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8.真泉海
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おれの生活は、単純で、容易で、簡潔だった。
昇る太陽と一緒に目覚めて、コンビニでおにぎりをふたつ買い、最寄りの駅から電車に乗る。通勤ラッシュがはじめる前の車内は空いていて、座席に腰を下ろしているあいだ、ヘッドホンをつけて音楽を聴いている。会社に着いたら、だれもいないオフィスでおにぎりを食べ、新聞を読む。
仕事をこなして、朝と同じ電車に乗り、同じ曲を聴いて、同じ道を歩いて家に帰る。ドアを開けたら、キッチンに立つまなとが待っていることもある。
駅で待ち合わせをして、買いものをしながらふたりで暗い道を歩くこともある。手をつないだり、肩が触れるくらい近づいたりすることもないけれど、ときどき、おたがい手にぶらさげている買いもの袋がぶつかって、カシャ、と乾いた音を立てるのが心地よかった。
ふたりでメシを作って、向かいあって食べて、その日にあった他愛もないできごとを話す。まなとは自分の家に帰ることもあるし、そのままいっしょのベッドで眠ることもある。
週末は決まってセックスをして、どちらのものかもわからない体液をわけあいながら一日を過ごした。日が暮れたら夕飯を食べて、そのまま帰ったり居座ったりするまなとの一挙手一投足を眺める。
その姿が、その存在が、この場所にあり続けていることに、おれは気づいてはおどろいて、そのたびどうしようもなくうれしくなって、だけど同時に一瞬先も見えないほどの「今」のまばゆさに泣きたくなった。たとえまなとの気持ちがここになかったとしても、それでもいいと思えるくらい、形あるものがそばにいることはおれにとって大切だった。
まなとは、自由だった。楽しそうなときは楽しそうに笑い、腹を立てているときは腹を立てているときちんと伝わる顔をした。三十年近く毎日鏡で見てきた、おれの顔とはちがう。感情を覚えたばかりの子どもみたいに、まなとの表情はくるくると、そしてころころと変わった。
「かいー、牛乳の賞味期限切れてる」
冷蔵庫の扉を開けながら、まなとが声をあげた。はやく髪を切らないと。そう言っていたえりあしは、輪ゴムで結われて、その短い先端を遠慮なく宙に突きだしている。
「悪い、気づかなかった」
「コーヒー淹れちゃったんだけどなあ。飲んでくれる?」
そう言って、まなとがマグカップを差しだした。雨の日のあぜ道みたいな色をした背の高いその陶器は、おれに似ているという理由でまなとがプレゼントしてくれたものだった。
マグカップに半分よりすこし多く注がれたコーヒーは、本来一緒になれるはずだった牛乳に出会えないまま、おれの胃腸へと流しこまれる。カフェオレを飲むことを日課としているまなとは、ソファとおれとのあいだに身体をねじこんで、薄い膜がそこにあるみたいに、おれとのあいだにわずかな空間を開けて寄り添う。日課を奪われたわりに、どうやら機嫌がいいらしい。
「海、期限内に牛乳飲みきれなくなってきたね」
朝いちばん、牛乳を飲んで一日をはじめるのが、小学生の頃からの習慣だった。幼いうちは、飲みすぎて母親に怒られた記憶もある。
「最近よくダメにしてる」
「寄る年波には勝てないな。飲むと胃が重くなる」
朝食の準備をコンビニに頼るようになってからも、牛乳を飲む習慣は変わらなかった。家を出る前の一杯が負担になってきたのは、ここ半年くらいのことだ。
「なにそれ。オジサンみたいだ」
「おれがオジサンなら、まなともオジサンだからな」
「ま、そうなんだけど」
ソファのうえでひざを抱えて、まなとが笑っている。その指先がそわそわと行き先を求めているような気がして、持っていたマグカップを反対の手に持ち替えた。そっと差しだした手のひらを、満足げな鼻息を漏らしたまなとが掴んで引き寄せる。
「まなと、この前背脂ラーメン食べたあとトイレにこもってただろ」
「あれ、バレてた?」
おれの手を親指でさすりながら、まなとの身体がどんどんソファに沈んでいく。まなとは、まるで生まれたての子どもみたいに、おれの肌に触れていることにこだわった。できるだけ広い面積を、できるだけ長い時間、重ね合わせる。それを、おれと過ごすときの第一目標にしているみたいに。
「……したい?」
だから反対に、まなとが身体を離しておれの手だけに興味を示しているときは、まなとからじゃなく、おれに触れられたいという合図だった。
「うーん、したい……けど迷うなあ。あした買いものいきたいんだけど」
そうつぶやくまなとの手のひらは、すでにすこしあたたかくて、しっとりしていた。ごつごつしたまなとの指の節が、出っぱったおれの骨を、こり、こり、と乗り越えては戻り、戻っては乗り越えていく。
「大学のときなんか、新幹線の時間ぎりぎりまでしてたのにな」
あの頃のおれたちは、泡立てた石けんをシャワーで流す時間すら惜しくて、とにかく外に出られる最低限の身支度を整えて、駅へと走ったものだった。
「年取ったなあ、おれたち」
はは、と笑いながら、それでもまなとは手を止めない。目を細めて、膝の上に乗せたおれの手の先を、ぼんやりと眺めている。
こういう顔をするまなとを見る機会が、最近増えたような気がしていた。なんでも年齢のせいにするのは馬鹿馬鹿しいと思いながら、これも寄る年波というやつなのかと考える。
この期に及んで、まなとは手のひら以外をおれの身体には触れさせない。何百回、何千回、何万回と触ってきたまなとの身体が、薄い空気を挟んでとなりにある。たった数センチのその距離が、おれは、こわくて仕方がない。
「海はしたい?」
上目遣いをして、まなとが首を傾ける。栗色の瞳は、すでに潤んでいた。
いつも、いつも想像した。まなとがおれの目の前から消えてしまう日のこと。家にこなくなったら。連絡がつかなくなったら。まなとに、触れることができなくなってしまったら。
考えるたびに背筋が震えて、そのたび、まなとがそうしたいのなら、その願いを叶えてやるのが、おれにできる唯一の、まなとをしあわせにできる方法なんじゃないか、と想像したりした。だけど何回想像しても、まなとの手を離す自分は存在しなくて、すぐに追いかけてまなとの身体に触れてしまうだろうと思った。気持ちがなくてもいいなんてうそだ。おれはいつだって、まなとにまっすぐ見つめられることだけに執着している。
「……だめか」
はは、とまなとが笑う。眉を下げて、だけど唇の端は上がっていた。
「海はさ、はじめてえっちした日のこと、覚えてる?」
こり、こり。手の甲の骨を、まなとの親指が転がす。
「……忘れるわけないだろ」
「あのときも海、言ってた。『だめかな』って」
そうだ。あの日、おれはたしかに言った。
「『まなとに触りたいんだけど、だめかな』って、言っただろ、海」
中学三年の夏だった。まなとの部屋で、おれたちは今みたいに、ほんのわずかな距離を置いて座っていた。友だちになろうと、そう言ったまなとは、時折おれの手に触れ、髪を梳き、唇にキスをした。
どこまで許されているのかおれにはわからなくて、降りそそいでくる行為の熱っぽさに、ただ眩暈がして死にそうだった。
まなとが女の子とあそんでいる、という噂は、学校じゅうの生徒も、もちろんおれも知っていた。そしておれと過ごすようになってからは、その噂が過去のものになったことを、おれだけが知っていた。
まなとがくれる愛撫に、おれはずっと応えられずにいた。おれは女の子じゃないし、まなとの真意もわからなかった。男同士でそうすることが正しいことなのか、許されることなのか、ぐるぐると考え続けていたあの日々を、忘れるはずがない。
正解は知らなかった。それでも、まなとに触れられるたびに身体のなかで暴れまわる感情に、気づかないふりをし続けることは難しかった。
「あのときと同じこと、おれいつまでも言うよ」
こちらを見あげて、まなとがおれの手を強く握る。「大丈夫」。そう、言っているみたいに。
「駄目じゃない。だめな理由なんて、海のなかにしかないよ」
まなとが笑った。はじめてセックスをした日も、同じ顔をして笑っていた。
いつもそうだ。まなとが笑う。それだけで、すべてが救われたような気がした。
まなとを愛するよろこびは、いつもおれのなかの最高を簡単に超えていった。高校時代、一〇〇メートルのタイムが上がっていくときでさえ、自分のすべてが散りぢりになっていくような、強烈な歓喜は訪れなかった。
まなとといれば、そんな圧倒的なよろこびが、毎日自己ベストを塗り替えていく。
おれの身体はいつか、まなとを想う気持ちでいっぱいになって破裂してしまうんじゃないか。そんなふうに思いながら、だけどおれは恋心でふくれきってパンクすることもなく、日々新鮮にまなとへの想いに気づく。
単純で容易で簡潔なおれの生活のなかで、まなとの存在はいつも生々しく強烈だった。
なにものにも捕らわれていないまなとの魂が、おれはたまらなく好きだった。
「いいよ」
堪らず、つながれた手をほどいて輪ゴムで止められた髪の先に手を伸ばす。ピンと鋭く飛びでたそこに触れると、覚えのあるやわらかさと、すこしの弾力を感じた。
目と目が合って、顔が近づいていく。すっと通ったまなとの鼻筋に眼鏡があたらないように、角度をつけて唇をつける。離した手が、迷ったすえにTシャツの裾を掴んできて、それだけでおれは、軽くイってしまいそうなほどのよろこびを覚える。
まなとを自分だけのものにできるよろこび。ほんとうは、この世界のだれからも、まなとの姿が見えなくなってしまえばいいと思う。おれだけの世界。おれだけのまなと。そんな現実は訪れないし、もし願いが叶ってしまったら、おれはたぶん、恐怖で死んでしまうだろうけど。手に入ったことのしあわせは、いつか離れていくことの恐れと背中合わせだ。どちらかの想いが大きくなれば、比例するように片方も重くなる。
「あした買いものいくんだから、あんまり見えるとこに痕つけないでよ」
「……わかった」
長いえりあしの下にちらちらと見え隠れする古い痕は見えないふりをして、行儀のいい返事をする。ちいさな独占欲を、そんなささいな行為で満たしていくおれは、なんて幼いんだろう。
ソファにうつ伏せに寝かせたまなとの背後から、腰をゆっくり動かす。「もうすぐ暖房が必要になるかもしれません」と、数日前に天気予報士が言っていたような気温のなかで、おれたちの身体は汗でぐちゃぐちゃだった。
まなとの身体のなかに埋めこんだ性器はもとより、ぬるぬるとすべる肌と肌さえ、触れあっているだけで気持ちよかった。たぶんそれは、まなとも同じだ。
――まなとに触りたいんだけど、だめかな。
中学三年生、夏。一世一代と投げかけたその問いは、まなとの笑顔によって許された。あの日から十年以上、おれはあの笑顔に許されたいと乞い続けて、ほんとうに許され続けている。
まなとを愛することを許された。まなとに触れることを許された。まなとを愛し、触れていても、それが悪ではないと教えてくれた。おれたちにとってはそれが「普通」なのだと、信じたいと思えた。
まなとが笑えば、なんだってできる気がした。がむしゃらにトレーニングをして、血を吐く思いで一〇〇メートルを駆け抜けて、全国に数多いる選手たちと競わなくても、自分の形がはっきりとわかった。そしてその形のままでここにいていいのだと、そう言われている気がした。
だけど同時に、まなとといると、ずっと苦しい。
こちらに背を向けたまなとが、クッションに顔を押しつけて声を噛み殺している。まなとの好きなカフェオレみたいな色の髪が、濡れて束になっていた。その下から覗く赤い痕が、ゆらゆらと揺れて見えなくなる。眼鏡に汗が落ちて、視界がにじむ。
「……海、なんか息荒いけど、だいじょぶ?」
「……ああ」
大丈夫。そう言った声が震えていた。まなとは、それに気づかないふりをしてくれた。セックスをしている最中によけいなことを考えてしまうようになったのも、年齢のせいだろうか。
気持ちがいい。狂いそうなほどに、いい。かつて、この瞬間にだけは忘れられていたいろんなことが、どうしてか今、頭に浮かぶ。
ソファでセックスをしたのは久しぶりだった。睡眠欲に勝てない代わりに、いつも準備万端整えていた準備を、今日は怠ってしまった。まなとの身体を拭いてやらないと。その一心で、重いまぶたをこじあけながら後始末をした。どうにか肌を拭って、服とクッションカバーを洗濯機に突っこみ、さらさらのベッドに倒れこむ。
「かーい、ちゃんと眼鏡拭かないと痕残るよ」
ベッドボードに置いた眼鏡を、まなとが拾いあげて指先でゆらゆらと揺らす。
「……まなとが拭いてくれるからいい」
行為のあと、まなとの身体を清めるのはおれの役目で、おれの眼鏡を磨くのはまなとの役目だ。眠りの淵ぎりぎりに立っているときに、眼鏡に構っている余裕はない。
「海の綺麗好きは中途半端だなあ」
そう言って、ていねいに眼鏡に触れるまなとを、もうほとんど開いていないまぶたの隙間から見ていた。ありがと、とつぶやいたおれに、おやすみ、と返す声が、現実と夢のあいだに落ちる。
気づけば、人生の半分もの時間をまなとといっしょに過ごしていた。まなとにはじめて恋をして、目で追いかけるのが精いっぱいだったあの頃を、今ではしっかりと思いだせないくらい、遠くとおくまでやってきてしまった。
「あの頃」からどこまで離れた場所にきても、おれは変わらず、まなとのことが好きだった。馬鹿みたいにただひたすら、「好きだ」と言葉を重ねる以外の方法が見つからない、そんな中学生みたいな恋を、おれはずっと抱えている。
――その夜、夢を見た。
高校まで続けていた陸上競技。まなととの日々で、忘れてしまったこともたくさんあるのに、どうしても忘れられない日の夢だった。
ひとりで一〇〇メートルを駆け抜けていた頃、走ることはおれのすべてだった。十秒とすこし、全身のバネを前に進む力に変えることに必死なわりに、頭のなかはいつも冷静で落ち着いていた。
競技場の観客席にまばらに座るひとの、ひとりひとりの顔さえ見える気がした。このなかに、いったい何人、おれと「同じ」ひとがいるだろう。そんなことを考えて、おれ以外に「同じ」ひとがいるようには思えなくて、そのたび、自分がひとりぼっちであることを実感した。おれはひとりだ、そう思うと、背筋が伸びた。自己ベストを更新できた。
まなとが大会に顔を出したのは一度きり、高校三年生の夏だった。
――高校最後だし、海が本気で走るとこ、見てみたい。
そう言って笑ってくれたまなとに、いいところを見せたかった。観客席のまなとが、走るおれを見つめる。まっすぐなその視線を受けとめながら走るのは、おそろしいほどの快感だった。予選から足がよく動いた。なにもこわくないと思えた。
実際、おれはその大会で一〇〇メートルの決勝に進み、優勝した。準決勝のときから、そうなる結果は見えていた。感じたことのない全能感が、おれを支配していた。
だけど、表彰式でいちばん高いところに立って見あげたまなとは、おれじゃなく、遠く離れたうちの部のテントを見つめていた。視線の先にいたのは、表彰式をつまらなそうに眺める太一だった。予選を通過することすらできなかった太一を、まなとはまぶしいものでも見るみたいに、目をすがめて見ていた。
気づいてしまった瞬間の、激しい後悔が胸を刺す。夢はどうしていつも、苦しいほどの鮮烈な色を持って、過去を思いださせるんだろう。
心臓の痛みで目が覚めて、となりで眠るまなとを探す。ぴったりと身体を寄せて寝息を立てている表情は、眼鏡をかけていないおれにはよく見えない。ぼんやりとした輪郭は、まるでおれにとってのまなとそのものみたいだ。
どんなに努力しても、どんなに早く走れても、どんなに強く想って触れても、手に入らないものがあると知った。
横で眠るまなとの手に触れることだってできるのに、おれはそうすることができないまま、ぼやけたまなとの寝顔をずっと見ていた。
***
もう鍋の季節だね、とまなとが言うから、仕事を終えたおれたちは、お互いの職場から離れた駅で待ち合わせをした。職場からも家からも、等間隔で遠い駅、というのは、東京に出てきてはじめて知った概念だった。
地元にいたころは、バスも電車も路線がわずかで、おれたちがいけるところは限られていた。家か、学校か、それ以外にはほとんど選択肢がない場所で生きていたときの感覚を、おれたちはもう忘れた。
この街ではICカードさえ持っていれば、どこへでもいける。それなのにおれたちは、どこにもいけないでいた。同僚にも、知りあいにも会わないよう注意しながら、ふたりきりになれる場所を、いつも探している。
「さむいー」
「夜は冷えるな」
コートのポケットに手を突っこんで、まなとが肩をぎゅっとすくめた。店で飲んできた日本酒と寒さのせいで、薄い耳の先が赤くなっている。まだ吐く息は白くない。だけど、口から雲がふわりと飛びだす予感がたしかにあって、もう冬が遠くないことがわかった。
「……さむい、って、言ってるんですけど」
まなとが、こちらをちらりと見あげる。飲食店のカラフルな看板のひかりが横顔に影を作っていた。まなとは酔うと舌ったらずになって、いつもより甘えたがるくせがある。
「……だからなに」
「えー、わかんないの?」
金曜日、夜八時すぎ。一軒目での飲み会を終えたのだろう、ふらふらとした足取りで歩道をいくサラリーマンたちが波を作る。その流れから外れて、おれとまなとだけがゆっくりと歩いていた。
手をつなぎたい。白い息の気配ごと飲みこんで、キスをしたい。毎日一緒にいても、その欲求が消え失せることはなかった。
「……わかるけど、帰ったらな」
言いながら、ポケットの上からまなとの手の甲を撫でる。偶然、となりに立つ人間に手が当たってしまったみたいな、そんな素振りで。
「はは、はいはい」
さっき食べた火鍋のせいなのか、このあと家に着いたらはじまる行為を想像してか、理由はわからないけれど、胃のあたりがふわふわする。おれもたぶん、酔っているのだ。
人前では手はつなげない。ふたりきりでいるところを会社の人間に見られたくはないし、週末になにをしているのか、聞かれたくもない。それはたぶん、他人から見たら「健全じゃない」と後ろ指を指されるような人生なのかもしれない。
だけど、ぼんやりする頭で思う。
こういう日々がこれからも続いていくのだということ。たとえ自分を許せなくても、たとえまなとの心がここになくても、まなとはとなりで笑ってくれるのだということ。それをたしかに、おれはしあわせだと思うこと。
それだけでいい。それだけでいいのだ。まなとさえいれば、ほかには、なにもいらない。
背筋を伸ばして、ほんのわずか先を見る。うごめく人混みのなかに、歩みを進めた。
「あれ、真泉?」
「え」
突然、声をかけられて振り返る。それまでその他大勢でしかなかった人混みから、ひとりの男の顔が浮かびあがった。
「やっぱり真泉じゃん! それに佐々木も!」
垢抜けてはいるけど、顔を見たらすぐに思いだした。陸上部で、中距離を専門にしていた同級生だった。一年のときは、クラスもいっしょだった。
おれも呼びかけようとして、口を開いてやめた。名前が、とっさに出てこない。仲が悪いわけじゃなかった。短距離組と中長距離組は別れて練習することが多かったとはいえ、三年間一緒にグラウンドを駆けずりまわったチームメイトを忘れてしまった自分に戸惑う。
「……ああ、久しぶり」
往来をよけて、街灯の下に立ち止まる。頭上で、虫がひかりに群がっては散っていく音が聞こえた。
「びっくりした、おまえらまだつるんでんのな」
そう言って笑う瞳には、たしかに好奇の色が見えた。火鍋であたたまっていたはずの胃が、一気に冷たくなる。まなととの距離は適切だろうか。声をかけられる瞬間、おれたちの姿はきちんと「高校の同級生」のかたちに収まっていただろうか。そんなことばかりが気になる。
「最近だれかに会ったりした?」
「いや、帰省してないから」
「みんな結婚したり子どもいたりすんぜ。おまえらはどーなの」
どーなの、と問われた声が遠い。うまい答えが見つからなくて、こぶしを握る。こいつと話すとき、どんなふうに話していたのか、すこしも思いだせない。ごまかさないと。そう思うだけで、心臓が馬鹿みたいに早く動いた。
「……三ツ木こそどうなの? それ、指環」
黙っていたまなとが、口を開いた。三ツ木という名前が、その瞬間、一気に懐かしさをともなってフラッシュバックする。そうだ、三ツ木は軽やかな会話の雰囲気のせいか、おれよりもずっとまなとと気が合っていた。
「あ、わかる? へへ、春に籍入れたんだ」
芸能人の結婚会見みたいに、三ツ木が手の甲をこちらに見せる。シンプルな指環が、薬指にはまっていた。こういうところに気づくのはまなとらしい。
「そうなんだ、やったじゃん、おめでとう」
「ありがとー」
カノジョほしー、とあの頃よく宙に叫んでいた三ツ木が結婚したという事実に、眩暈がした。高校の卒業式当日まで、童貞であることを気にしていた三ツ木のしょぼくれた顔を思いだす。こんなにも遠くまで、おれたちはきてしまった。
「で、おまえらはどーなの」
おれたちの顔を見比べながら、三ツ木がもう一度同じ台詞を言う。会話のキャッチボールはすでに三ツ木とまなととのあいだで行われていて、おれはまなとの答えを、ただ黙って待っていた。
「……おれも海も、まだ結婚してないよ」
ため息をつくみたいな声音だった。「まだ」。そのひとことに、どきりとする。一般的な答えだと頭ではわかっているのに、心臓の、もっと奥のほうがキリキリと痛んだ。
「えっ、まじかー。真泉はともかく、佐々木が独身なのは意外だな。おまえ、めちゃくちゃモテてたじゃん」
「はは、まあ、いろいろね」
カラリと、まなとが笑う。釣られて、三ツ木も笑った。
まなとのこういう姿を見るのは、ひさしぶりだった。相手に一歩も踏みこませないように、有無を言わせないように、心にシャッターをおろした表情を貼りつけたまなとが、鼻の頭にしわを寄せて笑っている。
高校卒業を控えていた頃、周囲に進学先を訊ねられるたび、まなとは今と同じ顔をして、のらりくらりと追及をかわしていた。毎日近くで過ごしていた高校時代は、まなとのこの表情を目にする機会が多かった。だから今、久しぶりに出会ったその笑顔に、すこし戸惑う。あたりまえだ。三ツ木と最後に会ってから今日までと同じ期間、まなとがおれ以外の親しい人間に向ける顔を、見たことがないのだから。
「あ、そうそう、意外と言えばさ」
立ち止まっていると、寒さがよけいに堪えた。まなとだって寒いにちがいない。いつ会話を切りあげようか。帰ったら、いっしょに風呂に入ろう。そんなことを考えながら、うわの空で三ツ木の話を聞いていた。「―夏目って覚えてる?」
空気が、凍った。どんなに寒くても真冬ではないのに、確実に、凍った。
「……ああ」
となりを見ることができない。どうしたらいいのかわからなくて、相槌だけを打った。
「あいつ、地味で目立たなかったじゃん。真泉に勝てたことなかったし、しゃべんねーし」
それは、三ツ木の目に入っていた太一の姿だ。おれは―いや、まなとは、太一のもっとちがうところを、きっとたくさん知っている。
「なのに嫁さんめちゃくちゃかわいいんだよ」
一度凍った空気が、さらに温度を下げる。一瞬の間を置いて、まなとが口を開いた。
「……あいつ、結婚したの」
「たまたま地元帰ったときふたりで歩いてるとこ見かけたんだけどさ。風のうわさで結婚したって聞いて、あれが嫁かーって」
見てはいけない。もうひとりのおれが、そう警告した。だけどおれは、頭のなかで鳴り響く警報音に逆らって、まなとを見おろした。身体が、勝手に動いた。
そのとき、予感があった。このまなとの顔を、たぶん、一生忘れないだろうということ。そして同時に、その表情に気づいてしまった瞬間の激しい、はげしい後悔を、おれは、絶対に忘れないだろうということ。
「――そ、っか。あいつ、結婚したんだ」
まなとの肩に力が入っている。さっき、コートの上から触れた手の先を、きっと強く握りこんでいるにちがいない。
「ごめん三ツ木、おれたち急いでるから」
「あ、おう。引き止めて悪かった」
まなとの腕を引っぱって、三ツ木の謝罪もろくに聞かずに歩きだす。
「ごめん」
まなとがちいさく謝った声がした。だれに対しての謝罪なんだろう。疑心暗鬼になる自分がいやになる。
またな! と、三ツ木が叫ぶのが、背中越しに聞こえた。その声を、そしてその声から飛びだした事実を振りきるように、人混みのなかを早足で進む。ついてこないかもしれないと、そう思うと怖くて、まなとの腕を離すことはできなかった。
「――海、いたいよ」
ちいさな地下鉄の入り口まできて、まなとが口を開いた。言われてはじめて、自分がどれだけ強い力でまなとの腕を掴んでいたのか気づく。すっかり固まってしまった指を解いて、まなとを解放した。
「……ごめん、力入っちゃって」
掴まれていた腕を抱いたまま、まなとはなにも言わずうつむいた。
まなとが今、なにを考えているのか、おれにはわからなかった。わかりたくもなかった。まなとの心はいつも読めなくて、読めないことを悔しく思ったことなんて、これまでの十数年で数えきれないほどあったのに。想像がついてしまうことをこんなに怖いと感じたのは、今がはじめてだった。
駅に吸いこまれていくひとの目に、向かいあって黙る男ふたりの姿は、きっと異様に映るのだろう。ちらり、と視線が投げかけられるのが、なんとなく横目で見える。
「まなと、ごめ、」
「……ごめん」
もう一度謝ろうとしたおれの声をさえぎって、まなとが同じ台詞をつぶやいた。カフェオレ色の長い前髪に隠れて、その向こうにある瞳が見えなかった。まなとは、なにを謝っているのだろう。
「びっくりしたな、こんなとこで三ツ木に会うなんて」
寒さで赤くなった鼻にしわを寄せて、まなとが笑った。街灯のせいで影が落ちたまなとの顔は、おどろくほど静かできれいだった。
「そう、だな」
「ほんと、びっくりした」
腕を抱いたまなとの指の節が、ぎゅっと強く握りこまれて白くなっている。おれの手よりずっとごつごつしていて、いつもやさしくこちらに差し伸べられてきたそれが、今、まなとの身体だけを抱きしめていた。
腕を伸ばせば、足を一歩踏みだせば、まなとに触れられる。だけどもう、おれにその勇気はなかった。残滓みたいな決心で、なんとか声を絞り出す。
「帰ろう、まなと。せっかく鍋食べたのに冷えただろ」
「……うん」
改札を通ってすぐにすべりこんできた電車に乗りこむ。混雑した車内は暖房が入っていて、うっすらと感じるアルコールのにおいが、よけいに空気の密度を濃くしていた。吊革に体重を預けて並んで立つ。数分前までは、火照ったまなとから酒の気配を嗅ぎとれるほど近くにいたのに、今はなんだか、そこにいないんじゃないかと心配になるくらい、まなとのことを遠く感じていた。
帰ったら、一緒に風呂に入って、そして、その手のひらをひとりじめできると、ほんの数分前まで信じていた。だけど、信じていた夜がこないことは、おれも、そしてまなともわかっていた。
『次は○○駅、○○駅。お出口は左側です』
電車が停まるたびに乗客が降り、また同じだけの人間がドアからこの密室へとやってくる。車内にできるひとの流れに合わせて、わずかにまなととの立ち位置が変わっていった。言葉を交わすこともないおれたちは、はたから見たら赤の他人に見えてしまうのかもしれない。絡まない視線が落ちる窓の冷たさが、触れあわない肩の先に当たる暖房の風が、胸のなかに侵入してきて、やすりみたいに心を削る。
家に着いてすぐにまなとのために湯船に湯を張って、異様に静かなまなとの背を浴室に見送った。普段から風呂が長いまなとが、いつもどおりの時間のあいだ目の前にいないだけで、じっとしていることができなかった。
お風呂ありがと、と、まなとがリビングに戻ってきたとき、おれは返事もしないで風呂場へ向かった。こわくて、ただこわくて、頭のなかを埋め尽くす予感を、振り払うみたいに服を脱いだ。
おれだけを見てほしい。そう言って無理やり抱いてしまえば、まなとはこれまでと変わらずそばにいてくれるだろうか。想像してみて、そんなことができたら、おれはこんなに恐怖していないな、と思う。
浴室に充満するまなとのにおいが愛おしくて泣いてしまいそうで、シャワーから降りそそぐしずくはあたたかいのに、指先はいつまでも冷たかった。
風呂からあがって、先にベッドに潜りこんでいたまなとの身体に、そっと腕をまわす。伸ばした手のひらにまなとが触れて、だけどそれでも、そこは冷たいままだった。
「おやすみ」
まなとの髪に鼻を埋めて、そっと呼吸をする。やわらかなシャンプーの香りを、覚えていられるように。
「……おやすみ、海」
この言葉を聴けるのは、今日が最後かもしれない。まなとに触れる腕に力を込めることができないまま、おれは眠りに落ちた。
「――おーはーよ、海」
「……ん」
ぼんやりと浮上した意識の向こうで、まなとの声が聞こえた。身体に感じる重さに、身動ぎをしながら目を開く。
「……ま、なと」
眼鏡をかけていなくてもわかる。そこにいたのは、目を細めて笑うまなとだった。布団の上からおれに乗り、おれの胸で頬杖をついて、楽しそうにこちらを見ている。重さを避けつつ、なんとか布団から腕を出して、カフェオレ色の髪に手を伸ばした。
「まなと」
「なに、海、寝ぼけてんの?」
触れた髪のやわらかさも、鼻に届く香水も、からかうような声も、話し方も、おれにぴったり重なる身体のかたちも、みんな、目の前にいるのがまなとだと教えてくれていた。
「……なんで」
昨夜のできごとが、寝起きの脳内を駆け抜けていく。三ツ木の顔が浮かんで、だけどその顔は、ぐにゃりと歪んで思いだされた。
目覚めたら、まなとはいないかもしれない。眠りながらずっと覚悟していた気がしたのに、どうして、まなとはなにもなかったみたいに笑っているのだろう。
「なんでって、海がぜんぜん起きてこないからだろ。もう十時過ぎたよ」
めずらしいな、海が寝坊するなんて。そう言いながら、まなとはベッドから降りた。とたんに軽くなった布団から、もそもそと這い出る。眼鏡を手に取って、やっと一.〇の視力を取り戻した目でまなとを見あげた。
「ほんとにどした? なんか変だよ」
ほほえみながら、まなとが肩を揺らす。変だ、と言いたいのはこっちのほうだった。おれの想像していたまなとは、たとえこの部屋からいなくならなかったとしても、こんな表情をしていなかった。こんな、いつもどおりの笑顔を浮かべているはずがないと、思っていたのに。眠る直前に予期していたのとは、まったくちがう世界が目の前にある。
混乱していた。よろこべばいいのに、頭のなかがぐちゃぐちゃで、冷静になれない。
「……いや、なんでもない」
「そう? じゃあごはん食べよ。海起きるの待ってたからおなかすいた」
「悪い、おれが作る」
寝巻にしているスウェットのまま、顔を洗って台所に向かう。腹の奥でもやもやとうごめく感情に蓋をして、その上を滑るような言葉がすらすら出てくる。なにか考えないといけないことがある。その中身も、理由も知っている自分がいるのに、もうひとりの自分が、まあいいじゃないか、まなとにメシを作ってやるのが先だと、おれのことを急かしていた。
「やった、オムそば作って、オムそば」
「はいはい」
この部屋にはフライパンがひとつしかない。だから焼きそばを作って皿に盛り、それからひとり分ずつ、半熟のオムレツを焼いた。オムレツを乗せるころには焼きそばがすっかり冷えていて、まなとは「この温度差たまんないな」と、ケチャップを口の端につけて笑っていた。
「天気がいいから洗濯しよ」とまなとが言って、シーツとまくらカバーを剥ぎとり、ついでだからと、二日溜めていたおれの下着や靴下も洗濯機に入れた。「任せたよ」と洗濯機に手を振って、仕事用のワイシャツをクリーニングに出しにいく。クリーニング店までのわずかな道のりを歩きながら、どうしたらフライパンひとつでオムそばをあたたかいまま食べられるのか、ふたりで真面目な顔をしながら話した。
古びた店に着いたら、まなとを外で待たせて伝票を書く。『スピードコース』で依頼すれば、明日の朝にはパリッと皺ひとつないシャツが仕上がる。一週間で五着。週末にここでクリーニングしてもらって、また月曜日から同じシャツを着る。まなとは「海のワイシャツを見ると曜日がわかるから便利だ」と言って、おれのこのルーティンを気に入っていた。
会計を終えて外に出たら、ひんやりと首筋を冷たい風が撫でた。「おかえり」。声が聞こえたほうを見たら、ブラックコーヒーとカフェオレ、ふたつの缶を持ったまなとが待っていた。
「やっぱ最近さむいね」
「そうだな」
「手、つなぐ?」
「……」
「いいよ、わかってる」
そんなやりとりをしながら部屋に戻った頃には、洗濯機のランプが消えていた。ぐるぐるとこんがらがったシーツを広げて、ベランダに干す。物干し竿にかけたシーツに隠れて、おれたちはそっとキスをした。
――あっけないくらい、いつもどおりだった。
大学を卒業して、この街でふたり生きてきた。まなとを追いかけてやってきた都会の隅で、ただそっと手のひらのなかに閉じこめて大切にしてきた、なんでもない毎日と変わらない、同じ一日。
「……なあ、海、えっちしたくない?」
だからそうだ、こうして土曜の夜にまなとから誘われるのだって、何百回、何千回もくりかえしてきたやりとりで、それに違和感を覚えたことなんて、これまで一度もなかった。なかった、はずなのに。
「……なんで突然」
「なんでって、したいかなと思って」
したいのか、したくないのか、正直おれにはよくわからなかった。エアコンから吐きだされるあたたかい風が、まなとの長いえりあしを揺らす。そこに隠れるうなじに口づけたい。身体じゅう、おれが触れていない場所が一ミリだって残らないくらい、すべてを手に入れたい。そう言ったらまなとはきっと、「すればいいじゃん。駄目だと思ってるのなんて、海だけだよ」と言うにちがいない。
「……きのうの火鍋で腹痛いんじゃないのか」
「いや、まあ、そうなんだけど」
はは、と笑いながら、ソファのうえで膝を抱えたまなとが、頭をこちらへ傾ける。肩に触れた重さが愛おしくて、胸がいっぱいになる。
「……じゃ、今日は入れない、ってのは、どう、ですか」
「はは、なんで敬語なの。いーよ。海の好きなようにして」
そう言って、まなとが手をこちらに伸ばす。おれの頬をなぞった指先は、昨夜、あんなにきつく、まなと自身の身体を抱いていたのに。
その指に残った記憶を、おれは書き替えられるだろうか。頬に添えられた手を取って、手のひらに唇を押しつける。
どう行動するのがいま一番正しいのか、まったくわからない。身体に染みついたルーティンのまま、まなとに触れていく。思えば、まなとをはじめて抱いてからいままで、一度だって正解がわかったことなんてなかった。
だから、これでいいのかもしれない。いいのだ、そうにちがいない。
まなとが変えることを望まないのなら、そのままでいいと願っているなら、おれはその手を取りたい。何百、何千とくりかえしてきた日常を、まなとのとなりで、ただ続けていくだけだ。
***
おれの生活は、単純で、容易で、簡潔だ。
一週間のうち、五日間は会社にいって働く。昇る太陽とともに目覚めて、コンビニでおにぎりをふたつ買い、最寄りの駅から電車に乗る。通勤ラッシュがはじめる前の車内は空いていて、座席に腰をおろしているあいだ、ヘッドホンをつけて音楽を聴いている。会社に着いたら、だれもいないオフィスでおにぎりを食べ、新聞を読む。
その五日間は、週末をまなとと過ごすための助走のようなものだ。あるいは、スターティングブロックに足をかけて、走りだすまでの一番大切な時間。世界にはまなととおれしかいなくて、それ以外の人間は必要ないと、おれは本気で思っていた。
年々増える両親からの小言がうるさくて、実家に帰るのをやめた。大学卒業と同時に連絡先を変えたから、学生時代の友人とは、それ以来会ったことはない。忘年会や歓送迎会、同僚たちが全員参加するような飲み会には出席しても、個人的な食事の場には出向かなかった。
この街にやってきてからずっと。ずっとだ。それは、まなとも同じだった。
だけどおれは、ふたりだけの世界に、たったひとりだけ足跡を残し続ける人間がいることを知っていた。
いつもどおりの週末、いつまでも上達しないおれの飯を食べて、風呂に入り、セックスをした。まなとの身体を拭いて、眼鏡を拭いてもらって、まだ拭き終っていないと怒るまなとの腕を引っぱって布団に引きこんでから、何時間経っただろう。ふと目覚めて顔をあげると、フットライトが照らす、まなとのシルエットが見えた。
「――まなと?」
「あ、ごめん、起こしちゃった?」
セックスをしたあと、まなとはよく、こうして夜中にベッドを抜けだした。そうして、高校時代のアルバムを手に、ぼんやりしていることがあった。なだらかに落ちていく肩のラインが、とても三十路手前の男とは思えない。そのさみしそうな後姿を見るのが、おれは嫌いだった。
開いたアルバムのなかに、まなとがなにを探しているかなんて、聞くまでもなかった。おれとのセックスの熱がまだ残っているような、そんなしっとりとした肌をして、ここにはいないだれかのことを考えているまなとを見るたび、痛む心臓が嫌だった。
三ツ木と再会してから、一週間。そのことに触れる機会は一度だってないけれど、あいつが落としていった爆弾のような言葉は、おれだけじゃなく、たぶんまなとの心も揺さぶっている。それを知っているから、久しぶりにまなとがベッドを抜け出している光景を見て、顔が歪みそうなほど胸が苦しい。
「……眠れないのか」
「んー、なんか、暑くってさ」
海が暖房ガンガンに効かせるんだもんなあ。カラカラと、まなとが笑う。丸まった背の向こうにあるはずのアルバムを、視界に入れるか入れまいか迷って、だけど見ないでいることの恐怖を想像したおれは、すこしだけ首を伸ばした。
「――え」
「ん? どした、海」
振り向いたまなとの瞳は、ライトが照らすひかりの影になってよく見えない。真っ暗な穴みたいになった目のその奥は、もっと見えなかった。
「……いや、なんでもない。エアコン消すから、戻ってきな」
きれいな形をした後頭部をさらりと撫でて、掛布団を持ちあげる。するりと身をひるがえして、まなとが腕のなかに滑りこんできた。ふう、と満足そうに鼻息を漏らす身体をぐっと引き寄せて抱きしめる。
耳を当てられたら心臓の音に気づかれてしまいそうで、まなとの耳が肌に触れないよう、おれの肩の上までその身体を引っぱりあげた。
「おやすみ、海」
「――ああ、おやすみ」
まるで、百メートルを走っているときみたいだ。酷く冷静で、だけど心拍は早くなっていて、焦燥と達観が同時に頭のなかに存在している感じ。
夜中、まなとがベッドを抜け出すとき。その手にはいつも、卒業アルバムがあった。今日だってそうだろう、と覗き込んだ先に、だけど見慣れた紺色の表紙はなかった。
ただそれだけのことが、こんなにも怖い。なんて自分勝手だろう。まなとがアルバムを見ていたら胸が痛い。アルバムを見ていなかったら、怖くて仕方がない。
思うとおりにならないから、自由できれいだから、まなとのことが好きなのに。
腕のなかで身動ぎひとつしないまなとが起きているのは、呼吸の浅さと気配で、なんとなくわかっていた。おれが眠っていないことも、たぶんまなとには伝わっている。それでもおれたちはお互い、寝ているふうを装った。
まなとは結局、それから数か月経っても、ベッドを抜け出した夜にアルバムを見ることはなかった。身体を重ねるたびに目にしていた丸まった背を、忘れてしまえばいい。まなとの眠りが浅いのは今にはじまったことではないのだから、夜中に起きだしてしまうのも、仕方ないことなのだと受け入れてしまえばいい。そこに、なにか特別な理由があるかもしれないなんて、考える必要はない。
短い秋はとうに逝って、地元とちがって雪の積もらない冬も、もうとっくに終わった気配がする。朝、目覚めたときにカーテンから覗く太陽が、眼鏡をかけていない目にまぶしかった。
「よ、おつかれ、海くん」
「おつかれ」
その日、駅前で待ち合わせをしたまなとは、なんだか疲れているようだった。肌に艶がなくて、まつげが目に落とす影が、いつもより濃い。
こういうまなとを見ることはたまにある。仕事でなにか失敗したのか、単純に忙しいのか。理由はわからないけれど、カサカサになった目元にしわを寄せて笑うまなとは、「疲れてる?」と聞かれることを嫌った。
「今日のごはんなに?」
「唐揚げしようかなって」
「鶏? やった」
ティッシュボックスのかたまりを持ったまなとと、鶏もも肉が入ったずしりと重いビニール袋を持ったおれと、荷物をあいだに挟んで夜道を歩く。まなとの髪を揺らす風が、手にした袋をかさかさと鳴らした。
「もうすぐ桜、咲くってさ」
「そんな季節か」
「まだ慣れないよなあ、三月に咲く桜」
家までの道中にある公園を囲む桜の樹が、ぼんやりと白っぽく見えた。花を咲かせるために準備をしているそのようすが、まだ春浅いこの季節に見られることに、まなと同様おれも慣れない。四月に咲く地元の桜なんて、もう何年も見ていないのに。
「咲いたら、花見いこうな」
そう言って、まなとがほほえむ。すこし疲れたまぶたが、栗色の瞳を半分隠していた。
「……ああ、そうだな」
おれと、まなとの世界。それはきっと、これからもずっと、この街でまわり続けていくのだろう。生まれた土地にも帰らず、生きようと決めた土地にも慣れることができないまま、ずっと、ずっと。
ビニール袋を反対の手に持ち替えて、あたりを見まわす。街灯が等間隔で並んでいる以外、ひとの姿はなかった。一度、ぎゅ、とこぶしを握ってから、指を伸ばす。ティッシュボックスをぶら下げる手の甲に触れようとした瞬間、まなとがぽつりと声を漏らした。
「――そういえば、あいつに十円借りたのもこんな季節だったな」
伸ばしかけていた指先が、行き場を失って宙に浮く。
「……あいつ?」
「そう。あいつ、卒業式のあと学校いったら、バス停にいたんだよ。一緒に駅までバス乗ってさ。定期切れててお金足りなくて、十円貸してもらった」
耳に届くまなとの声音が明るい。暗い夜道の真ん中で、ぼんやり光る桜の樹のように明るい。カサカサ、とビニール袋の音を立てながら、まなとの歩調がワンテンポ上がる。
「もうあれから十年経つんだな。そりゃ、あいつだって結婚もするよな」
「あいつ」がだれなのか、わかってしまう自分が嫌だった。おれたちふたりだけの人生に、唯一、たったひとりだけ、足跡を残していった、あいつ。
「いいやつだったもんな。おれたちとちがって」
一歩先をいくまなとの表情は見えない。声は笑っているように聞こえるけれど、おれのなかの十年分のまなとの記憶が、その想像を否定する。
まなとがどんどん先へ歩いていく。となりを歩いていたはずなのに、指先が触れるはずだったのに、まなとは、となりにいない。
「帰ったら唐揚げの前に風呂入りたいなー。でもそしたら、そのままベッドいきたくない?」
くるり、とまなとが振り向いた。笑顔でいるはずがないと思ったのに。まなとは、まなとらしい、うつくしい笑みを浮かべていた。疲れているはずの乾いた目尻が、ちらりと最中の雰囲気を醸しだす。疑問形で投げかけられたその台詞―そうだ、まなとのその「台詞」に、おれのなかのなにかが、音を立てて切れた。
「――それは、なんなんだ」
「……へ?」
完璧だったまなとの笑顔が揺れる。まっすぐ目を見ることができなくて、でもまなとから目をそらすこともできなくて、さっき触れようとした手の甲を見つめた。繊細な顔立ちと釣り合わない、ごつごつしたまなとの手。
まなとはたぶん、この数か月で、ほんのすこしだけ痩せた。服の上から見たってわからない。肌に直接触れているから、いやでも気づいてしまった。
薄い胸に浮くあばら、よりはっきり見えるようになった喉仏。いつも掴んでいた腰だって、あきらかに肉が減った。
「おれのために、って思ってるのか」
「……海、どうしたの」
触れたかった指先が、ティッシュボックスを地面に落として、そっとおれの手首を掴む。風は生ぬるくて、桜はつぼみで白くぼやけているのに、まなとの手のひらは、びっくりするほど冷たかった。
「ずっとそうやって、嘘ついて生きていくつもりなのか」
「……な、に、」
まなとは疲れていても、疲れているとは言わない。仕事の愚痴なんて、言ったことがない。泣いている姿を見た記憶もない。いつでも笑顔で、いつでもやさしくて、いつでも自由で、いつでも、どんなときだって、おれのことを大好きだと言ってくれた。
それがぜんぶ嘘だってことを、おれはちゃんと知っていたのに。
まなとが誘ってくるのもいつもどおり。わかってる。そんなのわかってる。だけどどうしても、ごまかされているような気がして、胸がざわざわする。高校生の頃の「あいつ」が、頭のなかでゆらゆらと揺れながら、制服を着たまなとをじっと見ていた。高校生のまなとは、ジャージ姿の「あいつ」を、おれの肩越しに盗み見ている。
その視線が嫌になって「まなと」と呼びかけたら、キラキラした栗色の瞳で笑ってくれるだろう。
「……ああ、嘘つかせてるのは、おれか」
まなとはずるい。出会ったときから、この瞬間までの十数年、そしてこれからもずっと、きっとずるい。いつだっておれを許しているふりをして、その実、選びとっていたのはおれだけだった。
「なあ海、急にへんだよ。どうしたの」
―駄目じゃない。だめな理由なんて、海のなかにしかないよ。
ずるい。こんなときだって、まなとは決して、おれの手を離さない。決めるのはいつもおれ。おれのことを優先してくれているようで、ほんとうは自分自身にだけやさしいまなとのずるさを、おれはずっと、なによりも愛していたのに。
「……もう、いいだろ」
十分だ。これからの人生だって、おれはひとりで生きていける。日の出とともに起きて、コンビニでおにぎりを買って、電車に揺られて会社にいく。そうして毎日を過ごしていけば、いつか、この命だって、きれいに閉じることができる。
手首をきつく握るまなとの指を一本ずつ外していく。するりと、音もなく落ちていった手を目に焼きつけて、正面からまっすぐにまなとの顔を見た。だれよりも、なによりも、大好きな顔だった。
「……まなと、別れよう。おれたち」
不安そうに揺れていた瞳が、一瞬で歪んでいく。同時に、絵画のように凛としたまなとの輪郭が、ゆらゆらと崩れた。
変な話だ。つきあおうと言ったことだって、一度もなかったはずなのに。はじまっていない関係を終わらせるための言葉を、だけどおれは、これ以外に持っていない。
「は……? やだよ……なに、言ってんの」
尖った声を出しながら、まなとがじっと身体を固くしている。全身でおれの言葉を拒絶しているとわかる。だけどさっきみたいに、手を伸ばしてはくれなかった。もう春になろうとしているのに、身体の芯が冷たくなっていく。
「――もう、いいんだ」
うつむいて、こぶしを握る。おれも、まなとも、どんどん声が震えていった。
「もういいってなんだよ……おれは、海と一緒にいるって決めたよ? この街で、海と、ふたりで生きていこうって。楽しいこと、つらいこと、ぜんぶふたりで分け合おうって、おれ決めたよ?」
力をこめた目が熱い。それは、まなとの口から、ずっと聞きたかった言葉だった。だけどそのやさしさが今、どうしようもなく胸を刺す。
「……だから、それがもういいんだ」
思ったより冷たい声が出た。まなとがひゅ、と息を吸う音が聞こえて、顔を上げる。くしゃくしゃになった目元が、街灯に照らされてきれいだ。いつも飄々としているまなとの、はじめて見る表情だった。
「なんで? おれのせい? おれが、」
「っ、ちがう」
おおきな声が、暗い路上に響いた。まなとの肩が、びくりと跳ねる。
「……ちがうんだ」
まなとのせいじゃない。そして、もしそうだとしても、まなとの口から、「理由」なんか聞きたくなかった。
「……ごめん。まなとの気持ちがどうとかじゃないんだ。おれが、もう、むりなんだよ」
まなとの瞳から、ひとつ、しずくが落ちる。あとからあとから流れ続ける涙を拭ってやりたくて、だけどその衝動を抑えなくてはいけないということだけが、ぼんやりした頭の片隅にあった。
「もう、疲れたんだ。……ごめん。……ごめん、まなと」
まなとは、なにも言わなかった。遠くで電車が走る音だけが聞こえる。まなとが返事をしてくれないことにまた傷ついて、自分の勝手さに嫌気が差した。
「やだ、やだ、なあやだよ海、ずっと一緒にいようって言ったじゃんか。まなとがいてくれたら、自分のこと許せる気がするって、そう言ってくれたじゃんか。なあ、海、なんで」
まなとが泣いている。瞳を歪めて、潤ませて、背を少し屈めて。
「――おれ、海のこと世界でいちばん好きだよ?」
そうして、おれの大好きな表情でもう一度繰り出された「台詞」は、最後に残っていたおれの理性をどこかへやった。
「おまえが!」
目の前が真っ赤に染まる。自分のなかに、こんなにも激しい感情があったことに驚いた。かつてまなとは、ふるさとの海を『遠くから見るとおとなしいのに、波打ち際までくると結構荒れてる』と言った。そしてそのようすは、おれによく似ていると。
身体じゅうの血管を駆け巡る怒りを、なんとか息に乗せて吐き出す。外に出そうとすればするほど血液が沸騰していくのを、もうひとりの冷静な自分が眺めていた。
「……まなとが、おれを好きだったことなんて一度もないだろ」
声といっしょに漏れる息が熱くて、唇が燃えそうだ。
「太一のことしか見てない。昔も、今も」
こんなときなのに、目の前にいるのはまなとなのに、瞬きのたびにまぶたの裏に浮かぶのは、高校時代の太一の姿だった。
「それが、もうしんどい」
まなとの顔はもう見えない。ただ、これまでに見たどの瞬間よりうつくしい表情で泣いていることだけが、揺らぐ視界でもわかった。
「一番近くで、太一のこと忘れられないおまえのこと見てるの、苦しいよ」
そのうつくしさに引っぱられてしまうのがこわくなった。きっとこれが、まなとの顔を見る最後になる。そう思ったのに、こわくて、ただこわくて、まなとから顔をそらした。
「……ありがとう。ずっとそばにいてくれて。まなとがいたから、これまで生きてこられたのは、ほんとだから」
まなとは、なにも言わなかった。
足もとに落ちていたティッシュボックスを拾いあげる。両手が塞がって、もう、まなとに触れることはできない。住宅街のど真ん中にまなとを残して、歩きだす。息が熱い。身体が熱い。高まっていく体温に比例して、ストライドが広くなって、気づくとどんどんスピードが上がっていた。スーツでも人間は走れるのか。そんなどうでもいい感想が頭に浮かぶ。人生で、今、一番速く走っている気がした。
こんなの、逃げ足が速いだけだ。追いかけてくる足音は聞こえない。それでいいのに、それを望んで走っているはずなのに、過去のどんなときより速いスピードが出せているのに。ポジティブな感情は、おれのなかから消え失せてしまった。
顔が、あげられなかった。大学を卒業したばかりで、慣れない仕事に毎日胃が痛くなっていたときも、「はやく結婚しなさい」と母さんから電話がきた翌日も、こんな気持ちでこの道を歩いたことはなかった。だってその瞬間には、となりにまなとがいてくれた。
「――っ」
眼鏡のレンズに、しずくが落ちる。水のなかで目を開けているみたいに、視界がぼんやりと揺れていた。
どうやってマンションまでたどりついたのか、気づけば見慣れた部屋の中心で立ち尽くしていた。ふたりで選んだソファ、いつかの誕生日に買ってくれたマグカップ。もう二度とまなとがくるはずのない部屋を、濡れた眼鏡をとおして見まわす。
おれが上京して、もうすぐ七年。たくさんの時間をこの場所で過ごしたのに、ここに置いてあるまなとの私物は、改めて見ればどれも取るに足らないものばかりだった。
まなとの人生は、ここにはなかった。ずっとわかっていたはずなのに、急に現実が胸の奥に迫ってきて、また唇が歪む。必死に口を閉じようとしても、低いうめき声が漏れて止まらない。
まなとの持ちものがほとんどない部屋のあちこちから、まなとの香りがする。一番形がはっきりしないものなのに、身体に馴染んだそのにおいが、どうしようもなくまなとの輪郭を思いださせた。
明日が週末でよかった。そう思いながら、スーツのままベッドに寝ころぶ。
――かーい、ちゃんと眼鏡拭かないと痕残るよ。
頭の奥で声がして、だけどおれは、眼鏡を拭かずに枕の脇に置いた。不思議なほど深く眠った夢のなかでも、まなとは会いにきてはくれなかった。
「……はは、まなとの言ったとおりだ」
翌朝、おれは生まれてはじめて、レンズに落ちたしずくの痕は、拭っても拭っても消えないのだと知った。
昇る太陽と一緒に目覚めて、コンビニでおにぎりをふたつ買い、最寄りの駅から電車に乗る。通勤ラッシュがはじめる前の車内は空いていて、座席に腰を下ろしているあいだ、ヘッドホンをつけて音楽を聴いている。会社に着いたら、だれもいないオフィスでおにぎりを食べ、新聞を読む。
仕事をこなして、朝と同じ電車に乗り、同じ曲を聴いて、同じ道を歩いて家に帰る。ドアを開けたら、キッチンに立つまなとが待っていることもある。
駅で待ち合わせをして、買いものをしながらふたりで暗い道を歩くこともある。手をつないだり、肩が触れるくらい近づいたりすることもないけれど、ときどき、おたがい手にぶらさげている買いもの袋がぶつかって、カシャ、と乾いた音を立てるのが心地よかった。
ふたりでメシを作って、向かいあって食べて、その日にあった他愛もないできごとを話す。まなとは自分の家に帰ることもあるし、そのままいっしょのベッドで眠ることもある。
週末は決まってセックスをして、どちらのものかもわからない体液をわけあいながら一日を過ごした。日が暮れたら夕飯を食べて、そのまま帰ったり居座ったりするまなとの一挙手一投足を眺める。
その姿が、その存在が、この場所にあり続けていることに、おれは気づいてはおどろいて、そのたびどうしようもなくうれしくなって、だけど同時に一瞬先も見えないほどの「今」のまばゆさに泣きたくなった。たとえまなとの気持ちがここになかったとしても、それでもいいと思えるくらい、形あるものがそばにいることはおれにとって大切だった。
まなとは、自由だった。楽しそうなときは楽しそうに笑い、腹を立てているときは腹を立てているときちんと伝わる顔をした。三十年近く毎日鏡で見てきた、おれの顔とはちがう。感情を覚えたばかりの子どもみたいに、まなとの表情はくるくると、そしてころころと変わった。
「かいー、牛乳の賞味期限切れてる」
冷蔵庫の扉を開けながら、まなとが声をあげた。はやく髪を切らないと。そう言っていたえりあしは、輪ゴムで結われて、その短い先端を遠慮なく宙に突きだしている。
「悪い、気づかなかった」
「コーヒー淹れちゃったんだけどなあ。飲んでくれる?」
そう言って、まなとがマグカップを差しだした。雨の日のあぜ道みたいな色をした背の高いその陶器は、おれに似ているという理由でまなとがプレゼントしてくれたものだった。
マグカップに半分よりすこし多く注がれたコーヒーは、本来一緒になれるはずだった牛乳に出会えないまま、おれの胃腸へと流しこまれる。カフェオレを飲むことを日課としているまなとは、ソファとおれとのあいだに身体をねじこんで、薄い膜がそこにあるみたいに、おれとのあいだにわずかな空間を開けて寄り添う。日課を奪われたわりに、どうやら機嫌がいいらしい。
「海、期限内に牛乳飲みきれなくなってきたね」
朝いちばん、牛乳を飲んで一日をはじめるのが、小学生の頃からの習慣だった。幼いうちは、飲みすぎて母親に怒られた記憶もある。
「最近よくダメにしてる」
「寄る年波には勝てないな。飲むと胃が重くなる」
朝食の準備をコンビニに頼るようになってからも、牛乳を飲む習慣は変わらなかった。家を出る前の一杯が負担になってきたのは、ここ半年くらいのことだ。
「なにそれ。オジサンみたいだ」
「おれがオジサンなら、まなともオジサンだからな」
「ま、そうなんだけど」
ソファのうえでひざを抱えて、まなとが笑っている。その指先がそわそわと行き先を求めているような気がして、持っていたマグカップを反対の手に持ち替えた。そっと差しだした手のひらを、満足げな鼻息を漏らしたまなとが掴んで引き寄せる。
「まなと、この前背脂ラーメン食べたあとトイレにこもってただろ」
「あれ、バレてた?」
おれの手を親指でさすりながら、まなとの身体がどんどんソファに沈んでいく。まなとは、まるで生まれたての子どもみたいに、おれの肌に触れていることにこだわった。できるだけ広い面積を、できるだけ長い時間、重ね合わせる。それを、おれと過ごすときの第一目標にしているみたいに。
「……したい?」
だから反対に、まなとが身体を離しておれの手だけに興味を示しているときは、まなとからじゃなく、おれに触れられたいという合図だった。
「うーん、したい……けど迷うなあ。あした買いものいきたいんだけど」
そうつぶやくまなとの手のひらは、すでにすこしあたたかくて、しっとりしていた。ごつごつしたまなとの指の節が、出っぱったおれの骨を、こり、こり、と乗り越えては戻り、戻っては乗り越えていく。
「大学のときなんか、新幹線の時間ぎりぎりまでしてたのにな」
あの頃のおれたちは、泡立てた石けんをシャワーで流す時間すら惜しくて、とにかく外に出られる最低限の身支度を整えて、駅へと走ったものだった。
「年取ったなあ、おれたち」
はは、と笑いながら、それでもまなとは手を止めない。目を細めて、膝の上に乗せたおれの手の先を、ぼんやりと眺めている。
こういう顔をするまなとを見る機会が、最近増えたような気がしていた。なんでも年齢のせいにするのは馬鹿馬鹿しいと思いながら、これも寄る年波というやつなのかと考える。
この期に及んで、まなとは手のひら以外をおれの身体には触れさせない。何百回、何千回、何万回と触ってきたまなとの身体が、薄い空気を挟んでとなりにある。たった数センチのその距離が、おれは、こわくて仕方がない。
「海はしたい?」
上目遣いをして、まなとが首を傾ける。栗色の瞳は、すでに潤んでいた。
いつも、いつも想像した。まなとがおれの目の前から消えてしまう日のこと。家にこなくなったら。連絡がつかなくなったら。まなとに、触れることができなくなってしまったら。
考えるたびに背筋が震えて、そのたび、まなとがそうしたいのなら、その願いを叶えてやるのが、おれにできる唯一の、まなとをしあわせにできる方法なんじゃないか、と想像したりした。だけど何回想像しても、まなとの手を離す自分は存在しなくて、すぐに追いかけてまなとの身体に触れてしまうだろうと思った。気持ちがなくてもいいなんてうそだ。おれはいつだって、まなとにまっすぐ見つめられることだけに執着している。
「……だめか」
はは、とまなとが笑う。眉を下げて、だけど唇の端は上がっていた。
「海はさ、はじめてえっちした日のこと、覚えてる?」
こり、こり。手の甲の骨を、まなとの親指が転がす。
「……忘れるわけないだろ」
「あのときも海、言ってた。『だめかな』って」
そうだ。あの日、おれはたしかに言った。
「『まなとに触りたいんだけど、だめかな』って、言っただろ、海」
中学三年の夏だった。まなとの部屋で、おれたちは今みたいに、ほんのわずかな距離を置いて座っていた。友だちになろうと、そう言ったまなとは、時折おれの手に触れ、髪を梳き、唇にキスをした。
どこまで許されているのかおれにはわからなくて、降りそそいでくる行為の熱っぽさに、ただ眩暈がして死にそうだった。
まなとが女の子とあそんでいる、という噂は、学校じゅうの生徒も、もちろんおれも知っていた。そしておれと過ごすようになってからは、その噂が過去のものになったことを、おれだけが知っていた。
まなとがくれる愛撫に、おれはずっと応えられずにいた。おれは女の子じゃないし、まなとの真意もわからなかった。男同士でそうすることが正しいことなのか、許されることなのか、ぐるぐると考え続けていたあの日々を、忘れるはずがない。
正解は知らなかった。それでも、まなとに触れられるたびに身体のなかで暴れまわる感情に、気づかないふりをし続けることは難しかった。
「あのときと同じこと、おれいつまでも言うよ」
こちらを見あげて、まなとがおれの手を強く握る。「大丈夫」。そう、言っているみたいに。
「駄目じゃない。だめな理由なんて、海のなかにしかないよ」
まなとが笑った。はじめてセックスをした日も、同じ顔をして笑っていた。
いつもそうだ。まなとが笑う。それだけで、すべてが救われたような気がした。
まなとを愛するよろこびは、いつもおれのなかの最高を簡単に超えていった。高校時代、一〇〇メートルのタイムが上がっていくときでさえ、自分のすべてが散りぢりになっていくような、強烈な歓喜は訪れなかった。
まなとといれば、そんな圧倒的なよろこびが、毎日自己ベストを塗り替えていく。
おれの身体はいつか、まなとを想う気持ちでいっぱいになって破裂してしまうんじゃないか。そんなふうに思いながら、だけどおれは恋心でふくれきってパンクすることもなく、日々新鮮にまなとへの想いに気づく。
単純で容易で簡潔なおれの生活のなかで、まなとの存在はいつも生々しく強烈だった。
なにものにも捕らわれていないまなとの魂が、おれはたまらなく好きだった。
「いいよ」
堪らず、つながれた手をほどいて輪ゴムで止められた髪の先に手を伸ばす。ピンと鋭く飛びでたそこに触れると、覚えのあるやわらかさと、すこしの弾力を感じた。
目と目が合って、顔が近づいていく。すっと通ったまなとの鼻筋に眼鏡があたらないように、角度をつけて唇をつける。離した手が、迷ったすえにTシャツの裾を掴んできて、それだけでおれは、軽くイってしまいそうなほどのよろこびを覚える。
まなとを自分だけのものにできるよろこび。ほんとうは、この世界のだれからも、まなとの姿が見えなくなってしまえばいいと思う。おれだけの世界。おれだけのまなと。そんな現実は訪れないし、もし願いが叶ってしまったら、おれはたぶん、恐怖で死んでしまうだろうけど。手に入ったことのしあわせは、いつか離れていくことの恐れと背中合わせだ。どちらかの想いが大きくなれば、比例するように片方も重くなる。
「あした買いものいくんだから、あんまり見えるとこに痕つけないでよ」
「……わかった」
長いえりあしの下にちらちらと見え隠れする古い痕は見えないふりをして、行儀のいい返事をする。ちいさな独占欲を、そんなささいな行為で満たしていくおれは、なんて幼いんだろう。
ソファにうつ伏せに寝かせたまなとの背後から、腰をゆっくり動かす。「もうすぐ暖房が必要になるかもしれません」と、数日前に天気予報士が言っていたような気温のなかで、おれたちの身体は汗でぐちゃぐちゃだった。
まなとの身体のなかに埋めこんだ性器はもとより、ぬるぬるとすべる肌と肌さえ、触れあっているだけで気持ちよかった。たぶんそれは、まなとも同じだ。
――まなとに触りたいんだけど、だめかな。
中学三年生、夏。一世一代と投げかけたその問いは、まなとの笑顔によって許された。あの日から十年以上、おれはあの笑顔に許されたいと乞い続けて、ほんとうに許され続けている。
まなとを愛することを許された。まなとに触れることを許された。まなとを愛し、触れていても、それが悪ではないと教えてくれた。おれたちにとってはそれが「普通」なのだと、信じたいと思えた。
まなとが笑えば、なんだってできる気がした。がむしゃらにトレーニングをして、血を吐く思いで一〇〇メートルを駆け抜けて、全国に数多いる選手たちと競わなくても、自分の形がはっきりとわかった。そしてその形のままでここにいていいのだと、そう言われている気がした。
だけど同時に、まなとといると、ずっと苦しい。
こちらに背を向けたまなとが、クッションに顔を押しつけて声を噛み殺している。まなとの好きなカフェオレみたいな色の髪が、濡れて束になっていた。その下から覗く赤い痕が、ゆらゆらと揺れて見えなくなる。眼鏡に汗が落ちて、視界がにじむ。
「……海、なんか息荒いけど、だいじょぶ?」
「……ああ」
大丈夫。そう言った声が震えていた。まなとは、それに気づかないふりをしてくれた。セックスをしている最中によけいなことを考えてしまうようになったのも、年齢のせいだろうか。
気持ちがいい。狂いそうなほどに、いい。かつて、この瞬間にだけは忘れられていたいろんなことが、どうしてか今、頭に浮かぶ。
ソファでセックスをしたのは久しぶりだった。睡眠欲に勝てない代わりに、いつも準備万端整えていた準備を、今日は怠ってしまった。まなとの身体を拭いてやらないと。その一心で、重いまぶたをこじあけながら後始末をした。どうにか肌を拭って、服とクッションカバーを洗濯機に突っこみ、さらさらのベッドに倒れこむ。
「かーい、ちゃんと眼鏡拭かないと痕残るよ」
ベッドボードに置いた眼鏡を、まなとが拾いあげて指先でゆらゆらと揺らす。
「……まなとが拭いてくれるからいい」
行為のあと、まなとの身体を清めるのはおれの役目で、おれの眼鏡を磨くのはまなとの役目だ。眠りの淵ぎりぎりに立っているときに、眼鏡に構っている余裕はない。
「海の綺麗好きは中途半端だなあ」
そう言って、ていねいに眼鏡に触れるまなとを、もうほとんど開いていないまぶたの隙間から見ていた。ありがと、とつぶやいたおれに、おやすみ、と返す声が、現実と夢のあいだに落ちる。
気づけば、人生の半分もの時間をまなとといっしょに過ごしていた。まなとにはじめて恋をして、目で追いかけるのが精いっぱいだったあの頃を、今ではしっかりと思いだせないくらい、遠くとおくまでやってきてしまった。
「あの頃」からどこまで離れた場所にきても、おれは変わらず、まなとのことが好きだった。馬鹿みたいにただひたすら、「好きだ」と言葉を重ねる以外の方法が見つからない、そんな中学生みたいな恋を、おれはずっと抱えている。
――その夜、夢を見た。
高校まで続けていた陸上競技。まなととの日々で、忘れてしまったこともたくさんあるのに、どうしても忘れられない日の夢だった。
ひとりで一〇〇メートルを駆け抜けていた頃、走ることはおれのすべてだった。十秒とすこし、全身のバネを前に進む力に変えることに必死なわりに、頭のなかはいつも冷静で落ち着いていた。
競技場の観客席にまばらに座るひとの、ひとりひとりの顔さえ見える気がした。このなかに、いったい何人、おれと「同じ」ひとがいるだろう。そんなことを考えて、おれ以外に「同じ」ひとがいるようには思えなくて、そのたび、自分がひとりぼっちであることを実感した。おれはひとりだ、そう思うと、背筋が伸びた。自己ベストを更新できた。
まなとが大会に顔を出したのは一度きり、高校三年生の夏だった。
――高校最後だし、海が本気で走るとこ、見てみたい。
そう言って笑ってくれたまなとに、いいところを見せたかった。観客席のまなとが、走るおれを見つめる。まっすぐなその視線を受けとめながら走るのは、おそろしいほどの快感だった。予選から足がよく動いた。なにもこわくないと思えた。
実際、おれはその大会で一〇〇メートルの決勝に進み、優勝した。準決勝のときから、そうなる結果は見えていた。感じたことのない全能感が、おれを支配していた。
だけど、表彰式でいちばん高いところに立って見あげたまなとは、おれじゃなく、遠く離れたうちの部のテントを見つめていた。視線の先にいたのは、表彰式をつまらなそうに眺める太一だった。予選を通過することすらできなかった太一を、まなとはまぶしいものでも見るみたいに、目をすがめて見ていた。
気づいてしまった瞬間の、激しい後悔が胸を刺す。夢はどうしていつも、苦しいほどの鮮烈な色を持って、過去を思いださせるんだろう。
心臓の痛みで目が覚めて、となりで眠るまなとを探す。ぴったりと身体を寄せて寝息を立てている表情は、眼鏡をかけていないおれにはよく見えない。ぼんやりとした輪郭は、まるでおれにとってのまなとそのものみたいだ。
どんなに努力しても、どんなに早く走れても、どんなに強く想って触れても、手に入らないものがあると知った。
横で眠るまなとの手に触れることだってできるのに、おれはそうすることができないまま、ぼやけたまなとの寝顔をずっと見ていた。
***
もう鍋の季節だね、とまなとが言うから、仕事を終えたおれたちは、お互いの職場から離れた駅で待ち合わせをした。職場からも家からも、等間隔で遠い駅、というのは、東京に出てきてはじめて知った概念だった。
地元にいたころは、バスも電車も路線がわずかで、おれたちがいけるところは限られていた。家か、学校か、それ以外にはほとんど選択肢がない場所で生きていたときの感覚を、おれたちはもう忘れた。
この街ではICカードさえ持っていれば、どこへでもいける。それなのにおれたちは、どこにもいけないでいた。同僚にも、知りあいにも会わないよう注意しながら、ふたりきりになれる場所を、いつも探している。
「さむいー」
「夜は冷えるな」
コートのポケットに手を突っこんで、まなとが肩をぎゅっとすくめた。店で飲んできた日本酒と寒さのせいで、薄い耳の先が赤くなっている。まだ吐く息は白くない。だけど、口から雲がふわりと飛びだす予感がたしかにあって、もう冬が遠くないことがわかった。
「……さむい、って、言ってるんですけど」
まなとが、こちらをちらりと見あげる。飲食店のカラフルな看板のひかりが横顔に影を作っていた。まなとは酔うと舌ったらずになって、いつもより甘えたがるくせがある。
「……だからなに」
「えー、わかんないの?」
金曜日、夜八時すぎ。一軒目での飲み会を終えたのだろう、ふらふらとした足取りで歩道をいくサラリーマンたちが波を作る。その流れから外れて、おれとまなとだけがゆっくりと歩いていた。
手をつなぎたい。白い息の気配ごと飲みこんで、キスをしたい。毎日一緒にいても、その欲求が消え失せることはなかった。
「……わかるけど、帰ったらな」
言いながら、ポケットの上からまなとの手の甲を撫でる。偶然、となりに立つ人間に手が当たってしまったみたいな、そんな素振りで。
「はは、はいはい」
さっき食べた火鍋のせいなのか、このあと家に着いたらはじまる行為を想像してか、理由はわからないけれど、胃のあたりがふわふわする。おれもたぶん、酔っているのだ。
人前では手はつなげない。ふたりきりでいるところを会社の人間に見られたくはないし、週末になにをしているのか、聞かれたくもない。それはたぶん、他人から見たら「健全じゃない」と後ろ指を指されるような人生なのかもしれない。
だけど、ぼんやりする頭で思う。
こういう日々がこれからも続いていくのだということ。たとえ自分を許せなくても、たとえまなとの心がここになくても、まなとはとなりで笑ってくれるのだということ。それをたしかに、おれはしあわせだと思うこと。
それだけでいい。それだけでいいのだ。まなとさえいれば、ほかには、なにもいらない。
背筋を伸ばして、ほんのわずか先を見る。うごめく人混みのなかに、歩みを進めた。
「あれ、真泉?」
「え」
突然、声をかけられて振り返る。それまでその他大勢でしかなかった人混みから、ひとりの男の顔が浮かびあがった。
「やっぱり真泉じゃん! それに佐々木も!」
垢抜けてはいるけど、顔を見たらすぐに思いだした。陸上部で、中距離を専門にしていた同級生だった。一年のときは、クラスもいっしょだった。
おれも呼びかけようとして、口を開いてやめた。名前が、とっさに出てこない。仲が悪いわけじゃなかった。短距離組と中長距離組は別れて練習することが多かったとはいえ、三年間一緒にグラウンドを駆けずりまわったチームメイトを忘れてしまった自分に戸惑う。
「……ああ、久しぶり」
往来をよけて、街灯の下に立ち止まる。頭上で、虫がひかりに群がっては散っていく音が聞こえた。
「びっくりした、おまえらまだつるんでんのな」
そう言って笑う瞳には、たしかに好奇の色が見えた。火鍋であたたまっていたはずの胃が、一気に冷たくなる。まなととの距離は適切だろうか。声をかけられる瞬間、おれたちの姿はきちんと「高校の同級生」のかたちに収まっていただろうか。そんなことばかりが気になる。
「最近だれかに会ったりした?」
「いや、帰省してないから」
「みんな結婚したり子どもいたりすんぜ。おまえらはどーなの」
どーなの、と問われた声が遠い。うまい答えが見つからなくて、こぶしを握る。こいつと話すとき、どんなふうに話していたのか、すこしも思いだせない。ごまかさないと。そう思うだけで、心臓が馬鹿みたいに早く動いた。
「……三ツ木こそどうなの? それ、指環」
黙っていたまなとが、口を開いた。三ツ木という名前が、その瞬間、一気に懐かしさをともなってフラッシュバックする。そうだ、三ツ木は軽やかな会話の雰囲気のせいか、おれよりもずっとまなとと気が合っていた。
「あ、わかる? へへ、春に籍入れたんだ」
芸能人の結婚会見みたいに、三ツ木が手の甲をこちらに見せる。シンプルな指環が、薬指にはまっていた。こういうところに気づくのはまなとらしい。
「そうなんだ、やったじゃん、おめでとう」
「ありがとー」
カノジョほしー、とあの頃よく宙に叫んでいた三ツ木が結婚したという事実に、眩暈がした。高校の卒業式当日まで、童貞であることを気にしていた三ツ木のしょぼくれた顔を思いだす。こんなにも遠くまで、おれたちはきてしまった。
「で、おまえらはどーなの」
おれたちの顔を見比べながら、三ツ木がもう一度同じ台詞を言う。会話のキャッチボールはすでに三ツ木とまなととのあいだで行われていて、おれはまなとの答えを、ただ黙って待っていた。
「……おれも海も、まだ結婚してないよ」
ため息をつくみたいな声音だった。「まだ」。そのひとことに、どきりとする。一般的な答えだと頭ではわかっているのに、心臓の、もっと奥のほうがキリキリと痛んだ。
「えっ、まじかー。真泉はともかく、佐々木が独身なのは意外だな。おまえ、めちゃくちゃモテてたじゃん」
「はは、まあ、いろいろね」
カラリと、まなとが笑う。釣られて、三ツ木も笑った。
まなとのこういう姿を見るのは、ひさしぶりだった。相手に一歩も踏みこませないように、有無を言わせないように、心にシャッターをおろした表情を貼りつけたまなとが、鼻の頭にしわを寄せて笑っている。
高校卒業を控えていた頃、周囲に進学先を訊ねられるたび、まなとは今と同じ顔をして、のらりくらりと追及をかわしていた。毎日近くで過ごしていた高校時代は、まなとのこの表情を目にする機会が多かった。だから今、久しぶりに出会ったその笑顔に、すこし戸惑う。あたりまえだ。三ツ木と最後に会ってから今日までと同じ期間、まなとがおれ以外の親しい人間に向ける顔を、見たことがないのだから。
「あ、そうそう、意外と言えばさ」
立ち止まっていると、寒さがよけいに堪えた。まなとだって寒いにちがいない。いつ会話を切りあげようか。帰ったら、いっしょに風呂に入ろう。そんなことを考えながら、うわの空で三ツ木の話を聞いていた。「―夏目って覚えてる?」
空気が、凍った。どんなに寒くても真冬ではないのに、確実に、凍った。
「……ああ」
となりを見ることができない。どうしたらいいのかわからなくて、相槌だけを打った。
「あいつ、地味で目立たなかったじゃん。真泉に勝てたことなかったし、しゃべんねーし」
それは、三ツ木の目に入っていた太一の姿だ。おれは―いや、まなとは、太一のもっとちがうところを、きっとたくさん知っている。
「なのに嫁さんめちゃくちゃかわいいんだよ」
一度凍った空気が、さらに温度を下げる。一瞬の間を置いて、まなとが口を開いた。
「……あいつ、結婚したの」
「たまたま地元帰ったときふたりで歩いてるとこ見かけたんだけどさ。風のうわさで結婚したって聞いて、あれが嫁かーって」
見てはいけない。もうひとりのおれが、そう警告した。だけどおれは、頭のなかで鳴り響く警報音に逆らって、まなとを見おろした。身体が、勝手に動いた。
そのとき、予感があった。このまなとの顔を、たぶん、一生忘れないだろうということ。そして同時に、その表情に気づいてしまった瞬間の激しい、はげしい後悔を、おれは、絶対に忘れないだろうということ。
「――そ、っか。あいつ、結婚したんだ」
まなとの肩に力が入っている。さっき、コートの上から触れた手の先を、きっと強く握りこんでいるにちがいない。
「ごめん三ツ木、おれたち急いでるから」
「あ、おう。引き止めて悪かった」
まなとの腕を引っぱって、三ツ木の謝罪もろくに聞かずに歩きだす。
「ごめん」
まなとがちいさく謝った声がした。だれに対しての謝罪なんだろう。疑心暗鬼になる自分がいやになる。
またな! と、三ツ木が叫ぶのが、背中越しに聞こえた。その声を、そしてその声から飛びだした事実を振りきるように、人混みのなかを早足で進む。ついてこないかもしれないと、そう思うと怖くて、まなとの腕を離すことはできなかった。
「――海、いたいよ」
ちいさな地下鉄の入り口まできて、まなとが口を開いた。言われてはじめて、自分がどれだけ強い力でまなとの腕を掴んでいたのか気づく。すっかり固まってしまった指を解いて、まなとを解放した。
「……ごめん、力入っちゃって」
掴まれていた腕を抱いたまま、まなとはなにも言わずうつむいた。
まなとが今、なにを考えているのか、おれにはわからなかった。わかりたくもなかった。まなとの心はいつも読めなくて、読めないことを悔しく思ったことなんて、これまでの十数年で数えきれないほどあったのに。想像がついてしまうことをこんなに怖いと感じたのは、今がはじめてだった。
駅に吸いこまれていくひとの目に、向かいあって黙る男ふたりの姿は、きっと異様に映るのだろう。ちらり、と視線が投げかけられるのが、なんとなく横目で見える。
「まなと、ごめ、」
「……ごめん」
もう一度謝ろうとしたおれの声をさえぎって、まなとが同じ台詞をつぶやいた。カフェオレ色の長い前髪に隠れて、その向こうにある瞳が見えなかった。まなとは、なにを謝っているのだろう。
「びっくりしたな、こんなとこで三ツ木に会うなんて」
寒さで赤くなった鼻にしわを寄せて、まなとが笑った。街灯のせいで影が落ちたまなとの顔は、おどろくほど静かできれいだった。
「そう、だな」
「ほんと、びっくりした」
腕を抱いたまなとの指の節が、ぎゅっと強く握りこまれて白くなっている。おれの手よりずっとごつごつしていて、いつもやさしくこちらに差し伸べられてきたそれが、今、まなとの身体だけを抱きしめていた。
腕を伸ばせば、足を一歩踏みだせば、まなとに触れられる。だけどもう、おれにその勇気はなかった。残滓みたいな決心で、なんとか声を絞り出す。
「帰ろう、まなと。せっかく鍋食べたのに冷えただろ」
「……うん」
改札を通ってすぐにすべりこんできた電車に乗りこむ。混雑した車内は暖房が入っていて、うっすらと感じるアルコールのにおいが、よけいに空気の密度を濃くしていた。吊革に体重を預けて並んで立つ。数分前までは、火照ったまなとから酒の気配を嗅ぎとれるほど近くにいたのに、今はなんだか、そこにいないんじゃないかと心配になるくらい、まなとのことを遠く感じていた。
帰ったら、一緒に風呂に入って、そして、その手のひらをひとりじめできると、ほんの数分前まで信じていた。だけど、信じていた夜がこないことは、おれも、そしてまなともわかっていた。
『次は○○駅、○○駅。お出口は左側です』
電車が停まるたびに乗客が降り、また同じだけの人間がドアからこの密室へとやってくる。車内にできるひとの流れに合わせて、わずかにまなととの立ち位置が変わっていった。言葉を交わすこともないおれたちは、はたから見たら赤の他人に見えてしまうのかもしれない。絡まない視線が落ちる窓の冷たさが、触れあわない肩の先に当たる暖房の風が、胸のなかに侵入してきて、やすりみたいに心を削る。
家に着いてすぐにまなとのために湯船に湯を張って、異様に静かなまなとの背を浴室に見送った。普段から風呂が長いまなとが、いつもどおりの時間のあいだ目の前にいないだけで、じっとしていることができなかった。
お風呂ありがと、と、まなとがリビングに戻ってきたとき、おれは返事もしないで風呂場へ向かった。こわくて、ただこわくて、頭のなかを埋め尽くす予感を、振り払うみたいに服を脱いだ。
おれだけを見てほしい。そう言って無理やり抱いてしまえば、まなとはこれまでと変わらずそばにいてくれるだろうか。想像してみて、そんなことができたら、おれはこんなに恐怖していないな、と思う。
浴室に充満するまなとのにおいが愛おしくて泣いてしまいそうで、シャワーから降りそそぐしずくはあたたかいのに、指先はいつまでも冷たかった。
風呂からあがって、先にベッドに潜りこんでいたまなとの身体に、そっと腕をまわす。伸ばした手のひらにまなとが触れて、だけどそれでも、そこは冷たいままだった。
「おやすみ」
まなとの髪に鼻を埋めて、そっと呼吸をする。やわらかなシャンプーの香りを、覚えていられるように。
「……おやすみ、海」
この言葉を聴けるのは、今日が最後かもしれない。まなとに触れる腕に力を込めることができないまま、おれは眠りに落ちた。
「――おーはーよ、海」
「……ん」
ぼんやりと浮上した意識の向こうで、まなとの声が聞こえた。身体に感じる重さに、身動ぎをしながら目を開く。
「……ま、なと」
眼鏡をかけていなくてもわかる。そこにいたのは、目を細めて笑うまなとだった。布団の上からおれに乗り、おれの胸で頬杖をついて、楽しそうにこちらを見ている。重さを避けつつ、なんとか布団から腕を出して、カフェオレ色の髪に手を伸ばした。
「まなと」
「なに、海、寝ぼけてんの?」
触れた髪のやわらかさも、鼻に届く香水も、からかうような声も、話し方も、おれにぴったり重なる身体のかたちも、みんな、目の前にいるのがまなとだと教えてくれていた。
「……なんで」
昨夜のできごとが、寝起きの脳内を駆け抜けていく。三ツ木の顔が浮かんで、だけどその顔は、ぐにゃりと歪んで思いだされた。
目覚めたら、まなとはいないかもしれない。眠りながらずっと覚悟していた気がしたのに、どうして、まなとはなにもなかったみたいに笑っているのだろう。
「なんでって、海がぜんぜん起きてこないからだろ。もう十時過ぎたよ」
めずらしいな、海が寝坊するなんて。そう言いながら、まなとはベッドから降りた。とたんに軽くなった布団から、もそもそと這い出る。眼鏡を手に取って、やっと一.〇の視力を取り戻した目でまなとを見あげた。
「ほんとにどした? なんか変だよ」
ほほえみながら、まなとが肩を揺らす。変だ、と言いたいのはこっちのほうだった。おれの想像していたまなとは、たとえこの部屋からいなくならなかったとしても、こんな表情をしていなかった。こんな、いつもどおりの笑顔を浮かべているはずがないと、思っていたのに。眠る直前に予期していたのとは、まったくちがう世界が目の前にある。
混乱していた。よろこべばいいのに、頭のなかがぐちゃぐちゃで、冷静になれない。
「……いや、なんでもない」
「そう? じゃあごはん食べよ。海起きるの待ってたからおなかすいた」
「悪い、おれが作る」
寝巻にしているスウェットのまま、顔を洗って台所に向かう。腹の奥でもやもやとうごめく感情に蓋をして、その上を滑るような言葉がすらすら出てくる。なにか考えないといけないことがある。その中身も、理由も知っている自分がいるのに、もうひとりの自分が、まあいいじゃないか、まなとにメシを作ってやるのが先だと、おれのことを急かしていた。
「やった、オムそば作って、オムそば」
「はいはい」
この部屋にはフライパンがひとつしかない。だから焼きそばを作って皿に盛り、それからひとり分ずつ、半熟のオムレツを焼いた。オムレツを乗せるころには焼きそばがすっかり冷えていて、まなとは「この温度差たまんないな」と、ケチャップを口の端につけて笑っていた。
「天気がいいから洗濯しよ」とまなとが言って、シーツとまくらカバーを剥ぎとり、ついでだからと、二日溜めていたおれの下着や靴下も洗濯機に入れた。「任せたよ」と洗濯機に手を振って、仕事用のワイシャツをクリーニングに出しにいく。クリーニング店までのわずかな道のりを歩きながら、どうしたらフライパンひとつでオムそばをあたたかいまま食べられるのか、ふたりで真面目な顔をしながら話した。
古びた店に着いたら、まなとを外で待たせて伝票を書く。『スピードコース』で依頼すれば、明日の朝にはパリッと皺ひとつないシャツが仕上がる。一週間で五着。週末にここでクリーニングしてもらって、また月曜日から同じシャツを着る。まなとは「海のワイシャツを見ると曜日がわかるから便利だ」と言って、おれのこのルーティンを気に入っていた。
会計を終えて外に出たら、ひんやりと首筋を冷たい風が撫でた。「おかえり」。声が聞こえたほうを見たら、ブラックコーヒーとカフェオレ、ふたつの缶を持ったまなとが待っていた。
「やっぱ最近さむいね」
「そうだな」
「手、つなぐ?」
「……」
「いいよ、わかってる」
そんなやりとりをしながら部屋に戻った頃には、洗濯機のランプが消えていた。ぐるぐるとこんがらがったシーツを広げて、ベランダに干す。物干し竿にかけたシーツに隠れて、おれたちはそっとキスをした。
――あっけないくらい、いつもどおりだった。
大学を卒業して、この街でふたり生きてきた。まなとを追いかけてやってきた都会の隅で、ただそっと手のひらのなかに閉じこめて大切にしてきた、なんでもない毎日と変わらない、同じ一日。
「……なあ、海、えっちしたくない?」
だからそうだ、こうして土曜の夜にまなとから誘われるのだって、何百回、何千回もくりかえしてきたやりとりで、それに違和感を覚えたことなんて、これまで一度もなかった。なかった、はずなのに。
「……なんで突然」
「なんでって、したいかなと思って」
したいのか、したくないのか、正直おれにはよくわからなかった。エアコンから吐きだされるあたたかい風が、まなとの長いえりあしを揺らす。そこに隠れるうなじに口づけたい。身体じゅう、おれが触れていない場所が一ミリだって残らないくらい、すべてを手に入れたい。そう言ったらまなとはきっと、「すればいいじゃん。駄目だと思ってるのなんて、海だけだよ」と言うにちがいない。
「……きのうの火鍋で腹痛いんじゃないのか」
「いや、まあ、そうなんだけど」
はは、と笑いながら、ソファのうえで膝を抱えたまなとが、頭をこちらへ傾ける。肩に触れた重さが愛おしくて、胸がいっぱいになる。
「……じゃ、今日は入れない、ってのは、どう、ですか」
「はは、なんで敬語なの。いーよ。海の好きなようにして」
そう言って、まなとが手をこちらに伸ばす。おれの頬をなぞった指先は、昨夜、あんなにきつく、まなと自身の身体を抱いていたのに。
その指に残った記憶を、おれは書き替えられるだろうか。頬に添えられた手を取って、手のひらに唇を押しつける。
どう行動するのがいま一番正しいのか、まったくわからない。身体に染みついたルーティンのまま、まなとに触れていく。思えば、まなとをはじめて抱いてからいままで、一度だって正解がわかったことなんてなかった。
だから、これでいいのかもしれない。いいのだ、そうにちがいない。
まなとが変えることを望まないのなら、そのままでいいと願っているなら、おれはその手を取りたい。何百、何千とくりかえしてきた日常を、まなとのとなりで、ただ続けていくだけだ。
***
おれの生活は、単純で、容易で、簡潔だ。
一週間のうち、五日間は会社にいって働く。昇る太陽とともに目覚めて、コンビニでおにぎりをふたつ買い、最寄りの駅から電車に乗る。通勤ラッシュがはじめる前の車内は空いていて、座席に腰をおろしているあいだ、ヘッドホンをつけて音楽を聴いている。会社に着いたら、だれもいないオフィスでおにぎりを食べ、新聞を読む。
その五日間は、週末をまなとと過ごすための助走のようなものだ。あるいは、スターティングブロックに足をかけて、走りだすまでの一番大切な時間。世界にはまなととおれしかいなくて、それ以外の人間は必要ないと、おれは本気で思っていた。
年々増える両親からの小言がうるさくて、実家に帰るのをやめた。大学卒業と同時に連絡先を変えたから、学生時代の友人とは、それ以来会ったことはない。忘年会や歓送迎会、同僚たちが全員参加するような飲み会には出席しても、個人的な食事の場には出向かなかった。
この街にやってきてからずっと。ずっとだ。それは、まなとも同じだった。
だけどおれは、ふたりだけの世界に、たったひとりだけ足跡を残し続ける人間がいることを知っていた。
いつもどおりの週末、いつまでも上達しないおれの飯を食べて、風呂に入り、セックスをした。まなとの身体を拭いて、眼鏡を拭いてもらって、まだ拭き終っていないと怒るまなとの腕を引っぱって布団に引きこんでから、何時間経っただろう。ふと目覚めて顔をあげると、フットライトが照らす、まなとのシルエットが見えた。
「――まなと?」
「あ、ごめん、起こしちゃった?」
セックスをしたあと、まなとはよく、こうして夜中にベッドを抜けだした。そうして、高校時代のアルバムを手に、ぼんやりしていることがあった。なだらかに落ちていく肩のラインが、とても三十路手前の男とは思えない。そのさみしそうな後姿を見るのが、おれは嫌いだった。
開いたアルバムのなかに、まなとがなにを探しているかなんて、聞くまでもなかった。おれとのセックスの熱がまだ残っているような、そんなしっとりとした肌をして、ここにはいないだれかのことを考えているまなとを見るたび、痛む心臓が嫌だった。
三ツ木と再会してから、一週間。そのことに触れる機会は一度だってないけれど、あいつが落としていった爆弾のような言葉は、おれだけじゃなく、たぶんまなとの心も揺さぶっている。それを知っているから、久しぶりにまなとがベッドを抜け出している光景を見て、顔が歪みそうなほど胸が苦しい。
「……眠れないのか」
「んー、なんか、暑くってさ」
海が暖房ガンガンに効かせるんだもんなあ。カラカラと、まなとが笑う。丸まった背の向こうにあるはずのアルバムを、視界に入れるか入れまいか迷って、だけど見ないでいることの恐怖を想像したおれは、すこしだけ首を伸ばした。
「――え」
「ん? どした、海」
振り向いたまなとの瞳は、ライトが照らすひかりの影になってよく見えない。真っ暗な穴みたいになった目のその奥は、もっと見えなかった。
「……いや、なんでもない。エアコン消すから、戻ってきな」
きれいな形をした後頭部をさらりと撫でて、掛布団を持ちあげる。するりと身をひるがえして、まなとが腕のなかに滑りこんできた。ふう、と満足そうに鼻息を漏らす身体をぐっと引き寄せて抱きしめる。
耳を当てられたら心臓の音に気づかれてしまいそうで、まなとの耳が肌に触れないよう、おれの肩の上までその身体を引っぱりあげた。
「おやすみ、海」
「――ああ、おやすみ」
まるで、百メートルを走っているときみたいだ。酷く冷静で、だけど心拍は早くなっていて、焦燥と達観が同時に頭のなかに存在している感じ。
夜中、まなとがベッドを抜け出すとき。その手にはいつも、卒業アルバムがあった。今日だってそうだろう、と覗き込んだ先に、だけど見慣れた紺色の表紙はなかった。
ただそれだけのことが、こんなにも怖い。なんて自分勝手だろう。まなとがアルバムを見ていたら胸が痛い。アルバムを見ていなかったら、怖くて仕方がない。
思うとおりにならないから、自由できれいだから、まなとのことが好きなのに。
腕のなかで身動ぎひとつしないまなとが起きているのは、呼吸の浅さと気配で、なんとなくわかっていた。おれが眠っていないことも、たぶんまなとには伝わっている。それでもおれたちはお互い、寝ているふうを装った。
まなとは結局、それから数か月経っても、ベッドを抜け出した夜にアルバムを見ることはなかった。身体を重ねるたびに目にしていた丸まった背を、忘れてしまえばいい。まなとの眠りが浅いのは今にはじまったことではないのだから、夜中に起きだしてしまうのも、仕方ないことなのだと受け入れてしまえばいい。そこに、なにか特別な理由があるかもしれないなんて、考える必要はない。
短い秋はとうに逝って、地元とちがって雪の積もらない冬も、もうとっくに終わった気配がする。朝、目覚めたときにカーテンから覗く太陽が、眼鏡をかけていない目にまぶしかった。
「よ、おつかれ、海くん」
「おつかれ」
その日、駅前で待ち合わせをしたまなとは、なんだか疲れているようだった。肌に艶がなくて、まつげが目に落とす影が、いつもより濃い。
こういうまなとを見ることはたまにある。仕事でなにか失敗したのか、単純に忙しいのか。理由はわからないけれど、カサカサになった目元にしわを寄せて笑うまなとは、「疲れてる?」と聞かれることを嫌った。
「今日のごはんなに?」
「唐揚げしようかなって」
「鶏? やった」
ティッシュボックスのかたまりを持ったまなとと、鶏もも肉が入ったずしりと重いビニール袋を持ったおれと、荷物をあいだに挟んで夜道を歩く。まなとの髪を揺らす風が、手にした袋をかさかさと鳴らした。
「もうすぐ桜、咲くってさ」
「そんな季節か」
「まだ慣れないよなあ、三月に咲く桜」
家までの道中にある公園を囲む桜の樹が、ぼんやりと白っぽく見えた。花を咲かせるために準備をしているそのようすが、まだ春浅いこの季節に見られることに、まなと同様おれも慣れない。四月に咲く地元の桜なんて、もう何年も見ていないのに。
「咲いたら、花見いこうな」
そう言って、まなとがほほえむ。すこし疲れたまぶたが、栗色の瞳を半分隠していた。
「……ああ、そうだな」
おれと、まなとの世界。それはきっと、これからもずっと、この街でまわり続けていくのだろう。生まれた土地にも帰らず、生きようと決めた土地にも慣れることができないまま、ずっと、ずっと。
ビニール袋を反対の手に持ち替えて、あたりを見まわす。街灯が等間隔で並んでいる以外、ひとの姿はなかった。一度、ぎゅ、とこぶしを握ってから、指を伸ばす。ティッシュボックスをぶら下げる手の甲に触れようとした瞬間、まなとがぽつりと声を漏らした。
「――そういえば、あいつに十円借りたのもこんな季節だったな」
伸ばしかけていた指先が、行き場を失って宙に浮く。
「……あいつ?」
「そう。あいつ、卒業式のあと学校いったら、バス停にいたんだよ。一緒に駅までバス乗ってさ。定期切れててお金足りなくて、十円貸してもらった」
耳に届くまなとの声音が明るい。暗い夜道の真ん中で、ぼんやり光る桜の樹のように明るい。カサカサ、とビニール袋の音を立てながら、まなとの歩調がワンテンポ上がる。
「もうあれから十年経つんだな。そりゃ、あいつだって結婚もするよな」
「あいつ」がだれなのか、わかってしまう自分が嫌だった。おれたちふたりだけの人生に、唯一、たったひとりだけ、足跡を残していった、あいつ。
「いいやつだったもんな。おれたちとちがって」
一歩先をいくまなとの表情は見えない。声は笑っているように聞こえるけれど、おれのなかの十年分のまなとの記憶が、その想像を否定する。
まなとがどんどん先へ歩いていく。となりを歩いていたはずなのに、指先が触れるはずだったのに、まなとは、となりにいない。
「帰ったら唐揚げの前に風呂入りたいなー。でもそしたら、そのままベッドいきたくない?」
くるり、とまなとが振り向いた。笑顔でいるはずがないと思ったのに。まなとは、まなとらしい、うつくしい笑みを浮かべていた。疲れているはずの乾いた目尻が、ちらりと最中の雰囲気を醸しだす。疑問形で投げかけられたその台詞―そうだ、まなとのその「台詞」に、おれのなかのなにかが、音を立てて切れた。
「――それは、なんなんだ」
「……へ?」
完璧だったまなとの笑顔が揺れる。まっすぐ目を見ることができなくて、でもまなとから目をそらすこともできなくて、さっき触れようとした手の甲を見つめた。繊細な顔立ちと釣り合わない、ごつごつしたまなとの手。
まなとはたぶん、この数か月で、ほんのすこしだけ痩せた。服の上から見たってわからない。肌に直接触れているから、いやでも気づいてしまった。
薄い胸に浮くあばら、よりはっきり見えるようになった喉仏。いつも掴んでいた腰だって、あきらかに肉が減った。
「おれのために、って思ってるのか」
「……海、どうしたの」
触れたかった指先が、ティッシュボックスを地面に落として、そっとおれの手首を掴む。風は生ぬるくて、桜はつぼみで白くぼやけているのに、まなとの手のひらは、びっくりするほど冷たかった。
「ずっとそうやって、嘘ついて生きていくつもりなのか」
「……な、に、」
まなとは疲れていても、疲れているとは言わない。仕事の愚痴なんて、言ったことがない。泣いている姿を見た記憶もない。いつでも笑顔で、いつでもやさしくて、いつでも自由で、いつでも、どんなときだって、おれのことを大好きだと言ってくれた。
それがぜんぶ嘘だってことを、おれはちゃんと知っていたのに。
まなとが誘ってくるのもいつもどおり。わかってる。そんなのわかってる。だけどどうしても、ごまかされているような気がして、胸がざわざわする。高校生の頃の「あいつ」が、頭のなかでゆらゆらと揺れながら、制服を着たまなとをじっと見ていた。高校生のまなとは、ジャージ姿の「あいつ」を、おれの肩越しに盗み見ている。
その視線が嫌になって「まなと」と呼びかけたら、キラキラした栗色の瞳で笑ってくれるだろう。
「……ああ、嘘つかせてるのは、おれか」
まなとはずるい。出会ったときから、この瞬間までの十数年、そしてこれからもずっと、きっとずるい。いつだっておれを許しているふりをして、その実、選びとっていたのはおれだけだった。
「なあ海、急にへんだよ。どうしたの」
―駄目じゃない。だめな理由なんて、海のなかにしかないよ。
ずるい。こんなときだって、まなとは決して、おれの手を離さない。決めるのはいつもおれ。おれのことを優先してくれているようで、ほんとうは自分自身にだけやさしいまなとのずるさを、おれはずっと、なによりも愛していたのに。
「……もう、いいだろ」
十分だ。これからの人生だって、おれはひとりで生きていける。日の出とともに起きて、コンビニでおにぎりを買って、電車に揺られて会社にいく。そうして毎日を過ごしていけば、いつか、この命だって、きれいに閉じることができる。
手首をきつく握るまなとの指を一本ずつ外していく。するりと、音もなく落ちていった手を目に焼きつけて、正面からまっすぐにまなとの顔を見た。だれよりも、なによりも、大好きな顔だった。
「……まなと、別れよう。おれたち」
不安そうに揺れていた瞳が、一瞬で歪んでいく。同時に、絵画のように凛としたまなとの輪郭が、ゆらゆらと崩れた。
変な話だ。つきあおうと言ったことだって、一度もなかったはずなのに。はじまっていない関係を終わらせるための言葉を、だけどおれは、これ以外に持っていない。
「は……? やだよ……なに、言ってんの」
尖った声を出しながら、まなとがじっと身体を固くしている。全身でおれの言葉を拒絶しているとわかる。だけどさっきみたいに、手を伸ばしてはくれなかった。もう春になろうとしているのに、身体の芯が冷たくなっていく。
「――もう、いいんだ」
うつむいて、こぶしを握る。おれも、まなとも、どんどん声が震えていった。
「もういいってなんだよ……おれは、海と一緒にいるって決めたよ? この街で、海と、ふたりで生きていこうって。楽しいこと、つらいこと、ぜんぶふたりで分け合おうって、おれ決めたよ?」
力をこめた目が熱い。それは、まなとの口から、ずっと聞きたかった言葉だった。だけどそのやさしさが今、どうしようもなく胸を刺す。
「……だから、それがもういいんだ」
思ったより冷たい声が出た。まなとがひゅ、と息を吸う音が聞こえて、顔を上げる。くしゃくしゃになった目元が、街灯に照らされてきれいだ。いつも飄々としているまなとの、はじめて見る表情だった。
「なんで? おれのせい? おれが、」
「っ、ちがう」
おおきな声が、暗い路上に響いた。まなとの肩が、びくりと跳ねる。
「……ちがうんだ」
まなとのせいじゃない。そして、もしそうだとしても、まなとの口から、「理由」なんか聞きたくなかった。
「……ごめん。まなとの気持ちがどうとかじゃないんだ。おれが、もう、むりなんだよ」
まなとの瞳から、ひとつ、しずくが落ちる。あとからあとから流れ続ける涙を拭ってやりたくて、だけどその衝動を抑えなくてはいけないということだけが、ぼんやりした頭の片隅にあった。
「もう、疲れたんだ。……ごめん。……ごめん、まなと」
まなとは、なにも言わなかった。遠くで電車が走る音だけが聞こえる。まなとが返事をしてくれないことにまた傷ついて、自分の勝手さに嫌気が差した。
「やだ、やだ、なあやだよ海、ずっと一緒にいようって言ったじゃんか。まなとがいてくれたら、自分のこと許せる気がするって、そう言ってくれたじゃんか。なあ、海、なんで」
まなとが泣いている。瞳を歪めて、潤ませて、背を少し屈めて。
「――おれ、海のこと世界でいちばん好きだよ?」
そうして、おれの大好きな表情でもう一度繰り出された「台詞」は、最後に残っていたおれの理性をどこかへやった。
「おまえが!」
目の前が真っ赤に染まる。自分のなかに、こんなにも激しい感情があったことに驚いた。かつてまなとは、ふるさとの海を『遠くから見るとおとなしいのに、波打ち際までくると結構荒れてる』と言った。そしてそのようすは、おれによく似ていると。
身体じゅうの血管を駆け巡る怒りを、なんとか息に乗せて吐き出す。外に出そうとすればするほど血液が沸騰していくのを、もうひとりの冷静な自分が眺めていた。
「……まなとが、おれを好きだったことなんて一度もないだろ」
声といっしょに漏れる息が熱くて、唇が燃えそうだ。
「太一のことしか見てない。昔も、今も」
こんなときなのに、目の前にいるのはまなとなのに、瞬きのたびにまぶたの裏に浮かぶのは、高校時代の太一の姿だった。
「それが、もうしんどい」
まなとの顔はもう見えない。ただ、これまでに見たどの瞬間よりうつくしい表情で泣いていることだけが、揺らぐ視界でもわかった。
「一番近くで、太一のこと忘れられないおまえのこと見てるの、苦しいよ」
そのうつくしさに引っぱられてしまうのがこわくなった。きっとこれが、まなとの顔を見る最後になる。そう思ったのに、こわくて、ただこわくて、まなとから顔をそらした。
「……ありがとう。ずっとそばにいてくれて。まなとがいたから、これまで生きてこられたのは、ほんとだから」
まなとは、なにも言わなかった。
足もとに落ちていたティッシュボックスを拾いあげる。両手が塞がって、もう、まなとに触れることはできない。住宅街のど真ん中にまなとを残して、歩きだす。息が熱い。身体が熱い。高まっていく体温に比例して、ストライドが広くなって、気づくとどんどんスピードが上がっていた。スーツでも人間は走れるのか。そんなどうでもいい感想が頭に浮かぶ。人生で、今、一番速く走っている気がした。
こんなの、逃げ足が速いだけだ。追いかけてくる足音は聞こえない。それでいいのに、それを望んで走っているはずなのに、過去のどんなときより速いスピードが出せているのに。ポジティブな感情は、おれのなかから消え失せてしまった。
顔が、あげられなかった。大学を卒業したばかりで、慣れない仕事に毎日胃が痛くなっていたときも、「はやく結婚しなさい」と母さんから電話がきた翌日も、こんな気持ちでこの道を歩いたことはなかった。だってその瞬間には、となりにまなとがいてくれた。
「――っ」
眼鏡のレンズに、しずくが落ちる。水のなかで目を開けているみたいに、視界がぼんやりと揺れていた。
どうやってマンションまでたどりついたのか、気づけば見慣れた部屋の中心で立ち尽くしていた。ふたりで選んだソファ、いつかの誕生日に買ってくれたマグカップ。もう二度とまなとがくるはずのない部屋を、濡れた眼鏡をとおして見まわす。
おれが上京して、もうすぐ七年。たくさんの時間をこの場所で過ごしたのに、ここに置いてあるまなとの私物は、改めて見ればどれも取るに足らないものばかりだった。
まなとの人生は、ここにはなかった。ずっとわかっていたはずなのに、急に現実が胸の奥に迫ってきて、また唇が歪む。必死に口を閉じようとしても、低いうめき声が漏れて止まらない。
まなとの持ちものがほとんどない部屋のあちこちから、まなとの香りがする。一番形がはっきりしないものなのに、身体に馴染んだそのにおいが、どうしようもなくまなとの輪郭を思いださせた。
明日が週末でよかった。そう思いながら、スーツのままベッドに寝ころぶ。
――かーい、ちゃんと眼鏡拭かないと痕残るよ。
頭の奥で声がして、だけどおれは、眼鏡を拭かずに枕の脇に置いた。不思議なほど深く眠った夢のなかでも、まなとは会いにきてはくれなかった。
「……はは、まなとの言ったとおりだ」
翌朝、おれは生まれてはじめて、レンズに落ちたしずくの痕は、拭っても拭っても消えないのだと知った。
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