アルカディア・フロム ディープブルー

深也糸

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32 記憶

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_________その記憶は、鮮烈に、凄烈に胸に焼き付いている。

静かな生活を好む人だった。まっすぐに視線を据える。見つめる先は鳥籠の鳥。
自分のようだと彼女は云う。

母は、幼いながらに美しい人だったという印象があった。
整いすぎて、少し冷たい印象を与える深い色を湛えた青い睛と、長く波打つ黄金色の髪。ドイツ系のハーフで、彫りが深く、品位がある華やかな顔立ちをしていた。 
 
かつては威厳やプライドに満ちていたであろうその顔は、今は深い憂いに沈んでいた。  
結婚前は、研究に打ち込む日々を送っていた。その最中で、父にその美貌を見初められ、求められるまま縁談が纏まったようだ。

寂しいひとだった。婚姻によって、家庭に入ることを義務づけられて、彼女から研究という生きがいを奪ったこともその要因だった。人前では努めて気丈に振舞っていたけれど、始終、心の病が彼女を蝕んでいた。


政府から指定された住居である、高層マンションの最上階のワンフロアを借りきって生活していた。
四六時中監視され、閉鎖的な日常に身を置く彼女にとって、生きがい、愛情のすべては自分に向かって注がれた。彼女の味方は僕しかいなかった。

幼い頃は、よく寝る前に添い寝して本を読み聞かせてくれた。
細くしなやかな指が絶えず髪を梳き上げてくれて、耳元で恋人同士のように交わされる睦言にくすぐったさを憶えていた。

「ぼく、大人になったら、お母さんをお嫁さんにするんだ」
「そうね、楽しみにしているわ」
「本当だよ、約束だからね」
ええ、分かったわ。とクスクス笑いながら千尋が云う。
「もう寝ましょう、私のかわいい王子様」



「___________ヒロセ……」

天鵞絨ビロードのように伸びやかで艶を含んだ声が僕を呼ぶ。
青い眼。唯一、彼女と似ている証。

「僕はこの眼の色が好きだよ。母さんと同じ色の睛だ。空と海と地球と同じ色だ」

けれども、幼い自分に向けられた眼はいつも失望と落胆が入り混じったものだった。彼らはいつも自分を見るたびに決まってこう云うのだ。「失敗した」って……。
 
今や無国籍、多民族国家になりかわってしまった、純粋な血統を受け継ぐ日本人は父ひとりしかいないのだ。だから、父のような容姿を受け継いで欲しかったのだと思う。

両親のうち、どちらに似ているかと問われると、しいて云えば、父親の若い頃に似ていると云える。自分の持つ黒髪もそうだが、アルバムの写真の中から父の若い頃の写真を見たからだ。しかし、刻んだ苦悩の数が色濃く浮かんだ壮年の父からは、すでにその面影が見当たらなかった。


日差しの暖かいサンルームに木漏れ日が降り注ぐ。
母は、我が子をいとおしげに見つめてこう云う。
「千尋の海。広い瀬せらぎ。私たちは対の意味を持つ名前なのよ」
 頬を手で包み込み、やわらかく抱き締められる。

ヒロセという名前の由来は、母親のチヒロの名前の一部を貰って、そうなった。
一対、ふたりでひとつ、という意味に捉えられる。離れるわけにはいかないと、より一層、傍にいなければいけないのだと強く認識させられた。

幼い自分が父親に持つ印象は、何を考えているのか分からない、得体の知れない人物だった。
どこか鋭利な印象を与える目元。気難しそうで、いつもスーツを身に纏い、黒い髪は上げて後ろで撫で付けている。詳しいことは知らないが、自分の棲んでいる区域の市長と云う役職に就いているそうだ。


両親の馴れ初めを聞いたことがある。
すでに市議会議員であった父親がとある企業への訪問先で出会ったと云っていた。
あの人は温室にいた。

硝子でできたその建物は、まるで植物園のように様々な草花が咲き乱れる。
製薬会社の研究員だった彼女は研究に使う薬草を栽培している。

薄いブルーのワンピースに白衣を纏い、まるで天使か女神のように佇んでいた。
この世のものとは思えないくらい美しかった、と云う。
しばし、呆けたように見つめてから声を絞り出す。

「私は高梨たかなし総宇そうう、と申します。きみは…………」
千尋ちひろ・ラングバーグ」

研究員だった彼女の下げていた社員証を見て、名前を知った。
お互いに名刺を交換する。

金色の波打つ髪をひっつめ髪にして、長い睫毛に縁取られた深い色を湛えた青い睛。
整いすぎているゆえに冷たい印象を受け、表情が乏しいように見受けられる。
近寄りがたいほどの美貌を持つその人は話してみれば案外気さくで、笑うと柔らかい雰囲気を纏い、知れば知るほど、気になる存在になっていった。

ふとしたときに見せる翳りを帯びた表情。どこか物憂げな表情。すべてが虜にさせる。
このひとを自分のものにしたい。日に日に思いが募る。

鳥籠で鳥を飼う代わりに温室で天使を飼うことが富裕層のステータスとして、一部の人々に流行していたのだが、(正しくは天使に模したアンドロイドだが)ヒロセの父、総宇には千尋がそう見えたのだ。

市政を行う総宇はそれはそれは、眼が回るほどの忙しい日々を送りながらも少しでも逢いたくて、忙しい合間を縫って、十分でも五分でも時間があれば逢いに行っていたのだとか。

そうして、何度もの逢瀬が実を結び、ふたりは結婚したという。
新婚当初は勿論もちろん。子供が生まれてからも父の忙しさは変わらずで、月に一度顔を見せればいい方で、殆ど家に帰って来ない。仕事が激務で帰るひまがない。また、居ないのが当然のようだと思っていた。


*****

 
「__________これを買ってきたんだ、お前に」

ある日、父が帰宅するなり、大きな包みを差し出した。
ヒロセはそれを受け取り、大きな布に覆われた包みを捲ると、鳥籠が現れた。黒い鳥が中にいた。鱗のような羽毛で覆われた大きな濡羽色のからす

「これを僕に?」

眼をしばたかせる。てっきり母であるチヒロに贈ったものだと思い込んでいたので、思わぬ出来事に驚きの声を上げた。
父は硬い表情のまま頷く。
「この前、鳥が欲しいと云っていただろう。ヒロセが喜ぶと思って買ってきたんだ」

今日は誕生日でも記念日でもないと、ふと考える。彼がこうして家族に声を掛けることも気遣うことも極めてまれなことだ。
それに環境破壊が進んで、昨今は鳥をはじめとした生き物自体希少になって、天然記念物のような扱いだ。雀や鴉のような昔ならそこら辺にどこにでもいた野鳥でさえも生きて動いている鳥は大変貴重で、市場では高級外車が買えるくらい目玉の飛び出るほどの価格だ。だが、この家は金銭的に余裕があり、決して買えなくないことは知っている。

「ヒロセにこんな高価で貴重な贈り物。嬉しいです。……あ、りがとう。ございます。いつもお勤めご苦労様です。貴方が外で働いている間、私は家を護れているかどうかは分かりませんが、」
傍に控えていた千尋もぎこちなく夫に頭を下げ、感謝の言葉を口にした。
夫婦なのに、あまりにも他人行儀。

「そうだわ、名前をつけなくちゃ」
鴉の正式名称はハシブトガラスという種類の鳥だった。その昔、そこかしこにいた。
森に生息していたが都会のビルでゴミを漁るようになったとか。電柱や街路樹に止まる姿をよく目にしたらしい。

鳥にはビジューという名前が付けられ、世話をした。ビジューとはフランス語で宝石という意味だ。
そもそも鳥は掌に載るような小さいものを想像していたが、思ったよりもずっと大きい。どう考えたって子供には手に余るシロモノだ。

鴉の濡れ羽色という言葉のとおり、羽毛が綺麗な真っ黒な羽の色は夜の闇のようだ。
鋭い眼、気性も荒めで攻撃的。カーカーとく。くちばしが太く、雑食だから何でも食べるそうだ。ガラス玉などの光るものを好んだ。
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