銀色九尾な孤の彼と

山法師

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始まりの日

16 伝わらず届かず気づけない

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 死にそうなほど幸せな心地で眠っていく凪咲の耳に、

「お前がどこぞの誰かといい勝負ができそうなほどのお人好しなのは分かった、この阿呆が」

 思いやるように、労るように、苦々しく。

 優しく抱きしめ直してくれた彼の、そんな声での言葉が届いた。

 けど。

 違うよ。

 凪咲は眠りにつきながら、思う。

(俺は、別に)

 お人好しじゃないよ。

 あなたが言う「どこぞの誰か」さんは、優しいあなたが言うから、本当にお人好しなんだと思うよ。あなたが大事にしたい存在なんだって、なんとなくでも分かるよ。

 でも、俺は。
 松崎凪咲という存在は。
 生まれてくる意味も必要もなくて、生きている意味も必要性も作れなくて。
 役立たずで迷惑をかけるだけの存在だ。

(そんな俺でも)

 助けられる存在がいるなら、救える存在がいるなら。
 助けて救いたい、ただそれだけの。
 自分勝手な動機で動く、性根の腐ったヤツだよ。

(あの日の君を)

 助けられなかった、どうしようもないヤツだよ。
 助けるはずだったあなたに助けてもらってしまった、しょうもないヤツだよ。

「……眠りながら泣く奴があるか、阿呆。休めていないと一目で分かる」

 遣る瀬無くかけられた小声の言葉も、頬を伝う涙を指で優しく拭われたことも。

 眠ってしまった凪咲には、届かない。

 届かない凪咲は、死にそうなほど幸せな腕の中で。

「……どう、呼べば……いいのかな……あなたの、こと……」

 どうしたら助けられるかな、こんな俺にも優しいあなたのことを。

「っ、……眠りながら涙を流して微笑むな、せわしい」

 苦しそうに顔を歪め、苛立った小声で抱きしめ直され、九つの尾を全て使って、まるでぎょくくるむように包み直される。

「そういったことは起きてから考えろ、阿呆。……俺なんぞを、」

 優しいと言う、底抜けの阿呆なお前の。

「呼び方も、起きてから教えろ。いつまで阿呆と呼ばせる気だ、この阿呆が」

 悔しくて、遣る瀬無くて、苛立ってしまう小声での呼びかけも。

 眠っている凪咲には、それら全てが届かない、気づけない。

 永遠にこうしていたいと願いたくなる、死にそうなほど幸せな腕の中で。

 死にそうなほどの幸せを──死んでしまっても良いと思いたくなるほどの幸せを。

 もっと感じていたいと、体を寄せて着物を緩く握った──その行動に驚いて目を見開く様子にも気づけず──凪咲は、眠ったままで。

「俺、が……死んでも……」

 なんとかして、助けるから。
 死にたいとか言わないで、お願い。

「……叩き起こしてやろうか……阿呆が……」

 驚きが遣る瀬無さに変わり、獣のように低く唸り、歯が牙へ変化し、瞳も獣へ近づき、泣きそうな声での言葉も。

 眠っている凪咲には届かず、伝わらず──気づけない。

 幸せすぎて死ぬと言われた自分の腕の中での眠りが、凪咲が生きてきた中で一番穏やかな眠りだと、凪咲を腕の中に収める彼も気づけない。

 しばらくしてからゆったりとした規則的な呼吸になり、ようやく落ち着いたかと思った直後。
 凪咲が身動ぎをし、寝返りでもしたいのかと顔を向けたら。

 茶色の髪に覆われかけている長いまつ毛が震え、顔色が悪く隈まである凪咲の目元、そのまぶたが震えて僅かに開き──見えた黒く大きな瞳が濡れているように思えて苛立ち、睨みつけてしまった彼を。

 ぼうっと眺めていた凪咲は、何度か目を瞬かせたあと、我に返って目を見開き、慌てて彼の腕の中から抜け出した。

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