銀色九尾な孤の彼と

山法師

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始まりの日

14 無駄な涙と温かさ

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(すごく綺麗な名前だね)

 とか、言ったらたぶん……

「だが俺は、名で呼ばれるのをあまり好ましく思っていない」

 ですよね、そんな気がしてた。

(奇遇ですねって、言いたくなっちゃってる)

 俺、耐えろ。さっきそれっぽい素振り見せちゃってるから、今度こそ耐えろ。

「だったらどう──」
「お前はマツザキナギサと呼ばれたいのか」

 もうホント、やめてくれ。

(自分が嫌な思いをしてまで)

 俺なんかを気にかけてくれるな、なんて呼べばいいか分かんないヒト。
 それに、睨みつけてるつもりなんでしょうけど、心配してくれてる眼差しになってます。

(やめてくれ、死ぬ)

 表情が崩れそうです、頑張って苦笑を固定してるんだよこっちは。

(あ、ヤバい)

 泣きそうな自分を認識した凪咲は、咄嗟に俯いた。
 俯いてから、思う。

(ここ)

 別邸、家の中だった。
 けど。

(優しいあなたに)

 こんな状況で泣き顔を晒して、いいはずがない。

「なま、え、は」

 駄目だ、声、震えてる。
 耐えきれそうにない。

「好きなように呼んでください。服、持ってきます。時間かかるかもなので、少しでもなんか食べて回復して、待っててください。戻ってきたら、ご飯かなんか、ちゃんと料理したヤツ出すので」

 ちょっと行ってきます。

 俯いたまま早口で言えるだけ言って、背を向けようとした凪咲じぶんの、

「待て、阿呆」

 肩を掴まれて彼に止められる、くらいは凪咲も想像ができてしまえたので、驚かない。

(優しい、あなたは)

 そうでない人でも、自分が泣きそうになっていると分かるだろうから。それほどに、今の自分は「自分を制御できない」精神状態だということ。

(だから、俺は)

 別邸ここで、『療養』しなければならない。

「確認させろ、阿呆。答えたいことだけ答えろ。答えたくないことは答えるな」
(もう、何も言えそうにないんですが)

 強めの命令口調だけど、心配してるの、隠しきれてないんだよ、あなた。
 そのせいで、俺は今もう、泣く一歩手前だよ。

「ひとりで泣きたい性分なのか」

 聞き方が率直で不器用すぎるし、最初の質問がそれなの、もうホント。

「……むり……」

 言葉を絞り出した口が、限界を迎えてわななく。呼吸しようとすると、しゃくり上げてしまう。
 視線を落としていた床が、景色が急速に滲んでいく。

(泣くな、俺)

 涙がいくつも落ちて、フローリングを濡らしていく。

 もう、泣いてしまっているけれど。

(これ以上、泣くな、俺)

 泣くな、泣くな、無駄な涙を見せるな。

 存在する理由がない自分の、なけなしの利用価値を。
 これ以上、下げるな。

「……俺が触れていても、大丈夫か」

 離してくれと、言わなければ。

 強めの命令口調ですらない、心の底から心配してくれているこのヒトに「こんな自分」を見せてはいけない。

(言えよ、俺)

 離せ。

 その一言を、血を吐いてでも、言え。

「……今の俺は、気配を正確に読めるほど回復していない」

 感情を抑え込んでいると分かる静かな声の、静かな言葉。

 回復させろと言いたい訳ではない。そんなふうに思えてしまう。

「悪いが、お前のためにどうすべきか、掴みきれない」

 そんなもん、掴まなくていいです。

(てか)

 お前のためにって、言っちゃってますけど。
 さらに泣けてくるんで、セーブしてくれませんか。

「触れていて大丈夫か、不甲斐ないが分からない。一度、手を離す」

 とても丁寧な説明、ありがとうございます。

 本当に不甲斐ないと思っている声で、怯えさせないように肩を掴んでた手の力を抜いていく、あなたのおかげで。

(俺は、今にも死にそうです)

 死にそうだから、お願いだから。

「……はな、す、の、やだ……」

 言ってしまった。

 言ってはいけない、こんな形で『要求』などしてはならない。

 絶望と喪失感で、凪咲の体から力が抜けていく。

「……触れていても、平気な──おい?!」

 落ちるようにへたり込みかけ、彼を無駄に心配させ、抱きとめさせてしまった。

「ごめ、ん……大丈夫、です……」

 横向きに抱きとめた姿勢で、ゆっくりと床に座ってくれる。
 座ったんだから、離れればいいのに。
 優しい彼は涙を止められない凪咲じぶんを、あぐらを組んだ足の間に座らせ、凭れる姿勢へと抱え直してくれる。

(俺が、あなたにしてたのと)

 逆さまな状況になったな。

 あなたは、死にかけて倒れそうになったのに。

(俺は)

 身勝手な理由で精神を崩壊させかけて、勝手に体の言うことを効かなくさせただけだ。

「全く大丈夫に見えない。魂にまで影響を及ぼすほど、力を取り込んでしまったのか? 悪かった、いくらか戻す」
「……いや……それ、こそ……駄目、だろ……」

 あなたが、倒れるだろ。

「てか、俺の、これ……力が、どうの、とかじゃ……ないんで……ごく、個人的な、なんか、なので……」

 彼の顔を見れず、彼に泣き顔を見せたくもなくて、凪咲は俯いたまま彼の胸元に額を押し付ける。

(マジで)

 胸の中で泣いたよ、俺。

「……着物……ごめん……すみません……ちゃんと、綺麗にするから……」

 何か理由つけて、専門店に預けるから。
 ある程度の知識しかない自分がするより、専門家に頼んだほうが着物のためにもなるし。

「……したいようにしていろ。着物がどうのは、今は気にするな」

 優しく頭を撫でるオプション、破壊力がすごい。オプションだとか言って現実逃避してないと、精神が別の意味で崩壊しそう。

「あとで料理を作ってくれるのだろう? 美味い料理、美味い飯を」

 穏やかな、思いやってくれている、安心してしまう低い声。

「ならば、少しは力を使っても大丈夫だと考える。力を戻すのではなく、回復されろ」
「……そう、いう……つもり、で……つくる、わけ、じゃ……」

 あなたのために料理を作る気はあるけど、それはあなたを回復させたくて、あなたに元気になってもらいたいからだよ。

 俺の料理で回復することを保険にしてまで、俺のために力を使う必要、ないと思うんだよ。

 泣いてしまっているけれど、自分なんかにわざわざ力を使わないでくれ。

 伝えようと動かした口が。

「……あった、かい……?」

 全く別のことを、素直な疑問を表へ出す。

 彼の体温じゃない。原理も全然分からない。分からない何かで、凪咲の体が──魂と言っていたから、もしかしたら本当に魂までが、ほわりと優しく柔らかく温めてもらっているような感覚。
 原理が分からないのに、安心する。

「回復している証拠だ。やはり無理をしていた訳だな、この阿呆が」

 呆れた声の中に、心配しながらも安心した様子が読み取れた。

(また心にぶっ刺さったんですけど)

 どうしてくれる、口を滑らせた俺もどうしてやろうか。

 その上彼は、長い銀色の尻尾を九本全部使って、包み込んでくれる。ふわふわで、サラサラで、どこまでも心地よくて。
 頭もずっと、優しく撫でてくれる。

 至れり尽くせりすぎる。

(こんなふうに温かいの)

 生まれて初めての経験だ。

(あ、俺)

 そもそも。

(抱きしめられて、安心するとか)

 優しく頭を撫でてもらうのだって、同じように。
 全部、生まれて初めての経験だった。

(こんなに、幸せ、なんだ)

 こんな、こんなに幸せすぎる、幸せを、もらってしまったら。

「……死んじゃう……」

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