紅き鬣と真珠の鱗

緋宮閑流

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第4章 水底

4-1 月と海

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青白い光が銀の粒となって海上へ、天へと還ってゆく。
見送る濃紺の眼差しは本来在るべき天空ではなく、深く暗い海の底に在った。
地上に在ればその身から放つのは安らぎに満ちた淡い光であるものの、この深海に棲まう者たちにとっては十分に苛烈な光であり、周囲に生き物の気配は殆ど無い。
「……すまないな、ツキノワ」
真横から聞こえてきた、平時では考えられないほど沈んだ声に光放つ銀鱗の主は濃紺の瞳を細めて首を振った。
「ううん……ごめんねアラナミ。僕がもう少し上手く浄化できれば良いのだけど」
「俺だってそうだ」
龍族というものは自分の治める領域を管理するため、それぞれそれなりの浄化能力は発達させている。特に水の流れに乗って瘴気が流れ込む海と関係する龍族はその能力が高い……筈だったのだが。
「どの龍でも……例えアイツの眷属でもアイツみたいにはいかんさ。ここは本当にワダツミの領分なんだ……」

『瘴気喰い』。瘴気を浄化し、喰らい、糧とでき得るまでに特化した龍族。しかし浄化できる量にも糧にできる量にも限界が有り、本来なら全ての生物にとって有害であるものを自身の身体に通して浄化する行為は多少なりとも苦痛を伴う、いわば他者より強力な解毒能力に過ぎないことをきちんと理解している者は少ない。

そんな中でワダツミの浄化能力は高過ぎた。恐らく歴代の『瘴気喰い』長に於いても群を抜く能力は、その或る意味生真面目な彼の性格も手伝って存分に活かされ、そして。
「まぁ、龍長どもがサボったツケが回ってきた、ってのもあるがな……」
平時の瘴気であれば瞬く間に浄化してしまう若い長に、老いた多くの龍長たちは苦痛を伴う瘴気の処理を丸投げしたのだった。
──衰えによって自身の領域に於ける瘴気すら浄化できなくなるほどに。
ワダツミは何も言わなかった。
集会でも龍長が無言の『瘴気喰い』一族は次第に末席へと追い遣られ、ただ喰っていれば済む楽な仕事として軽視され、廃棄物を処理する賤しい仕事として蔑視されてゆく。
本人に苦言を呈したこともあった。
龍長たちにそれも大切な仕事なのだと説いたこともあった。
しかしワダツミ本人には提言することが無いと一蹴され、龍長たちには鼻で笑われた。
ただ日光龍の長を除いては。
「……意地っ張りなんだよ、ワダツミは」
さわりと水流が髭を撫でる。隣に在る者の気配なのに、燐光の範囲内でなければその姿を見ることもできない──『瘴気喰い』の長がその眷属と共に垂れ流される瘴気を浄化し続けてきた世界は、こんなにも暗い。
こんなにも。
「……全く、どこをほっつき歩いてんだか」
隣から聞こえる溜息に、銀の龍は小さく笑う。
「こんなときにナンだけど……元気にほっつき歩いてるなら僕は少し嬉しいけどね」
自身の美しさには盲目なまま、海上の輝きに憧れていた幼馴染。光を求めてよく海面を訪れていたのも知っている。そんな彼がひとときでも解放されたというのなら。
「馬鹿抜かせ。世界の危機だぞ」
言葉とは裏腹に、やはり少しだけ愉しげな声が応えた。
「……次の長が生まれねぇってことはワダツミが無事だってことだ。ワダツミを生かしたのが世界の選択なら、俺らにできることはせいぜい巣を守っといてやることくらいしか無ぇな」

いつしか辿り着いていた海溝の縁から暗い深淵を見遣る。不気味な静けさを縫って上がる瘴気の泡が音を奏でることは無いが、そこに存在するものの気配はひたひたと、確実に這い上がりつつあった。
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