーだった。彼女もまた私から目を逸らすことなく、真っ直ぐに見つめ返してくる。
「私と彼がこういう関係になったのは、とても自然なことだったの。恋人を失った彼と、親友を失った私には、支え合う相手が必要だった。人はひとりでは生きていけない――辛い状況であればあるほどね」
……失った? 過去形にしないで、私はここにいる、まだ生きているでしょ!
心のなかでロザリーの言葉に反論する。
「アリスミから見れば裏切りかもしれない。でもね、あなたは二ヶ月間も目覚めなかった。医者は覚悟しておくようにと言ったわ。私たちは紙魔鳥が大切な人の死を告げに来るのに怯えて生きていた」
ロザリーはさらに話を続ける。
「毎日が生き地獄だったのよ。この辛さは経験した人にしか分からないでしょうね。だから、理解してほしいとは言わないわ。でも、私たちは裏切ったつもりはないの」
……たった二ヶ月なのに……
心のなかでそう呟く。
眠り続けていた私にとっては、二ヶ月前は昨日のこと。でも彼らにとって二ヶ月前は、もうすでに遠い過去だった。
心をすり減らしていった彼らは、過去――目覚めぬ私――に別れを告げ前を向いたと、知らされた。
彼女は笑みを絶やさず、すらすらと喋り続けている。そこに罪悪感はない。裏表のない性格だから、思ったことを素直に話しているだけなのだ。
確かに医者も奇跡だと驚いていた。……私の死はみんなのなかで確定事項だったのだろう。
もし私が死んでいたら、彼女の言う通り裏切りにはならなかった。
残された者たちが互いに慰め合って支え合い、喪失感を乗り越える。そして、新たな人生を築く相手となる。その選択を誰が責められるだろうか……誰もできやしない。
でも私は目覚めた、いいえ、目覚めてしまったというべきかしら。
……目覚めなかったら良かったのだろうか。
奇跡の先にあったのは残酷な現実。
「こうなるのは運命だったと思ってるわ。私たちを認めてくれる? アリスミ」
ロザリーは私の許しを求めた。
私が拒んだらどうするの……
心のなかでそっと呟く。
しっかりと絡まったその腕を解くとは思えない、もう答えは決まっているのだ。
でも、私はうなずけずにいた。
時間が欲しい、ザインとふたりだけで話し合う時間が。だって私たちが一緒に築いた年月は、こんなふうに終わってしまうほど軽いものじゃない。
一緒に暮らしていて、それはずっと続くとお互いに思っていた。歳を重ね皺だらけになっても仲良く手を繋いでいる、そんな未来を当たり前のように話していた。貴族のように書面を交わしていなくとも、その実、私たちの関係は婚約者同士に違いなかった。
私はあなたにとって特別な存在。……そうでしょ? ねえ、そう言ってくれたでしょ? ザイン。
何度も何度も心のなかで叫ぶ。言葉にする勇気はなかったから。
ぎこちなく彼のほうを見ると、いつも通りの表情の彼と目が合う。
「もうあなたはいりません、アリスミ・カロック」
ザインが表情を変えることはなかった。
言い訳はまったくせず、とても短い彼らしい別れの言葉だけを告げる。
彼は誰に対しても敬語で話す。癖になっていてどうしても変えられないと、付き合い始めた頃に教えてくれた。
『すみません。でも誤解しないでください、あなたは他の人と違って特別です』
『私だけ?』
『そうです、あなただけです。アリスミ』
付き合って六年経ってもそれは変わらなかったけれど、その言葉遣いを冷たいと思ったことは一度もない。それなのに、今は他人行儀な話し方としか思えなかった。
「もう私は……特別じゃないの……」
彼は言葉を紡ぐ代わりに深くうなずいてみせた。
――もう私は彼の特別じゃない。
吐きそうなくらい心が苦しくてたまらないのに、涙は出てこない。
辛いときや悲しいときには自然に涙が溢れるものだと思っていた。……今までそうだったから。
でも、人は受け止めきれない悲しみに直面すると、泣けないらしい。どこかが麻痺してしまったみたい。……心が壊れないためだろうか。
強く握りしめ真っ白になった手を、私はそっとベッドの中に隠す。
「……ありがとう、嘘をつかないでくれて。おかげで早く立ち直れるわ」
自分でも驚くくらい普通に話せた、どうしてなのか分からないけど。……たぶん、この時間を早く終わらせるため。
「アリスミなら理解してくれると思っていたわ。そうよね? ザイン」
「はい」
見つめ合うふたりは恋人同士にしか見えない。きっと、この二ヶ月で周囲もそう思っているだろう。
私たちが三人でいると、初対面の人はロザリーのほうが彼の恋人だと勘違いした。そんな場面でよく言われた台詞が頭の中で蘇る。
『すみません。美男美女のおふたりが、あまりにお似合いなので間違えてしまって……』
よくある緑の瞳に、これまた珍しくない淡い茶色の髪色を持つ私は、見た目も平凡そのもの。
釣り合いを考えたら、ザインの恋人は誰もが認める美女のほうだと思ってしまうのだ。
謝罪とは言えない謝罪を、何度笑って聞き流したことか。
あれはこの未来を暗示していたのかもしれない。彼らを見ていると、あの罠に私が巻き込まれていなかったとしても、いつかはこうなっていたのではないかと思えてくる。
これは必然だったのかな……
私のなかにあった彼への想いが小さくなっていく気がした。
「アリスミにひとつだけお願いがあるの。これからも仕事で顔を合わせたりするでしょ? そのとき、必要以上に彼に近づかないでほしいの。あっ、嫉妬ではないのよ。周りに変に気を遣わせてしまうのが嫌なだけ。ほら、仕事に支障が出たら困るでしょ?」
ロザリーの裏表のない性格が好きだった。でも今、この瞬間から好きではなくなった。
――もう私の親友はどこにもいなかった。
ふたりの視線が私に注がれる。待っているのだ、私という憂いが完全になくなるのを。
彼らに対して何もなかったように接することはできなくとも、それを仕事に持ち込むような真似――悪口なんて言ったりしないのに。
私を信用できないようだ……それは私も同じ。
「私はあなたたちの邪魔はしないわ。もう昔の気持ちを思い出すこともない。誓ってあげる――恋人にも親友にも二度と戻らないと。だから心配はいらないわ」
ザインへの想いもロザリーに抱いていた友情も、すでに潰えている。六年かけて積み上げた想いでも、崩れるのは一瞬。
私の言葉にロザリーは満面の笑みで応え、ザインは何も言わずにうなずいた。
そして、彼らは「目覚めて本当に良かった」と最後に告げ……正確にはロザリーの言葉にザインがうなずき、そのあと入ってきたときと同じようにふたり揃って病室から出ていった。
彼らが最後に残した言葉に嘘はなかった。
もし私が死んでいたら、彼らは私から解放されずにいただろう。こうして区切りをつけたことで、彼らは罪悪感なく前に進めるのだ。
「何のために……私は目覚めたのかしら……」
静まり返った病室に、ポツンと私だけが取り残された。教えてくれる人は誰もいない。
いなくて良かった……よね……
誰もいない部屋で、私は涙を流せないまま肩を震わせ続けたのだった。
それから、麻痺した心とは裏腹に、私の体は順調に回復していった。見舞いに来た同僚の魔術師たちは『カロック、良かったな』とみな私の目覚めを心から喜んでくれた。
しかし、誰もが特定の話題を避けている。気を遣ってくれているのだと嫌でも分かった。
私とザインは付き合ってしばらく経つと、小さな家を借りて一緒に暮らし始めた。でも今はその家を出て、彼は魔術師に提供されている寮に移ったという。誰かが私に教えてくれたのではなく、扉越しに小声で話す声が聞こえてきたのだ。
この意味が分からない人なんていないだろう。
私は「そんなに急がなくとも……」と渋る医者を説得して、退院と職場への早期復帰を決めた。
仕事をしていたほうが気が紛れるし、何より周囲の腫れ物に触るような扱いを終わらせたかった。
……うん、早く大丈夫だと分かってもらわないと!
復帰を翌日に控えたある日。
私はよしっ! と気合を入れて、挨拶のために懐かしい職場へ顔を出した。
「ご迷惑をおかけしました、明日からまたよろしくお願いします」
「カロック、おかえりなさい」
「迷惑なんて思っていないから。待っていたよ、カロック」
「二ヶ月間も昏睡状態だったんだから無理しないで、徐々に慣らしていけばいいよ」
同僚たちは口々に歓迎と労りの言葉を送ってくれる。
彼らの変わらぬ態度にほっとしていると、黒い紙魔鳥が飛んできて近くの机にとまった。
紙魔鳥の色は決まっておらず、作成者である魔術師の好みに合わせて色とりどりの紙魔鳥がいる。しかし、黒を纏うのは魔術師長からの伝達のときのみと決まっている。
この国のすべての魔術師の頂点に立つ魔術師長から送られた紙魔鳥を前にして、その場にいる魔術師全員が姿勢を正す。
それを待っていたかのように、黒い紙魔鳥は「クワァッー!」と鳴き嘴を開く。
「八等級魔術師アリスミ・カロック、本日付でニーダル支部への異動を命じる。手配した馬車は南門から正午に出発する。時間厳守である。以上」
「えっ……」
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