【完結】『ルカ』

瀬川香夜子

文字の大きさ
20 / 35
二章

しおりを挟む


 暖かな湯に浸した身体から力が抜ける。最後に浴室から帰ってきたハリスを迎えて三人でベッドに腰掛ける。
 普段はハリスとリアの二人だけだが今はそこに小さな影が加わる。
 リアとハリスはそれぞれのベッドに、そして少年はリアの隣に座っていた。
 ずっと俯いたままの少年に、ハリスと一度目を合わせる。ジトッとした赤い瞳は「どうにかしろ」と伝えて来る。

「名前、聞いてもいい?」

 リアの声に、少年の丸い瞳がこちらを向いた。一瞬戸惑うように眼を伏せ、小さく口を開く。

「アリタイツキ……イツキが名前……」
「イツキくん」

 ありたいつき……不思議な発音だなぁと思いながら繰り返す。

「追われていたこととか……事情は聴いても大丈夫?」

 ハリスは黙って聞いている。この件に関して口を挟んで来るつもりはないらしい。むしろ、少年について何か見当がついているような節もある。

「俺、なんか神子ってやつらしくて……一ヶ月ぐらい前に急にこの世界に来ちゃったんだ」

 肘の上で拳を作りながら早口で言葉を重ねていく。

「神子とかよくわかんないし、神子はみんな力があるはずなのに俺にはないらしくて、それでお城の人に色々言われて、嫌になっちゃって……」
「それで、逃げてきたの?」

 力が強く小刻みに震える拳を手で覆う。反射的に強張ったイツキの体はすぐに脱力してその丸い頭が小さく揺れた。

「力が使えるようになるまでは王宮から出れないって言われてて……なのに急にお披露目をやらなきゃいけなくて、顔が知られたらもう終わりだって思って……」

 ぐずっと鼻を啜って、イツキの黒い瞳が潤みを増していく。そのうち目尻に溜まった滴が瞬きと同時に弾けてリアの手に落ちる。
 異世界から来る神子。どこか本の中のように遠く思っていた。慈愛を浮かべた笑みで人々に尽くすようなものだと勝手に想像していたが……。
(こんな子供が来るなんて……)
 リアが知らないだけでこれは当たり前のことなのか?まだ幼いこの子は、この世界のことも何も知らず、突然この世界に招かれた?
 そして、見知らぬ街で一人で逃げ出すほどに追い詰められている。
(ひどい……)
 なぜ、この子が泣かなければならない。責められねばならない。
 怒りを示したいのはイツキの方だというのに。

「俺のこと、連れて行く?」

 諦めた様に笑いながら瞳の奥はなおも悲しく揺らぐ。そんな子供を前に、誰が無慈悲に連れていくものか。

「ううん……大丈夫。俺たちはイツキくんのこと傷つけたりしないよ」
「リア」
「ハリス」

 慰めの言葉に鋭くハリスの横やりが入るが、同様に名前を呼んでお互いに黙殺する。

「神子をいつまでも匿えるわけがない。やめろ。今すぐ外に放り出すんだ」
「そんなこと出来ません。この子泣いてるんですよ?」
「泣いているからなんだ。神子としてこの世界に呼ばれたらそいつが出来るのは力を使って民に尽くす代わりに居場所を貰う。それだけだ」

 いつになく冷たい声でハリスがそう吐き捨てる。ハリスの言葉に少しずつ体を固くしていくイツキが見ていられず抱き寄せて耳をふさぐ。

「それはこの子が望んだわけじゃない!急にこっちに来て戸惑ってるんですよ!」
「だからと言って泣いても帰れないよ。今まで帰った神子はいない」
「そんな……」

 それじゃあイツキに逃げ場なんてないじゃないか。
 神子は、神の使いだというからその役目を命じられた上でここに来るのだと思っていた。本人もそれに納得しているのだと……。
 それなのに、本当は何も知らない子供が自分とは関係ない世界の為に生き方を強制されていた?それをこの国は良しとして今まで成立していたのか?
 神様とやらは何を考えているんだ。
 ぐつぐつと煮えるような怒りが湧き上がる。

「知らないよ……俺は力なんて持ってないし……なんで使えないのかだってわかんない……ただ、帰りたい……帰りたいよ」

 リアの胸に縋って泣くイツキは「おかあさん」と控えめな声で請う。
―――お母さん、お母さん
 子供の泣く声がする。
―――うるさいわね。静かにしてよ
 それはすぐに冷めた女の声でかき消され、小さな両手を握った子供だけが取り残される。
 一度伸ばそうとした手は、諦めた様に落ちて自分の肌に触れた。
(イツキくんのお母さんは、きっと優しい人なんだろうね……)
 一人で心細い時、そうやって呼べるほど母を信じているのだろう。縋って名前を呼べるほど、母の存在が大きいのだろう。
(だって振り返ってくれるってわかってないと呼べないもの……)
 孤児だというリアはきっと母に捨てられたのだ。
 ズキンと痛む胸がそれを肯定している。リア自身は母のことが好きだったのだろうか。それとも嫌いだった?
 考えてもわからず、ただ腕の中の子供を抱きしめる。少しでも心が安らげばいいと思った。
 何の戸惑いもなく母を呼ぶ少年の姿に更に自分の中の怒りが深くなる。家族と幸せに暮らしていたはずの子供に強いているこの国が、とても腹立たしい。
 サラサラと流れる髪に指を通していれば、こちらを見つめるハリスと目が合う。
 赤い瞳は何を考えているのかわからない。抱き合う二人を見て、何を思っているのか。
 怒っている?呆れている?
 軽く唇を噛んで下を向いた口角。目尻がきゅっと細くなって一瞬ハリスまで泣きだしたのかと思った。
 瞼に隠されて再び赤い色が覗く頃には普段のハリスに戻っていて、額に片手を置きながら長く息を吐いて音を載せた。

「力が使えないって言ったね」

 イツキを見下ろせば、黒い頭が上下に動く。

「何か原因などの話はされたか?」

 今度は左右に振られて毛先がリアの首筋を掠めた。

「はあ……少し気になることがある……君の普段の様子を見たい」

 服を握るイツキの指が強くなる。リアも無意識に抱き締める腕を固くしていた。
―――つまり、それって……

「一緒にいてもいいんですか?」
「少しの間だけだ。そう長い間は匿えないしお披露目までには絶対に警備隊の元に返す」

 期待したリアに釘を刺す声を聞きつつもイツキに笑みを向ける。

「すぐ帰らなくていいの……?」

 ポカンと口も瞳も丸く開いたその顔が、少しずつ歪んで行って最後にリアの胸に埋まる。
 リアが笑って受け止めれば、ハリスはフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。

「あ、ベッドどうしましょう……元々二人部屋ですし……」
「三人で入れる部屋は空いてない。お披露目前で人が増えてきているからな」

 どうしようかと頭を悩ませれば、イツキが「あの」と声を上げた。

「お、俺リアと一緒でいい。一緒がいい」

 引き離されることを恐れるようにリアの体に回った腕が強まる。怖がりながらもハリスを見上げて発した声に、ハリスは何か言おうとはしたもののすぐに閉じて「好きにしろ」とあしらった。



 ハリスが宿の人に話しを通してくれていたおかげか、夕飯は部屋に三人分届けられた。本来二人用の机にぎゅうっと三人分の食事を並べる。椅子は宿の人が追加で持って来てくれた。

「ご飯食べられそう?向こうと食事はそんなに変わらない?」
「うん……美味しい……」

 頷きながら小さな口に運ぶ姿は可愛らしい。

「イツキくん、年はいくつ?」
「十四……」
「十四歳……」

 はっきりとした数字にされると改めて突きつけられる。この子はまだ子供なんだと。

「リアはいくつなの?」
「え?」

 年齢……?今まで聞かれる機会も考えたこともなかった。それなりに体は成長しているがまだ若いと称される頃合いではあると思う。

「リア……?」

 答えないリアを不思議そうに黒い瞳が見つめる。丸いそれに見られると期待に応えられない自分が申し訳なくなる。

「十八だ。俺も、リアも」

 答えあぐねていれば、事情を察しているハリスが口を挟んで助けを寄越してくれた。

「じゃあ俺と四つ違いだ」
「そうみたい」

 自分でも初耳だ。ハリスとはそう変わらないだろうと思っていたが同じ年だったのか。

「そうみたいって……自分のことなのに?」
「あ~……実は記憶がなくてね……あんまり自分のことは覚えてないんだ」
「そうなの……?」

 リアを見つめていたイツキはふいっとハリスの方に視線を向ける。

「ハリスは……」
「ん?」
「ハリスとはいつから一緒にいるの?」

 どうしてそんなこと聞くんだろうと思いつつも「二週間ぐらい前かな?」と口に出す。まだ、ソニーの家を出てからそれだけしか経っていないんだ。
 イツキは既に興味を無くしたのか「ふーん」なんて気のない返事をして食事に戻ってしまった。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです ※Rシーンを追加した加筆修正版をムーンライトノベルズに掲載しています。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

【完】三度目の死に戻りで、アーネスト・ストレリッツは生き残りを図る

112
BL
ダジュール王国の第一王子アーネストは既に二度、処刑されては、その三日前に戻るというのを繰り返している。三度目の今回こそ、処刑を免れたいと、見張りの兵士に声をかけると、その兵士も同じように三度目の人生を歩んでいた。 ★本編で出てこない世界観  男同士でも結婚でき、子供を産めます。その為、血統が重視されています。

もう殺されるのはゴメンなので婚約破棄します!

めがねあざらし
BL
婚約者に見向きもされないまま誘拐され、殺されたΩ・イライアス。 目覚めた彼は、侯爵家と婚約する“あの”直前に戻っていた。 二度と同じ運命はたどりたくない。 家族のために婚約は受け入れるが、なんとか相手に嫌われて破談を狙うことに決める。 だが目の前に現れた侯爵・アルバートは、前世とはまるで別人のように優しく、異様に距離が近くて――。

【完結】薄幸文官志望は嘘をつく

七咲陸
BL
サシャ=ジルヴァールは伯爵家の長男として産まれるが、紫の瞳のせいで両親に疎まれ、弟からも蔑まれる日々を送っていた。 忌々しい紫眼と言う両親に幼い頃からサシャに魔道具の眼鏡を強要する。認識阻害がかかったメガネをかけている間は、サシャの顔や瞳、髪色までまるで別人だった。 学園に入学しても、サシャはあらぬ噂をされてどこにも居場所がない毎日。そんな中でもサシャのことを好きだと言ってくれたクラークと言う茶色の瞳を持つ騎士学生に惹かれ、お付き合いをする事に。 しかし、クラークにキスをせがまれ恥ずかしくて逃げ出したサシャは、アーヴィン=イブリックという翠眼を持つ騎士学生にぶつかってしまい、メガネが外れてしまったーーー… 認識阻害魔道具メガネのせいで2人の騎士の間で別人を演じることになった文官学生の恋の話。 全17話 2/28 番外編を更新しました

【本編完結済】神子は二度、姿を現す

江多之折
BL
【本編は完結していますが、外伝執筆が楽しいので当面の間は連載中にします※不定期掲載】 ファンタジー世界で成人し、就職しに王城を訪れたところ異世界に転移した少年が転移先の世界で神子となり、壮絶な日々の末、自ら命を絶った前世を思い出した主人公。 死んでも戻りたかった元の世界には戻ることなく異世界で生まれ変わっていた事に絶望したが 神子が亡くなった後に取り残された王子の苦しみを知り、向き合う事を決めた。 戻れなかった事を恨み、死んだことを後悔し、傷付いた王子を助けたいと願う少年の葛藤。 王子様×元神子が転生した侍従の過去の苦しみに向き合い、悩みながら乗り越えるための物語。 ※小説家になろうに掲載していた作品を改修して投稿しています。 描写はキスまでの全年齢BL

【完結】聖クロノア学院恋愛譚 ―君のすべてを知った日から―

るみ乃。
BL
聖クロノア学院で交差する、記憶と感情。 「君の中の、まだ知らない“俺”に、触れたかった」 記憶を失ったベータの少年・ユリス。 彼の前に現れたのは、王族の血を引くアルファ・レオン。 封印された記憶、拭いきれない傷、すれ違う言葉。 謎に満ちた聖クロノア学院のなかで、ふたりの想いが静かに揺れ動く。 触れたいのに、触れられない。 心を開けば、過去が崩れる。 それでも彼らは、確かめずにはいられなかった。 ――そして、学院の奥底に眠る真実が、静かに目を覚ます。 過去と向き合い、他者と繋がることでしか見えない未来がある。 許しと、選びなおしと、ささやかな祈り。 孤独だった少年たちは、いつしか“願い”を知っていく。 これは、ふたりだけの愛の物語であると同時に、 誰かの傷が誰かの救いに変わっていく 誰が「運命」に抗い、 誰が「未来」を選ぶのか。 優しさと痛みの交差点で紡がれる

果たして君はこの手紙を読んで何を思うだろう?

エスミ
BL
ある時、心優しい領主が近隣の子供たちを募って十日間に及ぶバケーションの集いを催した。 貴族に限らず裕福な平民の子らも選ばれ、身分関係なく友情を深めるようにと領主は子供たちに告げた。 滞りなく期間が過ぎ、領主の願い通りさまざまな階級の子らが友人となり手を振って別れる中、フレッドとティムは生涯の友情を誓い合った。 たった十日の友人だった二人の十年を超える手紙。 ------ ・ゆるっとした設定です。何気なくお読みください。 ・手紙形式の短い文だけが続きます。 ・ところどころ文章が途切れた部分がありますが演出です。 ・外国語の手紙を翻訳したような読み心地を心がけています。 ・番号を振っていますが便宜上の連番であり内容は数年飛んでいる場合があります。 ・友情過多でBLは読後の余韻で感じられる程度かもしれません。 ・戦争の表現がありますが、手紙の中で語られる程度です。 ・魔術がある世界ですが、前面に出てくることはありません。 ・1日3回、1回に付きティムとフレッドの手紙を1通ずつ、定期的に更新します。全51通。

処理中です...