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私の頭を支えてくれていた固い腕枕を放置して家に逃げ帰った。
仕事のために王宮近くに部屋を借りて一人住まいしているので、朝帰りを咎める者は誰もいない。とにかくシャワーを浴び、身支度をする。
出勤しない、という無責任な選択肢は私の中に勿論ないのだけれど、過去一で仕事に行きたくない。
冷静になってもう一度思い返す。
あの衣服をまとっていない腕が誰のものだったかを。
腕は肩、そして首、さらに頭に繋がっていたのだから、一目で分かる。
勘違いとか、見間違いとか、自分を疑ってみたけれど、何度考えても、あれは。
「……ダウニー課長だったよねえ」
私は頭を抱えるしかなかった。
非は私にある。
それはわかっている。だけど、私みたいな可愛げのない部下に手を出すような人だと思ってなかった、というのが素直な感想だ。だって、引くて数多、言い寄る女性は数え切れないし、そういう面で不自由なんてしてなさそうなのに。
婚約者にフラれたばかりの自己評価の下がっている私なら、間違っても本気だなんて思い上がることもなく後腐れもない、と思われたのだろうか。
モテ過ぎるのも考えものなのかも。不自由してなさそうで、逆に不自由?
まあ、帰りたくない、なんて常套句を口にした以後の記憶がない程に酔い潰れた私を目の前に、彼もちょっと魔が差しただけなのだろうし、私もあんな超のつく程の優良物件が私と本気のお付き合いをしようと思うなんて考えられる訳ないし。
ここはもう、何もなかった体で!
そう頭の中を整理した私は、それ以上の思考を放り投げて仕事に出かけたのだった。
ダウニー課長が出勤したのは、珍しく私が出勤してからしばらくしてからだった。いつものように「おはよう」と言った上司に、同じ課の職員は挨拶を返す。私もいつも通りに返したつもりだけれど、目を合わすことはできなかった。
机に座った彼からの視線を感じる。
いつもより見られているのが分かって、顔を上げられない。いろいろと考えた上で「何もなかった体で!」と出した結論だけど、どう対応するのが正解なのか分からない。
何せ、昨晩二人の間でいろいろあったことは確実なのに、私は全く覚えていないのだ。もしかしたら、今日以降の指示なんかも伝えられていたのかも知れない。
例えば、職場ではいつも通りに、とか、このことはきれいさっぱり忘れるように、とか。
それにしても、いつもより私を見ている気がする。自意識過剰なだけ? いや、違うと思う。他の課員も訝しげに私と課長を見ている。
もしかして、私、昨日何か指示されたことができてないのかも。
その可能性に気付いた以上、確認せざるを得ない。私は意を決して、課長の机の前に立つ。先日依頼された資料を渡しながら、その表情から上司の意図を汲み取ろうと、じっと彼の顔を見た。
それにしても整った容姿をしている。顔や体型が整っているのは勿論、纏う色も美しい。淡い金色の髪に、肌理細やかで白い肌。それでいて軟弱に見える訳でもない。座っている彼の顔は私よりも低い位置にあって、資料に向かっている目を縁取る睫毛が落とす影まで見えて、その長さを理由もなく自分と比較してしまいちょっと凹む。
「ところで……カルティさん」
そう言って、ダウニー課長が私に確認済みの資料を返そうと差し出した。その資料を掴む男っぽい手が視界に入った途端のフラッシュバック。
「リタ」
私の頰に優しく触れた手。
聞いたこともない甘い声で呼ばれる私の名前。
「あっ……あ、りがとうございましたっっ」
それが昨晩の記憶の断片だと気付いた私は、差し出された資料をひったくる勢いで受け取り、執務室を飛び出した。
仕事のために王宮近くに部屋を借りて一人住まいしているので、朝帰りを咎める者は誰もいない。とにかくシャワーを浴び、身支度をする。
出勤しない、という無責任な選択肢は私の中に勿論ないのだけれど、過去一で仕事に行きたくない。
冷静になってもう一度思い返す。
あの衣服をまとっていない腕が誰のものだったかを。
腕は肩、そして首、さらに頭に繋がっていたのだから、一目で分かる。
勘違いとか、見間違いとか、自分を疑ってみたけれど、何度考えても、あれは。
「……ダウニー課長だったよねえ」
私は頭を抱えるしかなかった。
非は私にある。
それはわかっている。だけど、私みたいな可愛げのない部下に手を出すような人だと思ってなかった、というのが素直な感想だ。だって、引くて数多、言い寄る女性は数え切れないし、そういう面で不自由なんてしてなさそうなのに。
婚約者にフラれたばかりの自己評価の下がっている私なら、間違っても本気だなんて思い上がることもなく後腐れもない、と思われたのだろうか。
モテ過ぎるのも考えものなのかも。不自由してなさそうで、逆に不自由?
まあ、帰りたくない、なんて常套句を口にした以後の記憶がない程に酔い潰れた私を目の前に、彼もちょっと魔が差しただけなのだろうし、私もあんな超のつく程の優良物件が私と本気のお付き合いをしようと思うなんて考えられる訳ないし。
ここはもう、何もなかった体で!
そう頭の中を整理した私は、それ以上の思考を放り投げて仕事に出かけたのだった。
ダウニー課長が出勤したのは、珍しく私が出勤してからしばらくしてからだった。いつものように「おはよう」と言った上司に、同じ課の職員は挨拶を返す。私もいつも通りに返したつもりだけれど、目を合わすことはできなかった。
机に座った彼からの視線を感じる。
いつもより見られているのが分かって、顔を上げられない。いろいろと考えた上で「何もなかった体で!」と出した結論だけど、どう対応するのが正解なのか分からない。
何せ、昨晩二人の間でいろいろあったことは確実なのに、私は全く覚えていないのだ。もしかしたら、今日以降の指示なんかも伝えられていたのかも知れない。
例えば、職場ではいつも通りに、とか、このことはきれいさっぱり忘れるように、とか。
それにしても、いつもより私を見ている気がする。自意識過剰なだけ? いや、違うと思う。他の課員も訝しげに私と課長を見ている。
もしかして、私、昨日何か指示されたことができてないのかも。
その可能性に気付いた以上、確認せざるを得ない。私は意を決して、課長の机の前に立つ。先日依頼された資料を渡しながら、その表情から上司の意図を汲み取ろうと、じっと彼の顔を見た。
それにしても整った容姿をしている。顔や体型が整っているのは勿論、纏う色も美しい。淡い金色の髪に、肌理細やかで白い肌。それでいて軟弱に見える訳でもない。座っている彼の顔は私よりも低い位置にあって、資料に向かっている目を縁取る睫毛が落とす影まで見えて、その長さを理由もなく自分と比較してしまいちょっと凹む。
「ところで……カルティさん」
そう言って、ダウニー課長が私に確認済みの資料を返そうと差し出した。その資料を掴む男っぽい手が視界に入った途端のフラッシュバック。
「リタ」
私の頰に優しく触れた手。
聞いたこともない甘い声で呼ばれる私の名前。
「あっ……あ、りがとうございましたっっ」
それが昨晩の記憶の断片だと気付いた私は、差し出された資料をひったくる勢いで受け取り、執務室を飛び出した。
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