Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~

汐埼ゆたか

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4・崩壊と甘癒

一人になると

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***


 「千紗子はベッドを使って。俺は書斎で寝るから」

 風呂を終えて戻ってきた雨宮が、千紗子にそう告げる。

 「雨宮さんがベッドを使ってください。私はここのソファーで全然、」

 「具合の悪い千紗子をソファーでなんか寝かせられない」

 千紗子の言葉を遮った雨宮が、首を横に振る。

 「でも……」

 「ここで寝るってことは、夜中に俺に襲われたいのか?」

 「え!や、そんな…」
 
 「それが嫌ならベッドルームに行きなさい。その部屋は鍵もかかるから安心していい」

 「雨宮さん………」

 雨宮が言っているのが、自分をベッドに追いやる口実だと分かる。
 そう言わせているのは自分なのだと、千紗子は口をつぐんだ。

 「すみません…今夜はお言葉に甘えます」

 千紗子が頭を下げると、雨宮はその頭をポンポンと軽く叩いた。

 「ああ、しっかり寝て早く元気になるんだぞ。おやすみ、千紗子」

 「おやすみなさい………」


 雨宮と就寝の挨拶をした後、寝室に入った千紗子はダブルベッドの上に一人で横たわる。
 どうやらシーツや毛布は新しいものと交換してくれていたようで、サラリとした肌触りが心地良い。
 千紗子は布団の間に体を滑り込ませて、暗い天井を見上げた。

 一人になると、どうしても裕也のことを考えてしまう。

 (『地味女のお前なんかと結婚しなくて良かった』か……)

 裕也が放った言葉が、棘のように千紗子の心に刺さって抜けない。

 (私なんかと結婚しようと思ったことを、裕也は後悔したのかな…だから、他の人と………)

 そこまで考えたところで、千紗子の瞳がじわりと熱を持つ。
 熱を持った瞳に水膜が張るのはあっという間だ。

 (幸せだったのは、私だけだったのね……)

 やりきれない悲しみが、千紗子の胸を侵食する。
 枕の上に涙が一滴すべり落ちた。

 両目から次々に溢れ出る涙を拭いもせずに、千紗子はただ暗い天井を見つめ続けた。

 
 時がどれくらいたっただろう。
 涙は止まったけれど、どうしても寝付けなくて、千紗子は体を起こした。
 
 (お水でも飲んで、寝なおそう。明日は仕事から、気持ちを入れ替えなきゃね)

 足音を立てないように、静かに寝室を出た。

 廊下に出ると、リビングのドアから光が漏れているのが見える。

 (もしかして、雨宮さんはまだ起きてる?)

 早めの夕飯と入浴を済ませて、いつもより早い時間に寝室に送り出されたので、雨宮がまだ寝ていなくてもおかしくはない。

 ゆっくりドアノブを回して扉を開くと、思った通りの人がそこにいた。

 「千紗子。どうした?眠れないのか?」

 ラフなスエットの上下を着て、ソファーに体を預けた雨宮の膝の上にはノートパソコンがある。
 
 「お…お水を頂きたくて」

 「喉が渇いたのか。待ってろ」
 
 「自分で注ぐ」と千紗子が言う前に雨宮が立ち上がって、キッチンに行ってしまった。

 程なくして、雨宮がミネラルウォーターを入れたグラスを持って戻ってきた。

 「座って」

 促されるままにソファーに腰を下ろす。

 「はい、どうぞ」

 千紗子が座るのを待って、雨宮は彼女にグラスを手渡した。

 「ありがとうございます」
 
 グラスの水を一口飲むと、冷たい感触が喉から体にすべり落ちて、気持ちいい。
 思っていたより喉が渇いていたのだ、と千紗子は気が付いた。

 水をゴクゴクと飲み干す。
 飲み終わったグラスをソファーテーブルに置くときに、雨宮が見ていたパソコンの画面が、千紗子の目に飛び込んできた。

 「それ…私のデザイン案………」

 「ああ、せっかく千紗子のマンションから持って来たからね、明日が来る前に目を通しておこうと思って」

 自分のごたごたに彼を巻き込んでしまったのは、この原案のUSBが発端だったと、千紗子は居た堪れない気持ちになる。

 「すみません………」

 「どうして謝る?」

 「私が昨日これを仕事に持って行くのを忘れなければ、こんな面倒に雨宮さんを巻き込まずに済んだのに………」

 素直に胸の内を吐露した千紗子に、雨宮は「ああ」と相槌をうつ。

 「USB、忘れてくれて、俺としては幸運だったな」
  
 「幸運…?」

 雨宮の発言が意味不明で千紗子には理解できない。

 「ああ、そうだよ。あの時USBを取りに行かなかったら、千紗子は一人っきりであの場面に遭遇していただろう。そのことを考えると、ゾッとするな。俺が一緒に居れて良かった。俺の預かり知らないところで千紗子が泣くなんて、俺には耐えられない」

 斜め上から、真剣な瞳が千紗子を見下ろす。
 そんなことを言われるとは思わなかった千紗子は、目を丸くした。
 じわじわと体が熱くなってきて、頬に朱が走る。

 「だから俺の見てないところで泣くな、千紗子」

 揺らぎない瞳で千紗子を見つめながら、雨宮の右手がそっと千紗子の頬を包む。
 雨宮はその親指で、千紗子の目じりを拭うように撫でた。

 「あ………」

 雨宮が撫でているのが、自分の涙の跡だと千紗子は気付く。
 泣いていたことを彼に悟られてしまって、なんだか途端に居心地が悪くなった。それと同時に、どうしても雨宮に心配を掛けてしまう自分が、千紗子は情けなかった。

 「さあ、もう寝よう。明日は仕事だ」

 パソコンを閉じながらそう言った雨宮が、千紗子の方に向き直った。
 そして、ソファーに座っている千紗子を、ひょいと、まるで子どもを抱えるように両脇に手を入れて持ち上げた。

 「きゃあっ!」

 いきなりのことに千紗子は小さな悲鳴をもらす。
 千紗子を抱え上げた雨宮は、なんてことない様子でスタスタと廊下を歩き出した。
 
 寝室のドアの前で雨宮が立ち止まる。
 ドアノブに手を掛ける彼を、千紗子は混乱した頭で見下ろした。

 (雨宮さん、いったい何がしたいの!?)

 ドアを開いて寝室に入った雨宮は一直線にベッドを目指す。

 千紗子は口に出す余裕がないほど、とても動揺していた。
 
 (ど、どうしたら!?とにかく離してもらわないとっ)

 雨宮の腕から逃れようと身を捩ったところで、千紗子はベッドに下ろされた。

 「千紗子」
 
 ベッドサイドから見下ろしている雨宮の、立ち昇る色香に千紗子は眩暈を覚えた。
 ポンっと頭に置かれた手に、千紗子の肩が大きく跳ねた。

 「千紗子が眠るまでここにいる。だからもう寝なさい」
 
 頭の上にある手がゆっくりと千紗子の頭を撫でる。
 それは、子どもを寝かしつけるときのように穏やかだ。

 規則正しく、ゆっくりと。
 優しい手つきが、千紗子を眠りに誘う。

 発熱の後の気怠さが残る千紗子の体から、次第に体の力が抜けていく。
 瞼が重たくなって、重力に逆らえない体は布団に沈んでいく。
 うとうとと眠りに落ちるその時、千紗子の額に柔らかくて温かいものが触れた。

 「おやすみ、千紗子」

 そう呟いた声が、千紗子の意識の遠くで聞こえた気がした。





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