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天使との出会い
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「あの様子を見ると、父親は本当に何も知らなかったようですね」
「はい。連絡を受けたばかりの彼に会ったのですが、予想だにしていなかったという感じで今にも倒れそうになっていましたよ」
あの時も、そして今も演技とは思えない。
自分の知らないところで大切な息子が傷つけられていた。しかも、自分が最も信頼していた妻に……。
彼が倒れてしまうのも無理はないな。
「榎木先生! 直純くんの目が覚めました。お父さんを必死に呼んでいます」
PICUの看護師が部屋に飛び込んできたが、彼の今の状態では起こすことは難しいだろう。
「榎木先生、私が代わりに対面してもかまいませんか?」
「そう、ですね……。とりあえず一度直純くんの様子を見てからの判断にしましょう」
「わかりました」
PICUの窓越しに榎木先生が彼の息子を診察している様子を眺めるが。まだ完全に意識を取り戻したわけではなさそうだ。うわ言で父親に助けを求めているのだろう。
しばらくして、榎木先生が窓越しに私に来るようにとジェスチャーを送ってきた。
急いで手指の消毒をして入り口に向かうと、看護師に防護服のようなものとマスク、そして医療用の手袋を渡される。
それを身につけて彼らの元に向かった。その子が寝ている足元で榎木先生から声をかけられた。
「まだ完全に意識は戻っていませんが、手を握ってあげてください。お父さんとして声をかけてもらえますか?」
「わかりました」
初めての経験に緊張しながらも、この緊張が小さなこの子には伝わらないようにしないといけない。
私は安心させてやりたいんだ。もう怖いことは何もないよ、と。
そっとその子の元に近づくと、もうすぐ三歳とは思えないほどとても小さな身体には無数の管が付けられていた。
臍の下から細い太ももの半分あたりまで包帯が巻かれた痛々しい姿で横たわっている。
なんとか繋ぎ止められたこの命に感謝しながら、私は小さな小さな手にそっと触れた。
一瞬ピクッと身体を震わせたものの、私の指を必死に掴もうとする。
そのとてつもなく弱々しい力に涙が出そうになる。
この小さな身体でどれだけの痛みに耐えたのだろう。
彼がこの子をなんて呼んでいたのかわからないが、私の口から自然と漏れ出た。
――直くん、と。
「もう何も怖いことはないよ。安心してゆっくりおやすみ。直くんにはパパがついてるからね」
「ぱ、ぱ……」
目を瞑ったままのこの子の口が、小さく動いた。
たくさんの機械音があちらこちらから聞こえるその状況で、確かに私の耳には直くんの声が届いていた。
「ああ、パパだよ。もう絶対に怖い目には遭わせないから。パパが直くんを守るからね」
「ぱ、ぱ……」
「――っ!!!」
ほんの少し口が動いて笑顔になった気がした。
私の声が届いたんだ、そう思っただけで私は途轍もなく幸せな気分になっていた。
「磯山先生、あまり疲れさせてはいけないので今日はその辺にしましょう」
「あ、はい。そうですね」
名残惜しく思いながら、そっと私の指を離れさせた。
途端に悲しげな顔になる。それを見ると胸が痛くなった。
後ろ髪引かれる思いで榎木先生とPICUから出て、父親である彼の元に向かうと、彼はまだ眠っているようだった。
彼にとってはショックな出来事だったことだろう。だが一番辛い思いをしたのはあの子自身だ。
あの子がこれから先幸せになることを最優先に考えなければいけないな。
そのためには私ができることもある。弁護士としての私の力が必要になるその時のためにしっかりと証拠を集めて準備を整えておくことにしよう。
今私が抱えている案件は、安慶名くんと成瀬くんに頼んでも大丈夫だろう。あの二人なら余裕な案件ばかりだ。
看護師に何かあれば連絡をくれるように頼み、私は一旦事務所に戻った。
安慶名くんと成瀬くんは私が貴船コンツェルンに行ったきり帰ってこないことに心配しつつも、午後からの案件をしっかりと進めておいてくれていた。本当に頼りになる子たちだ。
彼らに今日の出来事を話すと母親に対する怒りと子どもへの哀れみで複雑な表情を浮かべていた。
どう表現していいかわからない。それが正直なところだろう。
「父親の方は早めにカウンセリングを受けさせた方がいいかもしれませんね」
「そうだな。それは早めに話をしておくとしよう」
今の直純くんには謝罪よりも安心させることが大事だが、父親は直純くんに申し訳ない気持ちしか持っていなさそうだった。あの父親の様子だと、直純くんがPICUから出られたとしてもなかなか会うのは辛いだろう。
それまでは私が代わりに直純くんに会いに行って安心させてもいいかもしれないな。
あの防護服とマスクなら父親だと勘違いしてくれるだろう。
とにかくあの子が笑顔になるように。そして、あの父親が直純くんに笑顔で会えるようになるように私は手助けしよう。みんなが幸せになれるように……。
「はい。連絡を受けたばかりの彼に会ったのですが、予想だにしていなかったという感じで今にも倒れそうになっていましたよ」
あの時も、そして今も演技とは思えない。
自分の知らないところで大切な息子が傷つけられていた。しかも、自分が最も信頼していた妻に……。
彼が倒れてしまうのも無理はないな。
「榎木先生! 直純くんの目が覚めました。お父さんを必死に呼んでいます」
PICUの看護師が部屋に飛び込んできたが、彼の今の状態では起こすことは難しいだろう。
「榎木先生、私が代わりに対面してもかまいませんか?」
「そう、ですね……。とりあえず一度直純くんの様子を見てからの判断にしましょう」
「わかりました」
PICUの窓越しに榎木先生が彼の息子を診察している様子を眺めるが。まだ完全に意識を取り戻したわけではなさそうだ。うわ言で父親に助けを求めているのだろう。
しばらくして、榎木先生が窓越しに私に来るようにとジェスチャーを送ってきた。
急いで手指の消毒をして入り口に向かうと、看護師に防護服のようなものとマスク、そして医療用の手袋を渡される。
それを身につけて彼らの元に向かった。その子が寝ている足元で榎木先生から声をかけられた。
「まだ完全に意識は戻っていませんが、手を握ってあげてください。お父さんとして声をかけてもらえますか?」
「わかりました」
初めての経験に緊張しながらも、この緊張が小さなこの子には伝わらないようにしないといけない。
私は安心させてやりたいんだ。もう怖いことは何もないよ、と。
そっとその子の元に近づくと、もうすぐ三歳とは思えないほどとても小さな身体には無数の管が付けられていた。
臍の下から細い太ももの半分あたりまで包帯が巻かれた痛々しい姿で横たわっている。
なんとか繋ぎ止められたこの命に感謝しながら、私は小さな小さな手にそっと触れた。
一瞬ピクッと身体を震わせたものの、私の指を必死に掴もうとする。
そのとてつもなく弱々しい力に涙が出そうになる。
この小さな身体でどれだけの痛みに耐えたのだろう。
彼がこの子をなんて呼んでいたのかわからないが、私の口から自然と漏れ出た。
――直くん、と。
「もう何も怖いことはないよ。安心してゆっくりおやすみ。直くんにはパパがついてるからね」
「ぱ、ぱ……」
目を瞑ったままのこの子の口が、小さく動いた。
たくさんの機械音があちらこちらから聞こえるその状況で、確かに私の耳には直くんの声が届いていた。
「ああ、パパだよ。もう絶対に怖い目には遭わせないから。パパが直くんを守るからね」
「ぱ、ぱ……」
「――っ!!!」
ほんの少し口が動いて笑顔になった気がした。
私の声が届いたんだ、そう思っただけで私は途轍もなく幸せな気分になっていた。
「磯山先生、あまり疲れさせてはいけないので今日はその辺にしましょう」
「あ、はい。そうですね」
名残惜しく思いながら、そっと私の指を離れさせた。
途端に悲しげな顔になる。それを見ると胸が痛くなった。
後ろ髪引かれる思いで榎木先生とPICUから出て、父親である彼の元に向かうと、彼はまだ眠っているようだった。
彼にとってはショックな出来事だったことだろう。だが一番辛い思いをしたのはあの子自身だ。
あの子がこれから先幸せになることを最優先に考えなければいけないな。
そのためには私ができることもある。弁護士としての私の力が必要になるその時のためにしっかりと証拠を集めて準備を整えておくことにしよう。
今私が抱えている案件は、安慶名くんと成瀬くんに頼んでも大丈夫だろう。あの二人なら余裕な案件ばかりだ。
看護師に何かあれば連絡をくれるように頼み、私は一旦事務所に戻った。
安慶名くんと成瀬くんは私が貴船コンツェルンに行ったきり帰ってこないことに心配しつつも、午後からの案件をしっかりと進めておいてくれていた。本当に頼りになる子たちだ。
彼らに今日の出来事を話すと母親に対する怒りと子どもへの哀れみで複雑な表情を浮かべていた。
どう表現していいかわからない。それが正直なところだろう。
「父親の方は早めにカウンセリングを受けさせた方がいいかもしれませんね」
「そうだな。それは早めに話をしておくとしよう」
今の直純くんには謝罪よりも安心させることが大事だが、父親は直純くんに申し訳ない気持ちしか持っていなさそうだった。あの父親の様子だと、直純くんがPICUから出られたとしてもなかなか会うのは辛いだろう。
それまでは私が代わりに直純くんに会いに行って安心させてもいいかもしれないな。
あの防護服とマスクなら父親だと勘違いしてくれるだろう。
とにかくあの子が笑顔になるように。そして、あの父親が直純くんに笑顔で会えるようになるように私は手助けしよう。みんなが幸せになれるように……。
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