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4・崩壊と甘癒
フラッシュバック
しおりを挟む‟ドクンッ”
床に散らばる衣服。
ソファーの背越しの裸の恋人。
薄っすらと顔を歪めて笑う女の赤い唇。
誰もいないリビングの風景に、昨日の映像が重なる。
千紗子の足元がふらりと揺れて、胃の中から熱いものが込み上げた。
弾かれたようにすぐ近くのドアを開けてそこに飛び込む。
ガタン、とドアが壁にぶつかって激しい音を立てたが、そんなことには構わず、千紗子は洗面台に突っ伏して、胃の中のものを全て吐きだした。
「千紗子っ!!」
物音を聞きつけた雨宮が、廊下を駆け上がってくる。
「どうした!?」
洗面台で苦しげに吐いている千紗子を見付けた彼は、すぐさま千紗子に駆け寄ってその背に手を当てる。
千紗子は雨宮が来たことに気付いたけれど、次々に込み上げる吐き気に、声を出すことすら出来ない。
そんな彼女の背を雨宮は何も言わずにずっとさすり続けた。
「大丈夫か?」
胃の中が空になってひとまず嘔吐が止まった千紗子を、雨宮が支えながらその場に座らせる。
ぐったりと壁にもたれて目を閉じたまま、千紗子は小さく頷く。
雨宮は着ていたコートを素早く脱ぐと、千紗子の肩からそれを掛けた。
「無理を言ってでも、まだ帰すべきではなかった………」
悔いるような彼の独り言を、千紗子は目をつむったまま聞いた。
(私が帰るって、自分で決めたんです。雨宮さんが悔やむことは何もないのに………)
そう思っているけれど、目をつむっていてもぐらぐらと体が揺れているようで、口を開くことすら難しい。
「ちょっと待ってろ」
雨宮がどこかへ向かう足音だけが、千紗子の揺れる意識の中にかすかに届いていた。
「千紗子。飲めるか?」
その声に薄目を開けると、すぐ側に雨宮の顔がある。
少し気が遠退いていたようで、千紗子は焦点の合わない瞳にぼんやりと雨宮の姿が映る。
千紗子は雨宮に抱きかかえられるように体を預けていた。
「千紗子、飲んで」
雨宮が千紗子の口元に水の入ったグラスを押し当てるけれど、それを飲む気力すら湧いてこない。
雨宮はおもむろに手に持っていたグラスを自分の口に当て、その中の水をグッと口に含むと、そのまま千紗子の口を覆った。
「ううっ…」
雨宮の口から少しずつ千紗子の中に水が押し込まれる。
いきなり流れ込んだ水を、千紗子は条件反射的に飲みんだ。
「ごほっ、けほけほっ」
飲みこみ切れなかった水にむせた千紗子の背を、雨宮がさすった。
「大丈夫か?」
「雨宮さん…」
水を飲んだことで千紗子の意識がハッキリとしてきた。
「わたし……」
千紗子の下瞼にみるみる水の膜が張って行く。
(あんなに大丈夫だって言ったのに、結局こんな有様……)
自分が情けない。
思うようにならない体ももどかしくて、千紗子は自分に苛立った。
千紗子が唇を強く噛みしめた時、雨宮の手が彼女の頬に差し込まれた。
「また噛んでる。傷になるぞ」
優しい指先が千紗子の下唇を窘めるようにそっとなぞる。
「千紗子、ここから絶対に持って行かないと困るものはあるか?」
脈絡のない質問に、千紗子は一瞬ぽかんとする。
「店で買えないような、毎日の通勤に要るものや千紗子の生活に必要なものだ」
そう補足されて、千紗子は素直に考えた。
(化粧道具一式は昨日のお泊りセットに入ってるし、仕事は制服だから着る物には困らない……)
「あ、USB……」
「ああ、そういえば昨夜はそれを取りにきたんだったな……」
今更ながらその存在を思い出したけれど、確かにあれは明日金曜日には確実に必要な物だった。
「どこにある?」
「……リビングのパソコンデスクの上に」
「取ってくるから待ってろ」
そう言うと、雨宮は千紗子の頭を一撫でしてから、リビングの方へ歩いて行った。
「これか?」
すぐに戻ってきた雨宮が、手に持ったUSBを千紗子に見せる。
「はい、これです」
「じゃあもういいな」
「はい、…え?、あっ、きゃっ!」
『何が?』と千紗子が問いかける前に、雨宮は千紗子を横抱きに抱きかかえた。
「とりあえずここを出るぞ」
「え、あ、雨宮さん!?でもっ、」
「千紗子の言い分は後で聞く。それを実行できるかは、千紗子がもう少し回復してからだ」
抱きかかえられたまま、雨宮にキッパリとそう言われた千紗子は、返す言葉も無くて口を噤むしか無かった。
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