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5・オンとオフ
帰宅直後のリビングに
しおりを挟む‟パタン”
リビングのドアが閉まると、雨宮は「ふうっ」と息をつく。体から力を抜ける。無意識に体に力が入っていたのだと、雨宮は気が付いた。
(今夜はダメだな)
自身にダメ出しをした雨宮は、数時間前のことを思い返した。
雨宮が遅番を終えて帰宅すると、ソファーで千紗子が眠っていた。
風呂は済ませたようで、化粧を落とした彼女の寝顔があどけなく、昼間よりも幼く見える。
昨日雨宮が貸したスエットを着ている千紗子の、数回捲り上げた袖や裾から出た真っ白な腕や足が妙に艶めかしく映って、雨宮は無理やりそこから視線を剥がした。
帰宅した途端、好きな子のそんな無防備な姿を見た雨宮は、眉を寄せて「はぁ~っ」と息をついてから、ブランケットを取りに書斎へと向かった。
(起きてる時は俺がちょっと触れるだけでもすぐに警戒するのに、こんなところで無防備な姿を晒すなんて…千紗子は無自覚だが小悪魔かもしれないな………)
さっきの溜め息は自分の理性を取り戻すためだ。
(千紗子にこの家でリラックスして過ごしてほしい。彼女をこれ以上追い詰めるようなことはしたくない)
ただでさえ深く傷付いている千紗子を、これ以上傷付けることなんてあってはならない。しかもそれを自分がするなんて、雨宮は耐えられない、と思う。
(俺が理性を失ってしまったら、きっと彼女はすぐにでもここを出ていくだろうな)
雨宮はブランケットを手に取って踵を返すと、ソファーで寝ている千紗子の所に戻った。
千紗子にブランケットを掛けて、彼女の顔にかかっている髪をそっと指で払ってやる。
昼間ものすごい勢いで仕事をしていた千紗子は疲れているようで、ぐっすりと眠っている。
(よく働いていたからな。時々、挙動不審だったけど)
雨宮はクスリと笑いを漏らした。
仕事中、視線を感じてそちらを見ると、千紗子と目が合ってすぐに逸らされる。そして彼女は焦ったように仕事に向かう。
そんなことを幾度か繰り返しているうちに、雨宮にも千紗子の態度がいつもと違うことに気付いたのだ。
それまで雨宮を前にしても、特に他の男性職員への態度と変わらなかった彼女の、この変化を喜んでいいのかどうかは分からない。
(あんなふうに俺の前で乱れたことが恥ずかしかったんだろうな)
一昨日の夜、自分の手と唇で乱れる千紗子の姿が、雨宮の記憶に甦る。
意識して追い出しているあの夜の千紗子の姿を、今思い出すのは非常に良くない。
けれど、一度思い出してしまったそれを振り払うことは、困難だ。
しかも目の前には当の本人が無防備に眠っている。
眠っている千紗子に、雨宮は吸い寄せられる。
(まるで甘い蜜に惹き付けられる蝶のようだな)
頭の片隅でそんなふうに自分を揶揄するが、千紗子の引力に抗えず、彼女の顔に唇を寄せた。
けれど唇が重なるまであと五センチほどの距離の時、千紗子の頬に涙の跡が見えた。
雨宮はピタリと動きを止める。そして自分の顔をどうにか千紗子から引き離した。
まだ新しい涙の跡を、そっと拭う。
『千紗子』
優しく声を掛ける。
『千紗子』
愛しい人の名前を呼ぶ。
『千紗子』
この想いが叶わなくても、いい。彼女の傷が癒えるなら。
(でもせめて…名前だけは呼ばせてくれ)
雨宮がひっそりとそう願った時、千紗子は睫毛を震わせて、その瞳をゆっくりと開いた。
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