あなたのセフレにはなりません!

鳴哉

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 次の日の朝、目を覚ましたのは早朝だというのに、既に彼女はもう腕の中にいなかった。少し嫌な予感がしたが、それを振り払い、自宅へ戻る。目当てのものを探してから、出勤した。
 

 彼女は既に出勤していた。声をかけようとしたら、いつもより硬い表情で挨拶が返ってきて、さらに嫌な予感が増す。視線は全くと言っていいほど合わない。書類を持って来た時に、続いて声をかけようとしたら、不自然な様子で立ち去ってしまった。

 これは、駄目なやつではないだろうか。もしかして、昨晩のことを全く覚えていない?


 それから1週間、ほとんど彼女に接触を避けられ、やっぱりあの時何としても仕切り直すべきだったのだ、と後悔することになったのだった。





 そして、今。
 書庫前でダウニー課長に捕獲された私は、件の食堂、ではなく、小洒落たレストランの個室で、彼に向き合っている。

 そして、忘れてしまっていたあの夜のことを事細かに説明された。彼の感情に及ぶ部分も含めて、詳細に。
 何、これ。いろいろな情報と感情が入り混じり過ぎて自分の気持ちが整理できないのだけれど、とにかく、恥ずかしい。居た堪れない。

 
 正直なところ、これだけ筋道立てて説明してもらっても、まだ信じられないという気持ちが強い。騙されてるのかと疑いたくなるけれど、課長が私にこんな嘘をつく理由が見つからない。

 なら、課長の話が本当だと言うことになるのだけれど……。

 私が酔った勢いで彼の優しさにつけ込んだのは、まあ、あり得るかも知れない。
 でも、課長が私なんかに交際を申し込んだということが、どうしても信じられない。

「……その顔は、まだ信じてもらえていない、ということか」

 悩ましい表情で溜息をつく課長に、私は返す言葉がない。

「君は酔っていたし、目が覚めたらいなかったし、信用してもらえていないのかも、とは思っていた」

 そう言って、課長は立ち上がって私の方へ近づいてくる。何事かと身構える私を鋭い視線が射抜く。こんなの、ドキドキしないでいられる訳がない。

「次の日、仕事が終わったら、君を捕まえてもう一度仕切り直すつもりだった」

 彼が私の前に跪く。

「か、課長?!」

 慌てる私を目で制するように見つめたまま、彼はどこからか小さな箱を出して私に差し出した。


「リタ・カルティさん、どうかこれを受け取って欲しい」


 まさか、これ。
 動揺のあまり身動きできなくなった私の前で彼はその小さな箱の蓋を開けた。


 中には、小さいけれど、一目で心を奪われるような輝石のついた指輪が鎮座していた。


「我がダウニー侯爵家を継ぐ者の妻に代々引き継がれる指輪だ」

 息を呑む。
 課長は国の官吏として働いているけれど、ダウニー侯爵家の当主でもある。その当主の妻が引き継ぐ指輪を、私に?!


 長い沈黙と注がれる視線に耐えきれず、問いかける。


「……それを、私に、受け取れ、と……?」

「ああ。順序を違えて申し訳ない」

 一度閉じられた長い睫毛の瞳が、もう一度開き私を射抜く。


「リタ、どうか私と結婚を前提にお付き合いして欲しい。これは、私が本気であることの証明としたい」


 流石に、ダウニー課長が本気で私を口説いているのがわかった。
 確かに、酔っていたとしても、冗談や嘘で交際を申し込むような不誠実な人ではないことを、私は知っている。

 頭も胸もいっぱいで、何も言葉が出てこない私に、彼は言い募る。

「婚約が破談になったばかりの君の状況につけ込んでいる自覚はある。それでも、君を諦めたくない一心なんだ」

「それとも、君のあの夜の返事は気の迷いだった? 私は君に弄ばれたのだろうか」



 黙っていたら、恥ずかしい台詞が止めどなく繰り出されるので、私は根を上げた。
 元より人として尊敬していて、傷心の私をあんなに優しく甘やかして癒やしてくれた男性からの求婚を、お断りするなんて選択肢があり得るのか?
 いや、ない。

 私は勇気を振り絞って、小箱に手を伸ばした。


「はい。こちらこそよろしくおねがいします」


 その途端、ホッとしたように、嬉しそうに、笑った彼の眩しい笑顔の心臓の悪さに、「ちょっと早まったかも」と内心思ったりした。



 この時の私は、今後周りの女性の多くを敵に回し嫌がらせを受けることになるとか、それに激怒したダウニー課長がその全てに報復してまわることになるとか、人目憚らず彼から溺愛されるようになるとか、早々に子どもを授かって退職して侯爵夫人に専念することになるとか、全く想像できてはいなかったのだけれど。
 
 それでも、酔って記憶は完全に思い出せなくても、あの夜の私は自分の気持ちに正直な選択をしたのだということだけは、自信を持っていいような気がしたのだった。










 

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