【本編完結】アルウェンの結婚

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 「殿下、おはようございます」

 主たちがめでたくも初めて結ばれたことなど知る由もないアルマをはじめとする侍女たちは、普段より少し遅く朝食の席に姿を現したサリオンに、いつも通り挨拶をした。

 「今朝はアルウェンの分の支度はいらない。起きたらなにか用意してやってくれ」

 「もしかして、お加減が優れないのでしょうか。でしたら侍医を──」

 「いや、そういうわけじゃない。だが今日は起こさず寝かせてやってくれ」

 「かしこまりました」

 そういうサリオンも今朝はどこかうわの空。
 用意された朝食にもほとんど手をつけず、執務室へと向かった。
 いつもの朝。
 けれどいつもとはどこか違う朝に疑問を感じた侍女たちが、二人の変化を感じ取るのはもう少し先のこと。

 *

 (おやまあ……)
 執務室に入ってきた主人を見るなり、付き合いの長い側近は驚嘆した。
 
 「殿下、おはようございます」

 「ああ」

 いつもと同じ、素っ気ない返事。
 机の上に山のように積まれた書類と気怠そうに向き合う姿もいつも通り。
 けれども今日の彼から滲み出る雰囲気は、明らかにこれまでとは違う。
 時折手を止め、なにかを思い出すように微笑む主人に側近──ルイスは気遣わしげに声をかけた。

 「殿下、裁可のいくつかは明日に回しましょうか」

 「あ?なぜだ」

 「いえその、お顔が」

 「顔がどうした」

 正直に言って良いものかどうか判断がつかないが、これ以上待たせると不機嫌になることは経験から予測済みなので、素直に口を割ることにした。

 「肌艶が大変よろしい割に目の下のクマがすさまじいです。あと、時折不気味に微笑まれるのも見てるこちらとしてはどうしたものかと」

 「おまえ、言わせたのは俺だが少し慎め」

 「……おめでとうございます、と言ってもよろしいのでしょうか」

 普段愛想もへったくれもない主人がほんのりと頬を赤らめる衝撃たるや。
 ルイスは感慨に耽った。

 「必要以上にかかわらないとおっしゃられた時はどうなることかと思いましたが……よかったですね。浮かれる気持ちはわかりますが、あまり無理をなさらないでくださいよ」

 既に無理なら十分している。
 なにせサリオンは昨夜から一睡もしていないのだから。
 まだ会話中だというのに、サリオンはルイスそっちのけで昨夜のアルウェンとの一部始終を思い出していた。

 サリオンの熱を呑み込む柔らかな身体が、涙を流しながら愛の言葉を紡ぐ果実のような唇が、いとも簡単に彼から自制心を奪い去った。
 その結果、時間にもアルウェンの限界にも気づかずに、心のままひたすらに求めてしまった。
 気を失うように眠ってしまったアルウェンを抱きしめても、サリオンの芯が持つ熱は収まってくれず、噛みつきたい衝動に駆られる白い首筋に顔を埋め、必死で耐えた。
 力の抜けた頼りない細い身体と無垢な寝顔が愛おしくてたまらなくて、離れるのにかなりの時間と忍耐を要した。
 自身の足場を固めるためにと割り切って結婚した相手に、自分がこれほど心を掻き乱される日が来るなんて。
 最初の頃こそ戸惑いを覚えずにはいられなかったが、アルウェンと過ごすうちに自分の気持ちをしっかりと自覚するようになった。
 
 「幸せに浸られているところ申し訳ないのですが、目を通していただきたい資料が」

 「建国祭か。父上の容態はどうだ」

 「出席は絶望的です。実質、次期皇帝、皇后陛下のお披露目の場になるかと」

 建国祭には同盟国も数多く出席する。
 式典に際し、サウラ妃陣営がなにか仕掛けてくるであろうことは容易に想像できる。
 サリオンは深いため息をついた。

 「妃に迎えたばかりだというのに……苦労をかけるな……」

 現状、一番苦労しているのはルイスなのだが、頭に花が咲き乱れているサリオンは、すべてのベクトルがアルウェンに向かっていた。
 もう少しこのまま穏やかな新婚生活を送らせてやりたい。
 そしてサリオン自身、アルウェンとの時間をもっと持ちたいと思っている。
 家族や元婚約者の元で傷ついた分、これからは自分の側で、真綿で包むようにして守ってやりたい。
 アルウェンが求めるだけ……いや、それ以上のものを与えたい。
 (あちらがどのような策を巡らせて来ようと、負ける気はない)

 「サウラ妃の動向に引き続き目を光らせておけ。あと、シャトレ侯爵家もな」

 「妃殿下のご生家を?確かに先日の茶会での出来事に関しては目を瞑ることはできませんが、あのシャトレ侯爵に限ってこれ以上の失態は許さないでしょうに」

 「問題はあのとてつもない馬鹿だ。まったく、アルウェンと血の繋がりがあるとは到底思えない」

 誰も気にも留めないような些末な存在が、破滅のきっかけであった事例など、帝国の長い歴史上でも数多く存在する。
 アルウェンが生家と縁を切り、グラフトン公爵家との養子縁組が無事に済むまでは、足を引っ張られるわけにはいかない。
 
 「アルウェンを迎えたことで、これから皇宮内の勢力図も大きく変わる。おまえたちもしっかり頼むぞ」
 
 「心得ております」

 

 

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