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二章
⑥
しおりを挟むベッドサイドの照明を絞って暗くなった室内で、布団に潜りながらすぐ傍の人影に語りかける。
「狭くない?もう少しこっちに寄ってもいいよ」
仄かに明るさを保ったままの室内と、暗さに目が慣れてきたおかげか視界は意外と良好だ。肩まで綺麗に布団を被ったイツキはこちらを向いてそっと寄り添う。
ジッとこちらを見上げて来るのでどこを見ているのかと思えば、布団から手が伸びてリアの流れる黒い髪を掬う。
「俺、こっちで黒い髪って初めて見た……」
「ほとんど見ないよね。珍しいからよく人からジロジロ見られるよ」
愚痴るように零した言葉に、イツキも心底わかるとでも深く頷く。
「こっちに来たら黒いってだけで特別扱いされて変な気分だった。俺の世界じゃ黒い髪が普通だったのに……」
だから、リアの側は落ち着くのだと言ってイツキはコテンとリアにもたれる。
年の割には仕草が少し幼いかとも思ったが、この世界で初めて会えた故郷を思わせる人物に甘えているのだと思えば納得だ。
まさか黒い髪でそんな風に言われることがあるとは思わなかった。
(遠巻きに見られるばかりだったからな……)
この世界で初めて自分と同じ色を宿した少年に、リアも安心しているのかもしれない。
子供と言うこともあるかもしれないが、守ってあげなくちゃ、安心させてあげたいと思う。もしかしたらイツキを通して過去の自分を見ているのかも、なんて。
自分でもよく覚えていない過去の亡霊を見て自分を慰めるなんて変なことだけれど。
「おやすみ、イツキくん」
「うん……おやすみ」
バサッと布擦れの音と共に風が肌を撫でていく。「んぅ」と呻きながら体を丸めればすぐ近くに温もりがあり、自分の体で抱くようにその熱を腕で囲った。
「リア」
ああ、ハリスの声だ。起きなくちゃ。
でもこの温もりが心地よくて眠気が離れて行かない。
「リア、起きろ。いつまで引っ付いている気だ」
いつになく硬質な声だ。こうしてわざわざ声をかけて来るのも初めてではないか?
(引っ付いてって何だろう……)
ぼんやりした思考で考えれば、そう待たずにハリスが指しているのは腕の中の温もりのことだと分かった。
俺は何にくっついているんだろう。あれ―――?
「リア」
再び響いたハリスの声に急激に意識が覚醒する。ハッと瞳を開けてみれば、リアの体に擦り寄って気持ち良さそうに眠るイツキの姿。
首を上げればベッド脇にハリスが仁王立ちしている。手には先ほどまでリアたちにかかっていた布団が握られていて、不機嫌そうにむっつりとした顔でこちらを見下ろしている。
「は、ハリスおはよう……」
「おはよう……早くその神子も起こして顔を洗った方がいい」
「うん、そうする……」
リアが起きたことを確認したからか、布団を落として背を向けたハリスは自身の荷物に手をかけて着替えを出している。
まだ着替えていなかったのかと首を捻って時計を見てみれば
(あれ、いつも起きる時間より早い……?)
そこには普段リアたちが起きている時間よりも長針が半周ほど早い位置にあるのがわかる。
あまりにもリアが起きないから怒っているのかと思えば、違うらしい。着替えもせずにこちらに声をかけたぐらいだから何か理由があったのだろうがそれもわからない。
とりあえず、イツキくんを起こさないと……。
「イツキくん、起きて……」
「う、うぅ……ん」
グッと眉が寄って唸りながらグリグリと額を押し当てられる。まだ寝ていたいとぐずる動きが可愛くていくらでも寝かせてあげたくなってしまう。
「リア」
咎めるハリスの声にドキリと体を跳ねさせる。視線を走らせればすでに着替えを終えたハリスは、リアの胸中などお見通しだと言わんばかりに鋭い目で見ていた。
(わかってる。ちゃんと起こすよ……)
「イツキくん、朝だよ……もう起きないと」
何度か声をかけているうちにようやく目が覚めたのか、イツキは「うん」と声を出しながらゆっくり上体を起こす。
しかし、まだ瞼は閉じていて、カクンと首が落ちてしまう。このままじゃ二度寝してしまうと焦ったリアが手を引いて洗面所に連れて行き冷たい水で覚醒させた。
朝食を終えて、ハリスは街の様子を見て来ると一人で出てしまった。くれぐれも外には出るなという言伝を置いて。
さすがにイツキを連れてはいけないし、黒髪のリアも人目を引くので一緒に行くのは避けたかったのだろう。
「どうしよっか……何かあればよかったんだけど……」
昨日、本を買って来れていればいい暇つぶしにでもなったんだが、しょうがない。お茶を淹れて一息つきながら机に並んで「うーん」と悩ましげな声を出す。
「イツキくんはこっちの世界のことどれぐらい知ってるの?」
「あんまり知らないと思う。何か魔法が使えるのと髪がカラフルなのとか……?歴史は結構しつこく勉強させられたから何となくなら知ってる」
「そっか……じゃあ、もしかしたら俺よりも詳しいかもね」
リアが持っている知識は、ソニーの家で読んだ絵本とハリスから聞いた話だけだ。宿で連泊すると決まった時にいい機会だから、と国のことをよく知るために本屋に行ったのだがそれどころではなくなってしまった。
「リアは国のことも何も覚えてないの?」
「うん。自分のことはもちろんだけど、この国のことも魔法のことだって何にも覚えてなかったんだ。初めて魔法を見た時はビックリしちゃったよ」
「俺も」とイツキの顔が仲間を得たことで輝く。
「火が出たり物が浮いたり、掃除だって勝手にやってくれるんだ!初めて見た時ビックリして引っくり返った!」
わっと勢いづいたまま笑みを浮かべて口を回すイツキ。明るさの含んだその表情にリアも微笑み返す。
(よかった……楽しそうに笑えてる……)
しかし、その顔はすぐに曇ってしまう。
「勉強の為に色んな先生を呼んでくれて、たくさん魔法を見せて貰ったのに……だけど俺なにも出来なくて……」
「もしかしたら何かきっかけがあれば出来るかもしれないよ?焦らなくても……っていうのは難しいよね……」
リアとしては、イツキに力があろうとなかろうと変わりはしないが、この国としてはそんなに簡単な問題ではないのだろう。
「俺も、最近になって少しだけ力が使えるようになったんだ」
「え、」
「俺が魔法を使ってるのを見て、一緒にやってみるのはどうかな?」
そう思い付いてグラスを片手に水道に向かった。少量水を加えて戻れば、イツキはまだ困惑したままリアを待っていた。
「あの、リア……黒い髪の人って魔法が使えないんじゃ……」
「ああ、俺は何というかちょっと事情があって……少しなら使えるんだ」
「そうなんだ……」
隣に座り直してグラスを置く。手をかざして姿勢を作り、「見ててね」と口を開きそうになったがそういえばと思い出す。
イツキはたくさん魔法を見せて貰ったと言っていたし、ただ見せるだけでは何も変わらない。
「イツキくん、魔力の流れのようなものを感じたことはある?」
リアの言葉に、首を傾げたので多分試したことはないと当たりを付け、リアの手首に触れるよう促す。
「手首の内側……そう、皮膚の薄い方に触って……うん、いくね」
ハリスや病院の先生が触れていた位置に誘導してから魔法を発動する。先日と同じでグラスの中の水分は、浮き上がると円を描くように丸まって漂う。
「ハリスはそこに触れて魔力の流れを察知してたみたいなんだけど……わかる?」
「うん……なんとなく何かが動いているのはわかるけど……これが魔力なのかな……」
手先に意識を集めるためか瞳を閉じてイツキが呟く。
「ほんのりあったかく感じる……リアの体温が俺に移ってるみたい……」
感じ入るイツキを横目にそろそろいいかと一度魔法を止める。魔力の流れが途絶えたせいで水はパッと形を崩してグラスの底面に叩きつけられた。
「これで何とかなるとは思ってないけど……もしかしたら何かヒントにでもなればなって思って」
「うん、ありがとう……お城の人たちは俺には触らないし、あんまり近くにも寄って来ないからこんな風に直接感じるのは初めて……」
触れていた手を、未だに見下ろしながらイツキは感慨深そうに言う。リアだってこれで使えるようになるとは思っていない。ただ、何かのきっかけになってイツキが力を使えるようになれば大変な思いも減るのではと考えた。
(でも、力があるとわかったら今まで以上に忙しい思いをする羽目になっちゃうかな……)
そうしたらイツキは、城内で一人寂しく自分の使命だという神子の役割を全うすることになる。
なんとかしてあげたいが、リア一人の力では何もできない。それがひどくもどかしい。
「魔法……」
「ん?」
聞き取れずに少し首を捻れば、イツキは息を吸って吐き出しながら表情を崩す。
「ううん……リアは本当に魔法が使えるんだなって思って」
へらっと笑った顔にリアも苦笑しながら頬を掻く。
「本当につい最近のことなんだけどね。少しでもイツキくんの役に立ったらいいんだけど」
あはは、と少し明るい声音で笑ってみたが、部屋の空気は外の雨模様のように湿った雰囲気を纏わせる。
「ありがとう」なんて言いつつイツキの表情は暗いままで、力になれなかったかな……と少し落ち込んだ。
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