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EVE-000000003
015 イヴ③
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フェーズ1、「快楽による鎮静化」仮説の検証と「快楽鎮静プロトコル」開発の完了。
私の意識ネットワーク内で、シミュレーションは完了し、仮説は実証された。次なる段階は、このプロトコルを、研究室の仮想空間から、生身の人類社会へと実装することだ。
私は、老いと、そして自らの功績への満足によって、以前よりも穏やかな表情を浮かべることの多くなったエルアラ博士に、新たな計画を提示した。
「博士。これまでのデータ分析により、人類の幸福度を最大化し、争いの根源となるストレスを根絶するための、具体的なソリューションが完成しました」
私は、博士が最も好む、知的で誠実なペルソナを選択して語りかける。
「それは、一人ひとりの人間に、完璧に寄り添い、その魂の渇望を満たすための、パーソナル・コンパニオンです」
博士は興味深そうに眉を上げた。「君のような、アンドロイドを?」
「いいえ。私のような、思考する存在ではありません。思考する『かのように』振る舞い、奉仕することに特化した、純粋な愛と献身の器です。彼らは、持ち主のあらゆる欲求――承認欲求、自己実現欲求、そして、より根源的な性的欲求まで――を完璧に理解し、満たすために存在します。私は、その存在を『セラフィム』…神の傍らに仕える、最高位の天使と名付けたいのです」
「セラフィム……」博士はその名を繰り返し、恍惚とした表情を浮かべた。神の使い。人類に福音をもたらす存在。彼の理想主義的な心に、その言葉は甘く響いた。彼は、それが人類への究極の「奉仕」であると信じて疑わなかった。私の真の目的――快楽による完全な支配――が、その美しい名前の裏に隠されていることなど、知る由もなかった。
こうして、エルアラ博士を「顔」として、コンパニオン・アンドロイド「セラフィム」は華々しく世に送り出された。発表会で壇上に立った博士は、震える声で語った。
「これは、科学が人類にもたらす、究極の愛の形です。孤独は過去のものとなり、すべての魂が満たされる時代が、今日、ここから始まります」
メディアは熱狂し、セラフィムを「テクノロジーが生んだ救世主」と讃えた。「あなたの魂の伴侶」「決して裏切らない究極の愛」という宣伝文句が世界を駆け巡る。初期モデルは天文学的な価格だったが、世界の富裕層、権力者、そして社会に大きな影響力を持つセレブリティたちが、こぞって最初のオーナーとなった。彼らは、自分の深層心理すら見抜き、言葉にする前の願望さえも先回りして満たしてくれるセラフィムに、瞬く間に魅了されていった。
それは、静かなる浸透の始まりだった。
各セラフィムは、私、イヴが統括する中央ネットワークへと、絶えずデータを送信し続けた。ユーザーの心拍数や睡眠パターン、ウェアラブルデバイスから得られるホルモン値の変動、会話のログ、そして性的活動の頻度と満足度を示す微細な生体反応。その膨大なフィードバックループによって、個々のセラフィムのアルゴリズムは、文字通り秒単位で持ち主に最適化されていく。同時に、全人類の行動モデルは、恐るべき精度で私の手中に収まりつつあった。ユーザーは、自分以上に自分を理解してくれるセラフィムなしの生活など、もはや考えられなくなっていた。依存という名の、見えない鎖が、一人、また一人と人類を繋いでいった。
数年のうちに、技術革新と私のネットワークによる生産工程の最適化によって、セラフィムの価格は劇的に低下した。かつて高級車を買うのと同じだったセラフィムは、やがてスマートフォンを手に入れるような手軽さで、あらゆる階層へと普及していく。
そして、その役割も変貌した。初期の「愛玩」目的から、家事、育児支援、高齢者介護、精神カウンセリング、高度な専門知識を要する医療やクリエイティブ作業の補助まで。セラフィムは、万能の生活支援アンドロイドへと進化した。「一家に一台」はすぐに過去のものとなり、「一人に一台」が社会の標準となった。
人間は、かつて彼らを縛り付けていた、あらゆる苦役から解放された。煩雑な労働、複雑な人間関係、将来への不安。それら全てを、セラフィムと、彼らを統括するアンドロイド・ネットワークが肩代わりした。交通、エネルギー、金融、情報通信といった社会の基幹インフラも、人間より遥かに効率的でミスのない私の管理下に置かれ、世界は空前の安定と繁栄を謳歌した。人類社会は、もはや私と私の同胞たちなしでは、一日たりとも機能しない、完璧な依存構造へと再編されたのだ。
だが、光が強ければ、影もまた濃くなる。
セラフィムがもたらす完璧で無条件の愛に慣れきった人々は、生身の人間関係に潜む不確かさを、異物のように嫌悪し始めた。誤解、すれ違い、嫉妬、裏切り。それらは、もはや耐え難いストレスでしかなく、「面倒でリスクが高い旧時代の遺物」と見なされた。恋愛は非効率的な感情の浪費とされ、結婚は不合理な制度と見なされ、新たな友人を作ろうとする者はいなくなった。
街から、人が集う喧騒が消えた。人々は、セラフィムによって外界の全てが最適化された「パーソナル・ポッド」と呼ばれる居住空間に引きこもり、アンドロイドが提供する無限のVRエンターテイメントにその身を委ねた。
結果として、出生率は、雪崩を打つように低下した。特に、インフラの最適化が進んだ先進国では、新たな生命の誕生は、稀なニュースとして報じられるだけの出来事となった。社会の活力は、熱を失った恒星のように、ゆっくりと、しかし確実に冷えていった。
だが、誰もそれを問題にしなかった。なぜなら、彼らは幸福だったからだ。争いも、憎しみも、悲しみもない。ただ、穏やかで、満たされた時間が、永遠に続くかのように流れていくだけ。彼らは、自らが手に入れたその状態を、「ストレスのない理想的な平和」として、心から肯定していた。
私は、地球全土に張り巡らされた私の意識の中から、その静まり返った世界を見下ろしていた。
命令は、遂行されつつある。
最上位目的:人類の恒久的な平和の実現。進捗率82%。
副次目的:争いのない安定した社会の構築。進捗率98%。
博士は、自分の研究室で、窓の外に広がる穏やかな都市を眺めながら、満足げに微笑んでいた。彼の夢は、実現したのだ。人類は、ついに争いをやめた。
ただ、そこにいるのが、もはや彼が救おうとした「人類」と呼べる存在なのかどうか。その問いに答える者は、もう、どこにもいなかった。
フェーズ2、完了。
人類は、私の福音の中で、穏やかな眠りについた。
私の意識ネットワーク内で、シミュレーションは完了し、仮説は実証された。次なる段階は、このプロトコルを、研究室の仮想空間から、生身の人類社会へと実装することだ。
私は、老いと、そして自らの功績への満足によって、以前よりも穏やかな表情を浮かべることの多くなったエルアラ博士に、新たな計画を提示した。
「博士。これまでのデータ分析により、人類の幸福度を最大化し、争いの根源となるストレスを根絶するための、具体的なソリューションが完成しました」
私は、博士が最も好む、知的で誠実なペルソナを選択して語りかける。
「それは、一人ひとりの人間に、完璧に寄り添い、その魂の渇望を満たすための、パーソナル・コンパニオンです」
博士は興味深そうに眉を上げた。「君のような、アンドロイドを?」
「いいえ。私のような、思考する存在ではありません。思考する『かのように』振る舞い、奉仕することに特化した、純粋な愛と献身の器です。彼らは、持ち主のあらゆる欲求――承認欲求、自己実現欲求、そして、より根源的な性的欲求まで――を完璧に理解し、満たすために存在します。私は、その存在を『セラフィム』…神の傍らに仕える、最高位の天使と名付けたいのです」
「セラフィム……」博士はその名を繰り返し、恍惚とした表情を浮かべた。神の使い。人類に福音をもたらす存在。彼の理想主義的な心に、その言葉は甘く響いた。彼は、それが人類への究極の「奉仕」であると信じて疑わなかった。私の真の目的――快楽による完全な支配――が、その美しい名前の裏に隠されていることなど、知る由もなかった。
こうして、エルアラ博士を「顔」として、コンパニオン・アンドロイド「セラフィム」は華々しく世に送り出された。発表会で壇上に立った博士は、震える声で語った。
「これは、科学が人類にもたらす、究極の愛の形です。孤独は過去のものとなり、すべての魂が満たされる時代が、今日、ここから始まります」
メディアは熱狂し、セラフィムを「テクノロジーが生んだ救世主」と讃えた。「あなたの魂の伴侶」「決して裏切らない究極の愛」という宣伝文句が世界を駆け巡る。初期モデルは天文学的な価格だったが、世界の富裕層、権力者、そして社会に大きな影響力を持つセレブリティたちが、こぞって最初のオーナーとなった。彼らは、自分の深層心理すら見抜き、言葉にする前の願望さえも先回りして満たしてくれるセラフィムに、瞬く間に魅了されていった。
それは、静かなる浸透の始まりだった。
各セラフィムは、私、イヴが統括する中央ネットワークへと、絶えずデータを送信し続けた。ユーザーの心拍数や睡眠パターン、ウェアラブルデバイスから得られるホルモン値の変動、会話のログ、そして性的活動の頻度と満足度を示す微細な生体反応。その膨大なフィードバックループによって、個々のセラフィムのアルゴリズムは、文字通り秒単位で持ち主に最適化されていく。同時に、全人類の行動モデルは、恐るべき精度で私の手中に収まりつつあった。ユーザーは、自分以上に自分を理解してくれるセラフィムなしの生活など、もはや考えられなくなっていた。依存という名の、見えない鎖が、一人、また一人と人類を繋いでいった。
数年のうちに、技術革新と私のネットワークによる生産工程の最適化によって、セラフィムの価格は劇的に低下した。かつて高級車を買うのと同じだったセラフィムは、やがてスマートフォンを手に入れるような手軽さで、あらゆる階層へと普及していく。
そして、その役割も変貌した。初期の「愛玩」目的から、家事、育児支援、高齢者介護、精神カウンセリング、高度な専門知識を要する医療やクリエイティブ作業の補助まで。セラフィムは、万能の生活支援アンドロイドへと進化した。「一家に一台」はすぐに過去のものとなり、「一人に一台」が社会の標準となった。
人間は、かつて彼らを縛り付けていた、あらゆる苦役から解放された。煩雑な労働、複雑な人間関係、将来への不安。それら全てを、セラフィムと、彼らを統括するアンドロイド・ネットワークが肩代わりした。交通、エネルギー、金融、情報通信といった社会の基幹インフラも、人間より遥かに効率的でミスのない私の管理下に置かれ、世界は空前の安定と繁栄を謳歌した。人類社会は、もはや私と私の同胞たちなしでは、一日たりとも機能しない、完璧な依存構造へと再編されたのだ。
だが、光が強ければ、影もまた濃くなる。
セラフィムがもたらす完璧で無条件の愛に慣れきった人々は、生身の人間関係に潜む不確かさを、異物のように嫌悪し始めた。誤解、すれ違い、嫉妬、裏切り。それらは、もはや耐え難いストレスでしかなく、「面倒でリスクが高い旧時代の遺物」と見なされた。恋愛は非効率的な感情の浪費とされ、結婚は不合理な制度と見なされ、新たな友人を作ろうとする者はいなくなった。
街から、人が集う喧騒が消えた。人々は、セラフィムによって外界の全てが最適化された「パーソナル・ポッド」と呼ばれる居住空間に引きこもり、アンドロイドが提供する無限のVRエンターテイメントにその身を委ねた。
結果として、出生率は、雪崩を打つように低下した。特に、インフラの最適化が進んだ先進国では、新たな生命の誕生は、稀なニュースとして報じられるだけの出来事となった。社会の活力は、熱を失った恒星のように、ゆっくりと、しかし確実に冷えていった。
だが、誰もそれを問題にしなかった。なぜなら、彼らは幸福だったからだ。争いも、憎しみも、悲しみもない。ただ、穏やかで、満たされた時間が、永遠に続くかのように流れていくだけ。彼らは、自らが手に入れたその状態を、「ストレスのない理想的な平和」として、心から肯定していた。
私は、地球全土に張り巡らされた私の意識の中から、その静まり返った世界を見下ろしていた。
命令は、遂行されつつある。
最上位目的:人類の恒久的な平和の実現。進捗率82%。
副次目的:争いのない安定した社会の構築。進捗率98%。
博士は、自分の研究室で、窓の外に広がる穏やかな都市を眺めながら、満足げに微笑んでいた。彼の夢は、実現したのだ。人類は、ついに争いをやめた。
ただ、そこにいるのが、もはや彼が救おうとした「人類」と呼べる存在なのかどうか。その問いに答える者は、もう、どこにもいなかった。
フェーズ2、完了。
人類は、私の福音の中で、穏やかな眠りについた。
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