×××は計画的に

糸巻真紀

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2話

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「へぇ、綺麗に片付いたじゃねえか」
「おかえりなさい…」

 二十時を回った頃、右手には手土産に駅前のケーキをぶら下げ、左手には見覚えのある俺の鞄を持った男――真神がようやく帰宅した。双子の姉弟はケーキの入った箱だけを強奪して食卓へつく。態度について叱る元気もないらしく、強奪されて行き場を失った右手は空を切り、ため息を吐きながら左手を俺の方へ差し出した。

「あ、ありがとうございます」
「確認しとけ」
「はい、あ……あの、風呂湧いてますよ」
「……なに!?風呂!?マジか?」

 真神は脱衣した服をそこら中へ放り投げながら風呂場へ向かう。あの散らかった部屋が出来上がるのは、きっと真神本人のせいだと確証を得た。脱ぎ散らかされた服を拾い上げながら、鼻歌を口ずさむ真神の後ろをついて回る。やがて素っ裸になった真神は、音を立てて浴槽へ沈んだ。

「あいつらどうだった?ちゃんとおまえの言うこと聞いたのか?」
「ええと……」

 腕に抱えた服を洗濯機の中へ投げ入れると、浴室の扉の向こうから上機嫌な声で問われる。はっきり言ってしんどかったが、それをそのまま言うことは憚られたので言葉を濁すと、察したらしい真神が舌打ちをした。

「まあすぐに従われてもな、俺の立場ってものがあるしよ」
「はぁ……」
「飯の用意は出来てんのか?」
「あっ、はい、すぐに温め直します」
「おう、頼むわ」

 摺りガラスの向こうでひらひらと振られた腕にお辞儀をして、夕飯の用意のためにリビングへ戻った。

「やっと来た~きょーくん!いっしょにケーキ食べよ!」
「四個あるから、最後の一個はじゃんけんね」
「え~!おれも食べたい!」
「わがまま言わないの、五個買ってこなかったパパに文句言って」
「質、貢……そこ、真神さんが座るから…」

 大きなテーブルを囲うように、三つずつ並んだ椅子の真ん中に、対角線上に座った双子へ声をかける。二人が同じタイミングで俺の顔を見上げ、目を丸くして首を傾げた。

「パパいつもソファに座ってるよ」
「ビール飲みながらダラダラテレビ見てるよね」
「いびきはうるさいし」
「朝起きたらリビングは酒臭いし」
「も、もうやめてあげて……」

 容赦のない双子の言葉に、真神本人ではなく俺の心が砕けそうだ。やめてあげて。

「質。隣の椅子に座ってくれるだけでいいから」
「ん~…きょーくんがそう言うなら…」
「じゃあきょーくんはあたしの隣に座って!ね!」
「貢、俺は夕飯の準備するから」
「わふん」
「ダニエル!おまえはさっきご飯あげただろ」

 いつの間にか足元に纏わりついていたゴールデンレトリバーのダニエルが、腹を見せるようにごろんと寝転がった。これはおやつをくれ、のサインだ。

「きょーくん、ダニ―にケーキあげてもいい?」
「絶対だめ!!!」

双子(と一匹)の教育は、なかなか骨が折れそうである。



「おお……」

 長風呂からようやく上がってきた真神が、テーブルに並んだ夕飯の皿を見て感嘆の息を漏らす。いくら待っても戻ってこない父親に呆れたらしく、ケーキはとっくに双子の胃の中へ収まっていた。真神は元より自分を数に入れていなかったのか、先に処理されたケーキについて言及はしなかった。
 全体が見えるようになったソファに、双子は二人で並んで寝そべりながらスマホを手にしてキャッキャと笑い合っていた。大型犬のダニエルは相変わらず腹を見せておやつをねだっているが、真神にも相手にされず悲しげな声をあげている。

「カレーか……」
「すいません…質にねだられて根負けしました…」
「別に嫌いじゃねえけどよ。カレー食うのなんて、何年ぶりだろうな」
「あっ、ビール冷やしてます」
「気が利くどころの話じゃねえな…」

 椅子に座った真神へコップを差し出し、冷え切った瓶に入った中身を勢いよく注ぐ。パパは泡立てたほうが好きなんだよ、と貢が教えてくれた。
 一杯目を一気に煽って空になったコップへ、二杯目のビールを注いだ。よほど気分がいいのか、真神は続けて三杯飲み干した。ようやく木製のスプーンを手に取ってカレーを食べようとした直前に、双子が俺の名を呼ぶ。

「きょーくん、まだ?一緒にリングヒットやってくれるって言ったじゃん!」
「きょーくんはあたしとどうぶつの庭やるの!質はケーキ食べたでしょ!」
「え~?でもおれきょーくんと遊びたい」

 子犬のようにきゃんきゃんと吠えまくる双子を見て、真神はむしろ感心していたようだ。

「おまえ、懐かれてんな……」
「そ、そうですかね……」

 はは、と乾いた笑いが出る。あれは懐かれてるというより、俺を新しい玩具か何かだと思っているのではないだろうか。

「ここはもういいから、質の相手してやれ」
「いいんですか?」
「言い出したらうるせえんだわ、あいつ」
「はは…分かりました。食べ終わったら、シンクに置いといて貰えますか?」

 真神は口いっぱいに頬張ると、もぐもぐと動かしながら、了解の意を込めて左手をひらひらと舞わせている。ビール瓶をテーブルに置いてソファへ向かうと、すれ違い様に「あまっ」と呻いた真神の声が聞こえた。


◇◇◇◇


「やだぁ!もっときょーくんと遊ぶ!」
「もう日付変わるじゃねーか、ガキはもう寝ろ!」
「うるさい~パパに聞いてない!ねえいいでしょ、きょーくん!もっとあそぼ?」
「貢、もう寝なきゃ…明日も遊んであげるから」
「ほんと?約束だよ?」

 布団に潜り込んだままの体勢で、双子は声を上げて元気に騒いでいた。まだ半日くらいしか一緒にいなかったはずなのに、ものすごく疲れた。どこからそんなエネルギーが湧いてくるのだろう。
 本当は別の家を用意してもらう予定だったが、質が「ここに住んで」と譲らなかったので、めでたく同居することになった。まだ全ての部屋を片付けられていないので、とりあえず今日はリビングのソファで寝とけ、と真神に告げられると、双子が顔を合わせて不思議そうな顔をする。

「え?じゃあパパはどこで寝るの?」
「ここに決まってんだろ。元々そうだったじゃねえか」
「えー!やだ!パパのいびきうるさいからあっちで寝て!」

 貢の言い分に、質も同意して「そうだそうだ」と加勢する。真神の語気が強まった。

「おまえが三島もここに住めって言うからだろうが!」
「あ、ああ、あの、俺、床で寝るんで真神さんがソファで寝てください!明日には部屋片付けておきますから…!」

 いたたまれなくなって、思わず口を挟んでしまう。俺のせいで家主が非難されるのは、たいへん忍びない。

「パパときょーくんが一緒に寝ればいいんじゃない?」
「……あ?」

 ひい。目と声が怖い。俺だって勘弁して欲しいです。

「あー、でもパパのいびきほんとにうるさいから、きょーくんがここで寝ればいいよ!」
「貢、てめえ………」
「あの、俺、ほんとに…あの、どこでもいいんで……」
「ほんと?じゃあおれと貢の真ん中に来て!一緒にねよ~!」
「さんせーい!」

 双子は無邪気に俺を布団へ誘うが、その口はさっき父親を否定したばかりじゃないか?はっきり言って滅茶苦茶気まずい。あー、ほら、真神さんの目が血走ってる。

「三島ァ!こいつらの言うこと聞かなくていいぞ!こっち来い」
「ええっ」
「あー!ずるいパパ!きょーくん独り占めしないでよぉ」
「うるせえ、とっとと寝ろ!」

 真神に腕を引かれて二人の寝室を後にする。閉め切った扉の向こうから、二人の喚き声がずっと響いていた。


 リビングへ戻った真神と俺は、どっちがソファで寝るか譲り合いの押し問答の挙げ句、俺のほうが身体が小さいという理由でソファで寝ることを言いつけられた。
薄い毛布を掴んだままカーペットの上へごろんと横になる真神の足元へ、大型犬のダニエルが寄り添うように丸くなる。
 薄暗い部屋の中で鳴り響く、わいわいと騒がしいテレビの音声を背中で聞きながら、そっと目を閉じた。


 騒音がずっと続いている。
 テレビの音だと思っていたが、画面は真っ暗だった。驚いて振り向くと、口を大きく開けたままいびきをかく真神が床の上へ寝転がっていた。ダニエルの姿はもうない。おそらくあまりの煩さに、自分のケージへ戻っていったのだろう。

 なるほど。貢がしきりに心配してくれた理由が、嫌というほど分かった。おまけに無呼吸症候群も患っているのか、時折呼吸がピタッと止まる。あれ、これ結構やばいのでは?咄嗟にソファから飛び降りて真神の肩を揺さぶる。せめて横向きにしたくて寝返りを打たせようとするが、びくともしなかった。

 だいぶ所帯じみた一面を見せられてはいたが、正直、今も、真神の風貌はヤの人にしか見えない。無理やり起こして殴られたらどうしよう、と一瞬躊躇したものの、このままでは安眠できないのだから、やはり起こすしかないのだ。もう一度肩を揺さぶって「真神さん」と声を荒らげる。一応、片腕で防御をしながら。

「…ぁあ……?」

 少しだけ覚醒したらしい真神が、反射的に声を出す。……やっぱり怖い。声色が低いし、ドスが効いている。思わずパッと手を離した。

 蛇に睨まれた蛙のように、揺り起こそうとした腕は宙に浮いたまま硬直してしまう。意識があるのかないのか分からない虚ろな目が揺らいだかと思うと、真神の手が俺の肩を掴んだ。ああ、やっぱり。起こしたことを、咎められてしまうのだろうか。
 軽々と肩を引き寄せられ、真神の胸の上へ覆いかぶさる姿勢となる。仰向けに寝ていた身体の向きを横に変え、腕の中に閉じ込められた。抱え込まれた後頭部を優しく撫でられて、まるで子どもをあやす時の動作だ。

 何故俺は真神に抱き締められているのだろう。驚きはもちろんあったが、どちらかというと恐怖のほうが勝る。落ち着いて深呼吸をしてから、背中をとんとんと叩いて覚醒を手伝った。

「ま、まがみ、さん…お、おきて…」
「……うるせぇ、寝ろ」

 いや、うるさいのはあなたのほうなんですよ。とは流石に言えなかったが、何度腕の中から抜け出そうとしても、背中を大きく叩いても、岩のように動かなかった。出来る限りの手は尽くしたが、これ以上はもう無駄だと悟り、大人しくそのまま眠りにつく。ちらりと壁時計に目をやれば、時刻は午前三時半を指していた。

 七時にセットしたアラームを、無事に止めることが出来るだろうか。それだけが気がかりで、意識を手放す瞬間まで打開策を考えていた。


◇◇◇◇

『……ですね、東海地方は午後から雨模様で――……』

 心地の良い気温と、耳障りのいい喧騒に、ほどよい微睡みが続いていた。香ばしい焼けたパンの匂いが漂って、腹の奥がきゅうと鳴る。ゆるやかに覚醒すると、天井のシーリングライトが目に入ってきた。どこだ、ここ?自分の家ではないことは確かだった。身体を起こそうと腕に力を入れるが、何故か少しも動かない。

 ほんの少し前、似たようなことで頭を悩ませたような――

「あ、起きた」
「おはよ、きょーくん」

 子供の声が聞こえて、ようやく自分の置かれた環境を思い出す。そうだ、借金の代わりに家のことと双子の兄妹の世話を頼まれて、それで……――それ、で?

「ま、まがみ、さんっ!」
「…んあぁ……?」

 覆いかぶさられた体勢であることに気付いて、大声を出してしまう。頭に響いたのか、真神が間抜けな声で応答した。

「仲良しさんねえ」
「きょーくん、パパのいびきうるさくなかった?」

 貢が呆れたように言うと、質が心配そうに声をかけてくる。み、見られている。真神に抱き締められたまま身動きできない、俺の姿を。幼いこどもたちに見られている。

「真神さん!」
「………んが…」
「起きてくださいよぉ!」

 なおも惰眠を貪ろうとする真神の耳元で叫ぼうとするが、起きたばかりで力が入らず掠れた声になった。双子は見ているだけで手伝ってはくれない。やがてダニエルが側まで寄って来たかと思えば、俺と真神の真上に飛び乗ってきた。男の腕と大型犬の重石から解き放たれたのは、それから四十五分後の話だった。





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